ずっと前から思っていました。
花總まりが退団する時は、きっと1年も前から退団公演が始まって
歌劇もグラフも大掛かりな特集を組み、彼女の為にバウをやり、全ツも
やってテレビ出演も多く、舞台も彼女の為に作られて
歴史的大作ですさまじくすばらしい衣装に身を包んで花道を歩くでしょう・・と。
ところが・・・・
蓋を開けてみたら、これがまたなんとも言えない地味な退団公演。
いくら男役トップも一緒に退団するからって、ここまで彼女の印象を
薄くしなくてもいいのではないかと。
さらに、さよならショーでは彼女の代表作「エリザベート」は出てこず
どこまでも相手役主導のまま・・・終わってしまった
私は花總まりのファンではないけど、これはあんまりじゃないかと思い・・・
仮にもトップ歴12年、数々の代表作に恵まれ、休演なしでここまで
やってきた花總まり。
しかも劇団にとっても彼女の存在は、公私共に大きかった筈。
(多分観客が思うよりも何十倍も)
それが、恩を仇で返すというか・・・どんなに貢献度の高い人でも
辞める時はあっさりポイ捨ての状態。
これでは、後進が伸びないし「頑張ろう」という気もしないのでは?
裏で何があったかはわかりません。
一説には劇団の意向に反した為の制裁とまで言われています。
ですが、そういう部分を観客が感じるように出していいのでしょうか?
(千紘れいか退団の時も思ったけどね)
たった一度の「何か」があった為に12年のキャリアや貢献度が
一瞬にして吹き飛んでしまうなんて・・・・ちょっと理不尽すぎやしませんか?
1990年代後半に入ると、宝塚における娘役の地位はがたっと下がります。
いわゆる「男役史上主義」になっていくのです。
芝居もショーも男役絡みのものばかりだったり、恋愛物よりも友情物を
優先させたり、どこまでも娘役は目立たなくなる一方。
ショーにおいてもフィナーレの階段降りのど真ん中にエトワールと
トップ娘役以外は降りて来なくなったし、そのエトワールですら
最近は男役がやることも多くなり・・・
宝塚の芝居もショーも娘役あっての男役であるという原理が
どうやら劇団にはわからなくなっているようです。
そんな「娘役受難時代」に花總まりだけは、堂々たる「女帝」と呼ばれて
組のトップに君臨していたわけです。
それは単にキャリアが長いという事ではなく、
彼女には、周りをかしずかせるだけのオーラがあったという事。
宙組のほとんどの作品は、花總まり中心に作られています。
でもそれは単に「花總びいき」というだけでなく、確かに彼女はそういった
期待に耐えうるだけの実力の持ち主であったという事です。
多くのトップ娘役が男役の添え物状態で退団していく時、
花總まりだけはど真ん中に立ち続けている・・・いわば、彼女は
宝塚における「ジェンダーの象徴」だったのかもしれません。
けれど、今、このように最後の最後になって「添え物」になり、
本人もそれを受け入れざるを得ない状況にあるのを見ると・・・
やっぱりそこは彼女のたどってきた12年の歳月のどこかに
無理があったのではないか・・とか、ちょっとやりすぎた部分もあったのか
とか・・・考えてしまうのも事実で。
少なくとも今ではなく、数年前に退団していたら、こんな扱いは受けなかった
筈だし、宝塚90年の歴史に残る名娘役として劇団からも観客からも
大きな拍手を持って送り出されていた筈。
それを思うと非常に残念な気もします。
最後にケチがついてしまった花總まりの宝塚生活・・・
一体それはどんなものだったのでしょうか?