『昭和天皇独白録』の第一巻には、次のような箇所がある。
古い資料であれば、落丁はあるだろうが、ライン部分には、〔以下の部分、書き落としか、〕とある。
前後の文章がつながらないので、御用掛の寺崎英成が書き損じたと、半藤一利は編集者として注釈を入れたのだろう。今まで何度もこの本を読んでいたが、その判断をさほどの注意を払って考えたことはなかった。
だが、「抑々に」立ち戻った時に、陸軍参謀本部総長の職に皇族が就くのは、過去にも例がある。初代こそ山縣有朋であるが、大山巌を挟んで、有栖川宮ほか宮様が都合10年ぐらい勤めている。
海軍の伏見宮軍令部総長こそが皇族就任の第一号なのである。彼は海軍の現場に従事し、戦傷も負った生粋の軍人である。
仮に皇族に関することを寺崎英成が書き落としたなら、昭和21年6月に稲田内記部長が書き上げた天皇聴取記録(=後に『昭和天皇独白録』と半藤らがタイトル付けした。)を、寺崎が写した時点で書き落としたということになる。
この時点では、昭和天皇は東京裁判から遁れられるか、まだ不明の時期だった。とすれば、天皇に都合の悪いことが書かれていた?との推測も可能であるが、…。それなら最初から削るだろう。
或いは、1991年の出版時において、文芸春秋社が何処かへの忖度として、その箇所を抜いた可能性も無いわけではない。何しろ、この圀は病的な忖度国家であるから、まったくないとは言い切れない。
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