ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

新章 天皇の母 18

2020-04-20 07:00:00 | 新章 天皇の母

無事に着帯の儀を終えた「紀宮」(きのみや)は挨拶の為、御所へ参内することになった。

お車にはそおっとそおっとお乗り遊ばして」とお局がまるで壊れ物のように自分を扱う事に、ちょっと笑ってしまう「紀宮」(きのみや)ではあったが、内心は不安だらけだった。

前置胎盤です」という医師の言葉は深く心に突き刺さり、奈落の底に落ちていくような感覚に襲われる。

気丈に二宮に告白したものの、さすがの宮も絶句するばかりで、最初はどう表現したらいいのかわからないといったありさまだった。

体調は・・今までと違うの?そういう予感はあった?」

とんちんかんとは思いつつ二宮は冷静を装ってお尋ねになる。

さあ。いつもよりはだるいような気がします。動くのが億劫だったりしますが、でもそれは年齢のせいと割り切っておりましたから」

そう。もっと早く気づいてやれればよかった。浅黄君の結婚式も欠席した方がよかったのだろうか」

宮様。もう終わったことです。それに弟の結婚式は宮様やお医者さまが何とおっしゃろうとも出席いたしましたわ」

そうだった・・・」宮はふうっとため息をついて、暫く黙ってお茶を飲んでいたが、ふと思いついたように

ではこれからの問題だね。医師は私も同席して今後の事を話したいと言っているのだろう。だったらすぐにでも予定を立てよう」

ということで、数日後には宮と「紀宮」(きのみや)は揃って医師の前に坐っていたのだった。

医師はこれまでの経緯を丁寧に話し、結論として出来るだけ早く出産にこぎつけたいと言った。

通常であれば自然にお産が始まるのを待つのですが、お妃さまの場合はその間にも大出血の危険性がありますので、出産が可能な週数になったら即、お子様を外に出さなくてはなりません。つまり帝王切開するのです」

帝王切開」

一般的には普通の事でも皇室の中では前例がない。

お妃さまに入院して頂きます。絶対安静です。これはベッドから1歩も歩いてはいけないということです。おトイレも車椅子でお運びいたします。ご入浴も短時間で。大事なことはベッドから降りない。

「紀宮」(きのみや)は正直(これは困った)と思った。

普段は必要以上に動いていると回りに言われる自分が、狭い病室の中でベッドから降りずに過ごすことなど出来るのだろうか。

これは出血のリスクを最小限にして頂く為の措置です。本当は今すぐにでも・・と申し上げたいのですが

そうは言っても皇室行事が入っている。

公務もいくつかあり、処理しなければならない事が多々ある。

大姫の遊学も見送りたいし・・・その話をすると医師はしぶしぶと予定を組んでくれた。

でも、もし・・ほんの少しでも異常を感じたら即入院して頂きます」

公務などほっておいて今すぐ入院すべきではないのか」

二宮は焦ったような言い方したが、「紀宮」(きのみや)はにっこりと笑って否定した。

こんな事が世間にもれたら大変な事になります。出来るだけ普通にしていたいのです。でももしお腹の子に何かあるなら・・どうぞ私の命よりも子供を救ってください」

「紀宮」(きのみや)何を言い出すの?子供よりもあなたが大事でしょう

いいえ宮様。私の子は皇族です。私よりも遥に尊いのです。何としても無事にお産み参らせたいのですが、でももし、もしもの事があった時は、どうぞお子を優先して頂きたい。これは私の母としての覚悟です」

「紀宮」(きのみや)」

「紀宮」(きのみや)の頑固ないいように思わず二宮は声を荒げたが、医師が慌てて中に入った。

勿論、何が何でも母子共に健康でお返しいたします。宮様。その点は私達医師団も精一杯頑張るつもりです」

そこまで言われては二宮は何も言えなかった。

けれどその表情は苦悩に満ちて、白い髪がますます白くなっていくような感じがした。いつもよりずっと弱弱しく見える夫に「紀宮」(きのみや)は心を痛めた。

いつからだろう。二宮も自分も眉間にシワを寄せることが多くなった。笑顔を絶やすまいとしていても、ついつい真顔になってしまうことも多くなった。常に下を向いている事も多くなった。

結婚した時の、あの晴れやかな夫の笑顔、自分の笑顔。それはもう昔の話。

今回の懐妊も、皇室の将来を憂えての二人の覚悟であった。

誰に何と言われようと、第三子にかける。その決意が揺らぐことはなかったけれど、宮はひょっとして後悔しているのかしら?

そっと二宮を見ると、宮も「紀宮」(きのみや)を見返してきた。

大丈夫。私達は大丈夫」

ああ、いつもの夫の姿だ。「紀宮」(きのみや)は結婚した頃のあの、頼もしい夫の姿に微笑んだ。

 

「紀宮」(きのみや)の入院は8月になったのだが、その前に二宮と大姫は伊勢に行かなければならなかった。

20年に一度の式年遷宮に使う木材を運ぶ儀式があったからだ。

だからその前に、大姫と中姫には本当のことを話した。

お母さま、死んじゃうの?」中姫は思わず泣いてしまい、大姫に「違うわよ。早とちりしないの」と叱られてしまったが、もうすぐ15歳の大姫は気丈に事実を受け止めつつ、不安を隠した。

お母さまは絶対に死んだりしないわ

「紀宮」(きのみや)は中姫を抱きしめ、大姫の髪をなでた。

この事は家族の秘密にして頂戴。いつか公にするまでは誰にも話してはダメよ」

娘たちにそう言い聞かせ、伊勢行きを渋る夫と姫を送り出したのだった。

認めたくはないが、今回の「紀宮」(きのみや)の出産を喜ばない人達がいる。彼らは何とか「紀宮」(きのみや)が流産でもしてくれないかと手ぐすねひいて待っている。何か罠があればいつでも陥れようとしている。

だからこそ、いつもと違う行動はとるべきではないのだ。

それでなくても東宮一家の異国静養が決まった事で、なお一層二宮たちへのバッシングが激しくなって来たのだだから。

生まれるのは男の子か女の子か・・女の子ならいいがもし男の子だったら・・そんな物騒な話も飛び出てくる程のことだ。

出産が近づけば近づくほど、「紀宮」(きのみや)は身体的にも精神的にも追い詰められて来る。けれど、何としてもこれを乗り切らないと。

大姫の遊学も予定通りにしなくてはならない。

何があっても笑ってやりすごすのだ。

ご出発です」

車が御所に向かって走り出した。

着帯の儀を終えた以上、もう後戻りはできない。

どんな事があっても・・・・「紀宮」(きのみや)はまっすぐに顔を上げて、沿道でまつカメラに向かってたおやかに会釈したのだった。

 

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新章 天皇の母17

2020-04-13 07:00:00 | 新章 天皇の母

娘の為に旅支度を整える。

穏やかな初夏の雰囲気が庭を覆っている。

「紀宮」(きのみや)は無事に弟君の結婚式を終え、ほっと息をついていた。

「紀宮」(きのみや)の弟君である浅黄務(あさぎのつかさ)は父と同じように大学寮に務めつつ、動物などの研究に没頭していた。それがふとした縁で陸奥の祭主との間に縁組が決まり、先日、式を挙げたばかりだった。

恐れ多くも后の宮においては浅黄務(あさぎのつかさ)夫妻を御所へお呼び下さるということで「紀宮」(きのみや)は義理の妹へ、参内する際の召し物や小物類を調え、きめ細やかな心遣いを行った。

無事に参内を終えた時は心底ほっとしたものだった。

そして今、盛夏の頃に異国へ遊学する大姫の為に衣装やお土産などを選んでいた。

皇室では10代のうちに一度は異国へ遊学に出るのだが、大姫は「紀宮」(きのみや)の古い友人宅に行くことに決まった。

もう遠い昔、音楽の調べが美しいその国で「紀宮」(きのみや)は何年も過ごしており母国語を忘れてしまう程だったのだ。

その時に紡いだ友情が今、大姫の遊学先として生きている。

お局を横に、お世話になる友への贈り物を選んだり、娘の服を整えたりするのは母として望外の喜びだった。

やはりここは和の風合いを生かして、七宝焼きなどが定番では」

そう?九谷や伊万里もいいと思うけれど、重いわよね」

などと雑談しながら、温かい紅茶を頂く昼下がりは忙しい毎日をすごす「紀宮」(きのみや)にとって安らぎそのもの。

「「紀宮」(きのみや)さま、少しお休みになった方が。そうでなくても春からこっちご公務が目白押しでお疲れの筈ですわ。全く、世の中、間違っていますよ。何でお元気な方が「ご病気」なのか知りたいくらい」

もうそれは・・・私、働く事は好きですよ。それに自分の研究にも役立つものが多いしね」

立ち上がろうとした「紀宮」(きのみや)だったが、ふらりとしてよろめく。

危ない」お局が支えて難なきを得たが、お局の表情は硬かった。

「紀宮」(きのみや)さま。どうか少しお休みを

・・そうね」

もうすぐ検診の時間で車が出ますし。お着換えをした方がよろしいです。お手伝いをいたしますから」

もうそんな時間なの?私ったらつい、夢中になって。大姫も中姫もそろそろ学校から帰って来る時間でしょう」

はい。おやつを用意してありますから大丈夫」

お局はとにかくこの旅支度を早く終わらせたいようだったので、仕方なく「紀宮」(きのみや)は着替えをした。

 

そろそろ懐妊期間も半分を過ぎ、随分お腹も目立ってきた。胎動を感じる度に「ああ・・生きている」と思う。

大姫の時も中姫の時もこんなだったかしら?あの頃はいまよりずっと若かったから身体を動かすことも平気だったのに。今は本当に腰が重い。

さっきの貧血も自分としては思いがけないことだった。

年齢的なものもあるのかもしれないわね)

「紀宮」(きのみや)は現実を受け入れる事にして、お局にあれこれ言われながらも病院へ行く支度を整えた。

 

「紀宮」(きのみや)が出産予定の病院は、元々お上の誕生を記念して作られた病院だった。法人には皇族が総裁を務めることになっている。

本来は宮内庁病院で出産すべきなのだが、「紀宮」(きのみや)は高齢出産の為より専門的な知識が必要なこちらの病院に決めたのだった。

診察は他の妊婦と変わりはない。

いつものように「紀宮」(きのみや)は診察を受けた。

「紀宮」(きのみや)さま

主治医は難しい顔をして「紀宮」(きのみや)に話しかけた。

「紀宮」(きのみや)は「はい」と答えたが、一緒にいるお局の顔に緊張が走る。

「「紀宮」(きのみや)さまの胎盤が随分低い位置にあるのです」

はい

「紀宮」(きのみや)は素直に答えた。

これをいわゆる前置胎盤といいまして。妊娠後期や分娩時に大出血を起こす危険性があるのです」

まあ!」と言ったのはお局の方だった。

そんな。「紀宮」(きのみや)さまに万が一の事があったら・・・先生。何とかならないのですか

お局。少し黙って」

「紀宮」(きのみや)が怖い顔で押しとどめる。

申し訳ありません。つい」

大丈夫よ」「紀宮」(きのみや)は気丈に言い、まっすぐに医師を見つめた。

私はどうしたらよろしいのでしょうか」

その言葉に医師は思わず言葉を失った。

何という前向きな女性であることか。

通常ならパニックを起こして泣き叫んだりしてもおかしくない状況なのに、落ち着いて自分のやるべきことをしようと言う。

私のお腹の中の子は二宮様の血を受け継ぐ大事な子です。この子を守る為に私は何をしたらいいのでしょうか?私の命などはなくなっても構いませんが、この子だけは助けて頂きたいのです」

お妃さま・・・」隣でお局はしくしく泣き始めている。けれど「紀宮」(きのみや)は穏やかな笑みをたたえつつも、しっかりした口調でそう言った。

まずはこの事を二宮様にお伝えして下さい。通常、皇族の出産は自然分娩ですが「紀宮」(きのみや)様の場合は帝王切開をしなくてはなりません」

帝王切開・・・」

これまで二人の出産では経験した事のない方法。

それでも大出血しないとは限りません。正直言って、今、これから、明日、突然出血してもおかしくない状況なのです。ですからまずは二宮様に事の次第をお伝えして、私の方針をお二人で聞いて頂きたい」

「紀宮」(きのみや)はただ黙って頷くしかなかった。

 

 

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新章 天皇の母15

2020-03-28 07:00:00 | 新章 天皇の母

東宮一家が外国(とつくに)へ静養に出かける話はすぐに正式に発表された。

全く前例のない話で、しかも「静養」でよその国の城を借りるなど前代未聞のことであったので内裏の内も外もわけがわからず大騒ぎを始めた。

最も被害を受けたのは「官犬大夫」(かんけん大夫)と呼ばれる東宮大夫で、記者達の前でしどろもどろの答弁に徹してしまった。

皇族が静養目的で外国へ行くのは前代未聞の出来事ですが、そこにどういう意義があるのでしょうか

東宮妃の治療の一環と聞いています」

外国で静養したら帰国後はご公務に励まれるのですか?」

さあ・・それは結果を見てみませんと」

お妃の父君のつてでこうなったのではありませんか?

いや、そんな事はありません。絶対に。今回のご静養はあちらの国の女王陛下が東宮妃の身の上に大層同情され、ぜひお城に招いてごゆっくりして頂きたいと、そういうお申し出があったのです。ご招待を受け、検討した結果、行かれることになりました」

女王陛下が東宮妃に同情?それは皇配殿下がうつ病だったことと関係があるのですね。つまり東宮妃はうつ病でいらっしゃるのですか?うつ病の方がが飛行機に乗れるのですか?外国という通常とは異なる環境に適応出来るのでしょうか?」

いや、うつ病ではなく・・・東宮妃は精神的健康度はかなり高い方でございます。それゆえにお悩みになり、ご自分の役割とかやるべき事とかやりたい事とか」

それが外国へ行けば解決するんですか?」

それは結果をみないと・・・」

結果っていいますけど、外国へ行くのにどれ程の経費がかかると思われるのですか?それはどこから出るのですか」

多分。内廷費からではないかと。そこらへんは政府とそれから内々で色々相談して決めるんじゃないかな・・・私もまだよくわからず」

ととにかく理屈の通らない事ばかりいうので、記者達はすっかりあきれ果て、結果的に雑誌や新聞には批判記事ばかり並ぶようになった。

そういうものを目にした東宮側は火消にやっきになり「心の病を持つ人に厳しい意見を言うのはどうか」「心の病を持つ人にとって好きな時に好きなことを行うのは正当な治療である」という真面目に生きている人々が聞いたら怒りそうな言い訳をする。

どちらにせよ「東宮妃は外交官を目指し、将来は総理大臣といわれるほど頭がよいキャリアウーマンだったのに、旧弊な皇室が世継ぎのプレッシャーをかけ続けたことで、心の病を得るに至った」という定義は変わらなかったのだが。

世の中において、子供が生まれることはとても目出度いことの筈。

若い夫婦であればそれを期待されても仕方ない。しかし、産めない事に悩む人々も多く、また子供を望まない人々も堂々と意見を言える時代になった。つまり「子供を持たない権利」の主張だ。

「私が産めないのに(産まないのに)産む人は許せない。その事で私が傷つくことはハラスメントである」というような理屈がまかり通るようになってしまったのだ。

東宮妃はその代表格で、自ら早々に女一宮以外は子供を持たない宣言をしたのに、「傷ついたのは自分の方」と言い張るのだ。

こうなったそもそもの原因は、「紀宮」(きのみや)がまさかの懐妊をして、今更東宮妃の心をざわつかせるからだと。

男系男子で皇統を繋いで来た皇室で女一宮には皇位継承権がない。もし「紀宮」(きのみや)が懐妊しなければ女一宮にも皇位継承権を与えようと政府は決めようとしていた。

それなのに・・・・すべては「紀宮」(きのみや)が悪いと言う理屈だった。

 

ご出発は夏の終わりや。随行の者も選ばれる筈やから、みな覚悟して」

東宮女官長はそのように訓示を行った。

ええなあ。お城で過ごすんや。どんなにお気楽で楽しいやろうなあ」と若い女官が呟くと、女官長は「何をいわしますのや」と怒った。

うちもあんたも、元は華族の出や。血筋をたどれば皇族に繋がるもんもいる。そんなうちらが先祖から受け継いだんは、高貴なる血筋を持つもんは決して私の為に動かずということや。つまり無私の精神や」

女官達は頷く。

今回のお妃さんのやらかした事は大変よろしからんのや。あってはならんのや。お妃さんが自分のお楽しみさんの為に飛行機使って外国へ行くなどうちらは考えたこともない。そうや。誰も考えつかんことをあの方はやってしもうた」

やっぱりお妃さんはおつむのええ方や」

それは違う。さかさまや。恐ろしくおつむが緩んでいるか狂ってるのや。そしてこれはお妃さんが考えやことやない。その後ろにはきっと父君・コンクリート卿がいるはずや」

まあ・・・やっぱり。でもお上はこんなこと、お許しになりはるんですか?」

典侍が最後の頼みの綱のように言った。

典侍はどう思う?

「女官長に聞かれて、典侍は少し考えこみながら言った。

うち、御所の女官さんとも親しくさせて頂いてるんです。今回のことはお上も后の宮さんも寝耳に水いわはって・・目を丸くされて言葉も出なかったと」

そうやろな。それでお上はお怒りではなかったんか?」

もしお怒りやったらうちらにもお小言がある筈です」

そや。そういえばないなあ。という事はお上は早々にこの件をお許しになりはったんか?」

お上が・・・というより后の宮さんや言うてました」

后の宮さんが?」

普通、皇族の旅行いうんは、特に外国からの招待は政府に来るんやそうです。それから内々に来て、どなたがいかれるんか決まるんやそうですけど、今回は逆やったと。コンクリート卿が直接お国に訴えて決まったことやからお上ですら何も言えんと

なんと!コンクリート卿ってそんなにお力が?まるで道長のようやなあ。そういえばあの鋭い目つきったらなかったわ。うちら女官なんて人とも見てないような。怖いわあ。思えば「官犬大夫」(かんけん大夫)だって卿のお力添えがあったからこその御出世。そのうち、うちらのようなもんは東宮御所から追い出されるやないか。全部外の務ばかりで」

若い女官が泣きべそになりながら言うのを、みな黙って聞いている。女官長は

話がそれたわ。それでお上がお許しになったというより、后の宮さんが関係あらしゃるとはどういうことや」

はい。お上は御即位遊ばしてからも質素倹約に務めていらしたんは有名な話。そやからさぞやお怒りと侍従長も女官長もそれはそれは震えあがっていたのやと。でも、それをお止めになったんは后の宮さんで。決まったものは仕方がない。今は東宮妃の心の健康を第一に考えましょうとおっしゃったとか」

・・・・何をお考えなのやら。后の宮さんは

ここだけの話ですよ。よそには漏らさんで・・本当にここだけの。后の宮さんが一番恐れていらっしゃるんはご自分の評判が落ちることやと。今ここで東宮妃を批判したり、お叱りになったら後からコンクリート卿にどんな仕返しされるかわからんと。それが心配でいらっしゃるのが一つ。それから、いわゆる嫁姑の問題で。せっかく嫁が静養に行こうとしているのを止めるやなんてひどい姑やと疎まれることがもっともご心配の種やて」

女官長は言葉も出なかった。

元々后の宮はご自分がどう思われているかと回りを気にする傾向があり、あちらの女官達が戦々恐々としているという噂は聞いたことがある。

毎朝、全ての新聞に目を通し雑誌の見出しをお確かめになり、御不満があればすぐに女官長を呼び、侍従長を呼び、それから長官を呼びつけ抗議をさせる。雑誌などに載る写真すらも検閲しているという。カメラがどこにあってどのようにご自分が写っているかをひどく気に病む御性格とも。

そのような后の宮は、少しでも悪い評判が立つと猛烈に抗議し、そして貧血を起こして倒れ、その度にお上にご負担を強いて来たのだ。お上は倒れられるよりは后の宮の願いをお聞きになり、また、お好きなようにさせるのがもっとも安泰と考えられているのだろう。

「紀宮」(きのみや)さんは秋には産屋に入られる。もし生まれてくるんが親王様やったら41年ぶりの皇孫や。今、皇統がどうにかなるかならへんかの瀬戸際なのに、后の宮さんはご自分の評判の為にあのように東宮妃を甘やかしはるんか?

お気の毒な「紀宮」(きのみや)さんや。40のお産はきつい言うのに、毎日のように「東宮妃に遠慮しなかった」と責められて。うちなら心がおかしくなるわ」

みな口々に言い合った。

女官長は暫く考えていた。

后の宮はもはや后の宮としての矜持を失っている。

女官長が自分の母や祖母から聞いていた通り、后の宮という方は所詮は庶民の出でしかない。そんな話をされた時は、あのように美貌と頭のよさを兼ね備えた后の宮になんて事を言うのだろうと思ったものだが、今は母や祖母の気持ちがよくわかる。

そう考えると后の宮が今まで行って来た「慰霊」や「訪問」が全て偽善に見えてくるから不思議だ。本当に自分達の役割をこなしているのは二宮の方なのに、少しも目をかけないのだから。そしてお上は言いなり。まるで・・・まるで東宮や。

さあ、話はおしまいや。みなお出ましの支度に励むのや。今日からはどのような不満も言葉にも表情にも出したらあかん。東宮が右と言ったら左でも右や。烏を白いと言ったら白いのや。わかるか。そうでなくてはうちらは生き残れん」

女官長・・・・・」

何かあったらうちに言えばええのや。聞くことは出来る。でも変える事はできひん。朝、「ごきげんよう」いうたら偽物の自分におなり。ここは伏魔殿や。うっかりすると足をすくわれる。ええな」

女官長の言葉に皆、無言で頷くばかりだった。

 

 

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新章 天皇の母14

2020-03-12 07:00:00 | 新章 天皇の母

大変や大変や。コンクリート卿がおいでなはったえ

粗相があってはならん。ご丁寧さんに・・・」

女官達が右往左往しながら、コンクリート卿を迎え入れ、東宮御所の中でももっとも立派な応接室へと招き入れた。

以前、コンクリート卿夫妻が東宮御所を訪れた時は、出したお茶がまずいと夫人に文句を言われ「外の務をお迎えする気持ちがなってない」と怒鳴られたことがある。

ゆえに、今回は細心の注意を払ってびくびくしながらも厳かに迎えるしかないのだった。

皮張りのソファに座り、コンクリート卿が好きなコニャックが運ばれてくると、卿は何も言わず頷いた。

女一宮はどうか」とお尋ねになるので「もうお熱も下がりました」と女官は答える。

会いたいが」

では大至急宮さんをこちらへ」

女官は逃げるように部屋を出て行った。

卿は部屋をぐるりと眺め回す。

そういえば妃が入内した時には、この御所はもっと質素な誂えで家具や調度の一つ一つが古臭いものであった。

雲上人というんはけばけばしいものは嫌います。質素でも由緒あるもの。わびを大事にしはるのです」と口上を述べ立てた女官長をさっさと辞めさせて、東宮御所は大きく変わることになった。

何と言っても東宮妃には黄色が似合う。黄色と言えば皇帝の色だ。

しかも金運までついてくるという。こんな目出度い色はないとカーテンや絨毯なども明るい黄色や金色を用い、若々しく華やかな部屋にしたてた。

女一宮が生まれる時には宮の部屋を総コルク張りにして、庶民では絶対に買えないようなおままごとのおうちも用意させた。そういう「贅沢」が許される身分、それこそが東宮妃の地位だったのだ。

女一宮が男子出なかった事はコンクリート卿にしても残念で仕方のないことであったが、まだ諦めてはいない。自分が外戚として権力をふるうにはまずこの宮を女帝に立てることが一番なのだ。

やがて、東宮夫妻と女一宮が入って来た。

お久しぶりですね。閣下」と東宮が挨拶をする。

そもそも、目下の卿に「閣下」などと呼ぶのは皇族としてあるまじき振舞であるが、東宮は実のご両親・・・つまり両陛下よりもコンクリート卿を崇拝していたし、頼りにもしていたので、卿が喜ぶ「閣下」という呼称をあえて使っているのだった。

「閣下」と呼ばれたコンクリート卿は嬉しそうに笑って「急きょ帰国したので」と答えた。そしてぼやっと立っている女一宮の手を持ち「風邪を引いていたとか。もう元気になったのかな?」と話しかけた。

女一宮はびっくりして手を引っ込め、慌てて妃の後ろに隠れる。そんな娘の姿に父の東宮は「挨拶」出来ないことを叱るでもなく目を細めてみていた。

お父様の急なご帰国って。どうかなさったの?

最近は不機嫌な事の多い妃は、卿の前とても遠慮せず仏頂面で聞いた。

いやいや、実は総理に会いに行ってきてな」

と、卿は思わせぶりに言った。

大事な御用なのね」

そういうことだ。東宮、このコニャックは最高ですな。ぜひご一緒に」

ええ、御相伴させて頂きましょう」

早速、内舎人に卿と同じコニャックを運ばせ、女一宮は早々に出て行かせた。

相変わらず妃はご機嫌斜めを見えますな。東宮」

卿は他人事のように言った。東宮はうっすらと笑い

ここには妃の満足するようなものがなかなかなくて。私も困っています。本当はもっと自由にできたらいいのですが。遊園地へ行った時は楽しかったねえ。でもその後の水族館は禁止されてしまって」

遊園地が何よ。それくらいの事で宮内庁も警察も騒ぎ過ぎたんだわ・・女一宮の幼稚園だって本当は外国のキンダーガーデンに行かせたかったのに。レベルが低くって」

でも僕も通っていたんだよ」

だからレベルが低いんじゃない」

と東宮妃は遠慮なく言う。

やれお箸を使えだの、送り迎えは母親の義務とか、保護者会には出席しろとか、どういう事なのよ。暇な人間が揃っているのね。おまけに溶連菌なんか貰って来て。幼稚園に賠償金を払わせたいくらいだわ」

まあまあ、妃の言う事ももっともだが、それでは東宮の立場がないよ

たしなめているのか馬鹿にしているのかわからない口調で卿は笑った。

東宮は自分がバカ扱いされているのも気づかず、ただにこにこ笑っていた。

くだらない赤十字大会だの、公務だのってもう沢山よ。私は自由にやりたいの」

自由にやればいい」

ぼそっと言った卿の言葉に妃はちょっと驚いて「え?」と聞き返す。

「自由にやっていいって・・・・」

そうでしょう?東宮。あなたもそしてこちらの妃も将来は帝と后の宮になられるのです。これ以上上の立場がない地位に上り詰められるんですよ。そんなご一家が好きな事を出来ないなどというのはおかしいのです。ヨーロッパの王族をごらんなさい。夏は船でクルーズ、島でバカンスですよ。なぜ我が国の皇族がそれを出来ないのですか?」

それは・・・わかりません」

先の帝も20代の時に英国を外遊されました。ゴルフにテニスに乗馬と王室ぐるみの楽しい外交を展開されたのです。無論、今帝とて東宮の時代から何か国旅行したと思いますか?それに比べて東宮、あなた方は?中東やベルギー、オーストラリアへ行っただけでしょう?堅苦しい公務の一環で」

ええ。そうですね」

妃が入内したのは、東宮、あなたと共にグローバルな皇室外交を展開したかったからです。そうだね?妃よ」

その通りだわ。結婚する時、東宮は私に言ったのよ。外の務で活躍するのも皇室で外交するのも同じだって。しかも皇族の方がより優位に立って活躍出来るって。そう約束したのに・・・結果的に子供を産むことを強要されただけだったわ」

そんな風に責められると東宮は何を言っていいかわからず、コニャックのせいで赤く染まった頬をさらに赤くして恥じ入るように下を向いた。

力不足で申し訳ありません」

いやいや。妃よ。そんな風に夫を責めるものじゃない。東宮は頑張っておられるのだからね」

その言葉に妃はつまらなそうな顔でぷいっと顔を横に向けた。

私はあなた方に素晴らしいプレゼントを用意したんですよ」

おもむろにコンクリート卿は切り出した。

プレゼントと聞いて、思わず東宮と妃は子供ような目を輝かせる。

なあに?お父様、何なの?」

木靴の国さ」

木靴の国?

夫妻はほぼ同時に叫んだ。

木靴の国へ・・行けるのですか?」

東宮は話が呑み込めず、ちんぷんかんぷんな疑問符を投げかける。

通常、皇族の外遊を仕切るのは政府で、海外からの要請がない限り国を出ることはない。

木靴の国の城で2週間のバカンスをプレゼントしようと思っているんですよ

そんなこと、可能なんですか?」

ええ勿論。今、私は仕事でかの国に赴任しています。政府とは近しい間柄なのですよ。勿論コネも多少あります。あちらの王室にね。あそこは今、女王が治めていますが彼女の夫がうつ病を発症したことがあってね。妃の話をしたら大層同情し、ぜひ国へ招いて城を自由に使って欲しいというのだよ」

王室がコンクリート卿を介して直接東宮を国に招くなど、通常ならありえない話だ。

信じられない。閣下。あなたはなんて素晴らしいんだろう」

でも、本当に本当なの?ふってわいた異様な話だわ」

私だから可能な話なのだよ」

卿はふっふっと笑って答える。

どんな国にも弱みはあるもので、ある国では支援が欲しい。その見返りがない。などという事も多々あるし、鼻薬をかがせることだってある。これこそが真の外交戦術というものでね。女王は喜んで国の為に城を貸すというわけだ」

すごいわ!木靴の国で2週間のバカンスなんて。海外なんて何年も行ってないもの。今すぐにだって行きたいくらいよ

そうだろう。妃は昔から海外旅行が趣味のようなものだったから。今日は総理にその話をしに行ったのだ。勿論、総理も承知のこと。つまり堂々と阿蘭陀へいけるというわけだ

でも・・プライベートで海外に行く皇族は今までいなかったと」

少し不安そうな口調で皇太子が上目づかいに卿を見る。

卿はふふんと鼻で笑って

誰もがなしえないことをしてこそ、東宮の実績なのですよ

と言い切った。

この旅行はただのバカンスではありません。可愛い私の孫、女一宮を将来の女帝としてアピールする目的もあるのです」

女一宮が将来の女帝」

まるで東宮は夢をみているかのように見えた。

女一宮が生まれた後、東宮妃は絶対にもう子供は産まないと言い、東宮もそれを支持した。可哀想な不妊治療から解放してやりたいからだった。

それに二宮の所も女子しか生まれていないので、いずれ女帝が立たなくてはならない。それは将来の天皇の皇女である女一宮以外にいないのだと信じて来た。

それなのに、二宮は裏切った。「紀宮」(きのみや)の懐妊は東宮にとって予想だにしなかったことなのだ。

そうですよ。わずか4歳の女一宮が皇室外交に貢献するのです。かの国には近い将来、国王が立ちますが、彼には娘しかいません。つまり1世代たったら女王が誕生する。そのような姫達と女一宮が仲良くする事は格好の女帝アピールになるのです。いかがですか?」

そうですね・・それは本当にその通りですね」

東宮は次第に事情が呑み込めてきたと言うように大きく頷いた。

それに・・東宮、あなたにはもう一つ、プレゼントがあるのです」

え?それって」

あちらの皇太子は世界ウォーターフォーラムの総裁をしているんですよ。東宮、あなたは確か水運が専門でしたな。日本の水の総裁職というのはいかがかな?

東宮は大きく目を輝かせた。

思えば、東宮はほとんど総裁職というのを持っていなかった。

その理由は、一言でいうと東宮には専門分野がないということだったのだ。

父帝は生物学者であり、先の帝は植物学、皇后は和歌や文学の才に秀でて、さらに二宮は動物学が専門。その関係であちらこちらの名誉総裁の座を与えられ多忙な日々を送っている。「紀宮」(きのみや)も手話がライフワークであり、さらに結核予防や赤十字活動など活発な公務を行っている。

父や弟が理系で東宮とは全く話が合わないことに、小さい頃からコンプレックスを覚えて来た。

かといって文学に詳しい母と合うかと言われたらそうでもない。

和歌も下手だし、文章を作るのも苦手で大方未草君(ひつじぐさの君)に代筆を頼んでいたくらいだ。留学した時も授業についていけなかったから、それ以上の研究はやめた。

そんな東宮に「名誉総裁」の座などお願いする法人はいないのが現状。

そんな自分にコンクリート卿は目をかけてくれているのだ。

それが娘の夫としての特権だと感じることで、東宮は言うに言われぬ優越感に浸れる。

水の総裁ですか。それなら僕も出来そうです」

いや、東宮なら何だっておできになりますよ。ただ、水関係は国際的に重要な問題になっています。こんな大きな仕事を任せられるのはやはり東宮様しかおられませんからな。お引き受けして頂けますか?」

勿論です。閣下からのご推薦なら絶対でしょう。よろしくお願いします」

東宮の優等生な発言に卿は心から笑顔をみせ、大きな声で笑った。

よかったじゃない。これで二宮に大きな顔出来るわよ」

二宮・・・?東宮様はそんな事を気にされていたのですか?」

ええ・・いや、そういうわけでは」

東宮様は近々帝になられるかたですよ。そこらそんじょの宮家とは違う。気に病むことはありません。それに・・・この件は着々と進めていますから」

「え?」

いやいや。さあ、盃を上げましょう」

コンクリート卿はコニャックの入ったグラスを高く上げた。

東宮ご夫妻の海外進出に。女一宮の皇室外交に。そして女帝に。さらに東宮様の総裁職に」

全員、笑顔だった。

 

 

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新章 天皇母13

2020-03-05 07:00:00 | 新章 天皇の母

えらい剣幕やったな」

女官部屋では古株から新人まで束の間の休憩にほっとしていた。

おふくさん、可哀想」

若い女官がちょっと同情するようなふりをしたが、お局様ににらまれて言葉を止めた。

何でも一人で抱え込むからこうなるのや。お妃さんは癇癪持ちや。子供が熱を出すのはよくあることや。侍医にもみせたのやし、なんでああもお怒りさんになるんか、ちっともわからんな」

おふくさん、お妃さんにえろう怒鳴られてしゅんとしてはったわ。しょうこう熱なんてお小さい子なら誰だって一度はかかるもんですよ。それなのに今にもおかくれになるんかくらいお怒りになって。鬼の形相いうんはああいうのを言うのや」

うちも怖かったわ。お医者様がいてなかったらきっと泣いてしもうたわ。東宮さんが入って来て一生懸命お妃さんをなだめていらっしゃったけど、それでも大きな声で鳴いてわめいて・・どうやったらあんな風になるのやろ」

女一宮が熱を出して幼稚園から帰ってくるなり、東宮妃はものすごい剣幕でおふくを怒鳴りつけ「何かあったらあんたのせいよ」ととても皇族とは思えない言葉を吐いた。なだめにかかった東宮の胸を叩いて泣き出したことには、回りの者はみな驚きを隠せず、愕然とした。

当の女一宮はおふくに着替えを手伝って貰いベッドに横になると、ほどなく眠りについた。熱は38度を超えていたが額に氷をあててもらうと、とりあえず落ち着いた。

その間に侍医が呼ばれて下した診断は「溶連菌感染症」だった。

この病名にも東宮妃はひどく怒ったが、「集団生活をしているとこういうこともある」と一生懸命に説得されてようやく納得した。

そこまで娘の心配をしてる割には、看病は全ておふくと女官まかせで、ずっと自分の部屋に引きこもり、何をどうしているのかわからない状態が続く。

娘の様子を見ようと、時々部屋を訪れる東宮の方がましだったが、「感染してはいけないので」とすぐに遠ざけられる。

でも・・そういうことを口実にしてご務めをお休みになるんは納得いかへん」

お局は深刻そうな顔をして言った。

幸いにして女一宮の熱は2日後には下がり、1週間もすると元気になったのだが、東宮妃は「看病疲れ」の為に、大切な赤十字大会を欠席してしまった。しかも、その日にテニスを楽しむという全く空気の読めない行動だった。

まるで嫌味や。皇后さん、どう思ったやろ。もうすぐご出産という「紀宮」(きのみや)さまもご出席遊ばされたいうのに。看病疲れ・・やなんて」

でも週刊誌では東宮さん達が3日3晩、寝ずに看病したと書かれてるわ」

それを聞くと、みな笑い出した。

てんごや。てんご」

ひとしきり笑ったところで、いきなりドアが開いて、女官が飛び込んで来た。

大変や。コンクリート卿が今すぐこちらにいらっしゃるんやて」

一瞬、空気が凍り付いた。

 

 

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新章 天皇の母12

2020-02-29 07:00:00 | 新章 天皇の母

一体どうしたというの」

ただならぬ中姫の様子に「紀宮」(きのみや)はベッドサイドに座り込んだ。

中姫は泣くまいと必死にこらえていたがその声は震えている。

私は生まれてくるべきじゃなかったって言ってるのよ」

中姫の声はうわずっている。

どうしてそんな事を。誰が?

クラスのお友達。お母さまたちから聞いたって。私が生まれる時にお母さまは色々な事を言われたって。東宮妃様に」

子供の世界はなんと残酷な事だろう。話題にしていい事と悪い事の区別がつかない。それは全て大人の世界の鏡のようなものなのに。

私は女だったからよかったけど、もし男だったら。そしてもし今度生まれてくる子が女の子で、いいえ、男の子だったら」

だったら?」

わからないわ。でもみんな東宮妃様がお可哀想っていうのよ」

「ああ!」

「紀宮」(きのみや)は思わず中姫を抱きしめた。

私もお父様もあなたが生まれて来た事をとっても喜んでいるのよ。あなたが女だろうが男だろうが」

でも・・・でも・・・」

あのね。中姫。人がこの世に生まれてくるという事はとても大切で大きなことなの。さっきお局が言っていたわ。子供というのは親の体を食らって生まれてくると」

そんな・・・怖い

そうね。でもその通りなんだと思う。虫や魚でも自分の体をエサにして子孫を残すものはいるわ。人間でも、出産で命を落とす人は決して少なくないの。それでも子供は欲しいの。生まれてきてほしいの。お母さまもお父様も、あなた達を決して生まれてこなければいいと思ったことなどないわ。もし、ほんの少しでもそんな事を考えたら罰があたる。あなた達は皇祖皇宗の血を引いている大切な体。私のお腹を借りて生まれて来ただけよ。それだけ尊いのよ

お母さま・・・・

中姫はもう耐えられなくなって「紀宮」(きのみや)にすがりつき、なきじゃくり始めた。

そんな様子を部屋の外から見守る二宮の顔も歪み、今にも落涙しそうな目で、苦しそうに見つめる。

それからね・・それから。私にあの大きな遊園地に連れて行ってって言われたの。お友達に」

まだ小学生じゃないの。そんな事駄目よ」

そうじゃないの。女一宮みたいに、私と行けばどんな乗り物でも優先的に乗れるでしょうっていうのよ」

「・・・・」

今度は「紀宮」(きのみや)は言葉も出なかった。

こ・・皇族をそんな風に利用しようとする人はもうお友達じゃないわ。お付き合いをやめなさい」

厳しくそれだけ言った。

中姫は「お母さまが懐妊されてから、何だか辛い事ばかりよ。クラスの中で冷やかされたり、東宮妃様がお可哀想と言われたり。どうしてそんな事を言われなくちゃいけないのかさっぱりわからなくて。お姉さまにも聞いてみたけど、わからないって。私もお姉さまも弟か妹を可愛がってあげたいだけなのに」

それでいいのよ。中姫はお姉さまになるのだから、いつまでもつまらない事で泣いていないで着替えてお食事を摂りましょう

中姫はやっと母から離れて涙を拭いた。

わかりました・・・お母さま。もう言いません。でもやっぱりおかしいと思う。本当にお母さまのおっしゃる通りなら、間違っているのはお可哀想という人たちでしょう?でも雑誌でもネットでもそんな話ばかりじゃない。外の世界では違うの?」

中姫」

入って来たのは二宮だった。

世の中には間違いを流布する連中がいるのは確かだ。しかし、それに惑わされてはいけない。もう少し大きくならないとわからない事もある。その時になったら教えるから」

はい」

中姫はおとなしく引き下がった。「紀宮」(きのみや)は二宮に支えられて立ち上がる。娘が全然納得していない事は一目瞭然だったが、今はそれでごまかすしかないのだ。

お母さま」

部屋を出る時、中姫は言った。

赤ちゃんのお世話は私に任せてね。ちゃんとお勉強するから。手作りのおもちゃを作っても上げる。でもその代わり」

その代わり・・・?」

赤ちゃんばかり可愛がらないでね」

「紀宮」(きのみや)は「当たり前でしょう」と言って娘を抱きしめた。

こんなにいい子なのに可愛がらずにいれると思う?」

そう言われて中姫はほっとした様子だった。

 

私達は権力がありません。後ろ盾も。そんな私達が挑戦しようとしている事は子供達を苦しめることになるのでしょうか」

それでもこれが運命と思うしかないだろう。あなたを娶った時にはこんな事態になるとは思わなかった。私達は筆頭宮家として役割を果たし子供達を育て、好きな研究に没頭する。そんな幸せな構図を描いていたのだ。まさか皇位継承に絡む事になろうとは。どのような勢力が東宮家を押して女帝への道を開こうとしているのかわからない。けれど、これは私の勘でしかないが、女一宮に皇位継承権を与えてしまったらその時点で皇室は終わる。そうでなくても終わるかもしれない。私達はそれを少しでも長く誇りをもって食い止める事しか出来ないのだ」

存じております。ただ。子供達が可哀想で。大姫も中姫もよく育っていると思いますのに、世の中の猜疑心や権力争いなどを経験させたくはありません」

仕方ない。私達の味方はもういないも同然。孤独な戦いであれば家族は一蓮托生」

「紀宮」(きのみや)はふらりとして慌てて二宮に支えられた。

疲れたのかい?大丈夫か?」

平気です。私は負けません」

その笑顔は私の救いだよ」

「紀宮」(きのみや)はまだ頑張れると思った。二宮が自分を愛してくれている限り、どんな事があっても無事に子供を産まなくてはならないと決心した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いやだもん」

女一宮は幼稚園に入ってからというもの、このセリフを言わない日はなかった。

おふくは何とかきちんと時間を守って幼稚園に連れて行こうとするのだが、女一宮の昼夜逆転現象はなかなか改善されなかった。

今日はお友達と踊りを踊るんですって。お弁当もお好きなものが入っていますから」

おふくはぐずる女一宮をなんとか車に乗せ幼稚園に向かう。

おふくは知っていた。幼稚園の行事のありとあらゆることが女一宮にとってハードルが高いことを。

4歳児というのは自我も芽生えるが少しずつ社会性が出来て、回りと一緒に行動出来るようになる。ましてやこの幼稚園は皇族が入る名門中の名門。

一般の子供よりも優秀な子が揃っている。おふくは毎日子供達の様子を見ているが歳のわりにはきはきと大人の質問に答える子や、何でも自分でできる子など、さすがに受験してまで入って来た子達と思うこともしばしば。

しかし、女一宮は朝のあいさつもろくに出来ない。

家庭の中で「あいさつ」という躾がされていないからだ。父親は朝の7時に食卓に着いているが母親は昼になるまで起きて来ない。

東宮は「おはよう。女一宮」と声をかけてくれるが、娘の方は知らん顔。

知らん顔をしていてもちょっと観察していれば女一宮がお父様を大好きという感情はわかるのだが。

幼稚園の子供達同士の挨拶、先生への挨拶、保護者達への挨拶。朝の挨拶は何度もするものだが、女一宮は全く興味を示さないし、下手に挨拶を強要するとひっくり返って泣き出すのでそれも出来ない。

一番の課題はお弁当かもしれない。

幼稚園では躾の一環として、4歳までお箸を使えるようにすることを義務付けている。しかし、女一宮はそれが出来ないので「皇族特権」でフォークを使っている。それが他の子供達から見ると奇異に映るようで、時々「変なの」という言葉も聞こえてくる。

みんなで並んで席に着くとか、みんなで同じ行動をとるというのが今の女一宮には苦痛でしょうがない。

お可哀想に・・・」とおふくは思う。

普通の子なら無理して幼稚園に通わせなくてもいい筈なのに。

エリート意識の強い子供達に囲まれて競争社会の中で常にトップを走らされる。身の丈に合ってないのは一目瞭然なのに、独り歩きを始めた「ご優秀伝説」に踊らされ、実像より虚像の方が大きくなる。

おふくさん!」

と、待機室に控えるおふくを呼びに来たのは女一宮の担任だった。

大変なんです。宮様が粗相をなさって」

わかりました」

おふくはすぐに大きなバッグを抱え、教室に向かった。

教室では子供達が大騒ぎをしていた。それを他の先生たちが「お外で遊びましょう」と全員を整列させて出ていこうとする。でも興奮した子供達はなかなか言うことをきかなかった。

宮がおもらしした」と誰かが叫ぶと、他の子達もはやし立てる。

女一宮はそんな子供達の中で一人無表情だった。

異様な光景だったが、おふくは構わず女一宮を抱き上げると保健室に走る。

自分の服も汚れているのはわかったが、今はそんな事を考えている暇はない。

保健室ですぐにバッグから着替えとおむつを取り出して着替えさせる。

女一宮の顔は紅潮していた。

宮様・・・宮様!」

なんと、おでこにさわると熱いではないか。

侍医を侍医を呼んでください」

おふくは叫んだ。

 

 

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新章 天皇の母  11

2020-02-19 07:00:00 | 新章 天皇の母

女一宮の入園式はすったもんあの末、何とか無事に終了した。

制服に手作りのバッグを持ち、延長先生に挨拶をするところでは、ただたあ知らない人への恐怖で体が固まってしまった宮あったが、それは大目に見て貰えた。

「大変自然なお子様です」というコメント付きで。

けれど大変になったのはむしろ翌日からで、女一宮は新しい幼稚園生活に馴染んでいこうという意欲もなければ、朝の早起きすら嫌がる始末。

女一宮さま、今日はお菓子がありますよ」おふくはベッドから宮を出すときは必ずその手を使った。そうすると宮は顔を輝かせて布団から出てくる。これもまた女一宮の「儀式」の一つになった。

けれど時間通りに通わせるのは難しく、入園早々遅刻が相次ぎ、幼稚園からも注意が来た。いくら皇族とはいえ生活パターンを乱れさせてはならないと。お説ごもっともなのだが、東宮妃にとっては「個性を潰す」行為にしか見えない。

うちの子にはうちの子のペースというものがあるのに。幼稚園ごときがなぜ口を出すのよ」と毎日のように東宮に愚痴るので東宮は毎日疲れ切っていた。「朝、起こせないのは躾が悪いと思われてもしかなたいんじゃない?」

私だって朝、起きる事が出来ないけどそれって私の母のせいなの?」

「いや、君は病気だから。そっか、女一宮も病気なんだな。そういえばいい」

「馬鹿な事を言わないで。女一宮が病気な訳ないでしょう!幼稚園が厳しすぎるのよ。一体、あの人たちは私達を何だと思ってるの?偉そうに」

と東宮妃は興奮し、思わず東宮が持っているウイスキーグラスを床にたたきつけてしまったりするものだから、誰もがうんざりしてしまった。

・・・おふくが悪いのだろう。時間通り起こせないのは。女一宮の面倒を見ているのはおふくなんだから

「私が女一宮の面倒を見てないとでも?」

そうはいってないけど、教育係なんだし。誰か、おふくを呼んで。それから床のグラスをかたずけて、新しいウイスキーを」

侍従や女官が飛んできて、床に散乱するグラスの破片を片付けている所におふくがやって来た。

おふく、女一宮は遅刻が多いようだね」

東宮のご質問におふくは無言で頭をさげた。

何とか、朝、幼稚園に間に合うように起こしては貰えないものか」

その為には、夜はちゃんと眠る必要があります。女一宮様の場合はお休みになるのが夜中の12時を回っております。子供は普通8時か9時には眠るものでございますから」

「そんなに夜更かしをしているの?」

夜になる程お休みになれないようでございます」

そんなのいいわけでしょ!」

東宮妃は怒鳴った。おふくは顔色一つ変えない。

申し訳ございません。けれど両殿下は女一宮さまがおむずかりになってもお叱りにはなりません。私がどうしてそんな宮様をお叱り申し上げることが出来るでしょうか」

それは叱らない子育てを実践しているからだわ。口で言って言い聞かせるの」

それでも理解出来ないお子はどうなるのですか?」

女一宮が低能だっていうの!」

東宮妃は思わずおふくに手を上げそうになる。それを止めたのは東宮だった。

「まあ、ゆっくりでいいから頼むよ。幼稚園はなかなか厳しい校則があってね。何とかそれもうまくやってほしい。妃よ、この話はもうやめよう。私は一人でゆっくりしたいんだ」

あなたはいつもそうよね。女一宮が幼稚園で辛い思いをしているっていうのに、何にも解決してくれないで」

色々他の幼稚園をあたったけど、結果的にここしかなかったじゃないか。ここなら女一宮は普通の子として生きていけるんだから感謝しよう。おふく、下がっていいよ」

おふくは一礼をして部屋を出て行った。

東宮はゆったりとクラシック音楽をかけ、好きなウイスキーを飲んでいる。

その前に坐っている東宮妃は両手が真っ白に成程こぶしを握り締めている。

一体、何が悪いというの。こんない一生懸命にやっているじゃない。知らない人の前に出るのが嫌なのは自分の方だわ。だけど女一宮の母として頑張っている。この間だってアメリカで使用されている宮に効く薬を見つけたわ。日本では許可が下りないというけど、何とか手に入れて見せる。それであの子がまともになるなら。

そもそも入園式に紺のスーツじゃないといけないなんて誰が決めたの?誰も教えてくれなかったじゃない。だから白のスーツにしたのに、まるで私が非常識みたいな顔をみんなしていたわ。スーツの色が何よ。そんな暗黙のルールを作る方がおかしい。閉鎖的すぎる。

お弁当だって、作った事ないのに作れるわけない。親が作る必要ってあるの?私だって使用人が作ったお弁当を持っていってたんですからね。

ああ・・頭が痛い。とにかく女一宮を優秀にしなくちゃ。そうでなければ「紀宮」(きのみや)の産む子がもし男の子だったら・・・・・

その時、真っ先に目に浮かんだのは怒りに震えるコンクリート卿の顔だった。

またお父様が嫌な顔をする・・・」東宮妃は考えるのをやめて挨拶もせず東宮妃の部屋を出て行った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「紀宮」(きのみや)は最近、ちょっと体が重いような気がする。

上二人の時にはどんなに歩いても平気だったし、わりと軽々公務をこなしていたのだが、今は、どういうわけかだるさが気になってしょうがない。

少し、足のむくみがあるようです」と医師に言われ、塩分を極端に控えた食事にされてしまった。

高齢出産のリスクは多々あります。その一つが妊娠中毒症です。いきなり血圧が上がったりして胎児にも影響がありますから十分にご注意を

胃の圧迫感は「赤ちゃんが順調にお育ちになっている証拠です」と言われて、それは嬉しかったけど、食欲がなかなか・・・

どうしてこんなにつらいのかしら」慢性的に不定愁訴が続き、さすがの「紀宮」(きのみや)も宮邸の中では弱音を吐く。

なんていう事はないの。ただ、重いとか苦しいとか・・ちょっとした事が大きく感じられて。我慢していると辛くて泣きそうになるの」

それはマタニティブルーというものですわ」

と、古参の侍女、「お局」が言った。

知ってるけど、今まであまり経験した事がないわ

そうでしょうとも。大姫様も中姫様も、お妃さまはお若かったし何の憂いもおありでなかった。でも今は違うでしょう?生まれてくるお子が男子か女子か、知らず知らず気に病んでおられるのでは?」

そんなこと・・・」「紀宮」(きのみや)は顔をそらした。

その前にどんとおかれたのは、白身の魚にご飯少々、ヨーグルトやお茶といった「さっぱり系」の食事だった。

お子の為には力をつけませんと」

でも、なかなか「紀宮」(きのみや)は手をつけようとしない。

何か不満を言ったら料理人の咎になるし、作り直しなんて事になったら大変だし。そうはいっても、この塩分極力控えめ食事は好きになれないのだ。

お局は「お妃さまの御心の内はわかります。こんなおいしくないもの、何で食べなくちゃいけないのかしら?ああ、イカの塩辛が恋しい」

私、イカの塩辛なんて知らないわ

「紀宮」(きのみや)はちょっと怒った振りをした。

じゃあ、せめて七味たっぷりのかけうどんですか?

それはまあ・・・」と言ってから「紀宮」(きのみや)ははっとして首を振った。

そんな事も考えていません

お局はやさしく、お妃の前にほうじ茶を出した。

ご懐妊を2回経験したお妃さまにこんな事を申し上げるのは今更ですが、お子というのは親を食らって生まれてくるのでございます」

その物言いに「紀宮」(きのみや)は心底驚いて言葉を失った。

お子は親から栄養を吸い取り吸い取り、たとえそれで親が死んでしまっても構わないというくらい、旺盛な食欲を持っているのです。お若い時なら、それでもすぐに回復される。でも今はそうではありません。ご懐妊中も様々なリスクにさらされ、ご無事に生まれても半分体がなくなったようなもの。そこにさらに母乳が・・・

脅さないで下さい。私、もう十分に怖いわ

「紀宮」(きのみや)の目には涙がたまっていた。

お局は構わず続ける。

今の感情の起伏も不定愁訴も全部お子がお腹の中で頑張って成長している証なのです。お妃さまがされるべきは、なるべくリスクなしでお子をご出産されること。よろしいですね」

はい」

ではお召し上がりください。皇后陛下からのトマトジュースはいかがです?」

味がしない・・体にいいのはわかっているけど。知らなかったわ。食べるという事がこんなに楽しみで苦痛になる事もあるなんて」

玄関の方から「宮様のお帰りでございます」の声が聞こえた。

「紀宮」(きのみや)は立ち上がり玄関まで出迎えようとしたが、宮が入って来る方が早かった。

お帰りなさいませ」

ただいま。あれ?「紀宮」(きのみや)、泣いてたの?」

別に・・・」

「紀宮」(きのみや)はつんと後ろを向いて涙を拭いた。

「紀宮」(きのみや)様は塩分がないお食事に涙を流されていたのでございます」

もう、お局ったら、そんなこと言いつけなくても」

「紀宮」(きのみや)の抗議も受け流し、お局はさっさと二宮の着替えに宮務官を呼び、自分は食事の支度にとりかかる。

さあ、後は下の者にお任せになって「紀宮」(きのみや)さまはお食事を」

お局がいてくれると助かるね」

二宮は微笑んで着替えに入った。

「紀宮」(きのみや)は言われた通りに席につき、食事を始めた。こうなったらなるべく早くすませてしまう方がいい。それにしても、どうして毎日がこんなに辛くなったのだろう。

毎週のように目にする新聞の広告欄には、惨いことばかり書かれている。

「喜べない」とか「東宮妃がおかわいそう」とかそんな言葉が並ぶ度に傷つき、落ち込んでしまう。

二宮は庇うでもなく、週刊誌に文句を言うでもなく黙っている。

「紀宮」(きのみや)は誰にも言えない傷を自分で何とか昇華しなくてはならない。

今はお腹の子が元気でいることが何よりも楽しみ。そうはいっても「紀宮」(きのみや)も一人の人間であったし、女性である。

少しは「おかわいそう」の一言も欲しくなる。「勝手に懐妊したくせに」なんて言われる筋はない筈。

けれど、生まれつき気が強い「紀宮」(きのみや)は弱音を吐けない性格だった。

公務に出続けるのも半分以上は意地だったし、絶対に健康な赤ちゃんを産んでやろうという気概に他ならない。

まあ、全部お召し上がりになったんですね。素晴らしい」

お局は喜んで食事の皿を下げた。

けれど「紀宮」(きのみや)の方は胃の重さに頑張って耐えるのみ。

宮様にお願いして、無事ご出産のみぎりは思い切り辛いものをごちそうして頂くのはいかがですか?」

「私、そんなに辛党ではないのよ。普通に塩分が欲しいだけよ」

そうですか?じゃあ、思い切りぬか漬けをお召し上がりになればよろしいですよ」

きゅうりとかにんじんとか白菜とか・・・」

そうですね。菜園のお野菜を使って今から準備いたしましょうか。私はぬか漬けは出来ませんけど、詳しい者はおりますし」

そうね」

「紀宮」(きのみや)はちょっと嬉しくなった。子供が生まれるのは秋。秋の実りが自分を喜ばせてくれるかもしれないと思うと、ちょっと嬉しくなったのだ。

何の話だい」と二宮が食堂に入って来た。

出産後に、おいしいぬか漬けを食べたいわねってお話を」

それはまた・・・いい酒の肴だなあ」

二宮は微笑んで、出されたお茶をおいしそうに飲む。

「紀宮」(きのみや)の懐妊がわかってから、二宮は酒とたばこを断っている。

そう・・この方はそういう形でしか愛情を示せない人なのだ。

体がきついなら少し大学寮の務の家に行ってはどうだ」

大学寮の務というのは「紀宮」(きのみや)の実家の事だ。

元々学者の家で、ひょうひょうとした人柄が愛されている大学寮の務は、ある意味「紀宮」(きのみや)とよく似ていた。

両親も歳をとっていますので、そんなに迷惑はかけられません。それに今は弟の結婚式も近いですし」

そうだった。準備は整っているの?」

はい。ありがたい事に、結婚式のあとは皇后陛下から謁見を賜ることが出来るとか。その時の服装や小物など誂えなくては

忙しいが、君のたった一人の弟のことだから出来る限り協力しなさいよ」

はい」

穏やかな時間が流れていく。

その静寂を破ったのは小学校から帰って来た中姫だった。

バタバタと音がして、帰って来たのはわかったがそれきりうんともすんとも言わない。

普通だったら「ただいま帰りました」とあいさつがあるのに。

「紀宮」(きのみや)は立ち上がって、リビングを通り、娘の部屋に入った。

中姫は長い髪を見出し、勉強机に突っ伏して泣いている。

ランドセルは乱暴にベッドの上にほうりなげられていた。

どうしたの?ご挨拶もなく」

「紀宮」(きのみや)は優しく中姫の顔を覗き込んだ。すると中姫はいきなり「紀宮」(きのみや)にすがりつく。ただごとではない様子に押し倒されそうになりながら「どうしたの?一体・・」と尋ねる。

私、生まれてきてはいけなかったの?」

突然の言葉だった。

 

 

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新章 天皇の母 10

2020-02-14 07:00:00 | 新章 天皇の母

女官から事の次第を聞いた后の宮は多少狼狽の様子をお見せになり「お上にお伺いを立てて」とおっしゃった。女官はパタパタと侍従長の所へ走って行く。

成婚の宴を先取りするとか先延ばしにするとか、一体東宮妃は何の権利があってそのような事を申すのか。

誰でも普通にやっていることではないのか。

東宮妃は女一宮の入園準備で忙しいとかいうが、手作りの筈の通園バッグの刺繍だって自分でするわかけではないし、制服の用意もお弁当も何もかも他人が行うのではないか。

それなのに、毎年恒例になっている成婚の宴に出席することもかなわないとは、一体どのような料簡なのか。

先日も、巨大遊園地を得意そうに闊歩する姿が雑誌に載っていた。

かつて未草君(ひつじぐさの君)がこっそりと学友たちと訪れた時とは全然違う。マスコミは苦手だのフラッシュは嫌いだのと言っておきながら、自ら大衆の前に姿を見せて、特権階級のようにふるまっていた。

そんな風にお思いの后の宮は色々考えをめぐらし、それからため息をもらされた。お顔は憂鬱にゆがみ、悩み多く、急にお元気すらなくなりそうな雰囲気で。

ここで成婚の宴についてあれこれ言えば、東宮妃は批判された、いじめられたと回りに語り、週刊誌がどのように書くかわからない。ここは言う通りにするしかないのだろうか)

暫くすると、ドアがノックされ、女官長と侍従長が現れた。

女官長は「失礼いたします。お茶をお持ちしました」と申し上げ、女官に盆をテーブルの上に置くように指示する。

美しい薔薇模様の盆の上にはボーンチャイナのカップとポット、そして小皿にはベルギー産のチョコレートが載っている。ポットからお茶を注ぐと香り豊かなフォートナム&メイソンの色が出る。

后の宮は小さく「ありがとう」とおっしゃり、それからカップに砂糖を一さじ入れてかき回す。湯気が春の訪れを知っているかのように沸き立つ。

それで?」優雅なお茶のひとときだというのに后の宮の瞳は探るように侍従長をご覧になる。

お上のご予定を検討し、東宮妃の御心を安んじるには2日前がよろしいかと」

2日前倒しにしろというのね

后の宮は紅茶を一口飲んだ。温かい飲み物はそれだけで心を明るくするというのに。

お上がそれで構わなければ私も賛成いたします。くれぐれも東宮妃の体調を優先するように」

かしこまりました

ところで

はい」

新しい東宮大夫はどうなのですか?連絡を取り合うことも多いでしょう

聞かれて侍従長は「はい。さすがに外の務のご出身であり東宮妃ともお親しい間柄でツーカー・・といいますか。忖度が効くようでございます」

「官犬大夫」(かんけん大夫)と呼ばれているとか」

女官達が勝手に呼んでいるのでございます」

「官犬大夫」(かんけん大夫)は東宮妃の心に添っても諫めることは出来ないというわけね」

それは」

侍従長は視線をそらし、額には汗がにじんでいる。

お上は大層倹約家でおられるので部屋の暖房の温度も低いままなのだが、それでも侍従長は何と答えたものかと・・でも、はっきりしないと后の宮に叱られそうだと焦りながら「そのようでございます」とだけ言った。

東宮のことは東宮大夫に任せるのがよかろうと。長官ともお話して決めておりますれば」

では、東宮家がまたあのような大騒ぎを起こしても構わないと思いますか

は?」

ああ・・遊園地のこと・・・と気づいたのは2・3秒経ってからのこと。その間に女官長が「これ以上は皇室の名に傷がつくかと」と申し上げる。

何でも東宮家では水族館に行く計画を立てているそうです。しかも貸し切りで」

水族館ですと?」と侍従長は初めて聞く話に驚いた。

そうですわ。それも海の近くにある大きな水族館です。すでに食事場所の予約も入っているとか」

女官長、あなたはなぜそんな事、ご存知なのですか?」

それはまあ・・・」

女官長はそれ以上は何も言わずにふふっと笑った。

后の宮はもう一口紅茶を飲み、チョコを一かけ口にされた。その上で

実現したらどうなると思いますか」とお尋ねになった。

水族館・・・暫く行ってないなあなどと侍従長が考えていると、女官長はとんでもないというような表情で「あの時以上に大騒ぎですわ」と言った。

水族館というのは遊園地以上に人が密集いたします。イルカショーを見たいからといって庶民を追い出したりしたらどうなります?それに、警備費は県が支払うのですよ。先日の警備費も大変な額になったとか」

侍従長、東宮家に葉山へ一緒に行かないかと打診しておくれ。そろそろ女一宮の姿が見たい。もっと頻繁に御所に参内するかと思えばなしのつぶて。お上も大層気にかけておられる」

と后の宮はゆったりと、でも有無を言わさぬ態度をお示しになった。

ここまで来て侍従長はようやく、后の宮が実は結構怒っていらっしゃるのだということに気づいた。そうなのだ。いつもいつも穏やかな口調でおっしゃるからついつい油断して、本音がわからなくなる。

では早速「官犬大夫」(かんけん大夫)・・じゃなくて東宮大夫に申し伝えます」

女官長、「紀宮」(きのみや)にはトマトジュースを一ダース送って下さい」

お優しい后の宮のお心遣いに女官長はただただ平伏するばかり。

でもそのお心の内では、「紀宮」(きのみや)にも大層お怒りのお気持ちがあることには誰も気づいていないのだった。

東宮の陰として生きていればいいものを。なぜ皇室の未来が開けようとするこの瞬間に「紀宮」(きのみや)は水を差したか。

産地直送で無塩のトマトジュースは見事な血の色だ。きっと「紀宮」(きのみや)がそれを飲む様は吸血鬼のように違いない。二宮も腰を抜かして妻に触れなくなるかも。

おほほ・・」思わず声が出ておしまいになり、后の宮は慌てて表情をお繕いになる。

こ・・皇后陛下?」侍従長の目は怯えきっていたが女官長は無表情。

どうやら女官長には后の宮のお心持がわかるらしかった。

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新章 天皇の母  9

2020-02-11 07:00:00 | 新章 天皇の母

東宮御所では新しい東宮大夫が就任した。

何でもお妃さんの御実家と親しい仲やそうや」

お妃さんのおもうさんは確か・・外の務やないの。あからさまやな」

いつの時代も外戚いうんは力を持ちたがるもんや

結果的にこの東宮大夫は女官達によって「官犬大夫」(かんけん大夫)とあだ名を付けられてしまった。

あまりにも東宮妃が皇室という世界に拒否反応を示し、しかも女一宮のことが発覚すると、毎日のようにコンクリート卿に電話をしては愚痴を言い、しまいには「私にはこんな人生を与えておいてよくもお父様たちはのうのうと生きていらっしゃるわね」と責めるので仕方なく東宮大夫の首をすげ替え、子飼いの「官犬大夫」(かんけん大夫)を置く事にした。

「官犬大夫」(かんけん大夫)は長年コンクリート卿に仕えて来た身であり、東宮妃が小さい頃からの知り合いだった。

この者であるならきっと東宮妃も心を開くのではないかと思われたのだ。

「官犬大夫」(かんけん大夫)のお披露目は最初の定例会見で、記者達が何を訪ねても要領の得ないお役所言葉で返し、しまいには「本日はお日柄がいい」などと言ったものだから、この話題で暫くは東宮御所の女官達は退屈しなかった程だ。

東宮妃は東宮妃なりに女一宮の教育には一生懸命だった。

ただ、もし何か間違いがあったとすればそれは周囲の意見に耳を貸さなかった事。

何もかも自分一人で決めて実行するのはおふくだ。

東宮妃には、女一宮と一緒に公園デビューに失敗した苦い経験があった。

侍医たちに「女一宮さまのご様子が少しおかしいと思うので経過観察を」と言われた時、他の子と何がどう違うのかわからなかった妃は、それを「皇室という特殊な環境」のせいにした。

だから庶民の子達と一緒に公園で遊べばすぐに「普通」になるだろうと思ったのだ。しかし、それはすぐにマスコミに見つかってしまい、大騒ぎになって挫折するしかなく・・・

それからというもの、妃は子供の早期教育にいいと言われるものは何でも試すことにした。

週に一度のリトミック、子供達が集まる場所へのお出かけ、英語を教える、楽器に触れさせる、それこそありとあらゆるものを詰め込もうとした。

けれど女一宮はそのどれにも拒絶反応を示す。

女一宮が好きなものは自分の部屋でお気に入りのおもちゃと一緒にいる事だけだった。

妃が悲しかったのはこの問題について東宮があまり大事に考えていなかったこと、そして皇后が「教育を施せば治る」と信じていることだった。

実際、女一宮を自分の部屋から連れ出すのも難儀で御所で参内するのもなかなか難しい。

最初は大目に見ていた皇后も次第に「専門家に見せるように」という始末で。そんな風に言われると自分の能力を否定されたと思い込む妃は一層女一宮にかかりきりになる。

后の宮はお若い頃から心身に問題がある人達へ心を寄せていらした。

今こそそのつてをたどって女一宮に専門教育を施せると思っていらっしゃる。

でもせっかくの御心使いを東宮妃はきっぱりと断ってしまった。

不遜ながら東宮妃は后の宮の学歴を信じていないのだった。

自分の方が賢い、だから自分の方が教育がうまい。

そうは言っても実際に動くのはおふくであって、東宮妃ではない。

 

そらもう笑うたえ」相変わらず女官部屋ではお茶を飲み飲み、会話が弾んでいるようである。

どなたさんのことや?

決まってるやないの。東宮さんや。東宮さん」

ああ、お誕生日のお言葉かあ」

そうや、いくら盛るいうてもあそこまで盛りはったら笑い者や。皇后さんが大昔、東宮さんの為に作った憲法どころのさわぎではないのや」

<正直私もかないません>」と若い女官が東宮の真似をして、回りは大笑いになった。

女一宮さんが普通のお子とは違う。目の前にあるものを片っ端から覚えて繰り返す。それも能力や。そやけど4歳のお子が天才やなんて、それを自慢げに語るやなんて恥ずかしくないのやろか」

毎日、女一宮さんは菜園にお運びになって水やりをしなさる?聞いたことないなあ。そんなことより朝から晩までちゃんと時間通りお運びせな、幼稚園に入ってから苦労なさるえ」

 

そんな話が女官部屋で咲いている事は東宮妃はとっくに知っていた。けれど自分がやっている事は絶対に間違いがないと信じている。

今、女一宮の「伝説」を流さずしていつ流すのか。これからもずっと優秀な子でなくてはいけない。なぜなら女一宮は私の娘なのだから。

リトミックに通わせても、庶民の子に触れさせても女一宮は変わることはなかった。むしろ、世間の子がいかに表情豊かに母に甘えたり、言葉を発したりするかを再確認させられるばかり。もし、「紀宮」(きのみや)が産む子が男の子だったら・・・そうなったら女一宮はどうなるのだろう?

春から通う幼稚園のひな祭りに連れて行っても女一宮は面白そうな顔をするでもなく、他の子とはしゃぐでもなく、ただ怯えたような目で見るだけだった。時折探すのはおふくの姿ばかり。

だったらとばかり、国で一番の遊園地を訪問し、いかに自分達が特別待遇を受けているか見せてやろうとした。誰もが憧れる遊園地。誰もが来ることが出来るわけではない遊園地。

ほぼ貸し切りのようにして、次々アトラクションに乗せてみた。でも、結果的に女一宮は表情を変えることなく、小さく縮こまってゴミのようなものを拾うのに夢中になるだけだった。

やがて幼稚園の入園式の日取りもわかり、色々と準備するものも増えてくると、そういうものはすべておふくと女官達に任せて、部屋にひきこもるようになった。

あの・・お妃さん、二宮さまのところからお伺いをたてて来たのですが

ドアの向こうから女官の細い声が聞こえてくる。

何よ」

はい。お上のご成婚記念日のお料理の打ち合わせをしたいと「紀宮」(きのみや)さまが」

ったく・・・「紀宮」(きのみや)は懐妊したというのに公務の予定をキャンセルしない。変に丈夫で困る。

2月の東宮の誕生日食事会はドタキャンしてくれたけど、それもこちらへの気遣いとか・・いい子ぶって本当に頭にくる。

いつも口角を上げているのは、あちらの家訓「オールウェイズスマイル」らしいけど、いつも笑っているなんて気持ち悪いじゃない。腹の底では何を考えているかわからない。今回の懐妊のように突然直球を投げてくるような事をするのだから。

こんな時にお上の成婚記念日?そんなもの祝う余裕がどこにあるのよ。

東宮妃はいきなり立ち上がるとドアを開け、びっくりする女官に言った。

翌日が幼稚園の入園式だって知ってる?普通、それを知っていたら前の日にあれこれやれって言わないんじゃないの?」

最初、女官は何を言われているのかわからずぽかんとしていたが

だから・・」と妃が言ったところで

「は・・はい!ではお断りを」

と、逃げるように去って行った。

今の東宮妃に、自分の軽はずみな発言がどのような波紋を広げるかなど考えも及ばないのだった。

 

 

 

 

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新章 天皇の母 8

2020-02-07 07:00:00 | 新章 天皇の母

東宮御所には沢山の女官や侍従が詰めている。

およそ50人とも60人ともいえるが、その長に立つのが東宮侍従長と東宮女官長。

お妃さんは好き勝手出来てええなあ。毎日おするするさんでお元気さんで何よりや」

古参の女官らからは陰でこんな風に言われているのを果たして東宮妃は知っているのか。

何でも病気のせいにしてはって。うちかて毎日嫌になる時もある。それでも宮中のお勤めや思うて通ってきてんのになあ。何様のつもりや。3代前まで遡れんくせに

と言い出したのは、さる旧華族の出の女官。

そこはそれ、お妃さんやから。お妃さんは何よりもお強いのや」

東宮さんよりお強いお妃さんなんて聞いたことあらへん」

お茶の時間になるとみな口々に言い出す。それというのも東宮妃が病気療養中の看板をかかげてお務めをしなくなってから女官達はすっかり暇になってしまったからだ。

宮中といえば時間をきっちり守り、その通りに動いていると誰もが思っているけれど、この東宮御所では何もかもお妃の気分次第。

朝はいつになっても起きてこない。それは女一宮も同じで食堂ではいつも東宮が一人、テレビを見ながら朝食を食べる。お妃がいいというまで部屋に入ることは許されないので、掃除もままならず。気分がいい時には「お務めに出るから服を用意して」と命令され、この所は「冷蔵庫」と呼ばれる白い服ばかり着る。

女官が気を利かせて「たまには違う色のを」と言えば怒りだし「意味がわからない」と怒鳴る有様である。

いっつもいっつも白ばっかり着はって。だから冷蔵庫なんてあだながつくのや

あら、ひところは「裕次郎」って呼ばれてましたんえ」

なんで?」

縦じまのパンツスーツばかり着はるから」

ははは・・・と女官達は笑い出した所に、「失礼します」と入って来たのは歳の頃は40がらみ。すると、女官達は一斉に立ちあがった。

これはお福さん、出仕のあんたさんが何で女官部屋になんか」

女一宮様のお目覚めですので」

「おふく」と呼ばれた女性は表情を変えずに横切って行く。

姫宮様はパンをおあがりになりたいとおっしゃっているので大膳に連絡を

おふくは無表情のまま、そう言った。

おふくは、最近、東宮家の「出仕」として雇われた女性だった。何でも東宮妃が出た女学校と同じ出身ということで全幅の信頼を得て、女一宮付きになると朝から晩までずっとつきっきりで世話をしている。

「おふくさん、朝はせめて8時にはお起こしせんと。今、何時や思うてますのえ?」

「10時です」

「もうすぐ幼稚園に通う宮さんが朝の10時に起きるやなんて、躾がなってない言われます」

そうはおっしゃっても女官長さん。東宮妃がそれでいいとおっしゃっているんですから」

「・・・大膳にはご自分で連絡したらええわ」

女官長はふんと言って、みな部屋から出た。

おふくはいつものことと思い、大膳にパン食を用意するように連絡した。

電話の向こうでは「朝ごはんなんですよね?昼じゃなく?」とか「決められたものをちゃんとお召し上がりにならないとお体に毒ですけど」と文句を言われたが全然構わなかった。

女一宮は自分の思いが通らないとすぐにひっくり返ってわめくし、泣くし、そうなったら手がつけられない。でもそれは宮が悪いのではない。これは病気なのだ。

おふくはそう思って割り切っている。

おふくは自分の身分が女官ではない事をよくしっている。

「出仕」は女官より下の地位だ。いわゆる「養育係」にしか過ぎない。

けれど、東宮妃はおふくが来ると肩の荷が下りたように女一宮を預けっぱなしにし、その見返りとして規定の給料以上に収入を得ていた。

「絶対に女一宮のことを口外しないこと」という口止め料も入っていたのだが。

実際に女一宮に接してみると、予想以上に手ごわい宮でいつも思いは一方通行。

それでも時間が経つにつれて「なついて」いるのはわかっている。自分が一緒の時はぐずらないようになった。

それはおふくだけがわかる「あうん」の呼吸だったのだ。

 

大膳からトーストが届くと早速女一宮の部屋へ向かう。

どうやら今日は食堂へ行くのが嫌らしい。

「宮様、入りますよ」

お福は食事の皿を持って女一宮の部屋に入った。

女官達によってなんとか洗面と着替えを終えた宮はベッドの中に潜り込んでいた。

そう、宮はベッドの中や狭い箪笥の角が好きで、そこへ入ると安心するらしい。

宮の目には自分達大人が、役割を持った人間としてではなく自分に脅威を与えるのかそうでないのか・・という区別しかないような気がする。

そんな宮を幼稚園に通わせるのは至難の業ではないだろうか。

「さあ、テーブルにいらして。私はこっちにいますから」

おふくは食事をテーブルに乗せると、少し離れた場所に移動して座り込んだ。

皿の上には小さい子でも食べられるように薄く切った焼き立てのトースト、ミルクが入ったコップ。それにこの季節ではまだ早いイチゴがのっていた。

女一宮はお腹が空いているようで、ベッドから飛び降りてテーブルにつくと、すぐにトーストを食べ始める。

宮様、ミルクも飲みましょう。トーストばかり食べていると喉につかえます。まあ、美味しそうなイチゴだこと。砂糖をかけましょうか?」

いや」

宮は一言だけ言うと、イチゴを掴んでぽいっと投げた。

宮様。イチゴは投げるものではありませんよ」とおふくは言ったが、床に落ちたイチゴを食べさせるわけにもいかず、仕方なくティッシュに包んで捨てるしかない。

確か、未草君(ひつじぐさの君)がお土産に持ってきてくれたイチゴを投げ捨てた事もあった。

女一宮の中でイチゴは投げるものという固定観念がついているのだ。だったらそれは直しようがないものだろう。

ミルクはお飲みになりますか?」

いや」

コップを口元に持って行くと手で弾かれた。コップは宙に浮いてミルクがこぼれる。もうテーブルも床もべたべた状態になってしまった。

これは掃除係を入れなくちゃいけない・・・とりあえずまたティッシュで付近を綺麗にする。

宮は起きているの?」

ドアの向こうで声がした。これは東宮だ。

はい」おふくは答え、すぐに部屋のドアを開ける。

どういうわけか東宮は女一宮の部屋に入る時はノックをするか、声をかけるだけで自分からドアを開けようとはしない。それはよい育ちだからなのだろうかとおふくは単純に考えていた。

宮、おはよう。今日も元気だね」

東宮様、床がミルクで汚れているのでおすべりになりませんように」

ああ、そうなの?ミルクをこぼしてしまったんだね。お代わりはいらないの?」

はあ・・宮様。お父様ですよ。ご挨拶をしましょう」

しかし、女一宮は全く関心を示そうとせずにひたすらトーストを口に運んでいた。

宮様」

ああいいよいいよ。おふくさん、いつもご苦労だね。女一宮をよろしく頼むよ」

東宮はにっこり笑って、娘に無視されたというのに不機嫌にもならず部屋を出て行った。

シーンとした時間が流れる。おふくと女一宮だけの束の間の静寂だった。

 

一方、女官達はようやく朝が来たとばかりに仕事を始める。もう昼に近かったが東宮妃が起きたので何とか食堂に来て食事をして貰い、その間に掃除をさせて貰わなくてはいけなかった。

東宮は自分の部屋にこもってヴィオラの練習を始める。侍従たちもそちらに薄いウイスキーを運んだり、予定を詰めたりと忙しくなる。

3人家族だが行動は全員ばらばらなのが東宮家の日常だった。

おふくさんはええなあ。女一宮様付きで世話していればいいのやから」

何をいうてるの。うちは嫌やわ。あんな・・・躾の入らない子。そういえば去年、御所で新年の写真撮影があったやないか」

毎年のことや」

そのお写真を撮るのに女一宮さまのせいで何時間もかかりはってるやろ?それで去年の暮れはおふくさんが一緒に御所に上がって、写真を撮る場所にも入らはったんやて」

そんな。だって出仕は入られへん」

お上が大層おつむを曲げて「女一宮は一人で写真も撮れないのか」とおこぼしになったそうや。何でもお妃さんが無理におふくを連れて入ってずっと女一宮様のご機嫌をとっていたって。お上もとうとう諦めて「しょうがないね」とおっしゃったそうや」

大した出仕さんやな」

そうや。お妃さん付きの女官らも偉いお怒りさんやったとか」

「女一宮というお札があれば最強なんや」

そういって女官達は笑い、それぞれの仕事についていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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