皇室ウイークリー
ご日程
両陛下
2月14日・・・両陛下 → 国会図書館視察
文部科学省研究振興局長他と懇談
天皇陛下 → 離任ガーナ大使と会う
2月15日・・・両陛下 → 宮崎県知事より鳥インフルエンザ及び霧島山の被害状況を
聞く
勤労奉仕団に会釈
天皇陛下 → 通常業務
2月16日・・・・両陛下 → ブータン王妹夫妻とお茶
こどもの国理事長から説明を受ける
2月17日・・・天皇陛下 → 祈念祭の儀
全国検事長らと会う
退職認証官らとお茶
両陛下 → 新旧総務課長と昼食
皇太子殿下
2月14日・・・勤労奉仕団に会釈
盆栽展を見に行く
2月15日・・・離任ガーナ大使と会う
ブータン王妹夫妻と会う
2月17日・・・祈念祭の儀
秋篠宮両殿下
2月14日・・・秋篠宮殿下 → 山階鳥類研究所中部地区賛助の会出席の為
長野へ日帰り
2月15日・・・紀子妃殿下 → 「第15回結核予防関係婦人団体中央講習会開講式」
出席&講演を聞く
2月16日・・・秋篠宮殿下 → 山階鳥類研究所会議に出席
特別展示「「ヒマラヤホットスポット-東京大学ヒマラヤ
植物調査50周年」を見る
紀子妃殿下 → 「第15回結核予防関係婦人団体中央講習会」参加
2月17日・・・両殿下 → ブータン王妹夫妻と会う
皇太子殿下は18日に学習院初等科の授業参観に夫婦で出席
他にもジョギングやら学習院やらにプライベート外出が目撃されています。
お暇なのは変わらず・・・・・
盆栽展には皇太子妃も昔、出てたことがあり、今回は「雅子もよろしくと・・」と
言ったそうで。妻の言葉を伝える皇太子かあ
ブータンの王妹夫妻は東宮御所まで来たのに雅子妃は会わず。こんなんで
本当にイギリスにいけるのでしょうか?
ブータンの王妹殿下は29歳で1歳の王子を伴って一家で来日。大学で講義を
するなど才女であり、かなりお美しい 秋篠宮両殿下とは京都で会い、そして
宮邸にもいらっしゃったのですね。
天皇陛下の病状等について皇太子が何をどうしているかという事について
野村東宮大夫は「陛下を案じるお気持ちについては、
直接殿下(皇太子さま)から陛下にお伝えになって
いらっしゃるのではないかなと、
これは私の拝察ですけど。思います」と、答えてますが、
多分無視・・だろうなあ。
なんせ12日に平気でスケート場貸切しちゃったくらいだから。
愛子内親王の学級が閉鎖に
18日、授業参観が行われ皇太子夫妻も出席
その後、インフルエンザの児童がいる事がわかり学級閉鎖に。
21日まで。
内親王には兆候なし。
この報道の仕方・・・怪しくないですか?18日、何が起こったのかしら?
通常、学級閉鎖って数字前から欠席児童がどれくらいいるか把握し、朝に
その旨が連絡網で回ってくる筈なんですけど、授業参観後にインフルエンザの
生徒がいたから閉鎖?何人いたの?どなたかが大騒ぎして「閉鎖しろ!」って
言ったんじゃ・・・ないよね
韓国史劇風小説 「天皇の母」連載 第 1 回
(フィクションだよ・・フィクション)
冬の寒さが身に染みる頃だった。
やたら風が吹きすさぶ。人はみな正月行事の準備に追われている。
その時、年老いた女は必死に子供を取り上げようとしていた。
貧しい日本海に面したこの村では「産婆」が出産を請け負っていたのだ。
「しっかり」
「婆」と呼ばれる老女は、苦しんでいる女に声をかける。
「恨を考えろ。恨を。そしたらどんな辛い事でも耐えられるさあ。あんた子供が
それを晴らしてくれる。そう思って頑張れ」
「恨」・・・苦しんでいる女は小さくつぶやいた。
「国に帰れなかった恨みかい?婆はそんな事考えているんかい?」
「そうとも。うちらはみな、本当はこんな貧しい場所にいるべきじゃねえのさ。
いつかこの恨みを晴らしてやる。それが生きる力だ」
「婆は強いね」
「あんたが産む子供には何が何でも学をつけさせろ。学こそが恨を晴らす
一番の手だ。生まれながらに人間には身分がある。だけど頭さえよければ
のし上がる事ができっから」
どれくらい前だろう。
海を渡ってこの地にやって来たのは。貧しさと迫害に耐えかねての事。
普通には入国なんて出来る筈ないから、あっさり「なりすまし」した。
そこまでやっても、結果的には今も貧しいのだった。
夫は早死にしてしまったので女はは早々に一人ぼっちにされてしまった。
「半島では出身成分が最低で、しかも権力争いに巻き込まれて貧乏ばかり。
そんな生活から抜け出す為に海を渡ったのに。なのに何でまた貧乏なんだろう」
女の口癖は「学がないと出世出来ない。この母の恨みをはらしておくれ。
どうか一人でも多くの子供達が学校へ行き、権力と金を手に入れておくれ」
以後、女の家ではこれは家訓になった。
囲炉裏の火が消えかかろうとしている頃、産声が上がった。
外で待機してた男達は一斉に喜びの声を上げ、家の中に入ってきた。
「男かい?女かい?」
「女だよ」
「女か・・・・」
がっかりしたような言葉に女は「また産めばいいさ」と答えた。
「婆。ありがとな。これ、少しだけど」
産婦の夫が差し出したなけなしの金を受け取り、しらじらとした外に出た。
女なんか産んでもしょうがねえべなあ・・・
せいぜい金持ちに嫁がせればいいけどな。
そんな事を考えつつ、婆は自宅への道を急いだ。
「お帰りなさい」
小さいほったて小屋のような家で迎えてくれたのは嫁だった。
「どうでした?」
「無事に生まれたさ。餅でもつくのかい?」
「へえ。なんでも皇太子さまがお生まれになったとかで、村中が
大騒ぎなんです。うちの人も朝から学校へ行って、お祝いの準備があるとかで。
村中総出で祝うんだとか」
「皇太子?日王の家かい。あそこは長らく男が生まれなかったからね。
悔しいねえ。いっそ生まれず絶えてしまえばよかったのに」
「おっかさん。それはあんまり」
嫁は唇に指をあてた。
「うちの人は曲がりなりにも教師をしているんです。そういう事は
言わないで」
嫁の言葉に婆は黙った。
「かあ・・・」
ごそごそ孫のヒサシが起きてくる。
「かあちゃん」
「かあちゃんは忙しいのさ。ほれ、婆の処においで」
婆はヒサシを抱き上げた。
「この子はいつか出世するといいねえ」
「どうですか」
「いや、孫達全部いい学校さ入れねばなんねえよ。それがあんたらの仕事さ」
婆は厳しい目つきでそう言った。
「出なきゃら生まれた意味がない」
長らく悩みの種だった「皇統」の問題が解決した日から7年後。
紀伊のある家でも慶事があった。
二人目の男子が生まれたのだった。
元々は庄屋の家ではあったが、母方は会津の士族という
非常に硬い一家だった。
決して裕福とは言えなかったが、父は地方の名士であったし
母もまた武士道を受け継ぐ気丈な女性であった。
「タツヒコがいいかねえ」
あっさり名前も決まった。つつましやかに祝いの宴が営まれる。
「みなそれぞれ努力して幸せになってくれたらそれでいい」
父は上の子を抱き上げて言った。
「ならぬ事はならぬと教えてさえいれば、子供はしっかり育つものさ」と。
静かに流れる水の如くつましく生きる・・・それが家訓であった。
一人は「恨」を植えつけられた。
一人は生まれながらに最高に高貴な血筋を持って生まれた。
一人は何気ない日常の中で生まれた。
この3つの、家柄も育ち方も全く異なる家系の人間が将来、相まみえる事になろうとは
誰が想像したろうか。
・・・・続く。