そう云えば、テレビや歴史劇では、兵の投降を求める「兵に告ぐ」と記憶していた。
案外、「下士官兵に告ぐ」が正解だったのかもしれない。約1400名の反乱部隊であったが、1月10日には大量の新兵が入っているので、将校団と下士官の分裂を意図したビラを巻いたのかもしれない。
この辺はもう少し調べねばなるまい。松本清張の『昭和史発掘』には触れられているかもしれない。
ヘッポコ・クーデターしかできなかった青年将校が、実はいろんな係わり方をしていて、単に農村の貧困の問題解決ではなく、中には軍部内の階級闘争を考えていた者もいたのではないかと、今は考えている。
とくに磯部浅一には、此の圀を破滅に追い込んだ頭でっかちの「幕僚という化け物」の官僚の存在を全否定する一種の陸軍内の階級闘争があったと思いたい。それでこそ彼らのどん底の悲劇が少しばかり意味があって、報われる気がする。
それに関して、松本清張はどう考えていたか、それを知りたいのだが、…。読む終わるには、この先時間があるのだろうか。