⑦ キーワードを見つけよう
『ドラゴン桜2』の中で、太宰府治先生が「キーワードの見つけ方三つのテクニック」をこう示している。
1 タイトルから探せ!
2 最初と最後の段落に出てくる言葉から探せ!
3 接続詞にくっついている文章から探せ!
1は、文章のタイトルには作者の最も言いたいことが含まれるので、チェックしようということだ。たしかにそのとおり。
問題を解くときに、国語の苦手な生徒さんほど、いきなり本文から読み始める傾向がある。
前書きや注にも大事な要素が含まれているし、段落番号がつけられているなら、並べ替えの問題があるのかなと設問を最初に確認しないといけない。
人と接するとき、その人がどんな服装をしているのか、どんな顔つきなのか、自然に目に入る。
視覚から得られる情報は、むしろ発せられる言葉からよりも多いくらいだ。
与えられた文章のタイトルはその人の名前、リード文や注は、服装や表情。 それがないと問題が解けないと出題者が考えているからこそ書いてある。
ただし、タイトルと本文がまったく関係ないこともある。
むだに詩的なタイトルをつけていきっている作家先生はいらっしゃるので。
2は、評論文が序論、本論、結論という構成になっているので、最初と最後にとくに注意せよという。これもヒントになるだろう。型式段落の最初と最後にも出てきやすい。英文のキーワードの見つけ方と同じだ。
3は、とくに「つまり」「しかし」「だから」ではじまる文にキーワードが出てくるという。
優秀なみなさんは、もうこれで十分だろうが、あまり得意でない方のために補足しよう。
そもそもキーワードとは何か。
その文章を理解するために大事な言葉だ。
作者がその文章で主張することをつかむために。
評論文での話なので、端的にいってこう定義できる。
キーワードとは「繰り返し出てくる難しっぽい言葉」。
「難しっぽい」とは「抽象度が高い」ということ。
おっと、わかりにくいかな?
具体と抽象。
「りんご」「みかん」「バナナ」「ぶどう」は具体で、「くだもの」は抽象。
「りんご」はキーワードにはまずならないが、「くだもの」はなり得る。
「イチゴショート」「シュークリーム」「あんみつ」は具体で、「スイーツ」は抽象。
「イチゴショート」はキーワードにならないが、「スイーツ」はなり得る。
「クーラー」「冷蔵庫」「洗濯機」は具体で、「家電」は抽象。
「家電製品」「自動車」「電話」は具体で、「文化的な生活」は抽象。
わたしはスイーツが好きだ。たとえば、ケーキのなかでもイチゴショートを週に2回食べる。シュークリームは少し皮がばりっとしているパイ生地風のがいい。和風の甘いものにも目がなくて、昨日はお気に入りのあんみつを食べに浅草まででかけた。このように、いまの私のからだほとんどスイーツでできていると言っても過言ではない。
繰り返される抽象語は、「たとえば」の前にあり、「このように」の後ろに出てくる。
そのキーワードが、筆者にとってプラスのワードなのか、マイナスのワードなのかに気づければ、読解は八割方おわっている。
だから私たちの社会はこの機械の影響を受けて、知らず知らずのうちにパーソナルな内面的世界を表現する文化を育ててはいないだろうか。例えば、スマートフォンやデジタルカメラを使って、自分の周囲のパーソナルな生活を自ら撮影し、記録し、インターネットを通して他者と共有するという私的な表現文化がいま隆盛しているだろう。それは同じ映像文化であっても、プロフェッショナルな人びとが大衆に消費されるために作り上げてきた映画作品や広告写真やテレビ映像といった、公的な映像文化とはまったく異なった種類のものである。私たちが自分自身の生活のなかで感じた小さな心の動きを、自分なりのやり方で映像として表現すること。そうした映像文化のDIY化とでも呼ぶべき現象は、七〇年代に始まったパーソナル文化革命が私たちの生活のなかに浸透してきたことの証左だと思う。(長谷正人「大量消費社会とパーソナル化」一橋2016年)
タイトル確認、「例えば」の直前確認、「そうした」の後ろ確認。
キーワードは、「パーソナル化」で、その具体例はスマホの映像、その反対がテレビの映像、という対比関係がみえる。
「パーソナルな生活」を○で囲み、「公的な映像文化」を四角で囲んだりすると、急に視界がひらけてくる。
『ドラゴン桜2』の中で、太宰府治先生が「キーワードの見つけ方三つのテクニック」をこう示している。
1 タイトルから探せ!
2 最初と最後の段落に出てくる言葉から探せ!
3 接続詞にくっついている文章から探せ!
1は、文章のタイトルには作者の最も言いたいことが含まれるので、チェックしようということだ。たしかにそのとおり。
問題を解くときに、国語の苦手な生徒さんほど、いきなり本文から読み始める傾向がある。
前書きや注にも大事な要素が含まれているし、段落番号がつけられているなら、並べ替えの問題があるのかなと設問を最初に確認しないといけない。
人と接するとき、その人がどんな服装をしているのか、どんな顔つきなのか、自然に目に入る。
視覚から得られる情報は、むしろ発せられる言葉からよりも多いくらいだ。
与えられた文章のタイトルはその人の名前、リード文や注は、服装や表情。 それがないと問題が解けないと出題者が考えているからこそ書いてある。
ただし、タイトルと本文がまったく関係ないこともある。
むだに詩的なタイトルをつけていきっている作家先生はいらっしゃるので。
2は、評論文が序論、本論、結論という構成になっているので、最初と最後にとくに注意せよという。これもヒントになるだろう。型式段落の最初と最後にも出てきやすい。英文のキーワードの見つけ方と同じだ。
3は、とくに「つまり」「しかし」「だから」ではじまる文にキーワードが出てくるという。
優秀なみなさんは、もうこれで十分だろうが、あまり得意でない方のために補足しよう。
そもそもキーワードとは何か。
その文章を理解するために大事な言葉だ。
作者がその文章で主張することをつかむために。
評論文での話なので、端的にいってこう定義できる。
キーワードとは「繰り返し出てくる難しっぽい言葉」。
「難しっぽい」とは「抽象度が高い」ということ。
おっと、わかりにくいかな?
具体と抽象。
「りんご」「みかん」「バナナ」「ぶどう」は具体で、「くだもの」は抽象。
「りんご」はキーワードにはまずならないが、「くだもの」はなり得る。
「イチゴショート」「シュークリーム」「あんみつ」は具体で、「スイーツ」は抽象。
「イチゴショート」はキーワードにならないが、「スイーツ」はなり得る。
「クーラー」「冷蔵庫」「洗濯機」は具体で、「家電」は抽象。
「家電製品」「自動車」「電話」は具体で、「文化的な生活」は抽象。
わたしはスイーツが好きだ。たとえば、ケーキのなかでもイチゴショートを週に2回食べる。シュークリームは少し皮がばりっとしているパイ生地風のがいい。和風の甘いものにも目がなくて、昨日はお気に入りのあんみつを食べに浅草まででかけた。このように、いまの私のからだほとんどスイーツでできていると言っても過言ではない。
繰り返される抽象語は、「たとえば」の前にあり、「このように」の後ろに出てくる。
そのキーワードが、筆者にとってプラスのワードなのか、マイナスのワードなのかに気づければ、読解は八割方おわっている。
だから私たちの社会はこの機械の影響を受けて、知らず知らずのうちにパーソナルな内面的世界を表現する文化を育ててはいないだろうか。例えば、スマートフォンやデジタルカメラを使って、自分の周囲のパーソナルな生活を自ら撮影し、記録し、インターネットを通して他者と共有するという私的な表現文化がいま隆盛しているだろう。それは同じ映像文化であっても、プロフェッショナルな人びとが大衆に消費されるために作り上げてきた映画作品や広告写真やテレビ映像といった、公的な映像文化とはまったく異なった種類のものである。私たちが自分自身の生活のなかで感じた小さな心の動きを、自分なりのやり方で映像として表現すること。そうした映像文化のDIY化とでも呼ぶべき現象は、七〇年代に始まったパーソナル文化革命が私たちの生活のなかに浸透してきたことの証左だと思う。(長谷正人「大量消費社会とパーソナル化」一橋2016年)
タイトル確認、「例えば」の直前確認、「そうした」の後ろ確認。
キーワードは、「パーソナル化」で、その具体例はスマホの映像、その反対がテレビの映像、という対比関係がみえる。
「パーソナルな生活」を○で囲み、「公的な映像文化」を四角で囲んだりすると、急に視界がひらけてくる。