ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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「コッチ」

2005-04-13 21:30:32 | ドラマ・ワイドショー
やっと・・・見終わったーーー♪
ウォンビン主演「コッチ」
全50話。長かったーーー

ストーリーは複雑なので一口に言い表せない。
要するに1970年代の庶民ソン・マンホー一家の
家族物語ということ。
夫婦の確執、兄弟の確執、金持ちの貧乏人イジメ、
身分違いの恋、社会的抑圧・・それそれはたくさんの
エピソードが詰まっている物語。
いわば韓国版「渡る世間は鬼ばかり」ってところ。

でもこの物語のすさまじさはとても日本人には
理解できるものではない。
韓国ドラマをよく知らない人が見たら
拒否反応示す事は絶対だし、偏見を募らせる結果になるだろう。
私ですら「なんなんだ・・このしつこさ、濃さは」と
驚いたくらい。

それでも最後はいい人は幸せに、悪人には天罰が下り
大団円で終わってくれたからほっとしたけど。

でもね、このドラマを見て勉強になった事もある。
それは何かというと韓国人の民族性の断片をみたということ。
1970年代の韓国は民主主義とはいいながら
その内実は厳しい言論・思想統制が敷かれていて
お金と権力を握ってしまえば何でも許された時代らしい。
ソン家の次男ヒョンテが検事になって
家族は大喜びだけど、真面目すぎる息子に向かって
母が言う「うちだって検事の息子がいるのにワイロも貰えない」
というセリフは象徴的。
何が何でも法律にのっとって清く正しく生きようとする次男ヒョンテ。
その為にはたとえ家族といえども容赦しないのだけど
そういう態度が家族から見ると「情がない」「冷たい」
と責めの対象になる。
「家族なんだからこれくらいしてくれたっていいじゃないの」
という論理。断ると「お前は情がない。冷たい。一生許さない」
という答え。
さらに責任転嫁ばかりする一派も登場。
例えばAさんがBさんを殴りました。でもAさんは謝りません。
なぜなら「殴られる原因を作ったBさんが悪いから」
この論理は最初から最後までドラマにつきまとっている。

さらに絶対的な血のつながりを優先し、過去の身分制度を
現代に持ち込んでいく「運命論」
日本人にはなかなか理解出来ない。
理性より感情、法律より権力、言葉より暴力。
そういう感覚は教育格差から生み出されたもの。
無知ゆえに屁理屈ばかり並べて情に訴えるしかない感覚が
養われてしまったのではないか。
それは何も「コッチ」だけにみられるものではない。
BS2で放送中の「初恋」も同じ。
ヒョギョン一家のソン家イジメの裏には前述したような
感覚があるし、それは現代でも変わってない。
「新貴公子」
「パリの恋人」
も根っこは同じ思想のようだ。
(こうなってくると「冬のソナタ」等ユン・ソクホ監督作品は異質)

どうして韓国がこんなにも日本の過去だけに拘っているのか
ちょっとだけ理解出来た気がする。
中国は韓国が認める「だんなさま」
「だんなさま」には逆らわないし、仲間意識と身内意識で
何をされようとも怒らないし。
たとえ傷つけられても「運命だから」と諦められる。
でも日本は韓国からみると「下男」なのよ。
その下男が身分不相応の権力やお金を持って
対等に物を言うから頭にくるわけね。
「お前のせいで韓国はこうなった。ああなった。
原因は全部お前にあるんだよっ。下男のくせに
このわしに逆らいおって」って感じ?

日本の70年代といえば「水戸黄門」だの
数々の刑事ドラマが制作された年代。
アニメや子供番組でも「正義」論が強かった時代。
庶民だろうが金持ちだろうがみんな等しく
頑張ればそれなりに結果が出た時代なのだ。
ここらへんからもう両国のすれ違いが
如実だったわけよねーー深いわーー
「コッチ」
ぜひ見て欲しい作品です。
コメント
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