玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

みっともない、…

2021-05-04 10:45:16 | 憲法

前の安倍首相はよく「みっともない憲法」又は「みっともない前文」と言っていた。

2006年1月、斎藤貴男のインタビューで、読売新聞の朝倉敏夫論説委員長が「現憲法の前文は米国の政治文書を貼り合わせた代物で、あんなみっともないもの、そのままでいい筈がない…」と答えている。

「みっともない」とは、どちらが先に言い出したのかな?それとも改憲論者の常套文句なのか?

1946年2月13日、GHQから吉田外務大臣、白洲次郎らに憲法草案が交付された。それは英文だった。

2月23日に幣原首相は天皇に拝謁し、その憲法草案の説明をした。それは日本語訳されていた。

第1条「皇帝は象徴にしてまた人民の統一の象徴たるべし、彼はその地位を人民の主権意思より受け、これを他の如何なる源泉よりも承けず」となっていた。

偶々、天皇は、2月12日に、松本烝治の憲法案の説明を受けていた。それを聞いて、第1条「大日本帝国は万世一系の天皇 此の憲法の条章により統治す」を提案された。

昭和天皇はGHQの憲法草案をどういう思いで聞いたのであろうか。

その後、6・8枢密院で審議された時には天皇も臨席した。8・24衆議院(賛成421・反対8)、10・6貴族院可決、 10・7成立。11月3日に現在の憲法が制定、公布された。

戦後の支配層はGHQの監視の目を逃れ乍ら、やっと現在の憲法を作成していった。その努力を汲んであげたい。

憲法を「不磨の大典」とするのは過去の失敗からも良くない。しかし、現在の自民党草案では現憲法の文章表現レベルに達していない。たぶん知識人や支配層の方々は納得しないだろう。

【参照文献:斎藤貴男『ルポ改憲潮流』岩波新書、木下道雄『側近日誌』文芸春秋、田中浩『戦後日本政治史』講談社学術文庫、ほか】 

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