いつの頃からか、『木戸日記』に全幅の信頼をおかなくなった。特に太平洋戦争が始まった昭和16年分には疑わしいものが多いと思っている。
その『木戸日記』に次のような記載がある。
昭和16年10月16日の件に「…万一皇族内閣にて日米戦に突入するが如き場合には之は重大にて、・・・万一予期の結果を得られざるときは皇室は国民の怨府となるの虞あり」と、木戸は近衛の次の内閣に東久邇宮にしない理由を当時の鈴木貞一中将に言っている。
この文章は二つの疑問がある。
一つは、この時点で「万一予期せぬ結果」と木戸は軍人の鈴木に言えるのか?
二つは、皇族内閣が怨府となるならば、天皇は怨帝となるのではないか?
木戸はこの時点で戦争は負ける可能性があるから皇族にするのは不味いと言っているに等しいのである。また、だからと言って、一番好戦的な東條英機に首相を任せるという理屈が理解できないのである。
昭和天皇は『昭和天皇独白録』に「若し皇族総理の際は万一戦争が起こると皇室が開戦の責任を取ることとなるので良くないと思った…」と書いてある。この表現だと、天皇は自ら開戦責任を取るという潔さを表明している。
しかし、近衛や軍部が推した東久邇宮は「東条は開戦論者である。…このことは陛下も木戸内大臣も知っているのに、…その理由が私にはわからない」と日記に書かれているとか。(続く)