ふぶきの部屋

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祝!ご成婚30周年 雅子様語録45

2023-08-21 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2006年9月2日 帰国報告の為参内

無事にオランダから帰国した東宮一家でした。

早速皇居に参内し、両陛下にご挨拶をしたものの、会話は続かず、僅か20分で退出する事に。

美智子様はともかく、陛下の頭の中には数日後に生まれるだろう秋篠宮家のお子様で一杯だったのです。

あいにく9月6日は北海道での公務が予定されており、皇居にいる事は出来ません。

皇居で待ちたい。でも特別扱いをしたと雅子妃が怒るだろう」との配慮で、あえて公務を入れたのです。

秋篠宮家に生まれる子はそれが女子であっても男子であっても大した出来事ではない」という印象操作をする為です。

 

 2006年9月6日 秋篠宮家に親王誕生

9月6日の朝、その日は曇りでいつ大雨が来てもおかしくないという天気でした。

けれど、空には龍の形の雲が飛び、誰もが瑞兆を信じていました。

愛育病院の分娩室の前では、SP数人の他に銃を携帯した女性警官も立っていました。

紀子様ご懐妊以来、政府の左翼、フェミニストからのひどいバッシング、週刊誌等によるバッシングに危機感を感じていた宮内庁は、万が一の事があってはならないと、厳重に分娩室をお守りする事にしたのです。

朝、病室を出る時、紀子様は「行ってまいります」と殿下に挨拶され、分娩室に入り、帝王切開の処置をお受けになりました。

響き渡った産声、それは間違いなく男の子、つまり親王殿下のものでした。

帰ってまいりました

ご苦労さん」の会話は穏やかで幸せに満ち、産着に包まれた親王殿下はもう泣くのをやめて、すやすやと眠っていました。

テレビ局、内閣各所に「親王誕生」の一報がもたらされました。

号外には人が群がり、国内でも海外でも大きく「40年ぶりの親王誕生」は喜びをもって伝えられました。

小泉首相は「よかったね」といい、安倍官房長官は「親王殿下のご誕生を心からお喜び申し上げます」と祝意を見せました。

北海道にいた両陛下にも吉報はもたらされました。

陛下はアドリブで「只今の秋篠宮家の出産に際し、皆さんから祝福を頂いた。ありがとう

と満面の笑みでおっしゃいました。

正式なコメントは「秋篠宮より、無事出産の報せを受け、母子ともに元気であることを知り、安堵し ました。様々な心労を重ねた10か月であったと思いますが、秋篠宮夫妻が、その全 てを静かに耐え、この日を迎えたことを喜び、心からのお祝いの気持ちを伝えたく 思います。2人の内親王も、この困難な時期を、一生懸命両親に協力して過ごして きましたので、今は、さぞ安心し、喜んでいることと思います。医療関係者を始め、 出産に携わった人々の労をねぎらい、この度の秋篠宮家の慶事に心を寄せ、安産を 祈願された内外の多くの人々に、深く感謝の意を表します

秋篠宮家にとっては短いようで長い数か月でした。

眞子様と佳子様はお母さまの留守を守り、夏休みには病室で宿題をするなど、一生懸命妃殿下にご心配をかけないようにふるまわれました。

心無いバッシングに早熟な眞子様は傷つかれ、でも妹君やお父様には愚痴を漏らすまいと耐えました。

例え、「バッシングをやめさせて」と言ったとしてもご両親は「一々反論していたら、全てのバッシングに反論しなくてはならない。自分に非がないのであれば黙っていればいい」というお考えです。

眞子様達からすると、泰然自若としているご両親には見えますが、一方で糠に釘、ご自分達が傷ついている方がおかしいと言われたらそれまでです。

「宮家に子が生まれる」という目出度い事の筈なのに、なぜ「雅子様に気を遣わない紀子様」とか「そうまでして男子が欲しいか」と言われてしまう愚、わかってはいても、幼い内親王にはアイデンティティの問題も含めて重大な傷になってしまいました。

佳子様は単純にご自分の下に「弟君が生まれた」という事に素直に喜んでいらっしゃいました。手先が器用な佳子様は、もうすでに手作りおもちゃなどをご用意してご誕生を待っていたのです。

その日の東宮御所はしんと静まり返っていました。

東宮職の職員は、雅子様の様子が怖くて私室棟へは近づけません。

とりあえず、東宮御所からはすでに用意していたコメントが発表されました。

ご無事のご出産おめでとう。妃殿下の手術が無事に終わることを祈っています。 両殿下も親王殿下もお身体をお大切に

「妃殿下の手術?」と誰もが思ったでしょう。

秋篠宮殿下からは8時40分に報告があったとの事ですが、それを無視してのコメントです。

川嶋夫妻からは「誠におめでとう存じます。『清流に臨みて詩を賦す』心に重なる感慨を覚えます。 お健やかな御成長を謹んでお祈り申し上げます」

(清流に臨みて・・帰去来という詩の引用。自然に任せて清流の側で詩を作ろう)

川嶋教授のような「何もかも自然に任せ俗世を離れ清流の側で」の心境に至る事は眞子様には無理でしたでしょう。しかし、その生きざまは紀子様に受け継がれていたのです。

黒田清子夫妻「ご無事にご出産になり、妃殿下、新宮様御共にお健やかでいらっしゃることを伺 い、お喜び申し上げております

 

日本中がお祝いに湧きたつ中、東宮御所だけは静でした。

別段、親王が誕生したからといって、それが話題になる事もなかったですし、雅子様は次のお遊びをどうするかを一生懸命に考えていました。

 

 2006年9月9日 恐竜展

 2006年9月10日 大相撲観戦

9月9日は大恐竜展、10日は大相撲観戦と歩き回る東宮ご一家。

特に大相撲観戦は、愛子内親王が相撲好きで知られていたので、内親王の前には取り組み表が置かれ、それを見ながらの観戦となりました。

しかしながら、事件はその後、起こりました。

観戦を終えて帰る時、立ち上がって挨拶した後、雅子様と愛子様だけが皇太子殿下と正反対の方に向かって歩き出したのです。

違うよ!雅子、こっちこっち」と慌てて手を振る皇太子様に気づき、はっとした雅子様も慌てて愛子様の手を取り、一緒に退出しました。

「やっぱり親王様誕生が・・・?」と誰もが思ったに違いありません。

 

 2006年9月11日 愛育病院にお見舞い

秋篠宮家に親王殿下が生まれたのが9月6日。

その日は、殿下と眞子様、佳子様がお見舞いに駆けつけ、両陛下は北海道から帰京するとすぐに病院に向かわれました。

しかし、肝心の東宮ご一家はいつまでも愛育病院に行こうとしませんでした。

小和田家と違い、慎み深い川嶋家は、東宮様他皇族方がお見舞いを済まされるまで病院に行くのを遠慮していました。

勿論、皇族方や黒田夫妻もいつ皇太子一家が愛育病院に行くのかとやきもきしています。

そして、やっと訪問したのが11日。

しかも、この日、皇太子一家はディズニー展にお出ましで、その帰りに立ち寄られたのです。

愛子様は外出で疲れているのかご機嫌斜めで、マスコミが駆け付けているのを見ると、すぐに皇太子様の後ろに隠れようとします。

雅子様は一生懸命に愛子様を真ん中に入れようと思ったのですが、愛子様は「やめろよ!」とどこから覚えて来たのかわからない暴言を吐かれ、それでも皇太子様はへらへらと笑い、その場をごまかしてしまいました。

 

病室に行くと、紀子様と秋篠宮さま、そして生まれたばかりの親王様がおくるみにくるまれていました。

おめでとう」と皇太子様は屈託なくいい「元気そうな赤ちゃんだね」と笑いました。

愛子様は無表情で親王様の方を見るでもなく、ただ不機嫌そうな声を上げておられます。

雅子様はそれに気を取られて紀子様どころではない様子。

紀子様は優しく「敬宮様、こちらにいらっしゃいませ。赤ちゃんをご覧になりませんか?

とお声をかけ、内親王に向けて親王様のお顔を向けました。

内親王はやっと眠っている赤ちゃんに手を伸ばしましたけど、触るのは怖いらしくつんと皇太子様の方へ行ってしまいます。

大人が多いから緊張するね」と秋篠宮様はおっしゃり、それから皇太子様と病院の施設の事などを話し始めました。

雅子様は戸惑ったように「小さいわね。愛子のいとこになるのね」とおっしゃいました。

いとこと言えば、眞子様も佳子様も愛子様のいとこなのですが、何か初めてのようなおっしゃり方をするので紀子様もどう返したらいいか迷い、「よろしくお願いします」とおっしゃいました。

皇位継承権第3位の親王殿下がお生まれになり、皇太子一家へのプレッシャーはこれで終わったと誰もが思ったのですが、とんでもない事で。

「愛子天皇」の夢はまだ潰えていないのでした。

 

 


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8 コメント

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Unknown (山芙蓉)
2023-08-21 07:29:44
北の海の表情は普通なのか憮然としているのか。微妙ですね。

それにしても、東宮からのお祝い?コメントは「手術」のワードも異様ですが「祈っています」という現在形も異様。「祈っておりました」なら未だしも。
帝王切開後の副作用のようなことが起こるのを願う気持ちの表れなのか?と邪推してしまいます。
雅子さま作かしら。
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Unknown (5)
2023-08-21 07:47:48
ふぶきさま
秋篠宮家に対する不条理な言いがかりは今も続いています。工作員まで雇っているのですから。本当に今までよくご無事で。
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Unknown (あちゃちゃ)
2023-08-21 11:33:34
遊びの帰りにちょっと寄る…
なんなのかしら…バ〇なのかしら。
それこそ金屏風会見していただきたいくらいの大慶事なのにねえ。あの「金屏風赤ちゃま会見」は今思い出しても滑稽で下品だけどw
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Unknown (菜の花)
2023-08-21 12:34:26
こうして改めて当時の写真を見ると、当時の天皇陛下はもちろんの頃、美智子様もなんだかんだで親王の誕生は嬉しかったのだなあ・・・と感じました。
お二人とも、心から嬉しそうな笑顔なんですもの。
それなのに、どうしてその後の扱いがあんなことになってしまったのか・・・
一瞬でも喜びの気持ちがあったのなら、きちんと守って差し上げて欲しかった。

あと、病室での紀子様や秋篠宮殿下の愛子様への声掛け、もちろんフィクションではありますがお二人らしい声掛けだなあと感じました。
子供の扱いに慣れているというか。その場面のお二人の表情を想像して、ほっこりしました。
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Unknown (こむぎ)
2023-08-21 14:11:36
紀子さまは日本の救世主ですね。様々な誹謗中傷やプレッシャーに耐えられ、よくぞご無事に悠仁さまをお産みになられました。
そして眞子さまの心の傷…、私も多感な時期にこんなにご両親が心無い叩き方をされ、どれほど精神的にお辛かったかと思います。ご両親はただ、皇室と皇統を守りたかっただけなのに。

もし皇太子夫妻がもっと皇室と皇統を大事にし、弟夫婦に対して寛大で愛情深かったらこうはならなかった。そして小和田家がもっと皇室に対して控えめで、皇室への理解と敬意があればここまで秋篠宮家は叩かれなかったのです。
小和田家は雅子さんと愛子さん、つまり自分の血しか守りません。天皇家の血などどうでもいいのです。

大相撲観戦では、見終わった時に皇太子よりも先に雅子さんと愛子さんがさっさと席を立って退出したこともあったような?この時だったのでしょうか?普段もナルさんが妻子より立場が下なのがバレバレですね。
夫を立てない雅子さん、自分が最優先な雅子さん、恥ずかしいやらかしばかりしていましたね。

昭和天皇を差し置いて香淳皇后が先に退出したこともないし、車の荷物席に昭和天皇を押し込め、香淳皇后の後ろから陛下がお顔の一部だけ出してお手振りしたこともありません。
昭和は常に天皇が最上位であり、最優先でした。

皇后陛下が天皇陛下を立て、常に下に控えられるお姿に、天皇陛下への権威が更にあがったものです。香淳皇后は本当に昭和天皇を大事になさり、よくお守り下さった。
そのお姿は雅子さんとは正反対、でも紀子さまにはしっかりと受け継がれています。

令和の皇室は、本当に異常だと思います。
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隠せなかった表情 (ハルヒ)
2023-08-24 07:38:25
>こうして改めて当時の写真を見ると、当時の天皇陛下はもちろんの頃、美智子様もなんだかんだで親王の誕生は嬉しかったのだなあ・・・と感じました。

親王誕生第一報後の札幌のホテルでの美智子さまは沈んだ表情でしたよ。
テレビはホテルからのお出ましの両陛下を長々と映しましたが、天皇陛下は満面の笑みで国民に応えましたが、美智子さまは、雅子さまに気を使っているのかと思われるくらい沈んだ表情、演技ができない程にショックだったのでしょうね。
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Unknown (きゅうりもみ)
2023-08-24 14:40:33
ハルヒさんへ
でしょうか?天皇のネクタイは黒に近いですし、ミチコさんはこの衣装見ると「片足ベビーシューズ」を紀子さまに届けたあとなんじゃ無いでしょうか?
お誕生のお祝いに片足しか届けないベビーシューズと、白っぽい花束、そして喪服を連想させる祖父の衣装。笑顔だからこそ、怖ろしいです。
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Unknown (きゅうりもみ)
2023-08-25 14:01:24
悠仁さまお誕生は、国民揃ってお祝いしたのでしたが、宮内庁は記帳所を設置しなかったのですよね(独自に設置した自治体等はあったもよう)。
その宮内庁は一方、雅子妃の祖父のタヒには記帳所をセットしたはずです。
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