ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

牛タンがないんだって・・・

2005-08-01 09:23:29 | つれづれ日記
今日の朝日新聞に仙台の牛タンのお話が載っていました

元々仙台では牛タンを食べるという習慣はなかったんですね
でも、戦後進駐軍が残してしまう牛タンや牛テールで何か作れないか・・・という
事で佐野啓四郎さんという方が考え出したのが
塩と胡椒で味付けして焼く牛タンだったそうな・・
太助っていうそのお店はまだあるそうです)

でもこの牛タン70年代まで仙台では「ゲテモノ扱い」だったそう・・
そして今は海外から安い牛タンが入ってこないので大変なのというお話。

そういえば・・・近くの焼肉屋さんから牛タンが消えて何ヶ月かなーー
私的には牛タンといえばレモン汁なんですけどねーー

仙台での経験からいうと・・・
観光客などがホテルのレストランで食べる以外、一般庶民が牛タンを家庭で食べる
という習慣はありませんでした
(今もないと思うの。その代わり安くておいしいデリバリーのお店が増えたらしい)
お肉といえば鳥のもも焼きがご馳走の定番
あまり牛肉は食べなかった・・・記憶が・・・・

でも、実は我が家ではひそかに牛タン豚タンも食べていました
っていうのも・・・うちのシゲルとミチコが「ゲテモノ好き」で・・
仙台人から見ると「なんじゃこりゃあ」の食べ物ばっかり娘に食べさせる・・
以前ブログに書いた事がありますがパパイヤライチもそうなら、
台湾産からすみ
も食す・・台湾風ビーフンも作るし(ビーフンは横浜から送ってもらってたみたい)
カルビセンマイ刺しも大好きな夫婦で・・・
(ゆえに娘は豚足も好きなの

その中に、いわゆる牛タン豚タンがございましてね
どちらも塩と胡椒で味付け・・さらにお醤油をたらーりで食べるんですが、
個人的には味が淡白な牛タンより濃厚で歯ごたえのある豚タンの方が好きです。
ミチコは豚タンをかたまりで買って来て調理するんだけど・・・そのグロテスクな事!
(まんまだよーーー)
当時、タンを売っていたのは三番町にある市場だけだったと思います。
我が家は下宿屋で、毎日市場に買出しに行くから肉屋さんと親しくなって
手に入れていたみたい・・・(安くね)

牛タンも豚タンも高校の時にはお弁当のおかずにされちゃってましたが
(今思えば・・なんて贅沢だったんでしょ)
色が美しくないので、私的には赤いウインナーとかハムの方が好きだったな
同級生達にも「なにそれ?」って言われるし・・・
ちょっと恥ずかしかったの

それが今やすっかり仙台名物の牛タンになっちゃって(さすがに豚タンは今もマイナーなのかな)時代は変わるもんですね

うちのシゲルとミチコの「ゲテモノ好き」も今はありがたかったかな・・と
思う今日この頃・・・
(でもどうでもいいけど、いつになったら牛タンが店に戻ってくるのーー)
コメント (5)
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雪の女王・・・・赤い靴

2005-08-01 08:51:09 | ドラマ・ワイドショー
余談ですが・・・東アジア選手権日本は北朝鮮に負けてしまいました
本当に残念です。
でもブーイングの嵐の中でよくやったと思いません?
まだまだこれからがあるから頑張って欲しいです。
それにしても・・・いい加減にしてよ。サッカー場でのナショナリズム高揚

雪の女王

ゲルダが旅の途中で出会ったカーレンという女の子はひどく貧しい生活を
していたの。
つぎはぎだらけの服を着てぼろぼろの靴を履いて。
彼女は靴屋さんのショーウインドウに飾られている「赤い靴」を眺めて
「いいなー欲しいな」と思っていたの。
でも彼女の家は人のいいお父さんと弟達。
そして瀕死のおばあさんという家族。
とても綺麗な靴なんて買う余裕がない・・・
お金持ちの子供が靴を買っていく様子を見ては
「あんな小さな子でも靴が買えるのに」と世の中の理不尽さを嘆くのね。

そしてとうとう彼女のおばあさんが亡くなった・・・
明日は葬儀というのに、つぎだらけの喪服を繕わなければならないカーレン。
父は職人だけど、客からお金を取らない善良すぎるひと。
その父に反発して家を飛び出した彼女は、伯爵夫人と知り合い、靴を買って貰い
「明日、舞踏会に来て頂戴」といわれた
葬儀の日なのに・・・カーレンは舞踏会に行き、ひと時を楽しみ・・・
けれど、祖母の葬儀の最中に舞踏会に来た事を伯爵夫人に咎められ、絶望と
同時に赤い靴が勝手に動き出して、踊りを止められなくなった・・

雨の中、踊り狂ってしまう少女。
「神様、これは罰ですか?どうしても私を許せないならいっそ殺してください」と
祈ったのに・・
雷に打たれて死んだのは彼女じゃなく、父親の方
善良なる父親は最後まで「お前はいい娘」と言って死んでいく。
それから兄弟は離れ離れ。
カーレンは髪をばっさり切ってがむしゃらに働いて、いつか離れ離れになった
弟達をひきとろうとする・・

物語としてはこれが正しい結末なんだろうと思うのね
でも・・あの少女がほんのひと時、綺麗なドレスを着て舞踏会で踊った事が
そんなに責められるべきものだったのかしら?
(そりゃあ祖母の葬儀の最中とはいっても)
誰でも一度は考える。
何で私はこんな家の子に生まれちゃったんだろう

世の中には生まれつき恵まれて苦労しないで、一生それで許される人も沢山いるのに。
なぜ少女にはたった一度の舞踏会が許されなかったのか・・
人は多くを望みすぎてはいけないという事?
自分のやるべき事はもっと他にあるでしょう・・という事?
神様の与えた試練をひたすら受け入れて、貧乏なら貧乏なりに努力して
それにふさわしい小さな幸せをみつければいいということ?
それで彼女は幸せなのかな・・・
私でもきっと・・一生懸命働いていつかお金をためて弟達と一緒に・・って
思うかもしれないけど
でも・・女性なら一度は夢見る美しいドレスや赤い靴が許されないなんて
生きていてもむなしいなあ
そういう「貧乏な娘」は結婚も「貧乏な彼」とするのは目に見えてるし。
そしたら少女は一生貧乏なままってことになるし。
「貧しくても家族が一緒なら幸せ」といいつつ、父も母も祖母もなく
弟達の面倒だけを見て一生を送るのが「幸せ」なんて私には思えない

雷に打たれる瞬間、娘をかばって亡くなったお父さん。
善良で優しくて正しい父親の結末が「自己犠牲」による死だった
気まぐれに娘に高価な赤い靴を買い与えて「舞踏会にきて頂戴」と言った
罪作りな伯爵夫人はいつまでも豪華で贅沢な暮らしをして、まさかその娘に
そのような過酷な運命が宿ったとは知らずに笑いさざめいて生きていく・・・

何だかとっても理不尽・・・に見えるのは私だけ?
コメント (2)
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