ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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悠仁殿下 18歳に

2024-09-06 07:06:36 | 皇室報道

 悠仁殿下

お誕生日おめでとうございます 

そして祝ご成年 心からお祝い申し上げます

随分背が伸びました。

「幼稚園や小学校・中学校に通っていた日々がついこの間の事のように感じています。今まで育ててくれた両親と姉達にも感謝しています。進路実現に向けて努めつつ残り少ない高校生活を大切にしたい」

非常にシンプルです。それでいいのだと思います。

感慨深いものがあります。

成年皇族であるけれど、勉学に勤しむ。

だけど、かつて浩宮がそうしたようにイギリスを拠点として、あっちこっち旅行して歩いたり、遊びまわったりする事は恐らく出来ないものと思います。

世界情勢を見ても皇族が海外で自由を謳歌するような時代ではないので。

そうなると悠仁殿下の「海外」は皇室外交とか研究旅行に限られていますよね。

大学に入りましたー公務はしませんというわけにもいかないでしょう。

希少な男子皇族ですから、「加冠の儀」の後は、積極的に公務を行う。もしかすると総裁職も待っているかもしれません。

何と稀有な運命をお持ちの皇子だろうと。

悪口を言われながらも黙って明るくふるまうお姿に私は感動します。

 

宮内庁は例の署名運動に「不思議だ・心を痛めている」とか言ってるそうですが、もっと堂々と守りなさいよと言いたいです。

でも、とにかく殿下は今まで通り頑張って頂きたいです。

 

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悠仁親王誕生への道 最終回

2024-09-06 07:00:00 | 皇室報道

 2006年の歌会始めの儀

年末にあんなことが起こっていたとは露知らず、とはいえ、それでも何食わぬ顔でいる東宮家ってすごいなと思った。

けれど、確実に皇祖神は怒っていた筈で、それは天皇皇后、そして東宮家にも及んでいた筈だ。

その年の歌会始めの儀のお題は「笑み」

文仁親王

人々が笑みを湛へて見送りしこふのとり今空に羽ばたく

文仁親王妃紀子殿下

飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる

この歌は、前年の9月に放鳥したコウノトリを詠ったもので、コウノトリと言えば「赤ちゃんを運んでくる」象徴だ。

両殿下が仲良く同じような歌を詠まれた事に私は感動し、何かよい事が起こるのではないかと感じていた。

 そして電撃的な懐妊発表

2006年2月7日、突如発表された「紀子様ご懐妊」のニュースに日本中があっとなった。その日の公務先で、紀子様は若い女性達から「紀子様、おめでとうございます」と言われ、びっくりしたように手を振っていらした。

で、「長子継承」をもう少しで決めようとしていた国会で、総理の耳に入る。

え?紀子様?雅子様じゃなくて?」という小泉総理の言葉が耳に残っている。

実は、この発表は公式のものではない。

誰かがリークしたものだった。その「誰か」というのはわからないけれど、紀子様が「兆候」の段階で素早く官邸に報告し、足早に国会にメモを送ったおかげで「愛子女帝」問題は消えた。

小和田家や左翼は驚きと失望に歯噛みしたろうと思う。この時の福島瑞穂の

「妊娠はおめでたいが、それと皇室典範改正の問題は別」という言葉が物語っている。

お祝いしなかったのは、主に女性議員だった。(共産党系が多いので)

同じ女性なのに、高齢出産になる紀子様に対し、「目出度いとはいえない」と口にする議員がいた事に私は憤りを覚えた。

 

2月16日、皇太子夫妻は盆栽展を見に来る。公務を休んでいる中で久しぶりの外出だった。

 バッシングの始まり

ここから「雅子さまがお可哀想」「そんなにまでして男子が欲しいか」

「わざと妊娠した」「長男の嫁の嘆き」「女性は産む機械か」などと言われのないバッシングを受けるようになった秋篠宮家。

(特に長々と特集を組んだAERAは今も許していない。全国の高齢出産女性への侮辱だった)

両殿下は覚悟していたかもしれないが、眞子内親王は思春期であり、何ゆえに母がここまで言われるのかと怒ったり悲しんだり不安になったりしたのではないかと思う。

けれど、この当時の秋篠宮家は公務に忙しく、懐妊がわかっても紀子妃は公務を続けたし、前2回の懐妊と違って今回は体調が悪かった筈で、正直、事細かに娘たちの心情を慮る事が出来なかったのかもしれない。

とくにポーカーフェイスの眞子内親王は、すぐ顔に出る佳子内親王とは違って、一見何の打撃も受けていないように見える程完璧な内親王だった。

私ごとだけど、回りと話していて、初産が40代の場合、体調について「こんなものか」と思って気にしなかったと言われたけど、私は11年ぶりの妊娠に「こんなに体が重い感じがするのか」と驚いたし、中期を過ぎるとよりひどくなっていく過程を覚えている。

紀子妃は、顔には出さなかったけれど、内心は「前と違う」と激しく思っていた筈で、そんな妃に向かって週刊誌を始めとするマスコミがこぞって悪口を書き連ねるという環境は本当にひどいものだった。

東宮家は3月にディズニーランドに小和田家と一緒に豪遊し、夏にはオランダ静養が決まっていた。

 

 前置胎盤発表でなぜかネットが大喜び

夏。ちょうど紀子妃の弟の舟氏の結婚式に出席した直後だったと思う。

紀子妃が「前置胎盤」と診断された。

過去2回の懐妊ではなかった事で、大出血を起こしたら命に関わる事だった。

美智子皇后の歌によると、その報告を何事もないように妃は言ったという。

皇后はすぐに大量のトマトジュースを差し入れた。

そして、この発表がなぜか、大型掲示板では「慶事だ!」とされて大喜びだった事。

よくわからないけど、前置胎盤になると男子が授かる可能性が高いんだそうで、そこでは「私も同じでした。男の子を産みました」という意見であふれ、もし、この予想が事実だったらいいなと私は祈るようにコメントを読んでいた。

前置胎盤の場合、絶対安静が求められる。

2006年8月16日に紀子妃は「愛育病院」に入院。

実は8月17日から皇太子一家はオランダへ行くといので、その前日の入院に「雅子さまに迷惑」と書き立てた週刊誌があった。

万が一に備え、秋篠宮家では眞子内親王のオーストリアホームステイの前に家族写真を撮っていた。

後の報道によると、絶対安静の入院生活は紀子様には大変苦しく、涙をこぼされる時もあったという。

ベッドを一歩も離れられない。トイレは車椅子。24時間点滴。圧迫感もあったろうし、恐怖心もあったかもしれない。

 

 2006年9月6日 親王殿下ご誕生

その日の朝、ドキドキしながらテレビを見ていた。

秋篠宮「行ってらっしゃい」

紀子様「行ってきます」

と。拳銃を構える女性SPが立つ手術室のドアに消えた紀子妃。

親王ご誕生だった。

そのテロップを見た時、いきなり涙が出て止まらなくなった。

何という奇跡なのか。本当にこの世に神様がいると確信した日だった。

その日は台風が来る予定だったけど、夕方の小雨に変わった。

北海道の天皇はアドリブで喜びを伝え、国民は心からの祝福を送った。

東宮家では皇太子が声明を出したが、「ご出産おめでとうございます。手術の成功をお祈りします」というようなちんぷんかんぷんな内容だった。

テレビではテレ朝がやらかした。

親王誕生を祝うべき渡辺アナウンサーが喪服のような格好をしていた。

あげく「オメコメ祝いといけないんですよね」と言った時、私はぎょっとしてしまった。生テレビで顔を見る度怒りが湧き上がる。

 

帰京した両陛下はすぐに愛育病院に駆け付けた。

その後、東宮家から順に見舞いに行く筈が、東宮家は退院の直前になるまで行かなかった。しかも、愛子内親王を連れて絵画展を見たついでだった。

 しかも、この時、非常にむずかった内親王から出た言葉が「ヤメロヨー」だった。

川嶋家は控えめにしていたけれど、教授は

清流に臨みて詩を賦す・・心に重なる感慨を覚えます。お健やかなご成長を謹んでお祈り申し上げます」と祝福。

 

実に41年ぶり、秋篠宮殿下以来の皇位継承者を紀子妃は出産されたのだった。

退院の日、沿道には沢山の国民が駆け付けてパレードのようになった。

私は心から嬉しかった。

実はこんなにも望まれていたのだ。誰も口には出さなかったけれど皇統を守って欲しいと国民は思っていたのである。

そして秋篠宮家がその願いを叶えてくれた。

親王は、一連の儀式を経て名を「悠仁(ひさひと)」お印は高野槇に決まった。

「悠」の字は悠久とか、ゆったりとか、とにかく時間軸が長くてその御代が続くようにと願われている。高野槇は神木。

未来の陛下を思うゆえの結界のような名とお印だ。

賢所皇霊殿に謁するの儀。

 本当に笑顔が可愛らしい親王殿下

 1歳

 初節句に両陛下から贈られた兜

 天皇の漕ぐ和船に乗って「皇位継承者」として完全に認められ。

本当に細くて心配しちゃった入園式。

でも卒園する事にはしっかり。

着袴の儀。まるで源氏の君のような・・・・

皇祖神の祝福を受けている悠仁殿下。

 

いよいよご成年。

リアル光る君へ・・・・を見るのは卒業式の後だけど、でもやっとここまで・・お待ちしておりましたよ。若宮。一日千秋の思いで。

 

こうして振り返ってみると、殿下が生まれるまでの時間が確かに無駄ではなかった事がわかる。

そして運命に導かれて殿下は生まれた。

背負っている運命は、近代皇室の中で誰よりも重い。そしてその行く先はきっと厳しいものとなるだろう。

でも、殿下はきっと稀有な陛下におなり遊ばす。私はそう確信している。

ただ心残りは、なぜ眞子様が日本にいないのかという一点だ。

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