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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

付き馬

2016年01月23日 | 演奏会・映画など

 

 作曲家の後藤洋先生が、志ん朝師匠の「文七元結」を数百回聴かれていると書かれている(「バンドジャーナル」2月号)。
 「文七元結(ぶんしちもっとい)」とは落語のネタで、人情噺の名作として(たぶん)一番有名なものである。
 後藤先生も落語を聴かれるのかとうれしくなったけど、さすがだ、自分は数百回は聴いてない。
 圓生師匠のCD(昔はカセットで)と、志ん朝師匠のを十回ぐらい、喜多八師匠、談春師匠のを2、3回といったところだろうか。
 ライブでは、小朝、遊雀、志らくといった師匠方のを聴いた。ちなみに快楽亭ブラック師匠の「文七ぶっとい」も名作なのだが、詳細をここに書き記すことはできない。せっかくメジャー化してるのに、品位の面で霜栄先生のようなバッシングをうける危険性がある。

 これまでに聴いた落語の中で一番のものは何かと問われたら、はっきりと答えがある。
 コンサートでもお芝居でも、「一番よかったの何?」の問いに明確に一つを答えるのは難しいけど、落語は決まっている。
 2001年の春、池袋演芸場で聴いた志ん朝「付き馬」だ。
 客席数100弱の池袋演芸場だが、それまで満員の風景をみたことはなかった。
 志ん朝が池袋にあがるというだけで、落語ファンは欣喜雀躍し、連日開演前から列をつくった。
 その日高座にあがったすべての芸人さんが、満席の様子におどろき、「こんなことは池袋ではないんですよ」と語った。「いま、志ん朝師匠(楽屋に)入りましたよ」と実況してくれる方もいた。
 でも、どんな方が出演されてたのか、一つも思い出せない。才賀師匠がいたかな。
 いよいよトリの出番、出ばやしがなる。
 いつもどおり少し前かがみで、機嫌がいいのか悪いのかわからないような表情で登場し、深々とお辞儀をされる。
 「いっぱいのおはこびで、おんれい申し上げます … 」
 ああ、書いてたら思い出して泣きそう。
 ネタは「付き馬」。
 まくらの部分はCDとほぼ同じだが、噺に入るとCDとはちがう部分にも気づく。
 マイクを通さない生声は、ハリといい、きっぷのよさといい、単語の意味など関係なく音声としてだけ聴いていても心地良い。超満員の客席はどかんどかん笑う。笑うべき場所でみな一体となって笑う、すぐ笑いを収め次の言葉を待つ。 
 あれほど幸せな落語体験は、おそらくこの先もさすがにできないだろう。
 仕事をやすんで十日間通った落語ファンもいたことを、後に知る。
 おれも有給をとって、せめてあと二、三回行けばよかったかなとの思いは、数ヶ月後に志ん朝師匠が亡くなられてから強くなった。

 たった一日でも行けて、幸せな百人強の一員でいられたことは、自分の宝だ。
 生の高座のすばらしさ、落語という日本の文化のすばらしさを体感できた。
 まがりなりにも言葉がらみでおまんま食べてる者として、糧になった。
 後藤洋先生は、生の演奏会に足を運ばなければならないと述べている。
 ネットでただで手に入るものにろくなものはない、お金を払って会場に足を運べと。
 今も、時折志ん朝師匠のCDを聴く。談春もブラックも聴く。
 それはしかし、寄席や独演会で聴くのとは、まったく別物だ。
 音楽も、CDとコンサート会場とでは、後藤先生がおっしゃるように別のものなのだ。
 ということで、今日はシエナウインドオーケストラの演奏会に出かけます。

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ノブレスオブリージュ

2016年01月21日 | 日々のあれこれ

 

 経験値(2)~(4)で取り上げさせていただいたお礼を、勝谷誠彦氏のメールマガジン感想欄にお送りしてみた。
 なんと、メルマガ本体でとりあげていただいたのである。


 ~ 高校の先生の「学年だより」について紹介した。ご本人からメールを頂戴した。そこにはなかったのだが、恐るべき私の工作員の何人かから「それはここではないですか」とリンク先を教えてもらった。文章が好きな人というのは、プロかアマかにかかわらず、よく「いいもの」を読んでいるのだ。(「勝谷誠彦の××な日」2016年1月21日号) ~


 これって、この私めの文章が「いいもの」扱いだよね、プロ中のプロから見て。ふふっ。
 そして、この頁のリンクをはっていただいて、こう述べられる。


 ~ 時に読者は著者が期待していなかったところまで思索を深めてくれる。こういう先生に教えられる生徒は幸せだ。そして、ウェブという道具を手にした先生も幸せだ(笑)。私の母校ではガリ版刷りで先生たちが文章を発信してくれていた。インクまみれになって職員室で刷っていた。「ボールペン原紙」が出て楽になったというのが、私の灘校における6年間の変化であった。 ~


 こうして紹介していただいて、この「日誌」を読んでいただいた方の数が、普段とは桁違いになっている。
 もしかしてメジャーデビューなのか、おれ?


 ~ <センター試験が終わった。十分に実力を発揮できた先輩、思うような結果が出なかった先輩、いろいろだろう。その結果をふまえてどう行動するかが受験生には求められる。 かりに全く不本意な結果であったとしても、一瞬落ちこんだあとは、現実から逃げることなく次の行動に移ることができれば、その経験は人を成長させる。>

 先生にひとこと「もっと大先輩」から付け加えるとすれば「命まではとられないだろう」というほかはない。<現実から逃げる>ことができる子どもたちは幸せである。私自身「命までとられる」可能性がある場所をなんどか潜ってきた。そして畏友・日垣隆さんは「命までをとられる」現場を、いままさに悠々と通り抜けている。センター試験は大学に入る「手段」である。その大学に選ばれて(こういう国では本当に淡々と選ばれて)入学したあとに起きることを、今朝は子どもたちに知っておいて欲しい。 ~


 氏は、パキスタンの大学テロの事件に言及する。


 ~ この悲しさ、切なさはどうか。パキスタンの片田舎(失礼)で集まった<文学イベント参加のため600人近くの訪問者>はどれほど「知」に飢えていたのだろう。それらが普遍的にあるこの日本国という世界でもっとも幸せな国に生まれたことを、子どもたちは知らなくてはいけない。だから、ここで勉強して、それを人類全体に還元するのが「ノーブレスオブリジュ」なのである。幸い、優秀な大和民族はそれをやって来ている。ノーベル賞を受けるのもそうだし、NPOなどで世界に出ていく若者も多い。私は苦手だが。問題はその「意義」をきちんと理解し「日本国の看板」を背負って出ていくことだ。(「勝谷誠彦の××な日」2016年1月21日号) ~


 命まではとられないのだ。しょせん受験においては。
 どこの大学に入るかは、手段に過ぎない。
 毎日勉強三昧できて、「どこの大学に入ろうか」と悩めることが、いかに幸せな状況なのかを考えないと。
 もちろん大人も同じだ。
 自分の子どもが、将来の夢を抱きながら大学に通う姿を見ることができるのは幸せなことだ。
 もちろん学費の工面は、普通の人はみんな大変だろう。
 日常の暮らしでも、大学生活はちゃんとやれているか、人間関係は大丈夫か、就職活動はどうするのだろうかという心配も発生するだろうが、そう心配できること自体が幸せなのだから。
 そんな心配さえできなくなった、スキーバス事故で亡くなった学生さんの親御さんの気持ちを思うとたまらなくなる。
 ちょっと話がずれてしまったが、その気になればいくらでも学べるこの国に生まれた幸せを、生徒さんに伝えられる仕事をしたいとあらためて思う。


 勝谷誠彦氏のメルマガは、月額800円ちょっとで「毎朝」届くので、ぜひチェックしてみてください。

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経験値(4)

2016年01月19日 | 学年だよりなど

 

  学年だより 経験値(4)

 

 センター試験が終わった。十分に実力を発揮できた先輩、思うような結果が出なかった先輩、いろいろだろう。その結果をふまえてどう行動するかが受験生には求められる。
 かりに全く不本意な結果であったとしても、一瞬落ちこんだあとは、現実から逃げることなく次の行動に移ることができれば、その経験は人を成長させる。


  ~ 試験の合否が人生のすべてじゃないというのも、その通り。が、だからといって受験に全力で立ち向かわないのはおかしい。そもそも受験とは、公平でオープンなシステムだ。社会に出れば面接や縁故や相性……、自分が評価される尺度は曖昧になっていく。対して受験は、獲得した点数で合否がはっきり決まり、過去の出題も公開されている。ルールが明快な「ゲーム」だ。結果を出すには、地道に努力しさえすればいい。そう、受験で問われているのは、その人に努力を継続する資質があるかどうかだけなのだ。
 受験のルールに則って挑戦すると決めたのなら、つべこベ言わず全力を尽くせ。後ろ向きな姿勢では、何かを得ることなんてできないぞ。 (ドラゴン桜受験生応援企画 龍山高校特進クラス担任 桜木健二のことば) ~


 人は生きているだけで幸せだ、そのこと自体に感謝しなければならないと、よく言われる。
 しかし、だからといって、漫然と日々を過ごすだけなら、それは生に対する感謝を持った生き方とは言えない。
 少しでもよく生きようとしてはじめて、その感謝の気持ちは本物になる。
 だとしたら、経験の種類よりも、その質をどれだけ高められたかの方が大切ということだ。
 何をではなく、結果でもなく、「つべこべ言わず全力を尽くす」経験を積むこと。
  むしろ、うまくいかない経験の方が、人を成長させる。
 うまくいかない状態に陥った他人の心を想像できるようになるからだ。
 「勉強って何のためにするの?」
 こう尋ねられたら、今ならこう答えたい。
  「元気になったら、一緒に島へ行こうよ」と言える男になるため、と。
 友だちが何か困難に見舞われてつらい状態に陥ったことを知ったとき、自分は何ができるか。
 「つらさ」の原因は、未来の見えなさと、孤独感だ。
 直接自分が何かをしてあげられる場合は少ない。むしろしてあげない方がいいことも多い。
 でも、見守っている存在がいること、一緒に未来を描いていると伝えてあげること、それが何よりの力になる。自分がつらい時にしてほしいのはそれではないのか。
 それができるようになるためにも、一生懸命勉強するのだ。
 「学部・学科案内」を繙いてやりたいこと探しをしても、「会社四季報」を開いて働きたい職種を探しても、経験値はあがらない。目の前にある、現実の経験に懸命に取り組もう。

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経験値(3)

2016年01月16日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「経験値(3)」


 かつて「拉致問題解決をめざす意見広告」を共同で行ったこともあり、日垣隆氏と親交のある勝谷誠彦氏だが、日垣氏の病状を知ったのはメルマガだったという。

 ~ 私は畏友・日垣隆さんが脳梗塞で倒れたことを、彼のメールマガジンで知った。 … 考えてみれば私も、日記で身辺のことを書いたならば、いちいち相手にメールはしない。しかし、逆の立場になってみると恐縮するほかはない。何よりも驚異的な生命力でいのちひとつはきちんと持ち帰っておられることを祝いたい。そこからは、日垣さんのことだ、メールを読む限り、それをまた楽しみながらリハビリにつとめておられるように見える。しかし、いかにご本人が辛いかは私はこれは、遠くから密かに声を送るしかないのである。(メールマガジン「勝谷誠彦の××な日々) ~

 勝谷さんは、いわば「トンパチ(思い立ったことを見境なく何でもやってしまう人)」に見える方で、世界各地の紛争地帯にも自費で自ら足を運び、取材する。論も鋭い。
 そんな勝谷さんが、ある日のメルマガで「鬱を発症した」と書かれたときには驚いた。日垣氏の脳梗塞と同様、そういう病とは無縁のイメージだったからだ。
 ふつうの人と違うのは、発症後も、雑誌連載に穴を開けず、テレビやラジオの番組を休まず、メルマガは毎日発行しながら数ヶ月で治してしまったことだ。
 自らも思いもよらない病を経て、世の見方が変わったと書いてらしたが、読者としてもそれは感じていた。

 ~ 日垣さんの書かれたものを見て、ちょっと考えた。昨年の私は鬱だの足の怪我だのずっと愚痴っていたが、まあ、いのちにかかわるものではない。その程度のことをいちいちお伝えしていいのかなと。いいのだろうと思い返した。ひとは誰しも何らかの困難にぶつかる。私のささやかなそういうものでも、共感していただく反応をよく受け取る。じゃあ、それでいいんじゃないかと。 … 日垣さん、快癒を祈ります。 ~

 この言葉を受けて、日垣さんのメルマガにもコメントが載った。

 ~ 私の病状や他の人々の病や健康について正しく理解している教養人はここにもいる。 … さすがだよ。かっちゃん。私のことについて書いてくれたことは全くそのとおりだと思う。一人一人が違うように、病のあり方も痛みの感じ方もそれぞれに重要なのだ。比較をする必要など私もないと思う。ついでながらかっちゃんが何度目かの個別メールでこんな誘いをしてくれた。「元気になったら、一緒に島へ行こうよ」
 うん。一緒に、島へ行こう。 (メールマガジン「ガッキィファイター」) ~

 道は違えども、お互いを「戦友」と意識するかのようなお二人にやりとりに、胸があつくなった。
 こういうやりとりができるようになるために、私達は日々生きるのではないだろうか。
 こういう存在を得ることを幸せというのではないだろうか。

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センター試験

2016年01月15日 | 日々のあれこれ

 

 いよいよ、明日はセンター試験。
 「平常心で臨もう!」とよく言われるが、なかなかそうはいかない。
 やるだけやった、やりきった、あとは落ち着いて力を発揮するだけ … という境地に達するほどやれてる受験生は、少ない。
 むしろ、直前の休み時間に単語一個でも増やして貪欲に向かっていくくらいで、いいんじゃないだろうか。
 多くの受験生にとって、人生初の体験だ。
 予想もしなかったことが起きるかもしれない。
 でも、それが本番だ。なるほどこれが本番かぁ、と味わってみればいい。
 お天気も大丈夫そうだし。
 健闘を祈ります。

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経験値(2)

2016年01月13日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「経験値(2)」


 いま世の中に何が起こり、それがどんな事情なのかについて、テレビや新聞が伝えるのはほんの一部分に過ぎない。世界のすべてを、限られた番組や紙面で伝えることは物理的に不可能だから、そこには情報の取捨選択が行われる。
 何を捨てて、何を取るのか、その基準はメディアごとに異なっていて、どのメディアにも「利益追求」という、自己の存在にかかわる根本的な目的がある。
 結果として、自己の存在を脅かしかねない「情報」については、意図的に、または無意識に「捨て」られる可能性が高くなる。
 マスメディアの情報だけで物事を判断してしまう人間にならないために、さしあたりみなさんは、「中立な」情報など存在しないという大原則だけは覚えておくとよい。
 このさき大学で学び、世の中で過ごしていく過程で、だんだんと学んでいけばいいと思う。
 逆に考えると、大メディアにあまり登場しない人の発する情報は、物事の本質をとらえるためには極めて有効な情報である可能性が高い。
 そんな思いがあるので、テレビでは見かけない評論家やジャーナリストの発信を、意図的に読むようにしている。中でも、自分的に最も大切な人物が、日垣隆氏、勝谷誠彦氏のお二人だ。
 以前は、マスメディアでの活躍の場も持たれていたお二方だが、最近はほとんど見かけなくなった。ここ数年はメールマガジンを購読し、その言説に触れている。
 二人の思想には差があるけれど、スポンサーの好まない「情報」でも普通に発信してしまう姿勢は共通していて、おそらくそれが表舞台で使われる機会が減少している理由だ。
 世界中をかけめぐりながらキレキレの情報発信をしている日垣隆氏が、脳梗塞で倒れられたのを知ったのは年末のことだった。
 昨年の11月。グアムのホテルで友人と朝食をとり、今日も絶好調だと立ち上がった瞬間、突然それにおそわれた。海兵隊病院に運ばれ、処置を受ける。一日の半分は死線をさまよい、正常な思考ができるのは日に1時間程度。もちろん身体は動かない。重篤な状態だった。
 一命をとりとめて日本にもどると、最初の病院で様々な検査と治療をうける。その後、転院して現在までリハビリを続けている。12月の終わりになって、突然メルマガが頻繁に届くようになり、それを知ったときには驚いた。そういう病気とは無縁の方というイメージがあったからだ。
 ジョギングや、腹筋、懸垂運動などを、日垣氏は10年来続けてきた。40代も半ばをむかえた頃、周囲の人々が不健康になっていくのを目にしながら、自分は健康な身体を維持したいとの思いで始めた行動だった。それは、ひとえに「書く」ためである。
 自分の親族をさかのぼっても、癌や脳梗塞で亡くなった人はいない。しかし、とにかく書き続ける人生をすごすために、食事にも気を遣ってきた。
 「その俺がなぜ」
 日垣氏がその思いをグアムの病院のスタッフにぶつけたとき、こう言われたという。

 ~ 「君だったんだ。この恐ろしい病を乗り越える力が君にはある。生死を分ける戦いにも君は勝ったじゃないか。少しだけでも動けるではないか。何よりも、私のしゃべることが君にはわかっている。已に奇跡は起きている。それが君なのだ」 ~

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ありがとうございました

2016年01月11日 | 演奏会・映画など

 

 1月10日 ニューイヤーコンサートイン南古谷@東邦音大グランツザール

 1月11日 吹奏楽コンクール新人戦@さいたま市文化センター

  応援、ありがとうございました!!

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新人戦

2016年01月11日 | 日々のあれこれ

 

 6回目の新人戦。三日に分かれていた高校部門が一日実施となり、参加校すべてに順位がつく。
 会場は、久喜、所沢ではなく、夏のコンクールと同じさいたま市文化センター。
 祝日で空いている17号バイパスを走り、かつやで朝食をとって会場につき、メンバーが来てる感じだったので安心し、何人かの先生にお声をかけて客席に向かうと、なんか例年より本気度の高い雰囲気が漂っている気がした。
 大滝先生のごあいさつに続き演奏がはじまる。役員でなかったので、午前中は落ち着いて演奏を聴けた。

 立教新座さんが20人強で「三つのジャポニスム」を曲にしているのに驚いたり、緻密さの増した星野高校さんの自由曲に驚いたり。中でも花崎徳栄さんの演奏は圧倒的だった。よほどのことがないかぎり最優秀の評価を得ることになると確信した。立派なものだなあ、人数はうちと変わらないのだけど。
 昼休みに楽器をおろし、自分も着替えをすませる。新人戦はチューニングのみの25分間練習。ちゃんと音が出るかどうかは、ステージに行ってみないとわからない。でも、東邦音大での演奏を昨日の帰りにビデオで見て、自分のあぶないところはここだと、ある程度意識を持てた子もいたようだ。前日の演奏にくらべれば、ずいぶんいい感じにできた気がした。いまの自分達の力は出せたと思いながらステージを降りることができた。
 あえて難しい課題曲を選んだ以上銅賞でもかまわない、何を学べたかの方が大事だから、と思ってのぞんでいた大会だったが、演奏後は、銀賞でもおかしくないよねと内心思ってた。
 写真撮影のあと、慶應志木さんのディープパープルに手拍子したくなったり、和国さんのシンフォニックな演奏を味わったり、成長し続ける市立浦和さんの演奏に驚いたりした。

 休憩中スマホの電源を入れたとき、「北川景子さん結婚」の報が目に入る。
 ついに、か … 。
 いつぞや、福山雅治さんが結婚したときに、「ましゃロス」で仕事も手につかないなどとのたもうた女性がいたと聞く。仕事なめてんのか、とそのときは思った。
 ひょっとして、突然わが身をおそった、心に穴があいたかのような感覚は、これが景子ロスなのだろうか。
 だとしたら、仕事をなめてる女性の気持ちがわからないでもない。帰って寝たい。
 取り立ててファンだとか意識したことはなかった。たんにきれいぽいから好意を抱いていた、というわけでもない。
 意図せざる気品というか、嫌みのない上品さというか、自分のポテンシャルを素直に受け止め感謝しながら、それを仕事に生かしている姿勢が、やわらかな矜恃として伝わってくるのだ。
 会って話したら心が通じ合えたはずだ。あたしたち相性いいですよね、ときっと彼女の方から口にする。
 どこかのタイミングで会ってさえいれば、彼女は自分の運命に驚くこととなったろう。
 問題は出会いだ。出会いの機会を得ることができるかどうかが、人の運であり、分なのだ。
 こんなに心が通じ合っているのだから、今生では会えなかったものの、多生でいつか出会うことにはなるだろう。
 そのときはAJA、新しい人生を歩みたい。

 出会えないことには何ともできない。
 出会いさえすれば、たとえば最初はふられたとしても、次の対策を立てていける。
 最終的に思うような結果にならなくても、その経験は自分のものになる。
 新人戦も同じではないか。無理に出なくていい大会なのだ。
 結果は惨敗だった。こんな思いをするために出ないといけないのか、部活って何のためにやっているのかとさえ思った。
 しかし、どれくらいだめか、何がだめなのかを、大滝先生や審査員の先生から教えていただいたではないか。
 現実は現実だ。現実は結果だ。現実は正解だ。
 次にどうするかだ。

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ピンクとグレー

2016年01月09日 | 演奏会・映画など

 

 おもしろかった。前半のピンク部分は。
 原作を読まず前情報なしででかけたので、前半から後半に移り、画面から色がなくなって、なるほどピンクとグレーかとわかった。
 ピンクパートの最後の場面で、なんかいい青春映画だよねとウルっときた瞬間の転換だった。
 あのままいい気持ちで帰りたかったなあ。
 もちろん、後半がないと、この作品の意味がないのだろうし、それなりに訴えかけてくるものはあった。
 前半がよかったのは、何より役者さんのお芝居がはまっているからだ。
 とくに菅田くんは、もうおしもおされぬ映画俳優、演技派と称していいでしょう。
 幼馴染みの中島くんと二人で芸能界に足を踏み入れ、あれよあれよいう間にメジャーになって親友を見つめる目に、素直に喜んであげたいのに、羨望をまじえてしまい、そんな自分がまた嫌になっていくという複雑な思いが見事にともっている。
 セリフとしての言葉とはうらはらの気持ちが、体全体のどこかで表現されていて、せつない。
 これだけの技術って、学んだからすぐ身につくものではないんじゃないかな。
 後半、中島くんがメインになると、そのへんが物足りない。前半に菅田君をみなければよかったのかもしれないけど。けど、ビジュアルはいいし、素直そうだから本気で勉強すればいい役者さんになるんじゃないかな(は、 何様?)。
 それだけ、お芝居そのものが大事だなと思ったのだ。
 楽器でも同じだ。
 レッスンできていただいているユーフォニアムの先生が、先日終わった後にかるく吹かれていた「アメイジンググレース」の一節に泣きそうになったことがあった。
 お芝居では、その内容がそんな深いものでなくても、複雑なものでなくても、演技そのものの質で十分泣ける。
 むしろ生の舞台だったら、内容は二の次かも知れないとさえ思う。
 難しい曲じゃなくても、複雑な和音をつかってなくても、いい音はそれだけで人をひきつける。
 そのうえ心がこもっていたなら、泣かせるのはたやすい。
 それだけ、技術は大事だとあらためて考えさせられた。
 夏帆ちゃんも、大人になったね。

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アクティブ・ラーニング

2016年01月08日 | 教育に関すること

 

 年末の朝日新聞に、「生徒が主体的に学ぶ「AL」推進計画、高校の1割」という記事が載っていた。
 東大と河合塾の共同で、「AL」授業を普及させるプロジェクトを進めていると記事は紹介する。
 現状はどうなのかを先ず全国的に調査した結果、学校として取り組みを始めているのは全体の約1割にとどまっている、と。
 個人的には1割の学校がすでに始めていることがむしろ驚きだった。
 てか「AL」が何の略かなんて、みんな知ってる?
 「あっ、ラインさらされてる!」じゃないよ。
 かりに「アクティブ・ラーニング」って言い換えられたとして、どういうこと?
  来年改訂される新しい学習指導要領では、この「アクティブ・ラーニング」が一つの骨子になっているという。

 指導要領の改訂は、時代の必要性よりも文科省の仕事創出のために行われるのがその本質であることを、多くの人は気づいているだろう。
 彼らがお給料をもらうためには仕方ないし、どんな仕事にもそういう側面はあるとは思うものの、直接影響を受ける現場の教員としては複雑な思いを抱かざるを得ない。
 変化を嫌い、他人から指図されることを最も嫌う人種である私達教員が、頼んでもいないのに、ああしろこうしろと言われるのだから。
 幸い(幸いかな?)私立学校の教員は、公立学校よりは融通がきく。
 新しい指導要領にしたがって教育課程はつくるけれど、レポートも出さなくていいし、視察もない。
 表面的には新しくしながら、勉強の本質を失わない教育活動を粛々と行っていくという形で自己防衛するしかない。
 組織の維持や、政治家の自己アピールを目的とした施策に、本来の仕事を見失わされるようなことがあってはいけない。

 直訳すると「能動的学習」だけど、自分的には「能動的」でない活動は「学習」と思えないので、言葉自体に違和感を感じてしまう。
 いや、わかってるよ。
 この言葉をもちだした人は、高校で行われている普通の一斉授業は「AL」じゃないと考えているのだ。
 黒板をノートに写しながら、先生の話を聞いているだけの「受身」の授業では、いけないと。
 気持ちはわかる。
 「おまえら、頭働いてるのか!」「自分で考えろ!」と叫びたい時は、日々の授業のなかでは確かに多々ある。
 じゃ、グループで話し合いをすれば「アクティブ」になるのか。
 「プレゼン」のまねごとをすれば、「学習」になるのか。
 人前で意見を言うのは大切だ。
 まず言おうという考え方はありうる。
 討論、ディベイトは、いかにもアクティブに見える。
 とりあえずやってみようという考え方もありうる。
 しかし形をとりいれば必ず学習の中身は変化するかといえば、当然そんなことは期待できないのが現実だ。

 二学期の現代文で、志賀直哉「城の崎にて」を読んだ。
 「この小説を題材にして、『死』について考えてみましょう。班ごとに話し合って、その結果を発表しましょう」的な実践報告が、このさき間違いなく出てくる。
 たかだか十数年の人生経験しかない生徒たちに、「城の崎にて」で「死」を考えさせてどうする。
 肉親を失ったとか、紛争地帯で暮らしたことがあるとか、特殊な経験をした生徒さんなら、それなりに実感をもって考えられるかもしれない。
 しかしほとんどの子は、せいぜいペットが死んだのと、いもりが死んだのを重ねてみる、ぐらいがいいところではないだろうか。
 「城の崎にて」の主題は「生と死」である、ぐらいにしか読み取れない教員も同じレベルかもしれない。
 
 勉強とは何か。
 人間の中にどういう変化がおきることを、学んだというのか。
 それをおこさせる手段として、われわれはどういう手段を講ずるべきか。
 表面的に「アクティブ」であれば、自然によい結果がもたらされるという、うまい話はない。
 一斉授業で「学び」を生み出せない人が、形をかえて何かを生み出すとも思えない。
 いつのブログだったか、忘れたけど、ユメタンの木村達哉先生が、こう書いていた。

 ~ 生徒たちは沈思黙考しながらアクティブラーニングを行います。~

 さすがだ。木村先生に気持ちを汲める気がする。
 きっと文科省のお役人さんの前で講演されたときも、しれっとこんなことを語っていたにちがいない。
 メジャーになっても全然枯れてない。自分もがんばろう。
 とにかく、ちょーアクティブな授業しよう。外から見てもわからないような。

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