いやいや・・・胃が痛いわ~~~これは後遺症なんでしょうかね。
お昼を食べると、夕食が食べられない。でもお腹がすく。でも痛い。
しょうがないので水分ばかりとってしまってます。
さて。
日本語力というのが年々低下していると思うんですね。
一般人は勿論のこと、プロの書き手ですら。
特に週刊誌の記事の書き方は、もう日本語めちゃくちゃで、それでお金貰えるとか、学歴が高いとか言えるんだなと思ったり。
「宮中に不穏な空気が…紀子さま「体調不良」のウラにある「あせり」の正体 」
ってタイトル。
ああ、またか~~どうせ雅子様の活躍ぶりに紀子様が焦ってるとかいう記事でしょうと思ったらやっぱりそうでした。
読むと、「これ、おかしくない?」と思うんですね。
体調不良の発表の方法が皇后の適応障害と似ている
はあ・・・?雅子さんの場合は、意味のわからない公務のドタキャンとか、愛子内親王が1歳半健診を終わった時期で、突如帯状疱疹になって、それからの流れでした。
紀子様は去年の暮れから胃腸の調子がおかしいとおっしゃっている。全然違うじゃないですか。
今後の公務について、宮内庁は『侍医と相談しながら決める』と発表しましたが、これはつまりドタキャンもありうるということ。過去に雅子さまのときも似たアナウンスがあり、実際に直前で公務を休まれたことがありました。
「侍医と相談しながら決める」≒ドタキャンもありうる
ではないです。
雅子さんのドタキャンは、きちんと予定が決まっているのに、出発する10分前に「とりやめ」が発表されることが多々。それに最近では出席予定ではないのに突如おでましになる「ドタ出」も多い。
でも紀子様の場合は、侍医と相談し「狂言の夕べ」はお休みって決まっただけでしょ。
どこが同じやねん。
っていうか、日本語わからないのか?現代ビジネス。これ大学受験の国語の問題なら完全にペケですけどね。
7日の午前に行われた皇霊殿の儀には、紀子さまは装束を着る時間を短くして出席されたそうですが、これも以前に雅子さまが、『装束の締めつけが負担になる』として宮中祭祀を休まれたのを参考にしたのでしょう
雅子さんの場合は「装束をつけること自体が嫌い」で、紀子様の場合は「着る時間を短縮する」で、片方は「服そのもの」であり、片方は「時間」であるわけで、全然意味が違うのです。
ましてや、紀子様が雅子さんを参考にするわけがない。
なぜって?
何で紀子妃が、未だお辞儀一つ出来ない皇后を参考にしなくちゃいけないの?
筆頭宮家の妃で即位の礼に2度出席した実績を甘く見るなよ。
紀子様の御病気は、このような誹謗中傷による精神的なもの、自律神経の失調によるものと考えられます。私のようにちょっとコロナにかかったくらいでも、なかなか元に戻らないってのもあるわけで。
紀子様は夏以来、ずっと我慢して来たのではないかと拝察します。
焦っているのはむしろ雅子さんでしょう。
愛子内親王の特訓がまるっきり無駄に終わったこと。
人気があるといくら週刊誌に書かせても、実際に人前に出る機会は多くなく、どんなに写真を修整しても、結局現実は変わらない。
さらに、世界から見放されている事を薄々感じているのかもしれません。
去年のASEANの茶会だって、大勢の前で秋篠宮を無視してやろうと思ったのに、なぜか、出席者はこぞって両殿下に握手を求めに行ってしまった。
昭和天皇例祭の儀だって、紀子様は御神楽の儀のみお休みでしたし。
じゃあ、雅子さんのいう「体調の波」って具体的にどんな症状なのか?と聞かれたら困るじゃない?
雅子さんが自慢できるとしたら「夫である天皇がいつも自分を第一に考え、持ち上げてくれる。その点秋篠宮って冷たいわよね~~」って思う程度じゃないかと。
でも、22になる娘は、公務の肩代わりをしてくれるわけじゃないし、一々特訓が必要で面倒な子。
「ティアラを作らない」言い訳も何年もつか。
何でイギリスいけないの?何で海外いけないの?こればっかりだもんね。
今、一番出来る意地悪は「佳子内親王を宮中行事に出さない」事くらいかな。
あっちの行事には何かぶつけて、話題をかっさらってやる~~程度のことですよ。
「ふしぎ発見」を見て思いました。
江戸という街が、北は栃木から南は箱根まで、吉兆の結界を張られた事は以前から知っていましたが、改めて皇居から一直線に日枝神社、神田明神と並んでいるのを見て、鬼門と裏鬼門を守る為のもの。
天界和尚は、家康と相談しつつ、江戸を江戸城を中心とした「神が守る場所」として作り上げたわけです。
ゆえにもしかしたら維新の時に江戸が燃えなかったのかもしれない。
そんな江戸城を受け継いだ日本の神道の長である天皇も皇后も、一切神道を守る事も信じる事もです、お布施すらしないというこの現実。
徳仁天皇は呑気に登山する暇があったら、神社巡りをするべきだったのではないかと思います。
非科学的と言われても、やっぱりある時、ある一瞬に「それ」を感じる事はある筈だし。
ただ、神のなさることはわかりません。
なぜ、国民に多大な災害を与えるのか。
それもまた、「常若」の思想に込められた「いったん全てを壊して新しくせよ」というお告げなのか。
東日本大震災の時には、島が一つ生まれました。
能登の地震では陸地が増えました。
まるで今、日本という国の成り立ちを見せられているような気もするし、その為の多大な犠牲であったと思うと、悲しみと同時に人間の力ではどうにもできないと思わざるを得ません。
神が暴れているなら、天皇自ら鎮めるべきではありませんか?