ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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韓国史劇風小説 「天皇の母」連載 第 2 回

2011-02-26 19:20:03 | 小説「天皇の母1話ー100話

結構「面白い」って言われてしまい・・・ついつい・・・

 

第一回目は こちら

 

 韓国史劇風小説 「天皇の母」連載 第 2 回 

(フィクションだよ・・フィクション)

 

年の瀬が迫っていた。

また女かもしれない

誰かがつぶやき「そんな事を言うな」と遮る。

そうは言っても天皇と皇后の間にはすでに4内親王が生まれている。

皇位継承権があるのは男子のみで、このまま生まれなかったらどうなるか。

不安で不安でしょうがないのであった。

だから、月満ちて、未来の天皇がが生まれた時、堰を切ったように日本中が

喜びにあふれた。

何っ!男!本当に男なのかっ!ナニはあるかっ!」

時の総理大臣は知らせを聞くなり叫んだ。

ぶしつけな物言いに女官長は怒りそうになったが、まあ、目出度い事だしと

ございます」と答えた。

すると大臣は、いきなりはらはらと大粒の涙を流し始めたではないか。

まさに日本は神の国だ」

今まで心の重しになっていた事が一瞬にして吹き飛んでいくような素晴らしさ。

冬なのに清々しい風が吹き渡る・・・まるで春が来たかのように。

天皇陛下万歳。皇太子殿下万歳」

その場にいた人達はみな合わせたかのように万歳三唱を続けるのだった。

 

皇后は生まれたばかりの男の子を見て優しく微笑んだ。

傍らの天皇は「ありがとう。よく頑張ったね」とねぎらった。

思えば遠い道のりだったような気がするよ」

二人の胸に去来したのは、婚約以来の山あり谷ありの人生。

天皇がまだ皇太子時代。

父帝は生まれつき体が弱く、政務を取るにつれさらに身も心も弱らせていった。

次第に回りの期待は皇太子に集中するようになる。

「摂政宮」となり、父の代わりに政務に携わる、そして、宮家の女王と婚約。

当時はまだ付き合ったりするような時代ではない。

その結婚を決めたのは時の天皇と皇后であった。

すぐに女王は女学校を中退し、お妃教育に励むようになり、

皇太子もまた妻を迎える準備を進めようとしていた。

まさにその時、いきなり「婚約を破棄すべきである」という意見が

政府から出たのだ。

たまたま女王の弟が軍隊に入る為に身体検査を受けた時

「色弱」の結果が出た。

そこで大騒ぎである。よくよく調べたら女王の母方に色盲の気が

ある事が発覚。発病しているのはその弟君だけだったのであるが

それでも高貴な血筋にそのような遺伝はダメだと反対する勢力が現れた。

それに敢然と立ち向かったのは女王の父宮。

一度決めた婚約を破棄するなど前代未聞。もし、そんな事をなさるなら

私は娘と一緒に自害します」

と言い募り、猛烈な「婚約破棄反対」運動を始めた。

実は、父帝もその昔、婚約を破棄せざるを得ない事があった。

美貌も才覚も家柄も完璧な女王と婚約していたのだが、その女王は

「肺病」の気があると診断されたのだ。

その時、女王の父は黙ってそれを受け入れ、気の毒に思った帝は

素晴らしい縁を女王につけた。

そんないきさつもあり、まさか、こういう事になって「婚約破棄反対」を

言い出す宮がいるとは誰も思わなかったのだ。

宮は病床の天皇には何も言えないと思ったのか、皇后に直訴した。

婚約を破棄されたら我が家の面目丸つぶれ。娘を殺して私も」

これには皇后も驚き、そしてそういう宮の態度を嫌悪し、女王に関しては

いいも悪いも思っていなかったが、突如「婚約反対」の立場に回った。

侍従が「そうかといって、一度決まったものを白紙に戻すのは」というと

皇后は

私は聞いてない。政府が婚約したと勝手に言ってるだけです」と横を向く。

女王を選んだのは皇后であった筈なのに、どうしてこうなるのか。

事がこじれて行く事に周囲は困惑した。

 

女王の父宮は怪文書をばらまいてまで皇室を攻撃し始める。

蚊帳の外におかれた女王は日々、いたたまれない気持ちであった。

おりもおり、摂政宮はイギリスに留学する事になり、結果は保留に。

長い時間・・・女王はただただ笑顔で事の成り行きを見守った。

娘が諭したからといって、妻が怒ったからといって前言撤回するような父宮ではない。

宮家は不穏な空気に包まれた。

英国の空の下、ぼんやりと一度見ただけの女王の顔を思い浮かべ

遺伝とはどの程度作用するのだろうか」などと考えつつ

でも、不確定な事で婚約を破棄してもいいものだろうか」とも思い。

「我が英国にも遺伝病はございます。先代の女王の血筋で血友病が。

多分そのせいでロマノフ家の皇太子は・・・気の毒な事です。

我が家には血友病ではないが、少し知恵が遅れた身内もおりましてな。

しかし、そういう事はどこにもあるという事。高貴な血筋は深いもの。

しかし、その遺伝が必ずそうなるとは限らない。だから、我々は前向きなのです」

国王はそうやって迷っている摂政宮を諭した。

それで宮の心は決まった。

 

結局、摂政宮と女王は華燭の典を挙げた。

といっても、式の直前に前代未聞の大震災が起こり、延期につぐ延期だったのだが。

よいのか悪いのかわからないが、とりあえず二人は

幸せな日々をスタートさせた。

新婚旅行と称して、東北の湖のほとりの屋敷に1月程滞在。

毎日馬車で散歩。人前でも平気で手をつなぐ。

「宮」「お上」と呼び合う。

人目もはばからないその態度に、付近に住む農民たちはみな驚き

「天子様は普通の人とは違う」と目を丸くした。

 

生まれも育ちも皇族出身の摂政宮妃は皇后よりも血筋は上。

本人は気にしていなくても、回りは気を遣うし、皇后自身、多少の

居心地の悪さは感じていたろう。

それというのも、皇后と皇太子妃は水と油程性格が違っていたからだ。

 

皇后が当時の皇太子妃になったのは、ひとえに「体が丈夫」だったから。

婚約破棄した女王に比べると家柄も血筋も美貌も何もかも劣っていた。

そういう目で回りも見たのだろう。

皇后は人一倍努力を重ねて夫の愛を勝ち取り、立て続けに男子を産んだ。

負けず嫌いではきはきして気が利く皇后。

一方、宮家の長女として大事にかしずかれてそだった皇太子妃はしっかり者では

あったけれど、かなり「おっとり」していた。

病の天皇を皇太子夫妻が見舞った時、皇后は自ら看病し

熱の高い天皇の額を冷やしたり、体を拭いたりしていた。

皇太子妃は「ごきげんよう」と言ったきり、所在なく突っ立っている。

皇后は黙々と女官のように仕事を続ける。

陛下自らがそのような事をなさらなくても

さすがに皇太子も口を挟む。

おたあさまのお体が・・・・」

手ぬぐいっ!」と皇后が厳しい声を発した。

弾かれたように皇太子妃は金盥の中に手を突っ込んで手ぬぐいを冷やす。

けれど・・・・手袋をしたままだった。

さっさとよこしなさい

皇后は手ぬぐいを取り上げた。それはびしょびしょでちっとも絞れていなかった。

おたあさま、それは私が」と皇太子が言いかけたが

帝になられる方にそのような事はさせられません」と皇后は断り、

その場で手ぬぐいを絞った。

じょぼじょぼと水が床にしたたり落ちた。

それを女官達が大慌てで拭くのだった。

 

気が利かない所があるとはいえ、皇太子妃はそもそもが明るくて

教養が深く慈悲深かったから、皇后を恨んだり憎んだりする事はなかった。

やがて帝がお隠れになり、新しい帝と皇后が誕生した。

即位の大礼は京都で行われた。

古式ゆかしい即位の式。

まばゆいばかりの皇后は、美しい十二単に身を包み、それから

ローブ・デコルテにティアラの正装になる。

国民の祝福を受け、順調なスタートを切った。

しかし、それがなかなか順調ではなかったのだ。

なぜなら、二人の間には世継ぎが誕生しなかったからだ。

きっちり2年おきに出産を繰り返していた皇后だったけど、全て内親王だった為に

宮中内ではひそひそ陰口がきかれるように。

皇后は女腹では?」

皇太后さまは4人の男子に恵まれたというのに

やっぱり宮家出身の皇后では

 

このまま世継ぎが生まれなかったら・・・・皇位は1歳下の宮になる。

兄天皇と違って、スポーツが大好きでさっぱりとした性格で

側近に愛されていた。

彼が後々「皇太弟」になるのも悪くはないと誰もが考えた。

いっその事、この宮が結婚すると同時に皇位を譲ってはどうか。

そんなたくらみさえ出てくる始末。

それが嫌なら側室を」と望む声もあった。

天皇は大いに悩み、日々苦しんだ。

彼の脳裏にはイギリスの一夫一婦制が浮かぶ。

互いに尊重し合い、愛し合う夫婦の姿。それは理想だった。

男子を産まないからといって、皇后を悲しませるような事が

出来るだろうか。

近代的な結婚制度。それは一夫多妻ではない。

女性を道具のようには扱えぬ。

私は側室を持つつもりはない」

その言葉に侍従は言葉を失った。

世継ぎが生まれなければ皇統の危機になります」

弟が3人もいるのだ。どこかには男子が生まれるだろう

「世継ぎは天皇の義務でございます

義務とはいっても自分で選んで産むわけにはいかない。

それこそ天の采配ではないのか」

私情を挟んではいけません」

最後はやはり皇太后が大宮御所から出てくる。

そうはおっしゃっても皇太后陛下。先帝が側室を持たなかったのは

なぜでございますか

それは私がきちんとお務めを果たしたからですよ

無論、そうであるが、それ以上に夫の愛を自分一人に集中させるため

側室を持たせなかったのは皇太后自身だった。

男子を産むのは妃の務め。でも出来ないからといって責めたりはしません。

出来る人がすればいい事なのです」

若き天皇は一言も返せなかった。

 

コメント (5)
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皇室ウイークリー

2011-02-26 08:55:51 | 皇室ウイークリー

東宮大夫の会見にピキっ!!と怒りが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

♪ 野村東宮大夫 鏡をよくみろ お前はピエロだ

馬鹿な事ばかりしやべる

まるで売れない吟遊詩人だなあ 

ちょっとキレやすすぎるが だが笑えない冗談を聞くのも

最後だ 野村東宮大夫 お前は首 ♪ (BYティボルト)

 

 皇室ウイークリー 

ご日程

両陛下

2月18日・・・・皇后陛下 → 「藤岡保子」書道展見学

         天皇陛下 → 通常業務

                   信任状奉呈式

2月21日・・・・天皇陛下 → 赴任大使らと会う

                  認証官任命式

           両陛下 → 日本学士院第二部部長らとお茶

2月22日・・・・両陛下 → 勤労奉仕団に会釈

        天皇陛下 → 通常業務

2月23日・・・・両陛下 → 皇太子殿下より誕生日の挨拶を受ける

        天皇陛下 → パキスタン大統領と会見

                  退職認証官とお茶

2月24日・・・・両陛下 → 在京外国大使夫妻らと午餐

                  皇居の生物調査Ⅱ期について説明を受ける

 

皇太子殿下

2月21日・・・誕生日の記者会見

2月22日・・・勤労奉仕団に会釈

         赴任大使らと会う

2月23日・・・誕生日の諸行事

2月24日・・・勤労奉仕団に会釈

 

秋篠宮両殿下

2月18日・・・両殿下 → 21世紀パートナーシップ被招聘者と会う

2月21日・・・紀子妃殿下 → 日本ろうあ連盟から進講を受ける

2月22日・・・紀子妃殿下 → キルトフェスティバル組織委員会から報告を受ける

2月23日・・・両殿下 → 皇太子殿下誕生日につき祝賀

                 「第7回日本学術振興会賞及び日本学士院学術奨励賞」に

                 ついて説明を受ける

2月24日・・・両殿下 → 外務省儀典統括官から進講を受ける

                 宮中午餐に陪席

       紀子妃殿下 → 宮内庁御用がけから進講を受ける

 

 いやはや・・不況のニッパチとはいいますが、皇太子の公務がスカスカ

   なのがいつにも増して・・・という感じです  公務とは呼べないですね。

 

 雅子妃 皇太子の誕生日祝賀をキャンセル 

  23日の皇太子殿下の誕生日は

   皇族方が来てお祝いを申し上げる

    宮内庁幹部らが皇太子、皇太子妃別々にお祝いを申し上げる

  の行事が予定されていたが、雅子妃は両方とも「体調不良」の為欠席

 夜7時からの両陛下を招いての食事会には小和田家親族も招いた

   これには出席。

 

 寝たきりでもない限り、自宅に夫の誕生日を祝う人が来手も挨拶に出ない妻

  なんて一般から見ても「非常識」にとられると思います

  昔はご友人や恩師などのお茶会が開かれていたようですが、もうやってない?

   呼ばないのか、呼んでも誰も来ないのか。

  それでいて食事会に自分の妹達を同席させて元気に食べるってのは・・・

   恥かしくないのかしら?

 

 誕生日に皇太子が着ていたセーターはパタゴニア製らしくて。それは

  何とあのシーシェパードを支援している企業なんですって いやはや・・・・

 

 野村東宮大夫、記者達を恫喝 

 

 野村東宮大夫の定例記者会見での話。

  皇太子が誕生日会見で引用した東宮医師団の見解

  「患者さんが治療に取り組み、それが実を結びつつあるときには、

できていないことではなく、小さなことでもできたこと、あるいは努力していることが

認めてもらえるような、安心できる温かい環境が不可欠です」を引き合いに出した。

  今年の皇太子の誕生日会見で記者の質問

この1年も、雅子さまは地方行啓など外出を伴った公務に

ほとんど出席できない状態が続いている」

「日々の公務への出席機会が少ない現状について」

などについて

全体のトーンが東宮職医師団が懸念しているような

妃殿下の治療にとり悪い影響を与えかねないものであったと

危惧します」

「今後、質問における問題提議の仕方において、

妃殿下のご治療へのあり得べき影響という観点から配慮を

お願いしたい」と発言。

  女性自身3月8日号に掲載された

「皇太子さま苦悶(くもん)…美智子さまキャンセルされた『ご一家“融和”音楽会』」

について

「1月に予定されていた皇后陛下と(皇太子)殿下の演奏会が皇后陛下の

ご都合によりキャンセルされたと報じられているが、これは事実関係の

明らかな間違い」

「皇后陛下に対して大変失礼なこと」

  皇太子は自分の記者会見が21日だったので、23日に起きたNZ地震について

   お見舞いの気持ちを表すことが出来なかった事が心残りだったと・・・

 

 野村氏がここまでマスコミに対して言った背景には

 23日に宮内庁広報課に多数の苦情の電話があった。

 電話やメールの内容は

・ 「若者は内向き」で「留学体験の勧め」とした所で、NZ地震があり、配慮に欠けた。

・ また経済的な問題で国内の学校を続ける事が難しい人も多くいる中で、

 国民の税金を使って留学した人にあれこれ言う資格はない。

・ 1年前に始まった愛子内親王の不登校について「怖い思いをした」などと、

 あからさまに学習院やそこに通う児童を加害者に見立てたこと。蒸し返したこと。

・2010年の雅子妃の公務は1月の阪神大震災の式典のみだったのに、2009年や

 2008年の公務(それもドタキャンしてばかりの)を引き合いに出して

「頑張っている」と皇太子が言った事。これは詐欺でしょう

・ 文章の言葉の使い方がおかしいこと。

等だったのではないか・・・と思われます。

多分、これに対して文章を作った張本人・・・つまり雅子妃が激怒したんでしょう。

ハーバード大を出たご優秀な妃殿下はここまで自分の作った文章にクレームがつく

とは思わなかったからとも言えますし、反東宮の流れがきつくなっている事もあるのでは。

 

 何の病気で何の治療をし、8年も「病気」と称して公務をせず、にも関わらず

相変わらず「頑張っている」だの「長い目で見ろ」だの嘘ばかりつくから突っ込まれます。

記者さん達が質問した事項は全て事実に基づいた事であるからよけいに腹が立つ?

 

 「出来たこと」を言え・・・というなら

・ 2月12日、天皇陛下が入院中に、江戸川のスケート場を貸し切って遊ぶ事が

  出来ました。これについてどう思われますか

・ 園遊会を休んで内親王の付き添いが出来ました。これについては?

・ 内親王に学校を休ませてまで皇后誕生日に参内出来ました。 

とでも質問すれば? 嫌味たっぷりに・・・・

 

 何が一番腹立つって東宮大夫のくせに皇后陛下を代弁するようなことを

 言った事。「皇后陛下に失礼」って・・・何様のつもり?いつから皇后侍従になった

 のですか?僭越、不遜、厚顔無恥もいい所・・・・また苦情の嵐かな?

 

 私はこんな風に事実を書き、皆さんに読んで頂く事しか抗議の仕様がありません。

「子供手当て」の財源がないとかいう一方で、東宮家だけは1億使って毎年スキー

などに行っている事を知って頂きたい。そして関心を持って頂きたいからです

で、今は草の根運動というか、あっちこっちに「チラシ」をうっかり落として来ようという

運動が始まっています。下記のチラシ・・もしうっかりするなら公共のトイレなどが

適切かも?

 

チラシ1

チラシ2

チラシ3

 

 

 

 

 

コメント (2)
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