ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

新章 天皇の母 7

2020-02-05 07:00:00 | 新章 天皇の母

懐妊がわかってからも「紀宮」(きのみや)の公務はつつがなく続いていた。

出来るだけ普通に過ごす・・・ことが「紀宮」(きのみや)のモットーであり、懐妊したからといって特別な事は何もなかった。

女一宮様の時、東宮妃は健診の度に東宮様をお連れになって。それくらい二宮様もして下さってもよろしゅうございましょう」

と時々亭主関白の二宮をあしざまに侍女が言うのだが、「紀宮」(きのみや)は微笑んで

そんな大事ではないでしょう」と言った。

侍女としては「紀宮」(きのみや)を庇っての発言だったが、さらりと受け流してしまうのが「紀宮」(きのみや)の性格だった。

東宮家は今や夫婦別々の時間が増えているといい、公務も東宮単独であったり夫妻ともキャンセルをする事が頻繁になっていた。

だから、そのつけが二宮の方に回って来たかのごとく、日々忙しいのだ。

二宮も「紀宮」(きのみや)もそれぞれ総裁職についているし、お出ましの前には必ず説明を聞き、予習を行い、さらに知識を深くする為にあらゆる文書を読み込む。

誰かと会う時にはその情報も完璧に頭に入れなくてはならない。

大姫や中姫の時よりは、妊娠初期だというのに体が重く感じるのはやはり年齢のせいなのだろうか。心なしかつわりも長いような気がする。

けれど、だからといって公務を度々休んでは皆に迷惑がかかる。遠出をする以外は出来るだけきちんと役目を果たしたい。これまた「紀宮」(きのみや)の意地だった。

二宮は性格がせっかちで時間に厳しい一面を持っている。だからほんの少しでも遅れるとすぐに怒るのだが、そういう時もギスギスした家庭内の雰囲気を笑いに変える力を持っているのは「紀宮」(きのみや)だけだった。

年頃の大姫はお父様大好きな姫だったけれど、最近は言葉少なになっているし親子でいる時間も短い。それでもちゃんと二宮と一緒に沖縄へ出かけ母の代理としての公務を立派に務めている。

甘えん坊の中姫は毎日宿題に忙殺される日々。でも家族の中では最も情報通であり、時々ドキっとさせられることがある。

大姫も中姫も東宮家の在り方には我慢ならない場面も多々ある。

思春期の乙女らしい正義感から「どうして東宮妃は何時間も遅れても何も言われないの?」

「どうして女一宮は叱られないの?」「どうしておじい様もおばあ様もお母さまたちには厳しいのに伯父様達には優しいの」

そんな疑問をぶつけてくるたびに「あちらはあちらですよ」と言葉をそらして来たのだが、中姫はそれでは納得しないのだ。

先日も、いきなり東宮家が日本一の遊園地を真昼間から貸し切り状態にし、さらに東宮妃の妹家族までお手ふりして遊び倒した事を週刊誌で知った中姫は「ずるい」と言い出す。

週刊誌には、東宮家と東宮妃の妹一家が1時間以上も予定をオーバーして乗り物に乗っていたこと、昼食のレストランは一番人気の場所でしかもいきなり少人数で貸切ってしまったこと。常に真っ先にアトラクションを占拠する為、並んでいる人達がさらに時間を取られたこと。トイレなども使用禁止にされ、子供達がお漏らしをしてしまった事などが多々批判口調で書かれていた。

もし、二宮一家がこんな事をしたら真っ先にお上や皇后に叱られるし、宮内庁がまずそれを許さないだろう。

それなのに東宮家の遊園地貸し切りはあっさりと認めらてしまった。

それも「東宮妃の治療の一環」として。

大姫も中姫も、まだこの超有名な遊園地には行った事がなかった。

両親から人混みには入らない様に注意されていたから。たしか叔母の未草の君もお忍びでこっそりと訪れた程度だった。

「警備の人に迷惑がかかるから」という理由で止めらているのに、東宮家は1000人もの警備員を配置し、車列を連ねて行ったのだ。

大姫も中姫もこの理不尽さには怒りを覚えている。

でもいつも本当の気持ちを心に秘めてしまう大姫は何も言わず、顔色すら変えない。一方で感情が顔にでる中姫は堂々と口に出しては叱られる。

他人をうらやんではいけません」

うらやんでいるのではなく、特別扱いされるのはどうしてって。そうお聞きしているの」

大きな目は疑問符に溢れ、とがらした唇は小鳥のように可愛い。

特別扱いではありません。東宮家と私達では身分が違うのです」

中姫。お母さまを困らせてはいけないわ。お母さまのお体は今、お一人じゃないんですもの」

そうね。私はお姉さまになるんですものね・・・お姉さまってつまんない」

中姫はつんとして自分の部屋にこもってしまう。

「紀宮」(きのみや)はため息をついたがそれ以上は何も言わなかった。

 

どう・・・されましたか」

春の風が吹く頃、健診を受けた「紀宮」(きのみや)はいつになく元気がなく、落ち込んだ雰囲気だったので、侍医は心配してそっと声をかけた。

この侍医は大姫も中姫を取り上げた経験があり、二宮からも「紀宮」(きのみや)からも絶大な信頼を受けていた。

ああ・・いいえ、何も」

やはり、上のお子様方とは違うでしょう?お体が」

そうですね。腰が重いし頭痛もあるし。汗が出たりもいたします。今までなんのきなしに出来た事がつい億劫になって自己嫌悪に陥ります」

それは当然ですよ。大姫方をご出産遊ばされた時はお若かった。いや、お妃さまは今も十分お若いですがね。無理をなさらずお休みになる事が第一ですよ」

「紀宮」(きのみや)は弱弱しく微笑んで「はい」と答えた。

子供を産むという事はやはり大事業なんですね

それはもう。命がけのことです。昔から女性は命がけで命を生み出して来たのですよ」

侍医の言葉にもどこか上の空の「紀宮」(きのみや)

お妃さま。どうかされたのですか。何でもおっしゃってください。体の健康も大事ですがそれ以上に心の健康が大事なのです。何かひっかかることがあるのなら」

いえ・・そういうわけではありません。中姫が少し赤ちゃん返りをしているだけですわ。おかしいでしょう。小学6年生にもなって」

そんな事ございませんよ。まあ、姫様方には突然のことで歓びと同時にお母さまをとられるというような感情もお持ちになるのでしょう」

そうですね」

「紀宮」(きのみや)はふふっと笑った。

 

東宮に対する姫達の不信感もさることながら、見るつもりもない週刊誌の見出しが「紀宮」(きのみや)の心を傷つけていた。

そこまでして男の子が欲しいか」というタイトルだった。

東宮妃のことを思うとお可哀想で。やっぱり「紀宮」(きのみや)様の事は喜べません」

「女は男子を産むべきなの?そうじゃないと女じゃないわけ?時代錯誤」

「女一宮だっていいじゃない。何で今更・・・」

「紀宮」(きのみや)様って野心家なんじゃないの?東宮妃を否定する」

どうして急にこんな記事が出始めたのだろうか。

世の中の女性がみな女の子を産むか男の子を産むかで悩んでいるのか?

「紀宮」(きのみや)は大姫の時も中姫の時もお祝いこそ言われても、その存在を否定されたことはなかった。

今回の懐妊は、元々3番目が欲しいと思っていた所で、東宮大夫の「第3子を」発言によりお上からお許しが出た事だった。本音を言えばもっと早く産みたいと思っていた。

二宮も「紀宮」(きのみや)も子供は大好きだし、何人いても楽しいと思っていた。

それなのに中姫が生まれてからは「東宮妃より先に懐妊すると傷つくのは「紀宮」(きのみや)、あなたよ」

「もし二宮家に先に男子が生まれてごらんなさい。東宮家に生まれる親王より年上になってしまうでしょう。そしたらどちらも苦労する」

皇后の言葉によって、自然と3人目を諦めざるを得ないと思っていたのだ。

勿論、皇統についての二宮の心配の仕方は傍目にもわかる程だった。

2000年以上も男系で繋いで来た皇統が女一宮を立てることで大きくゆがめられてしまうのではないかとの危惧は常に付きまとっていた。

そもそも総理大臣は女帝と女系の違いすらわからず、「長子優先」などと言い出す始末。

実際の女一宮を見ることなく、次から次へと「皇統」に対する法が整備されて行きそうな雰囲気は恐怖でしかなかったのだ。

東宮は女一宮の状態を隠そうとして「英語が話せる、作曲も出来る、何でも出来る」と自慢ばかりするけれど、「天皇」という地位が果たして女一宮の幸せになるのかどうかは一切考えていない。

皇族に私なしの考えが吹き飛ぶ程、勝手気ままを始めた東宮妃には危機感ばかりが募る。

もし、3番目を産む事が出来れば、それが皇子でも姫でも二宮にとって心の癒しとなる筈だった。

それなのに・・・・どうしてこんな心無い記事を書くのか。

 

「紀宮」(きのみや)は微笑みつつも心は十分に傷つけられていた。

でも実はそれはほんの序の口だったのである。

 

 

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新章 天皇の母  6

2020-02-03 07:00:00 | 新章 天皇の母

東宮御所は揺れていた。

それは東宮が外国へ出かける時の一言から始まっていた。

東宮妃のキャリアや人格を否定する動きがあったことは確かです」

そこにいた誰もが東宮の一言に驚き、あわてふためき、そしてすぐに真相を突き止めようとしたのだ。

しかし、東宮はそれ以上は言わなかった。なぜなら、それ以上の語彙を持ち合わせてはいなかったから。

この発言がなされた時、東宮妃の精神状態は最悪であった。

人間であればだれでも40を超えれば自分の人生を振り返る時間が出来る。

今までの生き方は正しかったのかどうか、もっと他にやりようがあったのではないか、どうして今、自分はここにいるのだろうと・・いやでもあれこれ考えてしまう。

元々。皇室という世界は無縁であり、親にすら叱られた経験のない妃が皇后と頂点とするピラミッド型の身分制度に慣れる筈がなく、常に「自分が一番」と教え、育てられて来たのに、頭を下げる相手がいるという事が不思議だった。

東宮様はお妃さまより上でございます」

「東宮様より長くお話になりませんように」

「両陛下には礼を尽くさなければなりません」

「皇后陛下の教えはきちんと受け止め、精進して頂かなくては

そんな口うるさい側近を一掃し、ある程度のわがままは夫も、そして舅姑も黙って見逃すという事を知ってからは、気に入らない事は全てキャンセルして来た。

それでもあちらさんは「世継ぎ」を産んで欲しいから下手に出ることはわかっていたし、「世継ぎを求められるのはプレッシャー」と言っておけば世の中のフェミニスト達が大喜びで賛同してくれる。

アメリカの最高峰大学を出た才媛でキャリアウーマンには「子供を産む」事など必要ない。そんなものは、それしか能のない人間がやればいよいと思っていたのだ。

そうは言っても、子供なんかいつでも産めると思っていたのに、まさか自分が「たかが懐妊」すらできないとは。その事に大きく妃は傷ついた。

東宮御所内で噂される「お妃さんはもしかして石女やろか」「いや、殿下の方にも原因があるやも」「そもそもやることやってはるのか」とかまびすしい事と言ったら。

いつまでもよそよそしいお妃さんや」と侍従からも女官からも思われている事はしっていた。東宮妃は誰かと会話するより部屋に引きこもっている方がすっと好きだったから。

やっと懐妊したと思ったら女一宮だった。

侍従の「次はきっと親王様を授かるでしょう」の一言で侮辱されたと思った妃は二度と出産などしないと心に誓った。

父君のコンクリート卿は怒りをあらわにして「男子が生まれるはずであったに」と叫び、妃の出産に関わった医師に濡れ衣を着せて医学界から追放してしまった。

残る手立ては女一宮に皇位継承権を与えること。

妃の父君の提案には東宮も喜び「ぜひお願いいたします」と頭を下げた。

さらにコンクリート卿は東宮に「水の総裁」という地位を与え、ライフワークとし、一年に一度の晴れ舞台を用意した。

全て娘と孫娘の為だった。「今道長」と揶揄されるコンクリート卿の東宮を操る力は強く、誰もそれにあらがえない。

いつの間にか東宮御所の職員達はコンクリート卿の子飼いで一杯になり、より妃の発言権が強まっていったのだった。

しかし、皇祖神は東宮家に大きな試練を与えた。

それは女一宮が大層「ごゆっくりさん」でお育ちになっている事だった。

子供を育てる事は育児書通りにいかない事は百も承知であったが、女一宮は離乳食に入るのも非常に遅ければ、最初の一歩を出すまでもかなり遅かった。

女一宮様はブランド病の疑いがございますので、今後、装具や矯正靴を使った方がよろしいでしょう」

東宮侍医は厳かに言葉を進める。

また、女一宮様におかれましては自閉症の疑いがあります

自閉症・・・?」

東宮がびっくりした顔で妃を見た。

どうしてそんな事がわかるの?」

両殿下は女一宮様様と目を合わせたことがございますか」

言われて東宮も東宮妃も考え込む。

生後数か月までは夜泣きも多く、ミルクもよく飲まない子ではあったが、機嫌のよい時にはよく笑い、色々なものに興味を持っているように見えた。

けれど、1歳半を過ぎる頃にはすっかり表情をなくし、回りの声が聞こえているのかいないのかわからない程に自分勝手な行動をするようになっている。おまけにいつになっても歩き出さない。

また、女一宮様におかれは言葉の教室に行かれる必要があります」

1歳半児健診において「発語」は重要な指針である。この時まで一言が出ていなければ言語の発達状態をよく観察し、いわゆる「障害」の有無を考えなくてはならないのだ。

はっきり言ってしまえば、女一宮は一般的な子供の発育よりかなり遅れているのだ。

今後、御療育という形で何が最善策なのか考えていきましょう

侍医は努めて明るく、そんなに大事ではないという風に言ったつもりだったが、東宮妃は

私の子供が遅れているなんて嘘よ。もしそうならそれは私のせいじゃないわ。天皇家の血筋のせいよ。つまりあなたのせいよ」と東宮を指さしたのだ。

東宮に指をさすなんてと侍医も回りの女官たちもぎょっとしたが、指を刺された方の東宮は怒るでもなく「そうかもしれない」と肯定してしまった。

父宮の姉妹にもそういう方はおありになるし、別に珍しい事ではないみたいだよ。それに内親王なんだから療育をきちんと送ればつつがなく生活を送れるのでは」

ええ、勿論ですとも。今は医学が発達しておりますので、こういうお子様へのアプローチも段々進化していきますし」

「だったら治して頂戴。女一宮は将来天皇になる子なのよ。成績が悪くては困るの。誰よりも出来がよくなくちゃ困るの」

東宮妃は無茶をいい、さすがに東宮にたしなめられたが、その事がかえって妃の心に傷となって現れ、毎日がとても辛く、自分一人で何もかも背負ってしまったような感じがした。

背の君はあのようにのんびりで、大事とは考えていない。

確かに東宮の叔母君には女一宮と同じような方がいらしたが、人前に出る事もなくすぐに降嫁遊ばされ、先帝の崩御のみぎりにもほとんどマスコミに出ることはなかった。

ただの姫ならそれですむ。けれど女一宮は女帝にならなくてはいけないのだ。

そうでなければ、自分がこんなに苦労して屈辱に耐えて来たことが全部無駄になるではないか。

無駄・・・あの時、父君の言う事を聞いていなかったら、今もキャリアウーマンとしての華を咲かせることが出来たのではないか?

入内して以来、自分が認められる日など一度もなかった。一挙手一投足に文句をつけてきた帝と后の宮。学歴もないくせに偉そうにと思うことで心が晴れることはあったが、それでも壁を突き破ることが出来ない。

とうとう東宮妃は、まるで逃げ出すようにコンクリート卿がお持ちになっている別荘へ駈け込んでしまった。

しかも女一宮を連れて。

これには皇室が大揺れに揺れた。

お上の許しを得ずに実家の別荘へ駈け込む東宮妃など今まで存在したためしがないからだ。

東宮は慌てて参内し「あの・・妃は少し元気をなくしておりまして」としどろもどろの報告をしたが、お上は許さず

ではなぜ那須や葉山の御用邸に向かわぬ?なぜコンクリート卿の別荘なのか」と畳みかける。

それはやっぱり周りに女官や侍従がいない方がいいということで

それでも東宮妃といえようか!一体、入内して何年経っていると思うのか」

でもおもうさま。妃はここでは安泰に生活出来ないのです。わかって頂きたく

お上は頭を抱え込み、病が悪化すると言われそれ以上の報告はなしになった。

東宮は数日後には車列を連ねて、妃と女一宮のいる別荘へ向かったが、別荘はとても小さく家族で手一杯。女官たちも別枠で宿泊しており、当然東宮の寝所もない。

しかたないので東宮は近くのホテルに宿をとり、毎日別荘へ通ったのだが、それこそがまた前代未聞と大顰蹙をかってしまった。

しかし東宮妃は一向にお構いなしであった。

この別荘は白樺やブナの木に覆われ、小さい頃によく来た事があったし、何より母君が一緒にいてくれたので心強く、いくら東宮が迎えに来たからといってそう簡単に帰る気にはならなかった。

私や女一宮に会いたいならこちらへいらしたら」と言えば、側の母君も

「その通り。東宮様。我が娘をこのような状態したのは皇室なのですよ。東宮様が皇室をお変えにならなくては娘は安心して暮らすことが出来ませんし、私達も手放したくありません」

と言い切った。

東宮には公務が多々あり、まさか妃や皇女の為にそれをとりやめる勇気はなく、仕方なく数日後には都へ帰った。

御所ではその後、東宮妃はどうなのか、体調はいいのか悪いのか、女一宮はどうしていると矢の催促でお上がお尋ねになる。

マスコミも動き出し、前代未聞の静養にみな批判的だった。

おたあさま。私はどうしたらいいのでしょう?妃と別れるべきですか?」

とうとう東宮は涙目で皇后に訴えられた。

そしてその言葉こそ、東宮妃が求めていたものだった。

こんな状態になってまで皇室にはいたくたい。実家に帰りたい。

たとえ女一宮を置いていけと言われても構わない。もう一度人生をやり直したい。

東宮の弱音に喜んだのは東宮妃だけでなく宮内庁もだった。

とにかく入内してからというもの、振り回されっぱなしの宮内庁としては離婚になってくれれば万々歳。東宮には新しいお妃をめとって頂ければよい。早速準備を。

と、していた所にストップをかけたのはコンクリート卿だった。

いつもは娘に甘い卿だったが、この時ばかりは厳しいお顔で

皇室の中で自分の居場所を見つけるがよい」と言ったのだった。

せっかくここまで頑張って来たのだ。もうすぐ頂点が来る。お前が皇后になりさえすれば皇室典範の改正など簡単なこと。女一宮の病も隠せる。いや、隠しおおせてみせる」

 

そして御所では皇后もまた歯止めをかけていた。

女一宮の将来を思えば、別れるという選択肢はないのでは?女一宮は皇室にとって大事な姫ですよ。あなた達にとっても。立派に育てさえしたら女一宮はきっとあなた達に幸いをもたらすでしょう」

東宮妃の一か八かの賭けは負けに終わってしまったのだった。

 

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新章 天皇の母  5

2020-02-01 07:00:00 | 新章 天皇の母

歌会始め 二宮の歌

人々が笑みを湛えて見送りしこふのとり今空に羽ばたく」

「紀宮」(きのみや)の歌

飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる」

今思えば、夫婦で同時に「こうのとり」を詠むなど思わせぶりな事だった・・・・

あの時から考えていたのだろうか。

懐妊を知りました時は驚きました。けれど、お腹の子がどんなお顔をしているのか、どんな風に私達家族を喜ばせてくれるのかしら。どんなお洋服を着せようか、などと先走った思いが募りまして。それで僅かな不安は消え去ったのでございます」

「紀宮」(きのみや)は皇后の「不安はないの?」という問いにきっぱりとそう答えていた。

その答えに皇后は恐れおののき、ご自分はそんな素直な気持ちで出産に臨んだことがあったろうかと反芻してごらんになった。

皇后は民間初の東宮妃として入内。

皇室のしきたりもわからず、戸惑うことが多かったが何より我慢がならなかったのは、ご自分と皇族方の価値観が全く正反対であることだった。

商家の出とはいえ、社長令嬢で女子大出の才媛、稀にみる美しさをお持ちだった皇后は、自分が賢い事はご存知だったし、その美に対する誇りもあった。

臣籍降下した旧皇族や旧華族などに比べても裕福にお育ちになった皇后は、当時としては珍しい西洋館で生活をされていた。皇族方や華族方は広いお屋敷から追い出され散々な目にあっていたその時代、まるで西洋人形のような暮らしぶりは先帝や妃の宮(きさいのみや)の目にはどう映ったろうか。

時の東宮の目に止まるのは当たり前の事。この世の最高の女性を手に入れる権利があるのは東宮のみ。そんな意識があった時代だ。

学歴・教養・美貌の全てをお持ちだった東宮妃は国民から絶大な人気を得て、ファッショナブルな装いは憧れの的になった。

東宮妃にとって最大の仕事である「世継ぎ」の出産もすぐに達成され、優等生ぶりを発揮されたお妃だったが、うすうすとご自分にはないものを妃の宮(きさいの宮)や他の皇族方が持っている事に気づいてしまった。

特に先帝の二宮の妃は旧華族出身で、入内の儀式の華やかさこそ東宮のそれに及ばなかったけれど、十二単もドレスもティアラも、伝統ある素晴らしいものをお持ちだった。

東宮妃の御実家は裕福だったけれど「皇族や華族」として生きた歴史がなく、装束や装飾品についてはいわゆる「成金」趣味と思われているのではないかといつも不安だった。

けれどその不安を払しょくしてくれたのが皇孫の一宮であり二宮であり未草君(ひつじぐさの君)だった。

子供達の存在は皇后にとってご自分の立場を証明するものという意識がいつも付きまとっている。子供のない先帝の二宮や、先帝の弟君達に比べ、早々に皇位継承者を産んだことが唯一の自己満足でいらしたのだ。

なのに、今、「紀宮」(きのみや)は屈託もなく「どんなお顔をしているのか・・」と穏やかに微笑みながら言うのだ。

もしかしたら・・・と皇后は思われた。

このおっとりした「紀宮」(きのみや)は軽く自然に私を超えてしまうのかもしれない」と。

まさか

皇后は心の中で否定なさる。

この私が「紀宮」(きのみや)に恐れを抱くなどありえない」

心の中がざわめき立つ。

 

二宮と「紀宮」(きのみや)が同時に「こうのとり」を詠んだ日。

東宮妃は「体調がすぐれない為」と歌会始めに出てこなかった。

それなのに歌会始めのまさにその最中、皇居で乗馬を楽しんでいたのだ。

「治療の一環」だとして。

東宮妃のそのような振舞も皇后にとって胸の痛くなることだった。

東宮も妻の行いに翻弄されるばかりで、可哀想で仕方ない。それでも東宮が自ら選び、女一宮を得て少しでも家族としての形を保とうとする姿は守ってやらねばと思われる。

同じことを「紀宮」(きのみや)がやったらならどれ程怒り、徹底的に貶めていたろう。

でも東宮妃にはそれが出来ない。

なぜなら、心の奥底で皇后と東宮妃は同じ闇を持っているから。

そして「敵の敵は味方」という例えの通り、「「紀宮」(きのみや)」を挟んで皇后と東宮妃は利害関係で一致していたのだった。

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新章 天皇の母  4

2020-01-29 07:00:00 | 新章 天皇の母

「紀宮」(きのみや)にも意地はあった。

清貧の学者の家に生まれ浮世離れした生活を送って来た「紀宮」(きのみや)は世の中の「損得」や「利害関係」「根回し」などを知らずに「愛」のみで二宮に嫁いだ。

だから、初めて東宮妃を見た時、その立ち居振る舞いや言葉に衝撃を受け、どのように対処したらよいかわからなかった。

東宮妃は「将来は女性総理大臣」との覚えもある程の才媛と言われていた。

6年もの間、東宮からの求婚を断り続け、それなのになぜかまた会い・・を繰り返し、いつの間にか外国からの報道で「東宮妃」に内定した。

それから、宮中はがらりと変わってしまった。

何がって、いうなれば上が下に、日が西から昇るような、今まで経験した事のない経験をするハメになってしまったのだ。

「紀宮」(きのみや)が小さい頃から教えられ、自ら学んで来たことをことごとく否定され、感情的な東宮妃の言葉が全て正しいとされた。

なぜ義母(はは)宮はあのように東宮妃をお庇いになるのかしら」

最初にそう思ったのは大宮様が崩御された時、東宮妃が「風邪のようなもの」で葬儀に出席しなかった時。

冠婚葬祭というのはどんな国の王族でも出席は義務だし、もしそれを破ればきついお咎めがある筈なのに、東宮妃は責められることはなかった。

理由はわかっていた。

あの時は「紀宮」(きのみや)もその場にいたのだから。

大宮は60年以上も先帝に仕えた皇族出身のお方。今上の母上であるから、その葬儀の手はずを整える為に皇后は奔走していたのだ。

どんな小さなことも目ざとくご注意になる皇后さまには「紀宮」(きのみや)始め、他の女性皇族方もみな緊張していた。

ある小さな事で皇后が「そこは・・・」と東宮妃におっしゃった途端、東宮妃は顔色を変えて「えっ」と小さくおっしゃった。

別に皇后は叱ったわけではない。「ご注意」あるいは「お口添え」をなさっただけだったが、何がお気に召さなかったのか東宮妃は真っ青になってがたがた震え始めたのだった。

皇后も「紀宮」(きのみや)も驚いて「どうなさいましたの」と声をかける。

すると、東宮妃は恐ろしい目で「紀宮」(きのみや)を睨みつけると「あなたとは違うの」とおっしゃるなり部屋を飛び出して行かれたのだった。

「紀宮」(きのみや)は一瞬、何を言われたのか分からず、回りを見たけれどみな黙っている。

一体、何が「あなたとは違う」のかしら。どうしたらいいのかしら。追いかけるべきなのかしら。

「紀宮」(きのみや)が困っていると、皇后は「困った事ね」とおっしゃり、何事もないように打ち合わせをお進めになる。先帝の二宮妃も、他の宮妃方もみな一斉にしらけたお顔をされていた。

そして葬儀の日、東宮妃は「風邪のようなもの」で欠席したのだった。

表の役人達は懸命に「欠席」の理由を「風邪のようなもの」から「夏バテのようなもの」としたり、「体調が・・・」と言葉を濁したり必死にとりつくろったけれど、その違和感はずっと「紀宮」(きのみや)の心に残っていた。

それでも、東宮妃は東宮妃。身分の上下が全ての宮中では下の者が上に忠告する事など出来ない。だから勿論、あの時なぜ東宮妃が「あなたとは違うの」とおっしゃったのかわからない。今も・・・

どんな時も、二宮の妃として「紀宮」(きのみや)は二人の姫を育て、公務に励み、ライフワークの学問に勤しんでいればそれで幸せだった。

しかし、決定的な出来事は起こってしまった。

それは昨年の冬。

今上の女一宮がご降嫁なされ、めでたい日の次の月に天長節がやって来た。

その日は一日中儀式三昧で、「紀宮」(きのみや)も二宮と共に参内し、祝賀を述べ、さらに一般参賀にも参加。

大姫と中姫は夕方、宮中に古くから伝わるしきたり通りの「御地赤」と呼ばれる着物を着せて参内させた。

丁度、4歳の女一宮も可愛いドレスを着て参内し、お上にお祝いを申し上げる筈だった。

歳の順で大姫が一歩、お上の元に出た時、突如、女一宮が

あれ!あれ!」とおっしゃった。東宮妃が懸命に止めるのを振り切って大姫に近づくと、御地赤の袖を引っ張る。

大姫も中姫もびっくりして「ダメよ。今はダメ」といい、必死に袖を引きはがそうとする。

しかし、無理に離されると女一宮はより一層「あれ!」と叫びだし、今度は中姫の裾を引っ張ろうとしがみつくのであった。

もう大騒ぎであった。東宮と東宮妃は「いい子だから」となだめすかそうとし、女官や侍従も巻き込んで「ご挨拶を先にいたしましょう」と言い聞かせる。

しかし、女一宮はまるでほんの赤子のように泣き叫び、柔らかな絨毯の上にひっくり返って泣きわめき始めた。

皇后は少しぞっとしたように「どうしたのでしょう」とおっしゃったが、東宮妃にはそれが詰問のように聞こえたらしく、「だって・・大姫や中姫が綺麗な着物を着てくるからだわ」と言い返しなさった。

名前を出された大姫や中姫は頬を赤くしてご両親の方へ逃げようとする。二宮は娘たちを自分の方に引き寄せ、「お早く女一宮をあちらへ」と言った。

お上も少し不愉快な顔をされて「どんな理由があってもこのように取り乱すとは」とお怒りをあらわになさる。

すると東宮妃はさらに興奮して「女一宮はその赤い着物に触りたかっただけなのに、何で触らせてくれないの。それでも年上なの?大姫、中姫、小さな子を泣かせて罪悪感ないの」と責め立てた。

東宮はおろおろとひっくり返って泣いている女一宮を抱き上げ、女官に控えの間に連れていかせようとした。

「紀宮」(きのみや)は思わず、「それは言いがかりです・・」と言いかけたのだが、その前に皇后が「本日の子供達の服装について打ち合わせをしなかったのですか。お伺いは立てたの?」と「紀宮」(きのみや)を見つめておっしゃった。

はい。あの、てっきり女一宮様も御地赤をお召しになると思い

陛下、子供達の服までは揃える必要がないでしょう。私達はしきたり通りにしているだけです」と二宮は「紀宮」(きのみや)の前にお出になったが、皇后は首を横に振られた。

でも現実に女一宮は悲しんで泣いているのよ。自分より綺麗な着物を着ている大姫たちをみて」

こんな小さな子に着物なんて着せられるはずないわ。なのに、思わせぶりに派手な赤い着物を着て私の子を刺激するなんて。なんて恐ろしいの」

東宮妃は大姫たちにつかみかからんばかりになったので、「紀宮」(きのみや)は思わず膝を折った。

申し訳ありません。私達の配慮が足りませんでした」

場はシーンとなってしまった。

東宮は「もういいじゃないか。「紀宮」(きのみや)も悪かったと言っているのだし」ととりなしにかかる。

ひどいわ。小さな子が泣いて暴れているからって陛下に叱られるなんて。こんなの、普通じゃない。子供なのよ。大姫や中姫のような大きな子じゃないのよ

と今度は東宮妃が泣き出し、どしどしと東宮の御胸を叩く。お上も言葉を失い皇后をご覧になり、「もう挨拶の儀は終わりにしよう」とおっしゃった。

東宮家、二宮家の「お祝い御膳」の時間が迫っていたのだ。

侍従はほっとしてお上を、控えの間にお連れする。

その後ろを皇后も黙ってついて行かれた。振り返りもせず。

 

女官長が「お祝い御膳のお時間です。お子様方はそれぞれお帰りに」

というと、大姫も中姫も不安そうな顔をしご両親を窺う。

母宮がご自分達を庇って謝られたのだと思うと、大姫達は涙が出そうになったがそれをじっとこらえて「ごきげんよう。伯父上様。伯母上様」といい、部屋を出て行った。

女一宮は帰ろうとする姫宮達を追いかけようと起き上がったが、それをぐいっと東宮妃に抱き上げられ「私は一旦東宮御所に帰ります」と言った。

でも、これからお祝い御膳だし。教育係に任せたら」と東宮は言ったが、妃は聞いていなかった。

私、この子と戻ります」と言うなり、さっさと部屋を出て行ってしまったのだ。

じゃあ、待っているからね」と妃の後ろ姿に東宮は声をかけたが一切無視だった。

 

気まずい空気を察した女官長は「ささ、食堂へ」と促した。

すでに降嫁されたお上の女一宮、未草の君(ひつじぐさの君)がご夫君とおいでになっていたがただならぬ雰囲気に「どうなさったの?」と兄宮や「紀宮」(きのみや)に尋ねる。

でも皆、すでに疲れ切っていた。

食堂にお上と皇后が入られ、東宮と二宮、「紀宮」(きのみや)、未草の君と御夫君が席に着いたが、東宮妃は現れない。

先に始めましょう」と明るく東宮は言ったが、皇后は「それでは東宮妃が可哀想ではありませんか」とお止めになった。

東宮御所に連絡をして、急いでこちらに来るように言いなさい」と侍従にお命じになり、言われた侍従は走って連絡を取りに行ったのだが、中々帰って来ない。お祝い御膳が始まる時間からすでに30分以上も経ち、その間、二宮も「紀宮」(きのみや)も黙っている。

皇后陛下。お上をお待たせするのはどうかと思いますわ」と未草君(ひつじぐさの君)が意見すると、皇后は微笑まれ「その通り。でも東宮妃が戻って来た時に私達が先に食べ始めていたら気まずい思いをするでしょう」

東宮妃はお具合でも悪くなさったの?

そうではないけど、女一宮の調子が悪くてね。お上、お待たせして申し訳ありませんわ。でもここはもう少し」

もう少し・・・もう少しと言いながら1時間が過ぎる。

東宮もばつが悪いのか、必死に話題を提供し、一人で二宮や未草君(ひつじぐさの君)の御夫君に話しかける。

東宮妃殿下は、女一宮様を寝かしつけてから参られます」

「東宮妃殿下は女一宮様をお風呂に入れていらっしゃるとかで・・・」

そんなよしなしことを報告されつつ、皆のイライラも募りそうな時、突如、皇后が立ち上がられた。

私、東宮妃が来るまで玄関で待ちましょう」

(え?)未草君(ひつじぐさの君)も「紀宮」(きのみや)もぎょっとした。

それは・・皇后陛下、お風邪を召されては大変です。それなら私が参ります」と「紀宮」(きのみや)はすっくと立ちあがり、ドアを開けようとする。

私も」と未草君(ひつじぐさのきみ)も立ち上がった。

二人はその場にいたたまれないように廊下に飛び出し、冷たい風が吹く玄関へと歩いて行った。二人とも無言だった。未草君(ひつじぐさのきみ)は義姉の思いを理解し、心の中でご自分だけが臣下へ逃げた事に罪悪感を抱いていた。

「紀宮」(きのみや)は唇を真一文字に結び、お長服の裾が隙間風に吹かれるのも構わずひたすら背中をまっすぐにして待っていた。

東宮妃が現れたのはそれからさらに1時間も後だった。

東宮妃はすっかり普段着に着替えていて、「紀宮」(きのみや)達を見ると悪びれもせず「どうも」と言い、食堂へ入って行った。

東宮のお姉さま」と未草君(ひつじぐさのきみ)が言いかけたその時、がたっと崩れ落ちる音がしてはっと振り返った。

冷たい壁に寄りかかるようにして立った「紀宮」(きのみや)の瞳から大粒の涙が流れ落ちていた。

お姉さま・・・お姉さま」優しい義妹の腕に支えられ、何とかしっかり立ち上がった「紀宮」(きのみや)だったが、初めて感じる人と言うものへの憎しみにおののいていた。

私には私の意地がある。誇りがある。私はどす黒い思いを認めない。決して。どこまでもひたすらにこの道を歩んでいくんだわ)

「紀宮」(きのみや)は感情を振り払って頭を上げた。もう弱くない。

 

 

 

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新章 天皇の母 3

2020-01-28 07:00:00 | 新章 天皇の母

おめでとう

二宮と「紀宮」(きのみや)が参内した時、お上は相好を崩して珍しく大きなお声でそうおっしゃた。

「紀宮」(きのみや)にご褒美を上げなくてはね」

お上は上機嫌だった。

お上、「紀宮」(きのみや)は高齢出産になりますのよ

と水を差したのは皇后。

勇気のあることね

と、冷静に皇后はおっしゃった。

「紀宮」(きのみや)は絶えず微笑み「ありがとうございます」と頭を下げる。

二宮は「大姫も中姫も下を欲しがっていますので。でも偶然とは言えあの子達の望みを叶えられそうで嬉しいです」と答えた。

科学的に見ても最近はそういうの(高齢出産)は多いんでしょう?東宮妃だって38歳だったから。私達の若かった頃とは違うね」

常に生物の研究を欠かさないお上は、客観的にみていらっしゃる。

そうはいっても、何があるかわかりません」

皇后はそうおっしゃると顔を曇らせる。

なるべく東宮妃を刺激しないように」とも付け加える。

二宮も「紀宮」(きのみや)も大きく頷くしかなかった。

東宮妃は8年もの間、世継ぎのプレッシャーを受けて適応障害になってしまったのです。今も女一宮の養育がはかばかしくなく、公務もままならない状態ですよ。あなた達が喜びを顔に出せば、どれだけあちらを傷つけることになるか。なるべく控えめに。顔に出さず。よろしい?」

それは十分に承知しています。私だって「紀宮」(きのみや)が高齢で出産に臨む事には心配していますし、喜びを顔に出そうとは思っておりません。しかし、これはめでたい事には違いないと思うのです。皇后陛下より励ましのお言葉を賜れば「紀宮」(きのみや)も安心して懐妊期間を乗り越えることが出来るでしょう

二宮の精一杯の庇い立てと思った「紀宮」(きのみや)は慌てて

私は十分励まされております。お上もお喜び下さっていますし」

ととりなす。

私が祝っていないというの?」

皇后はそれこそ悲し気な目で二宮を見つめた。

私は「紀宮」(きのみや)を心配しているのよ。中姫を懐妊した時、どんな事を言われたの?忘れてしまったの?あんな思いはさせたくないと思うからこそ

皇后、二宮は皇統を考えてくれたのだ」

今度は恐れ多くもお上がとりなしを図る。

さすがの皇后もそれ以上言葉を続けることは出来ず、「そうですわね」とお答えになった。「でもお上。必ずしも男子が生まれるとは限りませんのよ。もし女子だったらそれこそ「紀宮」(きのみや)は何と言われるでしょうか」

誰に何と言われるのかい?」

お上は心底不思議そうな顔をなさる。皇后は言葉に窮し

色々書かれる時代ですわ」とだけおっしゃった。

二宮はこれ以上「紀宮」(きのみや)に苦しい思いをさせたくないと思ったのだろう。

本日はご報告まで」と言って立ち上がった。

食事をしていけばいいのに」と引き留めなさるお上に丁寧にあいさつをして、二宮と「紀宮」(きのみや)は引き揚げた。

二人の背中はめでたい懐妊をしらせに来た宮家の夫婦というより、断罪された者のように丸く、表情は険しかった。

その姿を見送る女官長や侍従長も、あまりの事に慰める言葉もなくたたずむしかなかった。

何だか、ほっとしたね」

お上はすっかり喜ばれて皇后に頷かれ、優雅にお茶を頂く。

しかし、皇后の心にはざわつきしか残っていなかった。

昔から「紀宮」(きのみや)は優等生だった。ご自分達がまだ東宮だった頃、二宮のガールフレンドの一人として東宮御所に遊びに来ていた頃は、可愛いけれどおっとりした女の子にすぎなかった。

けれど、その「おっとりさ」が希少価値として国民から絶大な支持を得た時、皇后はかすかな怯えと危機感を感じた。

どんな時でも皇室の華形はご自分だと信じて疑わない皇后にとって、「紀宮」(きのみや)の存在はご自分を否定するもののように見えたのだった。

誰よりも美しく豪華で立ち居振る舞いからファッションまで、全てにおいて「完璧」を誇ってこられた皇后がなぜわずか23歳の「紀宮」(きのみや)に危機感を感じられたのか、それは誰にもわからない。

けれど、多分、ご自分にはない「何か」を「紀宮」(きのみや)は持っており、二宮はそんな少女を愛したのだと思うと、それだけで胸の奥底に炎が燃え滾るような気がしておられるのかもしれない。

「紀宮」(きのみや)はどんな時でも微笑みを絶やす事はなかった。

どんなに辛い時でも苦しい時でも、皇后がどんなに厳しくしつけをされても、泣き言一つ言うわけでもなく、翌週には課題をクリアしてくる。

何を責めても、虐めても翌週には・・・文句のつけようもない程に頑張って来る。

「紀宮」(きのみや)から皇后に反抗的な態度をとった事など一度もない。

はい。陛下」「申し訳ありません。陛下」「精進いたします。陛下

「紀宮」(きのみや)にとって夫の二宮の存在は絶対だった。そして絶対に二宮の御前に出ようとはしない。そんな控えめにする態度すら、時々腹立たしくなるのだ。

大姫も中姫もこちらが何も言えない程に躾けられて、それは皇后にとっては幸いである筈なのに、どうして・・・

皇統の危機、いよいよ女一宮の立太子を実現し「女帝」を誕生させること。それが旧弊な皇室への大きな風を呼ぶと皇后は信じていらしたが、「紀宮」(きのみや)は見事にそれを崩してしまった。

昔からなんて忌々しい子なの」

女官長はそのつぶやきには聞こえないふりをしていた。

まさにそんな感情こそが皇后の敗北宣言である事に、まだ皇后ご自身が気づいておられないのだった。

 

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新章 天皇の母 2

2020-01-27 07:00:00 | 新章 天皇の母

東宮御所は大騒ぎであった。

侍従や女官たちは上を下に大騒ぎであっちこっち駆け回り、やれ電話、やれマスコミ、やれ政府だと大声で叫びたて、「東宮妃を刺激しない」事に全精力を費やしている。

「紀宮」(きのみや)懐妊の知らせを受けた東宮は読みかけの新聞をぐしゃぐしゃにして、みていたテレビも消した。

どういうこと?誰がそんなこと、許したの?

何となく、唇がわなわなと震えているような雰囲気で、侍従は東宮のお顔を見上げることも出来なかった。

「確かなようで。二宮邸に問い合わせた所、両陛下と東宮にお知らせする前に国営放送に報道されてしまったと申し訳なさそうに・・・」

本当なの?じゃあ・・・本当なの?」

東宮は椅子から立ち上がった。

「はい。大層おめでたい・・・」

めでたくない。めでたくないでしょう」

東宮は怒りのあまり顔を真っ赤にして叫んだ。

と、同時に遠くからガシャーンと物が壊れるような音がした。東宮と侍従ははっとドアの向こうをみやる。

ああ・・・」

東宮は崩れ落ちるように椅子に座った。慌てた侍従はすぐに女官に「茶を」といいつける。

そこに東宮は「ブランデー」といい、侍従が止めるのも構わずブランデーを運ばせた。

東宮御所は今や傷だらけの建物になりつつあった。

せっかく、内親王誕生の為に大改築をして内親王の部屋には転んでも痛くない様にコルクを敷き詰めたというのに、たった4年の間に壁が細かい傷だらけになってしまっている。

食器や調度品、いくつ壊れたろうか。

あれはもう病ですのでほおっておくしかございません。下手にお止めすると気を失ってしまわれますと侍医に言われたこと。

東宮妃は、心に傷を負うとそれを言葉表現しようとしない。

語彙が少ないのか表現のしようがないのか、かといって抑えることもしない。

ただ、回りに物を投げつけたり、罵詈雑言で女官を傷つけたり、そんな事ばかりだ。

この東宮ご本人ですら、妃宮(きさいのみや)には手も足も出ず、ただ黙って時間が過ぎるのを待っているというのに。

おたあさま・・・おたあさまはご存知なの?」

かぼそい声で東宮はお尋ねになる。

侍従は平伏したまま答える。「お知らせはこちらと同時かと」

おたあさまが何とかして下さるよね」

二宮にゆうなの君が生まれてから「東宮妃より先に懐妊してはならぬ」とお命じになったのは他ならぬ皇后だから。

ゆうなの君を懐妊した時も、成婚まもない東宮妃を差し置いてと色々言われたでしょう。「紀宮」(きのみや)が心を平安に保つには懐妊しないことが一番。東宮妃が無事に男子を上げる時まで遠慮するのが賢い」と。

なのに、それを破った?

あの東宮大夫の「二宮に第3子を」というひどい発言のせいか。

女一宮を得たものの、皇室内には「第二子を」という声が大きかった。けれど、東宮妃はきっぱりとそれを断ったのだ。

理由は簡単。「もうあんな思いはしたくない。子供を産むための道具じゃない」と妃が強く主張したからだった。

御実家からの説得もむなしく東宮妃はがんとして譲らず、結局女一宮のみになってしまった。それに対する世間の批判も多い。

東宮は妃と離婚して別な女性と再婚すべきとの言葉すら出てくる始末で、東宮はつくづく心のやりどころがなくなっている。

そんな事が出来たら幸せかも。でも、今、妃の御実家の後ろ盾を失えば生きていけない。

お妃さまが

女官の知らせと同時に髪を振り乱して入って来たのは東宮妃その人だった。

妃はテーブルの上のブランデーを一瞥すると、「私はワインが飲みたい」とおっしゃる。

黙って女官たちは下がり、やがてワインを持ってきた。

あの・・・

東宮は何と言ってよいかわからなかった。

この所、体調のよい時も多くて(つまり機嫌がよい状態)女一宮と一緒に親子3人、レストランで食事をする事も可能だったのに。

二宮のことは

明日、何か公務があって?」

唐突な質問に東宮はうろたえた。

えっと・・何だったっけね」

側付きの侍従が平伏したまま「明日は盆栽展をご覧になる予定でございます」と答えた。

無論、東宮一人の予定。

私も行きましょう」

ワインを飲み干すと妃はきっぱりとおっしゃった。

え?でも体調の波が

その方がいいとお父様がおっしゃったの」

この「お父様」は妃の御実家で、「閣下」と呼ばれている政府内でも権力者である。

お父様がそうした方がいいというならそうする。それに色々方法を考えてくれてる。楽しいこともね。そうだ。私、女一宮とディズニーランドに行きたいわ」

東宮は笑ったらいいのか、無表情でいるべきかお悩みになり、結果的に「そう」と返事をするしかなかった。

ご自分の気持ちをはっきりおっしゃって妃は満足されたのか立ち上がった。

明日の準備をしなくちゃ。盆栽なんか興味ないけど綺麗ねって言っておけばいいのでしょう?私が出て行けばみな歓喜して迎えるもの。「紀宮」(きのみや)なんか

そこで妃は東宮を見つめて笑った。

目にもの見せてやるわ。無事に産めると思わない方がいいってね

 

 

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新章 天皇の母  1

2020-01-25 07:00:00 | 新章 天皇の母

帝の二宮の妃、「紀宮」(きのみや)と呼ばれるお妃が懐妊されたのは如月のひどく寒い日のことだった。

「紀宮」(きのみや)は39歳。3度目のご懐妊。そして実に11年ぶりのご懐妊であった。

東宮家では東宮妃が8年の不妊を乗り越えて女一宮をご出産されたが、皇位継承者となる男子の誕生はなく、このままでは皇室の危機であると政府は考え、女一宮に皇位継承権を与え、外国と同じように男でも女でも東宮に生まれた第一子が帝になるという法案をまとめつつあった。

知らせを聞いた総理大臣は審議中にも関わらず耳を疑い

え?東宮妃ではなく「紀宮」(きのみや)?」と呟いた。

審議は中断され、突如、ご懐妊を知った総理はその場でマスコミからマイクを向けられ「大変おめでたい」と言わざるを得なかった。

その後、次々政治家たちがコメントを発表したが、「紀宮」(きのみや)が誰かすらわからない者もいて注意される始末。

誰もが好意的に受け止めたわけではなかった。

特に、日頃、フェミニズムを気取り「男女共同参画事業」に打ち込む女性政治家たちは一斉に「心から祝うことは出来ない

正直、そこまでするかと思った」とコメント。皇族に対し、あまりにもひどい言葉に本来なら罰則でもあってしかるべきだったが、今では皇室、宮内庁、共に二宮には関心を持たず、ほったらかし状態であったから、文句を言うものはなかった。

なぜ「そこまで」と言われたのか。

それは、まさに今、女一宮の皇位継承が認められ、旧弊な皇室が男女平等への道を開くかと思えたその時、「男子誕生」の可能性を秘めた懐妊が発表されたのである。

二宮には薔薇(そうび)姫と呼ばれる大姫と、ゆうなの君とよばれる中姫がいた。

大姫はもうすぐ15歳。中姫は12歳になろうとしている。

誰もがもう二宮には子供が生まれないと思っていた。

しかし、宮内庁の中で唯一皇位継承に頭を悩ませている東宮大夫が「東宮家に第2子、二宮に第3子を」と発言。

この発言はマスコミによって歪曲され「二宮に第3子」と報道されたので、取りようによっては「東宮家にはもう子供は望めない」「女一宮は不要」ととらえる向きがあったからだ。

しかも当の東宮妃は女一宮を出産して以来、心を病み、それが「男子誕生を強要されたため」と言ったせいで、世の中の女性達の同情を集めていた。

誤解が誤解を生んだのか、誰かが意図的に二宮を貶めようとしているのか、そこらへんは不明であったけれど、「紀宮」(きのみや)は懐妊早々バッシングを受けることになるのだ。

皇室は2000年の歴史を持つ、世界で最も古い家柄である。

しかも、他の国々の王室と違うことは、全て「男系」によって繋がって来たことである。

つまり、今まで全ての帝の父が帝であるという血筋なのである。

仮に女一宮が皇位を継承しても「父が帝」になる事は間違いない。しかし、問題はその後。

女一宮が結婚し、皇配の扱いをどうするか、皇室には全くマニュアルが存在しない。

かりに皇配に「陛下」と敬称をつけそこに子供が生まれたら、それが男子でも女子でも、それは「母が帝」という女系になってしまう。

そうなると皇室が保ってきた万世一系の血筋が壊れてしまい、権威に傷がつく。

「帝」がいるという事で世界から尊敬を受け、その歴史的価値を認められてた国がその権威を失えば扱いが軽くなるし、よその国から安易に侵攻を受けかねない。

時の総理はそこまで考えは至らず、単に「男女は立場が同じ」というフェミニズムに引っ張られる形で法案を成立しようとしていた。

そこにくさびを打ち込んだのが「紀宮」(きのみや)の懐妊なのである。

二宮も「紀宮」(きのみや)も如月の冷たい風を真正面から受けていた。

冷たくて針を刺すように痛い。

それでもお二人は挑むように前を向き続ける。

どのようなバッシングを受けても、3人目の新たな宮の命を守る。それだけを目的にして。

 

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