愛子内親王が「学業優先」の為、欠席した今年の歌会始め。
お題は「友」です。
なんていうか、歌会始の儀というのは本来は楽しいものの筈ですよね。
歌を詠むというのは楽しい事で、村上天皇の時には盛大な歌会が行われ、西と東に分かれて勝負をして、負けた方は罰杯をあおぐなんて事がありましたっけね。
酔った貴族が負けた悔しさをぶちまけたりね。
ところが、今の歌会始の儀は本当に堅苦しい。
マスクして、微動だにできない緊張感。長々と歌を詠む作業もあまりにもゆったりししすぎて。
何とかもっと現代的に楽しいものにならないのかな。
せめて皇族方の服装くらい、新調して貰えませんかね~~~
御製ー天皇陛下
コロナ禍に友と楽器を奏でうる喜び語る生徒らの笑み
ぎょっとするでしょ。いきなり大声で「コロナ禍に~~~」ってやられたら。
どうしてこうも直球で来るんだろうか。センスがないにも程がありますよね。
せっかく「友と楽器を奏でうる喜び語る生徒らの笑み」という明るい話題が死んでしまう程のインパクトです。コロナ禍という言葉を使わずになんとか出来なかったものか。
御歌ー皇后陛下
皇室に君と歩みし半生を見守りくれし親しき友ら
これまた「皇室」という言葉を直球で使うという愚。
「私、皇族なの」と自慢しているのか?って思いますよね。
君=天皇 附馬 で、望んでいた結婚生活とは真逆の人生だったろうと思うんですが、見守ってくれたのは他の皇族や上皇夫妻でもない、自分の友達だった?って話。
しかし、皇后陛下、あなたにお友達なんているんですか?
結婚する時も「学友」が見つからなくて小和田家が用意した土川氏だけしかいなかったと思います。
大学時代の友人もいなかったと。
じゃあ「親しき友ら」というのは誰?もしかしたら双子の妹と配偶者とか、その子達なのかもしれないし、元外務省で同僚だった人達(海外に行く度に特別に面会している人達)じゃないのかなと思い。
「親しき友ら」というより、本当は「親しき実家」だったり「自分が友だと思っているに過ぎない人達」だと思う。そうでなければママ友ら。いずれにしても繋がり方があまり正常ではないような気がします。
とにかく冒頭に「皇室に」はいらなかったと確信します。
皇嗣殿下
彼方此方(をちこち)を友らと共に行巡(ゆきめぐ)り聞き初(そ)めしことに喜びありぬ
殿下は高校生の頃から大学院までずっと、お友達やサークル仲間と日本中を旅して、その文化や歴史に大きな興味を抱き、学んでいらっしゃいました。
独身時代の殿下はいつもお友達に囲まれている印象で、仲間も多かったと思います。素敵な「友」に恵まれ、中には妹君の夫に、そしてお妃になられたんですね。
皇嗣妃殿下
春楡(はるにれ)の卓の木目を囲みつつ友らと語る旅の思ひ出
幸いにして紀子様は先年、お友達とでかけられた時の思い出を詠っておられます。
「春楡」という言葉からは優しいピンク色の春の風を思わせ、その木で作ったテーブルの木目を囲んでお友達と思い出話に興じる。暖かい幸せな一時だったと思われます。
愛子内親王
もみぢ葉の散り敷く道を歩みきて浮かぶ横顔友との家路
お友だちのいなかった母上と同じ、想像を巡らせて誰かが作った歌と思われます。
その理由は、愛子内親王はその学生時代のほとんどを「不登校」でいらしたという点です。
いつもワゴンで横づけのような登校風景。
帰りは雅子妃と一緒。同級生達とは時間軸が違うんですよね。
春のオール学習院の時や、夏休みのおとり巻引きつれ静養以外は、一緒に帰るなんて事はなかった問い思います。
という風に考えてみると、どこか第三者的な、友の「横顔」が見えてきませんよね。思いが伝わって来ない歌です。
佳子内親王
卒業式に友と撮りたる記念写真裏に書かれし想ひは今に
この生き生きとしたシーンが目に浮かびます。卒業式にスマホで記念写真をとって、「写真が出来たら送りますね」って約束されて。その通り送られてきた写真の裏には「佳子様大好き」とか「一緒に卒業出来て嬉しい」とか、そんな言葉が書かれていて、ちょっとほっこりするような・・・
「卒業式」もちょっと直球かなとも思いますが、「晴れの日に」ではわかりづらかったかな。
一般の方の歌では14歳の
友の呼ぶ僕のあだ名はわるくない他のやつには呼ばせないけど
ああ青春!って感じですよね。
もう本当にコロナ禍とか災いとか、そういう言葉は使って欲しくないなと思いました。
新春っていうだけあり、歌会始の儀は「春を寿ぐ」目的なのですから。