水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ファミレス

2013年10月19日 | おすすめの本・CD

 ある中学校で、先生は何年ぐらいいらっしゃるんですか、と尋ねられ答えると、え、長いんですね、じゃ、何年生まれですか、へえ、うちの上の兄と同じだ、てっきり同じくらいの年齢かなと思って話してました、って話になった。
 そうなんですよ、前の東京五輪のときには、この世に居たんですよね … 。
 前回の記憶はないとはいえ、二度夏のオリンピックを経験できる人生というのは、実は幸せなのではないかと思った。
 そっか、7年後に語ろうかな「前の五輪のとき、日本はこんなだったんだよ」って。
 そういう言い方してても不思議に思われない年齢になっているような気がする。

 橋本治『初夏の色』には六つの短編が収められている。自分と年齢の近い主人公のものが多く、東京五輪、高度成長、一人立ちして、家族をつくり、そして大震災の経験という歴史が描かれる。
 橋本氏にこれを書かかしめたのは東日本大震災の経験だ。
 直接被害にあった地域や当事者を描いた作品ではないけれど、ふつうに生きてきて、人生のある一点において想像もしていない天災に出会ってしまえば、人はそれを「なし」にしては生きられない。
 
 重松清『ファミレス』も、ストーリーのメインの筋ではないけれど、やはり主人公の人生に震災はいろんな形で影響してくる。

 ~ 大津波の襲来から一年二ヶ月近くたって、町を埋め尽くしていた瓦礫の撤去はだいぶ進んだ。仮説住宅に暮らすひとたちの話題にも「これから」のことが増えてきた。
 だが、その一方で、プレハブの棟割りが並ぶ仮設住宅には、孤独が重くたちこめている。(重松清『ファミレス』日本経済新聞出版社) ~

 主人公の奥さんが被災地のボランティアにでかけ、きてみなければ決してわからない空気感を感じるシーンだ。
 重松清氏も、こんな場面を書く日が訪れるなんて予想してなかっただろうなと思う。

 ほぼ同世代の重松氏の作品は、その膨大な作品群のすべてを読むことはもちろんできないが、折々手に取ってきた。作者自身の年齢と近い存在を主人公にしてくれるので、そのつどリアルな感覚で読むことができた。
 たとえば万博を観に行ったときの記憶を主人公が語ると、そうそう、そんなだったと一気に共感できる。
 読み始めたころは、小学生の子を持つ親が描かれ、その子どもたちが中学生になると親もアラフォーになる。
 10年ちょっと前に、アラフォー世代の生活実感をしみじみと描いてくれた『ビタミンF』は見事直木賞をとり、久しぶりに手にした『ファミレス』では、子どもが大学生になっていた。
 親はアラフィフとなり、子どもが家を出て行って何十年かぶりに二人で家にいる夫婦のとまどいと、人生を見つめ直す気分が、なかなか切実にせまってくる。

 子供時代にファミレスが存在しなかったわれわれ世代にとって、ファミレスでのは外食は憧れの対象だった。そこでの食事内容そのものではなく、そういう空間に気軽にいって家族それぞれが好きなものを食べるという光景は、子供時代に想像もできないことだった。そんなことをする大人(父親)になるなんて誰も想像していない。
 そして現代、ファミレス利用者におけるファミリー利用率はずいぶん下がっている。
 自分のファミリーとは距離をおいた、個人個人の居場所になっている観もある。
 普通に生きている一般人の人生って、変化のない日常の積み重ねのようだけど、けっこうみんな激動しているのではないだろうか。

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営業

2013年10月18日 | 日々のあれこれ

 昨日、今日と担当する中学校回りをした。
 学校説明会の案内や、今年の入試の概要について、中学校の先生にお会いして説明して回る。
 いわゆる営業だ。時期的に、合唱コンクールの練習をしている学校さんにいくつか出会った。
 いいなあ。この時期だけは中学校の先生になって、自分のクラスの合唱指導をしたくなる。
 とくに今日うかがった学校さんからはハイレベルな歌声が聞こえてきて驚いた。数年前、けっこうふざけた感じの練習に聞こえてた記憶があったが、きっと学校全体で立て直したのだろう。そのご苦労に頭が下がる。
 合唱や、ときどきみかける体育祭の練習などにこそ、その学校の雰囲気が如実に表れてしまうような気がする。

 「試験では点数がとれているのに、通知表の成績が今ひとつあがらない、うちの学校はきびしいんです」という訴えを、個別相談会の際に時折耳にする。
 通知表の成績は、テストの点だけでなく、授業態度や提出物や、学習に対する姿勢があわせて評価されているわけだが、学校行事や、ふだんの教室掃除や委員会活動に取り組んでいる姿勢が各先生方にインプットされていて、それもベースになっているとは言えるだろう。
 そういう総合的な態度が、勉強面の成果に大きく影響するのは、間違いないことだし。

 学校の先生というのは(もちろん自分も思いきり含めて言ってるけど)、「学校的まじめさ」を露骨に表現する生徒が好きなのだ。
 学校のことをきちんとやる生徒、前向きに取り組む生徒、つまり学校が用意した価値観を、ばかにしないで受け入れてくれる生徒。
 合唱にしても応援合戦にしても、冷静に考えたら「なんでそんなことしないといけないの?」という企画であり、そう思う子がいてもなんら不思議ではない。
 自分だってそんな時期はあったし、そういうことを全く考えたこともない人の方が少ないだろう。
 学校の先生方もおそらく例外ではない(忘れている人はいるけれど)。
 そう思いつつも、やりはじめれば人をのめりこませる力をもっているのがそういう行事の力でもあり、だからこそ学校の中で大きな位置づけを占めているのだ。

 そういうものに異を唱える生徒さんがいればら、先生にいい印象はもたれない。
 それは学校の価値観そのものを否定されていることになるから。
 ちゃんとやらない子を見かけたら「不快に」感じることを求められているのが「先生」であるとも言える。
 学校生活を支える価値観は、社会の要請で作られているものでもあり、われわれ一般ピープルが円滑に社会生活をおくるためにはどうすればいいかという知恵の集合体でもあるから。
 先生が生徒を評価するとしたら、自分たちは社会からそういう役割を与えられている存在だという自覚を持つ上においてのみ可能だろう。
 その自覚がまったくない場合、もしくは評価される側が先生のその自覚を感じないとき、評価はただの好き嫌いに見えてしまう。

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10月17日

2013年10月17日 | 学年だよりなど

  学年だより「ホリエモン」

 堀江貴文氏、40歳。東大在学中に、ホームページの製作管理を行う会社「オンザエッジ」を設立。
 みなさんが生まれる少し前で、インターネットが一般に普及しはじめた時代だ。
 その後会社は「ライブドア」と名前を変え、時代の流れにのって急成長する。
 IT起業家の草分けであり、時代の寵児とよばれた彼は、プロ野球の球団を買収しようとしたり、フジテレビを傘下におこうとしたり、総選挙に立候補したりする。
 メディアで彼の姿を見ない日はない、という時期が続いた。
 ただし「出る杭は打たれる」という諺をこれほど具現化した方もめずらしいだろう。
 証券取引法違反の疑いで逮捕されると、裁判の結果、刑が確定し収監されることになる。
 まもなく発売される堀江氏の本の文章には、「金に物を言わせて好き勝手してきたIT社長」という世間のイメージとは、全く異なる姿が語られていて興味深かった。
 福岡県の片田舎で育った堀江氏は、久留米大附設中高という名門進学校に進む。男子校だ。
 成績はぱっとしなかったが、このまま九州にいたのでは自分の人生に発展性はないと思い、東大受験を決意した。
 大学進学を機に自宅を出たい、親と離れて暮らしたい。九州大では自宅から通わせられる。早稲田や慶應は経済的に許されるはずはない、一橋と言っても親は知らない、東大しか選択肢はない、というのが結論だった。
 理系を勉強して、将来は航空工学の研究をしたいという、漠然とした夢はあった。
 しかし、東大受験を決意したのは高3の春。現時点での成績と、二次の数学を考えたとき、時間的には絶対に間に合わない。
 文系で入学し、「進振り」とよばれる学内での進級の際に理系学部にうつろうと心に決める。


 ~ そうなればポイントは英語だ。当時、僕の英語は5~6割の正解率。まさしく判定不能、「あきらめなさい」のレベルである。
 過去問を何度も読み返した結果、僕のたどり着いた結論はこうだった。
 受験英語とは、とにかく英単語を極めることに尽きる。文法に惑わされてしまうのも、すべては単語の意味を取り違えているからだ。単語力の強化が、そのまま英語力の強化に直結する。
 実際、僕の単語力はかなりお粗末なものだった。そこで英語の教師におすすめの単語帳を教えてもらい、片っ端から丸暗記することにした。暗記するといっても、よくある単語カードによる暗記ではない。
 単語帳の隅から隅まで、派生語や例文も含めてすべての文言を「丸暗記」していくのだ。ちょうど、俳優さんが台本を丸ごと暗記するようなイメージである。
 自分に課したノルマは、1日1見開き。12月に終える予定だったが、予定より早く進んで、秋口には全ページを一言一句漏らさず暗記することができた。 (堀江貴文『ゼロ』ダイヤモンド社発売予定・「堀江貴文メルマガ」より) ~

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アンコン抽選会

2013年10月16日 | 日々のあれこれ

 昨日、六時間の授業後、帰りの教員打ち合わせを終えて掃除場所の東昇降口に向かうと、階上から「ぅお~」という雄叫びが時間差をつけて数回聞こえてきた。
 「明日は台風のため休校です」と担任が告げた直後だろう。
 冷静に考えれば、授業も試験も先延ばしになっただけで、物理量で何かが楽になったとか、得したとかないのだが、でも自分もちょっとうれしかった。
 今日の抽選会がなければ完全オフだったんだけどなあ。
 目覚ましをかけずに寝て、起きたときには雨はほぼおさまっていたが、風は強い。
 近くの何地域かに避難勧告が出ていたから、夜の間の雨量はすごかったのだろう。
 空も明るくなってきたと思い学校に向かうことにしたが、途中の新河岸川は、なるほど非難勧告出るなという水量だった。
 学校は一番のりで、鍵を閉めることはよくあるが、久しぶりにセコムを解除して、パソコンに向かうと、窓をたたく風はおさまる感じがない。電車もとまっている。休校にしたのは大正解だった。
 お昼前に学校を出て久喜に向かう。
 時間的余裕をもって会場に迎える幸せよ。途中で「もちもちの木」蓮田店により、平日しかやってない味噌ラーメン定食(小ライスとギョーザ3個付き)を食す。久しぶりだった。あいかわらずしょっぱいが美味しい。もうそんなものにしておけ、塩分もカロリーも摂りすぎだろうという声を聞きながら、そこそこスープののんでしまう。
 会場の久喜総合文化会館では、副理事長もあいさつで話されてたが、例年より生徒さんの参加者が少なかった。
 できることなら、少しでも遅い日をひきたいと思っていたが、その気持ち通り、大会四日目の22日をひくことができた。
 これで、11月の4本の本番日程も確定した。試験が終わるとまた忙しくなる。

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歌枕

2013年10月15日 | 日々のあれこれ

 和歌の授業で「歌枕」を教えた。
 和歌に詠み込まれるお約束の地名を「歌枕」と言います。
 「逢坂山」「吉野山」「竜田川」「白川の関」 … 。その言葉を用いることで、ある程度きまったイメージが説明しなくてもわいてくる地名ですね。
 今で考えてもあるよね、なんとなく歌の歌詞になりそうな地名と、そうじゃないのと。
 「川越」は無理すれば歌詞になるかな、でも、銀座とか六本木とかに比べると地名インパクト弱いよね。
 ファンモンの歌で「八王子ーの、南口ーの」ってあったけど、あれは新しい感覚だな。

 なんてことを教えたあとふと思い浮かんだ。
 ニューミュージックの仕事は、「歌枕の見直し」だったのではないか。
 吉野山で桜を見、白川の関で秋風を感じた日本人の感性は、現実にそういう体験をすることより、観念の世界のものになっていった。
 昭和歌謡の歌詞に歌い込まれていた数々の地名も、歌枕と同様に、なんとなくのイメージを日本人が描くものになっていた。
 銀座の柳を楽しみ、赤坂で別れた人と再会する。はるばる函館へ出かけ、津軽海峡で涙する。
 日本人のお約束の感慨を描いてはいるが、若者たちが今ここで生きている自分のものとしては感じ取れなかった。
 そんなとき、風呂桶をもって神田川沿いを歩いたり、中央高速をドライブする風景が歌になりはじめる。
 もちろん地方で暮らす若者にとって、それはイメージでしかなく、実際に経験する人は少ない。
 しかし、それまで歌われなかった場所が歌われる。
 これこそ、自分たちの求めていた歌だ、おれたちの生活が思いがそこにある、と感じたのではないか。
 
 全然話変わるけど、代ゼミの漆原先生の参考書で、縁語の説明にこんなのがあったと思う。
「君のハートにナイスショット!」と言ってプロポーズするのは石川遼くん。
 その人だから、あえてその言葉を用いる技法は縁語です、と。
 思い出したので、今日はそれをまねしてみた。
 さて、問題です
「君のハートにナイスシュート!」というセリフで彼女にプロポーズするのは誰でしょう。
  ① イチロー ②石川遼 ③前園
 ちょっと気を引けたけど、説明自体はいつもの斉藤由貴「卒業」の方が「なるほど」という顔をしてくれた。
 今朝は、前園選手に対するタクシー会社の言葉をニュースを車のなかで聞いて、号泣した。

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10月14日

2013年10月14日 | 学年だよりなど

  学年だより「インプットとアウトプット(3)」

 「知識吸収のための勉強」に問題集を用いる方法を、前回書いた。
 最近読んだ本にも同じ趣旨の記述があったので紹介しておこう。


 ~ やり方を具体的に言うと、まず問題と答を読みます。実力がついてきたら、ある程度考えてもいいでしょう。そのほうが解答の定着率が上がります。そうしたら、直後に解き直します。たいてい解けないと思いますから、もう一度(二度三度)解答を読みます。何も見ないでスラスラ解けるようになるまで、その場で繰り返します。
 これができてはじめて短期の記憶ができたといえます。これを怠るとアウトです。その場で解けないものは、本番でも絶対に解けません、気をつけましょう。
 特に理数系教科において、解答を読むだけとか、答を写すだけでは意味がありません。必ず自分の手で解き直してみることが肝要です。これをやらないと、問題が身につきません。そのうえで、解説の重要なところにマーカーで色をつけます。段落丸ごとという場合は、段落全体を鉛筆でカッコで囲んでおきます。 (荒川英輔『再受験生が教える医学部最短攻略法』エール出版社) ~


 勉強は、「何も見ないでスラスラ解けるようになるまで」やってはじめて身についたという。
 今、ほとんどのみなさんに足りないのは、これだ。
 マーカーで色を塗ったり、ノートをまとめ直したりする段階は作業にすぎず、その時点ではまだかしこくなってない。
 覚えるべき事柄を、ノートや教科書からいったん目を離してすらすら出てくる状態になっているかを、たえず確認しながら勉強しないといけない。
 数学や物理なら、問題を見た瞬間に解法がすっとイメージできる状態になってはじめて身についたという。
 インプットしたら、すぐにアウトプットして確認する。
 作業時間ばかりを増やしても、力にならないのだ。
 時間をかけたにもかかわらず自分のものにならないとしたら時間がもったいなさすぎではないか。


 ~ 復習の回数も1回や2回ではだめです。最低でも5回と考えてください。自分にとって常識、反射的に出てくるようになるまで繰り返し復習しましょう。基本的には問題と解答を「覚えよう」という意識をもちながら読んでいくだけでいいですが、よほどあやふやな問題は、もう一度上の方法で覚え直す必要があります。要するに、短期記憶を長期記憶に変えていく作業です。
 勉強した翌日など、直近の時期に復習するかどうかが最重要な点です。一般に、勉強した事項は直近に見直さないと、急速に記憶から抜けます。 (荒川英輔『再受験生が教える医学部最短攻略法』エール出版社)  ~


 ちゃんと身になっているかどうかを調べるのが、模試や定期試験の役割だ。

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地獄でなぜ悪い

2013年10月13日 | 演奏会・映画など

 山田うどんでは、まず「かき揚げ丼」を食べるべきだ。それは駅の立ち食いそばで「コロッケそば」を食べることや、吹奏楽でリード先生の曲を楽しむべきなのと同じだ。
 そのジャンルだからこそできることを表現してはじめて、そのジャンルの存在価値がある。
 園子温監督「地獄でなぜ悪い」は、まさに映画にしかできない、エロ、グロ、バイオレンス満載で、かつ映画愛にあふれた作品で、「そして父になる」とは真逆の方向性の傑作だ。
 自分の娘を主役に映画を撮りたい、そして命をかけて組を守って服役している妻の出所に間にあうように完成させたい、だから自分の組が置かれている抗争をそのまま映画にすることでそれを果たすしかない、と考えた組長の国村隼が(この一文の情報量多くね? まだ続く)、娘と駆け落ちした若者を監督に仕立てて映画を撮るという、むちゃくちゃなストーリーで、組の抗争場面では、手首はちぎれ、首は飛び、血の海ができる。
 ストーリーは小林信彦「唐獅子」シリーズ、映像はタランティーノ監督か。
 これほどB級をきわめて作品ははじめて観た。最高級のコロッケそばだ。
 きわめられたのは、役者さんの力によるところも大きい。
 国村組と対立する組の親分は堤真一さま。
 堤真一が思いを寄せる国村の娘役、二階堂ふみちゃんはもちろん魅力的だ(殺陣はもう少し練習してもいいかな)。橋本愛ちゃんと同じ事務所だそうだが、大変だろうなあ。
 星野源さんは「箱入り息子の恋」もよかったけど、今回もとてもミュージシャンとは思えないほど役者として存在感があった。長谷川博巳さんは「鈴木先生」とは異なり、今回のはじけ方はすごい。
 渋谷ヒューマックス、土曜午後の回は満席。笑う場面では客席がどんと笑う。
 南古谷ウニクスでひっそり観るのでなく、映画好きっぽいたくさんのお客さんの中に入って楽しめたのが、ほんとによかった。

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人物重視

2013年10月12日 | 日々のあれこれ

 大学入試の二次試験についても、通常のテストを行わずに面接や論文で合否を判定すべきという提言が出された。 「学力一辺倒の一発勝負、1点差勝負の試験を変える時だ」と文科大臣も述べている。
 毎日新聞の解説によると「企業が求める即戦力や意欲ある若者の育成は、大学の教育機能の向上が不可欠だ」、そのために必要なのが「入試改革」ということになる。

 昨夜、台所でビール呑みながら「水道橋博士のメルマガ」を読んでたら、テレビでこのニュースも報道されてた。
 「ねえ、勉強させたいの?、就職予備校にしたいの?」と文句ありげな顔で長女がよってくる。
 「そうだよなあ、大学って勉強第一だと思うんだけどなあ」
 「それよりさ、大学の先生の方が、けっこう人としてやばい人いるよね」ときびしい事実を次女が述べる。
 「入試が変わっても、そういう人も教えるわけか … 」

 根本的に言えるのは、やはり大学は勉強する場所であり、運良く間違って「学問」にふれられる可能性もある空間だ、と自分は思ってきた。
 少なくともそこはスポーツ団体でもないし、劇団でもない。
 たとえば軍隊に入るには、運動能力や判断能力や協調性といった、人格面でのテストをクリアさせるべきだろう。
 たとえば音楽座ミュージカルに入るには、歌、ダンス、滑舌、そして他の団員と一緒にものを作っていこうとする姿勢などが問われるはずだ。
 でも、大学だよね。
 「知識」に偏った試験の何がだめなんだろう。
 「人物の試験」って、誰が何を評価するのだろう。
 面接にしても、小論文にしても、もしそうなるなら、徹底的に指導して「人格的」に入試をクリアさせる力をつけるのは、それほど難しくない。でも、それでいいのかな。

 社会における大学の意味が変わっているということなのだろう。
 たしかに高校生の半分が進学するのだから、一昔前の(もっと前かな)学問の府としての大学ではなくなったのは間違いない。
 だからといって、大学の存在価値を、企業への人材派遣所にしてしまおうというのも違うと思う。
 ちなみに、すでに知識偏重の試験をやってない大学はたくさんある。
 一定数の私立大学は、実質的なペーパーテストは行ってない。
 やったとしても、「え? これ大学入試の問題? 都内の中学入試よりかんたんじゃね?」的な問題になっている。
 そういう大学は、面接や志望理由書でどんどん入学させてくれる。
 「教育再生会議」の考える理想的な入試がすでに行われているのだ。そういう大学を参考にすればいいんじゃないかな。どんな現状になっているのかを。

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10月11日

2013年10月11日 | 学年だよりなど

  学年だより「インプットとアウトプット(2)」

 ~ 当時の僕は、クイズ王がいうのだから間違いないとばかりに、とにかく「クイズの問題集を手に入れる」「クイズの問題に繰り返し接する」「わからない問題・間違えた問題にはバツ印のチェックを入れる」「バツ印のついた問題のみを大学ノートに抜き出す」「大学ノートに書かれた問題を繰り返し覚える」という行程を、繰り返しました。 ~


 賢明なみなさんのことだから、前の号に書いたこのクイズ対策が、勉強のやり方としての「王道」でもあることに気づいているだろう。
 そして大事なのは、のちのクイズ王日高少年は、自分が蓄えた知識を、実践を通して確認していったことだ。


 ~ 『アタック25』を見るときも、集中してのめり込んで、電器店で購入してきた早押しボタンのようなスイッチを片手に見る。何問正解できたかの「スコア」をつける。すると、毎週少しずつではありますが、正解数が右肩上がりに、また正解数が下がったときでも知らない単語は少なくなっていることに気づきます。「うろ覚え」の知識が増えているということは、自分が少しずつでも前進しているということ。それまでこなしてきた勉強法が間違っていないことが、自分なりに確認できたのです。 (日高大介『クイズ王の「超効率」勉強法』PHP新書) ~


 知識は吸収していくだけでは、自分の力にならない。
 実践を通してそれを放出することで、たしかな知識として血や肉になっていく。
 こう考えると、問題集の使い方にも2パターンがあることに気づくだろう。
 一つは、「知識吸収のための勉強」に用いる方法だ。
 少し考えてできない問題は、それ以上考えることに時間をかけず、すぐに答えと解説を見る。
 線をひいたり、式を写したりしながら理解していく(もちろん、この時点でわからない問題は、わかる人に聞かねばならないのは言うまでもない)。
 理解したと思ったら、自分で解いてみる。
 解説をよく読み、理解したつもりでも、そしてその直後に解いたとしても、できない問題はできないものだ。多くの人が経験しているのではないだろうか。
 答えを読んだ直後でも、わかってない問題は解けないのだ。
 そうしたら、どうするか。できなくなってしまうポイントを見つけ、もう一度解き直す。
 2、3回やれば、さすがに解けるようになるだろう。ただし、数日後に再チャレンジすると、また解けなくなっている場合も多い。
 そうしたら、また同じ作業を繰り返す。これが勉強だ。
 なので、この作業をするための問題集は、解説の詳しいものがいい。
 詳しい解説を読むことに堪えられない人は(正直いるよね)、先生に聞きなさい。
 この過程を積み上げて力をつけたなら、問題集のもう一つの使い方に進むことができる。
 それが「知識を放出するための勉強」だ。

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ワークショップ

2013年10月10日 | 日々のあれこれ

 今年も音楽座の方に来ていただいて、1時間ほどワークショップをしていただいた。
 体をやわらかくしたり、からだで感じようとしたり、言葉を発するときもまず体を使ってみたり。
 「僕らは、考えるより先にからだが動くんです」という、今回のファシリテーター渡辺修也さんの言葉は、「意味や思考を重視しすぎる近代人」批判にも聞こえ、なるほど普段から身体を使っている人の方が、人間の本質への距離感が近いのだろうかと、現代文の評論みたいなことを考えてしまった。
 もう一つ、「芸術に携わる者は、いかに真剣に、てれずに愛を語れるか、表現するかが大事だ。それが表現者の使命」という言葉も、修也さん自身の表現者としての矜恃と、同じ表現者仲間たろうとよびかける部員たちへの愛を感じて、胸にひびいた。
 部員たちも、そんな本気さを感じ取ったからこそ、楽しみながらも、素直にまじめに取り組んでくれたのだろう。
 なんかさ、自分のふだんの指導を、指導するときの姿勢を少し考えさせられた。
 もちろんいつでも手をぬかずに本気でやってるつもりだけど、「ま、こんなもんかな」って思うときも正直あるし。
 あと、「なんでこんなこと出来ないんだよ! もう、おれがいないとだめだよな」的目線になっている時もあると思う。
 そして、部員もそうやって叱られるのにも慣れてる気がして、逆にそうやって俺の存在感を保障してくれているような、なんか共依存の関係になってないかって思ったり。
 部員と顧問て、共依存の関係の要素をゼロにはできないとは思うけど。
 楽しそうに取り組み彼らを見ながら、つい自分も参加したくなって一緒にやった。
 一時間はあっという間だ。みなさんを駅まで送り、戻って試験前最後の合奏。
 残念ながら欠席も数名、演奏も課題が多い。でもあきらめることなくやるしかない。

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