「森宮さん、次に結婚するとしたら、意地悪な人としてくれないかな」
夕飯を食べながら、高2年の優子が言う。
今夜の夕飯は優子が担当した。
仕事から帰るとスーツのまま食卓につき「おいしいおいしい」とかっこむ森宮さんが、
「いい人に囲まれてるって、相当いいことじゃないか」と答える。
「そうなんだけど、保護者が次々変わってるのに、苦労の一つもしょいこんでないっていうのも、どうかなって。ほら、若いころの苦労は買ってでもしろって言うし」
優子にとっては三人目の父親が、娘から「森宮さん」と呼ばれる、一流大学を出て一流企業に勤める、見た目もそこそこの35歳だ。
いったい、どういう事情があって、この二人は暮らすようになったのか。
母親はどうなったのか。
その事情は、優子の回想がはさまれながらあきらかになっていく。
実の母親を事故で失った子供時代。
父親と再婚した新しい母親の梨花と暮らし。
仕事の都合でブラジルへいく父親との別れ。
父と離婚した梨花が次に結婚した、裕福な家での暮らし。
それぞれの時代から、いまの二人の暮らしにもどってくるという、個人的に「時空のロンド方式」となづける構成になっている。
読み進めて行くにつれて今の意味が深まっていき、徐々に二人の何気ないやりとりが胸をうつようになる。
もちろん、最初からわだかまりがなかったわけでもないし、今時点でも雰囲気がおかしくなることもある。
ぎこちないやりとりしかできず、それぞれに思い悩むこともある。
ただ、それは血のつながりがないことが理由ではない。
~ 一緒に暮らしはじめてすぐのころ、私がピアノを弾いていたと知った森宮さんが、電子ピアノのパンフレットをどっさり持ってきた。
「父親と認めてほしいっていうのは、年齢的にも俺の性格的にも少し無理があるだろうけど。でも、やっぱり優子ちゃんに気に入られたいし」
素直にそう言ってのける森宮さんに、気が抜けたっけ。
一緒に暮らすんだ。恋人じゃなく、友達じゃなく、家族という名のもとに。気に入られようとして何が悪いのだろう。気を遣って、どこがおかしいのだろう。あの時、森宮さんの言葉に私もどこかで開き直れた気がする。
泉ヶ原さんが念入りに手入れを施してくれたピアノ。森宮さんがあれこれ選んで買ってくれた電子ピアノ。私はいつも最高の状態のピアノを弾いてきた。どんなピアノを前にしたって怖気づくことはない。 ~
親が子供を気にかけるのは普通だが、子供も思いのほか親を気遣う。
たとえば自分にかかる教育費の問題とか、機嫌良くすごしているかどうかとか、人間関係までも。
経済的な問題など考えずにすむならそれが一番だが、そんなのはごく一部の家庭だけだし、ある程度の年齢になれば普通は考える。
親がするべきあれこれを自分が肩代わりはできないが、機嫌良くいてほしい、いきいきしててほしいと、子供は思うものだ。
そのために親が気づかない我慢をしていたりもする。
二人がお互いを気遣いながら家族「になろう」とする姿は、いまある家族が家族「である」ことを当然と思う自分の甘えを指摘されているようだ。
梨花が次に結婚したのは、同窓会で再会した森宮さんだった。
しかし思いのほか早く梨花は出て行くことになる。
梨花を探さなくていいのかという優子にに、出て行った人を探してもしょうがないと森宮さんは言う。
~ 「梨花さんのこと好きじゃないの? それより大事なことって何?」
「梨花のことは好きだけど、大事なのは優子ちゃんだ。俺、人である前に、男である前に、父親だからね。この離婚届出したら、結婚相手の子どもじゃなく、正真正銘の優子ちゃんの父親になれるってことだよな。なんか得した気分」
森宮さんはなぜかうきうきしているけれど、何のつながりもない娘を押しつけられることのどこが得なのか、私にはわからなかった。
「森宮さん、好きな人と結婚したら子どもまでついてきて。で、最後には好きな人がいなくなってついてきた娘だけ残っちゃったんだよ」
森宮さんは今起こっていることがわかっているのだろうか。置いていかれた私も同情に値するけど、森宮さんだって気の毒だ。
「俺、優子ちゃんの親になった時、もう三十五歳だよ。できちゃった婚でもなく、しっかりと考えて判断して、優子ちゃんの父親になるって決めたんだ。結婚したら勝手に優子ちゃんがついてきたわけじゃない」
「そうだろうけど……」
私をそんなふうに認められたのは、梨花さんが好きだったからだ。子どもという壁があっても梨花さんを愛せたからだ。そう続けようとした私を遮って、森宮さんは、
「梨花がさ、付き合ってる時、会うたびに優子ちゃんの話をしてたんだ。まっすぐですてきな優しい子だって」
と言った。
「ずいぶんな過大評価だね」
梨花さんがおおげさに話している姿が目に浮かんで、私は肩をすくめた。
「まあ、七割は当たってたけどね。梨花が言ってた。優子ちゃんの母親になってから明日が二つになったって」
「明日が二つ?」
「そう。自分の明日と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日が、やってくるんだって。親になるって、未来が二倍以上になることだよって。明日が二つにできるなんて、すごいと思わない? 未来が倍になるなら絶対にしたいだろう。それってどこでもドア以来の発明だよな。しかも、ドラえもんは漫画で優子ちゃんは現実にいる」
(瀬尾まい子『そして、バトンは渡された』文藝春秋) ~
このごろ時間の余裕があって、本も読めるし、そこそこ勉強もできているけど、なんか物足りない。
授業も部活もしてない多くの教員は同じ感覚ではないか。
親とくらべるのはおこがましいが、学校の先生はたくさんの未来を感じることができる。
何十倍もの明日を。ありがたいことではないか。 カムバック! 日常!
夕飯を食べながら、高2年の優子が言う。
今夜の夕飯は優子が担当した。
仕事から帰るとスーツのまま食卓につき「おいしいおいしい」とかっこむ森宮さんが、
「いい人に囲まれてるって、相当いいことじゃないか」と答える。
「そうなんだけど、保護者が次々変わってるのに、苦労の一つもしょいこんでないっていうのも、どうかなって。ほら、若いころの苦労は買ってでもしろって言うし」
優子にとっては三人目の父親が、娘から「森宮さん」と呼ばれる、一流大学を出て一流企業に勤める、見た目もそこそこの35歳だ。
いったい、どういう事情があって、この二人は暮らすようになったのか。
母親はどうなったのか。
その事情は、優子の回想がはさまれながらあきらかになっていく。
実の母親を事故で失った子供時代。
父親と再婚した新しい母親の梨花と暮らし。
仕事の都合でブラジルへいく父親との別れ。
父と離婚した梨花が次に結婚した、裕福な家での暮らし。
それぞれの時代から、いまの二人の暮らしにもどってくるという、個人的に「時空のロンド方式」となづける構成になっている。
読み進めて行くにつれて今の意味が深まっていき、徐々に二人の何気ないやりとりが胸をうつようになる。
もちろん、最初からわだかまりがなかったわけでもないし、今時点でも雰囲気がおかしくなることもある。
ぎこちないやりとりしかできず、それぞれに思い悩むこともある。
ただ、それは血のつながりがないことが理由ではない。
~ 一緒に暮らしはじめてすぐのころ、私がピアノを弾いていたと知った森宮さんが、電子ピアノのパンフレットをどっさり持ってきた。
「父親と認めてほしいっていうのは、年齢的にも俺の性格的にも少し無理があるだろうけど。でも、やっぱり優子ちゃんに気に入られたいし」
素直にそう言ってのける森宮さんに、気が抜けたっけ。
一緒に暮らすんだ。恋人じゃなく、友達じゃなく、家族という名のもとに。気に入られようとして何が悪いのだろう。気を遣って、どこがおかしいのだろう。あの時、森宮さんの言葉に私もどこかで開き直れた気がする。
泉ヶ原さんが念入りに手入れを施してくれたピアノ。森宮さんがあれこれ選んで買ってくれた電子ピアノ。私はいつも最高の状態のピアノを弾いてきた。どんなピアノを前にしたって怖気づくことはない。 ~
親が子供を気にかけるのは普通だが、子供も思いのほか親を気遣う。
たとえば自分にかかる教育費の問題とか、機嫌良くすごしているかどうかとか、人間関係までも。
経済的な問題など考えずにすむならそれが一番だが、そんなのはごく一部の家庭だけだし、ある程度の年齢になれば普通は考える。
親がするべきあれこれを自分が肩代わりはできないが、機嫌良くいてほしい、いきいきしててほしいと、子供は思うものだ。
そのために親が気づかない我慢をしていたりもする。
二人がお互いを気遣いながら家族「になろう」とする姿は、いまある家族が家族「である」ことを当然と思う自分の甘えを指摘されているようだ。
梨花が次に結婚したのは、同窓会で再会した森宮さんだった。
しかし思いのほか早く梨花は出て行くことになる。
梨花を探さなくていいのかという優子にに、出て行った人を探してもしょうがないと森宮さんは言う。
~ 「梨花さんのこと好きじゃないの? それより大事なことって何?」
「梨花のことは好きだけど、大事なのは優子ちゃんだ。俺、人である前に、男である前に、父親だからね。この離婚届出したら、結婚相手の子どもじゃなく、正真正銘の優子ちゃんの父親になれるってことだよな。なんか得した気分」
森宮さんはなぜかうきうきしているけれど、何のつながりもない娘を押しつけられることのどこが得なのか、私にはわからなかった。
「森宮さん、好きな人と結婚したら子どもまでついてきて。で、最後には好きな人がいなくなってついてきた娘だけ残っちゃったんだよ」
森宮さんは今起こっていることがわかっているのだろうか。置いていかれた私も同情に値するけど、森宮さんだって気の毒だ。
「俺、優子ちゃんの親になった時、もう三十五歳だよ。できちゃった婚でもなく、しっかりと考えて判断して、優子ちゃんの父親になるって決めたんだ。結婚したら勝手に優子ちゃんがついてきたわけじゃない」
「そうだろうけど……」
私をそんなふうに認められたのは、梨花さんが好きだったからだ。子どもという壁があっても梨花さんを愛せたからだ。そう続けようとした私を遮って、森宮さんは、
「梨花がさ、付き合ってる時、会うたびに優子ちゃんの話をしてたんだ。まっすぐですてきな優しい子だって」
と言った。
「ずいぶんな過大評価だね」
梨花さんがおおげさに話している姿が目に浮かんで、私は肩をすくめた。
「まあ、七割は当たってたけどね。梨花が言ってた。優子ちゃんの母親になってから明日が二つになったって」
「明日が二つ?」
「そう。自分の明日と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日が、やってくるんだって。親になるって、未来が二倍以上になることだよって。明日が二つにできるなんて、すごいと思わない? 未来が倍になるなら絶対にしたいだろう。それってどこでもドア以来の発明だよな。しかも、ドラえもんは漫画で優子ちゃんは現実にいる」
(瀬尾まい子『そして、バトンは渡された』文藝春秋) ~
このごろ時間の余裕があって、本も読めるし、そこそこ勉強もできているけど、なんか物足りない。
授業も部活もしてない多くの教員は同じ感覚ではないか。
親とくらべるのはおこがましいが、学校の先生はたくさんの未来を感じることができる。
何十倍もの明日を。ありがたいことではないか。 カムバック! 日常!