2013年5月6日 帰国の挨拶の為参内
週刊文春2013年5月16日号
「オランダ密着レポート雅子妃が「小和田雅子」に戻られた夜ご両親に完全無視され凍り付く報道陣」
5月1日午後7時ごろ、シルバーのレクサスが皇太子夫妻が宿泊しているホテルに到着
カメラが近づくと「撮るな」とばかりに小和田氏はサンバイザーを下げた
小和田氏は憮然とした態度で駐車券を口にくわえて入る。
仮にも皇太子妃の両親なのだからメディアに会釈くらいすべきだった
小和田氏は栄達や名誉に強い執着を持っていて友人を必要としなかった。
オランダ時代、格式の高いゴルフクラブ「王立ハーグ&カントリークラブ」への入会を希望したが、日本人枠がなくて断られた。その時「はるかに後輩の会員が入っているのに自分が入れないのはおかしい」と会長に直訴。会長は長い間話を聞いていたが結局は断った。
小和田氏との面会から遡ること3時間前、在留邦人との接見には雅子妃は欠席。しかし雅子妃の穿破だった2名にだけは会った。
2013年5月26日 学習院幼稚園開園50周年記念式典
週刊現代2013年6月1日号
「雅子妃でよかったのかなー結婚して20年経って国民が思うこと彼女以上の女性はあの時はいなかったけれど、間違いだったという気がしないでもない」
オランダでの雅子妃の評判は高いものだった。英語力が評価され雅子スマイルは外交的に役立った・・・と報道されているが実際はそうでもない。
帰国後、雅子妃は東宮御所に引きこもり微熱とだるさで寝込んだ。
オランダ訪問が実現したのは小和田氏があっちこっちに掛け合い、安倍首相にまで懇願した。その時、宮内庁は完全に蚊帳の外。いつまでも親離れしていない雅子妃。
他人との接触を極力避け自分の世界に閉じこもる。それは20年前「お妃候補」として登場した小和田雅子さんからは想像できない。 キャリア外交官として国民が祝福したのに今は何をやってもバッシングされている。
結婚自体がミスマッチ。自分の考えを頑固に変えないので伝統や格式を理解しない。
その最たるものが「宮中祭祀」で形式的な儀式にしか見えない雅子妃は「自分がそれをやる必要はあるのか」と思う。
小さい頃か勉強がよく出来て周囲の期待に応えよい大学に入った女性は、それ以外の元を求められると思うように結果が出せない。例えば雑なコピーしかとれないとか、メオの字が下手だったりして「大学を出ても何も出来ない」とと言われる。
雅子妃は自分の能力を表に出したい。宮中祭祀は国民の為に祈るものだが、雅子妃にはその概念がない。今はただのセレブのよう。
2013年6月6日 三笠宮寛仁親王墓所1年祭
2013年6月10日 スペインに出発する皇太子の見送り
2013年6月14日 皇后見舞いの為参内
2013年6月16日 皇太子帰国の為、出迎え
帰国のコメント
「巡礼道を前から歩いてみたいと思っていましたけど、歩くことができて大変うれしく思っております。雅子がここに来たら、どんなふうに思っただろうか。こういう光景、こういったことを(雅子と)一緒に思い出を作ることができればいいなと思いましたけど。自分の体験を(雅子に)帰ってから話してみたいと思っています」
観光旅行に行ったよう。その期間が長すぎてスペイン国民に「まだいたの」と言われる。
週刊新潮2013年7月11日号
「異例の弁明を発表した「雅子妃」に一言ある人」山梨公務キャンセル」
6月28日、皇太子の山梨行啓に雅子妃が同行する事を検討と小町大夫が表明
しかし前日の午後9時になってキャンセル
単身山梨を訪問した皇太子が横内知事と面会。その時に「雅子妃からの伝言」を読み上げる
「ここ数日体調がすぐれずお医者さまと相談の上、残念ながら失礼することになりました。
せっかくの機会を頂きましたのに皆さまのお気持ちにお応えする事が出来ず大変心苦しくまた残念に思っております。また、改めまして山梨県を訪問出来ます日を楽しみにしたいと思います」
マスコミの取材のせいでキャンセル?
7月26日からは愛子内親王の臨海学校の見学
8月10日 池田家での東京湾花火大会
お盆は那須や奥志賀で静養
皇太子妃として落第
2013年7月12日 栄親睦会会員の晩さん会の為、皇居に入る
マスコミも本当は雅子妃が嫌いなんじゃないか?と思います。
予定にない行動ばかりして、遊びまわる人を身近で見ていてぞっとしていた筈。
それが即位した途端に180度転換したのですから、相当なお金が動いているのでしょう。
2913年はオランダ静養以外はほとんど「体調が悪い」で出てこない日が続きました。
三笠宮墓所一年祭で、徳仁親王の表情が晴れやかに見えるのは気のせいでしょうか?
小和田氏の権威主義、凄いですね。娘が皇太子妃ということで、どんなことも出来ると思ったようです。
雅子さまのご病気は、思う存分のセレブ生活が出来ず、常に監視され伝統を重んじるのが嫌で「約束が違う!」ということなのでしょう。
婚約内定会見も、内容は「言質とったどー!」でした。
小和田氏は長女を外務省の幹部にして、引退後も役所を掌握、私物化しようとしたのでしょう。しかし、入省はしたものの、娘が使えない官僚であることはすぐ分かったはず。そこで次の手は皇室。何もかも丁度よい相手が皇太子。ホントに不運でした。
スペインに出発する皇太子の額に瘤。雅子さんが暴れた、灰皿を投げたとか言われていましたっけ。
秋篠宮さまのお顔にも傷があったような、、、
一般の妻でも夫に物を投げる人は少ないでしょう。
皇太子妃失格っていうより人間失格かも?
山梨への行啓で雅子さんのメッセージを読み上げた皇太子。
自分の立場をわきまえていない。妻のメッセンジャーになんかになりさがったら、本来なら皇太子をやめるべき。あんな女性を税金で養うのさえいやなのに、それのメッセンジャーの男性を皇太子として崇めるのは無理な話でした。
それが今では天皇皇后ねえ。なんの罰ゲームなんでしょう?
もう秋篠宮さまを摂政の宮にして、喧嘩でもジョギングでも登山でも食っちゃ寝でもしていてください。
ただし国のお宝を売るとかプチエンジェルのようなことはご遠慮願います。
それにしても、シルクハットの持ち方が変です。
ブリムを持って体側に沿わせるべきなのに、クラウンの内側に手をグーにして突っ込んでいるような。お小さいときから、学帽や麦わら帽子もこうやって持っていたのでしょう。トホホ。