森暢平氏が一番言いたかったことは「11宮家は元々臣籍降下するしかない家柄」だったから、それなら現役皇族の愛子内親王を天皇にしようという話でしょうね。
有識者会議の「養子縁組を含めた皇統に属する男系の男子の方々が皇族となることについても、比較的前向きな意見が多くあったのではないか」(2021年6月16日)
を結論ありきのでっち上げだとしています。
いわゆる「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」の前に増えすぎる皇族を何とかしようと、何度か「臣籍降下しろ」という要請が政府からあったのですが、臣籍降下する皇族がいなかったんですね。
なので。最終的に大正9年にこの制度を確立したわけですが、この法律にひっかかった皇族がいました。それは有栖川宮家です。
有栖川宮家は後継ぎがいなくて養子をとろうとした所で、この法律が出来てしまい、大正天皇に「お願い」をしたんです。
しかし、天皇はこれを聞き入れることが出来ず、泣く泣く祭祀と宮家を天皇の3男「宜仁親王」にゆずり、「高松宮家」を創設させたのです。
そしてこの法律は
5世孫から臣籍降下
長男以外は華族に臣籍降下
伏見宮家だけは邦家親王を祖として5世孫から
一旦臣籍降下したら皇籍復帰を認めず
という事になりました。
でお、これも「勅旨」「請願」があれば・・という事で絶対にってわけでもなかったようです。
例外を認めようと言う事ですね。
というのも、皇族がいつ減るか・・というのはわからないからです。
江戸時代、明治に危機的な皇位継承者不足を経験した皇室ですから、政権もそこまで「何が何でも」とは言えなかっただろうと言う事。
とはいえ、「宮家を継ぎたくない」からと自ら進んで臣籍降下した人もいるし、後継ぎが決まっていても亡くなる可能性もあったわけだし。
11宮家のうち、絶対に「断絶」だったのは梨本宮家と東伏見宮家。
でも内親王が嫁いで創設された宮家は別だったんだろうと私は考えます。
すなわち、明治天皇の3内親王が嫁いだ、竹田、北白川、朝香の3宮家は皇位継承順位の上に来たはず。
さらに昭和天皇のご長女が嫁いだ東久邇宮家はさらに上に来たのではないでしょうか。
「皇統は男系男子で。母が皇族であればなおよろしい」という考えたですね。
この考え方に従えば紀宮の嫁ぎ先は旧宮家でよかった筈なんです。
しかし、上皇后が「旧皇族・旧華族」を退けてしまったので、繋がりが消えました。
結局、「民間のお妃」は「皇統」の為に自分を犠牲には出来なかったのでしょう。
ゆえに今上の結婚でも「皇統」は考えず、本人のお好きにさせたのですね。
危機を救った秋篠宮家には足を向けて眠れない筈なのに、産児制限までかけていたと言う事で。
本当に悠仁親王が生まれて下さってありがたかったです。
「旧宮家養子案」を潰したいのなら、悠仁親王が一日も早くお妃を娶り、男子が生まれるまで着実に出産を重ねて頂くしかないのです。