本題に入る前に一言だけ。自分のご贔屓が少しも評価されないからと言って「悪口」というのはファンとしてやってはいけない事です。ファンを自称しているブログなら「〇〇ちゃん素敵。かっこいい」でいいけど、うちはそういうブログじゃないので嫌なら読まないで下さい。それでもしつこくつきまとう人はスターさんからも嫌がられますよ。
それと亡くなった人の事を責めるなというのも、間違っています。
責めてますか?責めてません。自殺はダメだと言ってるだけです。どんな理由があっても。
電車に飛び込む人を「可哀想に」と思えますか?
今回の事で一番被害を受けたのはお披露目公演2日目にして休演を余儀なくされ、晴れの舞台を台無しにされた芹香斗亜です。私は彼女のファンではないけど、それでも気の毒だと思います。
チケットを買った沢山のお客様も、平常心で舞台を見る事が出来なくなりました。
これだけの影響があるんだと言う事を頭に入れて欲しいだけです。名前や顔はもう出ているもので、今更劇団が言わないと言っても遅いです。
とにかく宙組は22日までは休演。演出も変わる事になるかもしれない。
PTSDを引き起こした生徒も多々いるでしょうし、下手したら宙組の存続自体が危うい事になります。
そんなつもりはなかったとか、そういう意味では・・って言っても結果としてこうなった。
商業演劇で1席空いたらすごい損失になります。まして休演はもう赤字の一途。
一人の死が企業を壊してもいいという理由にはならないのでは。
さて。今月の文藝春秋にとんでもない記事が載るそうで。
「《「爺」「皿婆」…》上皇・上皇后へのネット誹謗中傷の深刻な実態 名古屋大・河西秀哉氏が指摘
なに?これ、今更と思って読んで言ったら、
公を大事にする上皇夫妻の在り方に対し、「私」を大事にした秋篠宮家が裏切った
〈「私」を重視する秋篠宮家、そしてそれを認めてきた「爺」と「婆」。彼らを批判しなければならない。そうした思考がネット上のコメントから見えてくる〉
いわんとすることは、「眞子様と小室圭の結婚にGOサインを出したのは上皇夫妻だから、最終責任はそこにある」という意味ですね。
これから雑誌が出て何を語るかわからないけど、鵜呑みにされないように真実を書きます。
皿婆 → 上皇后陛下が被っていた小皿のような帽子。これはヨーロッパから見てもちょっとおかしなものという定義です。
この帽子が誕生したきっかけは美智子さまが「自分の顔がよく見えるような、お雛様の冠のような帽子が欲しい」と注文したからです。
最初は日本人も受け入れていたのですが、外国ではつばのおおきな帽子が正規なもので、小皿帽子は室内のみで通用するもの。美智子さまとしては飾りに様々な日本的な技術を詰め込んで来たつもりでしょうが、年齢を重ねるにしたがって似合わなくなり、にも関わらずこだわり続けるので、もう20年以上前から「小皿」と呼ばれて来たのです。
(白髪頭にくっきりカチューシャが見えてわりとみっともなかった)
爺 → この呼び方はわかりませんが、要するに引退してからの上皇陛下が上皇后の侍従のように引っ張られているように見える。つまり今の今上夫妻のように見えるという意味だと思います。
いわゆる「上皇夫妻への誹謗中傷」の例として
・静かにお忍びで行こうと思えば行けるのに報道陣をわざわざ呼んで記事にさせるのは何故なの?
雑誌は「報道陣を呼んでいるのではなく、報道陣が行ってるだけ」と言い訳していますが、本当のお忍びであった秋篠宮家の「さだまさしコンサート」は車の撮影がやっとでした。
それが上皇后夫妻の場合、必ず車からお手ふりがあり、美術館なり博物館なりに入るまでの映像があったりする。
どこでその情報を得るのか。宮内庁に決まっているじゃないですか。
コロナが収まってから、とにかく二人での外出が多い。美術館、博物館、散歩等々、あっちこっち行ってはマスコミに撮影させる。
理由は「存在感のアピール」と言われています。
特に驚いたのは京都まで行った事ですよね。いくらプライベートでも普段着でお寺に行くとかありえない。上皇陛下はまさに「爺」のごとく、よくわからないけど「みー」と一緒に行くと言った感じです。
・テニスコートのお話も古過ぎて老人しか知りませんし時代遅れのロマンスは興味もないです 軽井沢は東京と大して変わらず暑くなりました。せっかく豪華な隠居先を建てたのだからご自宅でゆっくり静養して下さい
これもですね。まさか今頃になって軽井沢とか葉山とかはしご静養するとは思わなかったなという事で。軽井沢は東宮時代の避暑地として毎年行ってた場所ですが、即位してからは「御用邸があるのに贅沢な」と言われてやめたんです。
でも、今でも内廷皇族ですし、御用邸はどこでも好きに使えるのに軽井沢にわざわざ行くというのは、実は過去の栄光が忘れられない証だと私は見ています。
軽井沢といえばブルジョアの避暑地、そこでテニスにパーティ、お買い物等、美智子様としては誰から見ても羨ましがられる行動。それが軽井沢なのです。
で、これらの「誹謗中傷」の原因は小室圭、眞子夫妻の結婚であると断じています。
しかし、本当にそうでしょうか。
昭和時代、もっとも衣装代を使っていたのは美智子さま
「私的公務」という言葉を生み出したのも美智子さま。
私的公務ってなんだ?と思いますが、一言でいうと「天皇陛下の強い意志」によって、受け身ではない行動の事です。
パラオなどへの慰霊の旅。特にパラオは宿泊施設もなく止められたのに無理やり護衛艦を改造してまで行った。
美智子さま単独のベルギー行き。仲がよかったベルギー元王妃の葬儀の為に弾丸ツァーで単独でベルギーへ行きました。
「慰霊の旅」というのは、いわゆる「謝罪の旅」であって、日本が戦争中に植民地支配して迷惑をかけた東南アジアなど巡って慰霊するというもの。これは称賛されましたが。上皇夫妻の内心は「申し訳ありませんでした。全部日本が悪いのです」「アメリカの人達の犠牲はどうだったろうか」的なもので、決して日本人の為の「慰霊」ではありません。
眞子様の結婚について、よく話を聞く事もなくすぐに裁可し、取り消す事をしなかった。過去には大正天皇の婚約解消という先例があるにも関わらず、知らん顔して眞子様を応援するような事を雑誌に書かせた
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裁可を取り消せず、本人の意思も硬かった為、秋篠宮としては「認める」以外の方法がなかったのです。それでも眞子さまは一時金を辞退し、全ての儀式をせずにひっそりと皇室を去りました。見事な事です。
あれだけの反対があったにも関わらず「天皇陛下の強い意志」を示さなかった理由はなんでしょうか?一言でいうと、美智子さまが「悪者」にはなりたくないという事ではなかったかと思います。
天皇はすでに認知症を発症していましたから、どこまで本当の事をご存知だったかわかりません。
最後の記者会見でしたか・・・「美智子と結婚出来て良かった」と半分泣きながらお話になっているのを聞いて、完全に洗脳されているなと感じました。
明仁天皇と言う人は、ご自分の父親である昭和天皇に戦争責任があると信じていた人ですから、同じ考えの妻を持ち100人力だったでしょうね。
秋篠宮家は裏切ったのか?
一体何を裏切ったと言っているのかわかりません。
眞子様の結婚を認めた事で「私を優先した」とでも?
だった愛子内親王が成年を迎えてもお遊びばかりで公務をせず、それこそ「私」を優先している事実についてはどうなんでしょうか。
秋篠宮家は皿婆と爺の最大の被害者です
礼宮殿下は、小さい時から浩宮と差別されて生きて来ました。
「平等意識が強く優しく穏やかな兄」に比べて「派手で遊び好きでじゃんちゃな弟」とずっと言われて来ました。
今思えば、殿下の若かりし頃のひげとかブレスレットとか車とか、反抗期だったのかなと。
「浩宮は将来天皇になるので甘く育てる。礼宮は気楽な次男なので厳しく育てる」
これは何度も言われて来た美智子さまの「子育て方法」です。
しかし、私はずっと「本当は逆じゃないのか?」と思っていました。
責任ある立場に着くべき長男を甘やかし、留学先にまで様子を見に立ち寄った天皇皇后。
一方、礼宮が「紀子ちゃんと結婚したい」と言えば「長幼の序」があると諭した美智子さま。
秋篠宮家はぼろ家を与えられ、筆頭宮家としての責務、子育て、学問にはげみながらもそれ相応の扱いを受けませんでした。
なによりも大きな罪は秋篠宮家に「産児制限」をかけられたことです。
なぜそんな思いを持ったのか、なぜそんな事をしたのか、私は上皇夫妻に聞いてみたいですよ。悠仁親王がうまれなかったら、皇統断絶の責任は上皇夫妻にあったのですよ。
私は、もう20年くらい前から、上皇夫妻‥美智子さまには腹黒さしか感じていないので、皿婆なんて呼ばれてもちっとも不敬とは思わないんですが。
皿婆だけじゃないですよね。「小皿」とか「ミテコ」とか呼ばれてますし。
妻を崇拝するあまりに、何も出来なかった上皇陛下は、結局は今上と同じだったんだなと思わずにはいられません。
とにかく秋篠宮家は被害者であり、今や、日本の皇室の伝統を受け継ぐ唯一の宮家なんです。だからどうか、雑誌を鵜呑みにしないで欲しいと思います。