ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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とんすけの「わだつみのこえ」記念館に行ってきたよ

2024-10-17 07:00:00 | つれづれ日記

やあ、みんな元気?僕、とんすけだよ。

ここ、どこだかわかる?あのね・・・実は・・・東大の中なの。

え~~~何で僕がこんな所にいるかっていると、話は長いんだけど聞いて。

 

ママとダディが「歩こう会」やってるって前に書いたじゃない?

で、次回は「わだつみのこえ記念館」まで歩こうって事になってたんだけど、ここは平日月・水・金の午後1時から4時までしか開館してないんだって。

それで仕方ないからお休みの姫ちゃんと一緒に行く事にしたんだって。

本当は都営地下鉄に乗ればいいのに、どういうわけか「お茶の水」で昼ご飯食べてバスで行かない?って事になって・・・そしたらバスに乗り間違えて「東大構内」まで入って行っちゃって・・・で、赤門目指して歩いているところなの。

疲れた~~~東大ってね。広いの。

ママのふるさとの仙台にある東北大学くらいかな。でも東北大学の方が綺麗だよ。東大は歴史ある建物が一杯で、ママはうきうき、娘はうんざり「暑いったらありゃしない」

修学旅行の集団にも出くわしたけど、一番多く目にしたのが中国人。

すれ違う人がみんな中国語喋ってる。記念撮影しているのも中国人。

じゃあ、やっぱりあの噂「東大の大学院の80%は中国人」って本当なんだね。

ママは、中国人の親子連れが必死に写真撮ってるのを見てびっくり。

「だって、普通、大学に観光に来ないよね」って。

将来、子供を東大に入れたいのかな・・・・

 

やっと赤門着いたよ~~~~でも、ここの近くって聞いたけど、どこ?どこ?

結局、ここまで1時間も無駄に歩いちゃったの。

しまいには姫ちゃんがマップを開いて漸く到着。

東大のすぐそばにあるのに、誰も知らない建物。

これ、これ、マンションだよ。マンションの1階にあるんだよ。

で、

入り口がここ。入った瞬間「暑い」予算の関係なのかエアコンが28度設定になっててとにかく暑くてさ~~~

あのね、ものすごく可愛い女の子がいたの。まるで独身時代の紀子様みたいなワンピース着た。僕うっとりしちゃった。

あまりにも熱心に説明を聞いて見学していたので、ママが「何かきっかけが?」と聞いてしまったんだって。

 

ここは、学徒出陣の時、東大とかいわゆる国立大学にいた兵隊さん達の資料が置いてあるんだって。「きけわだつみの声」(岩波文庫)は今まで何度も重版されたり、形を変えたりしているけど、その時関わったのがここで。

こんな風に、兵隊さん達が残した手紙とか論文とか、様々なものを展示しているの。ママがこんなに興味を持っていたなんて知らなかったな。

ほとんどが20代前半の学生達。案内してくれたおじさんはお話好きな人で色々話をしてくれたんだって。

あの日は雨でしたね

ああ、そうだけどそんなには降っていなかったんです

そうですか。報道を見るとどしゃぶりのように見えましたが

あのニュースはね

的な会話をしてたよ。

姫ちゃんは映画のポスターなんか見てたけど、織田裕二主演のを面白そうだと言ったのでママに叱られてた。「戦後最悪の映画だからみなくてよろしい」って。

それから姫ちゃんは兵隊さん達が家族に残した手紙を読んで感動してたけど、今時の人からすると「重いな」と思うんだって。

死ぬかもしれないから結婚はしない・・・結婚して子供がいる妻に対しても「僕が死ぬとき、君がいないのは悲しい」とか。

たった一つの言葉でも後50年を一人で生きる力を与えてくれる言葉。それはとても大事な事なんだって。

大学生はいわゆるインテリなので、庶民が戦争に対して盲目に信じている事に怒りとか、失望とかあって、非常に冷静な目でみていたと思うんだって。

だけど、それって今も同じじゃない?

総裁選を顔や雰囲気で決めようとか、口当たりのいい言葉に誤魔化されるとか、みんな変わってないよね。

そこのおじさんが「上村元太さんの手紙が今ちょっと話題になってて」と紹介してくれたそう。

そこにはね。

何時か何時の日にかは漢民族の復讐に我々の子孫はあうやうな事もあらう」と書き残していたから。

中国が日本の侵略を受けて、もし自分が中国人なら日本の軍隊を許さないだろうし、自分は今その一人だと言う意味です。

彼は1945年に宜野湾で戦死したそうです。

 

ママが「きけわだつみの声」を読んで思ったのは、実際に戦死した人より、病死が多かったという事実に驚いたこと。

事故死も多くて、本当にやりきれないなと思ったみたい。

というのは、特に沖縄とか南方などにいると水あたりするでしょう?あるいは脱水になるから、それだけで死に至ってしまうんだよね。

華々しく散るならともかく、何をしに戦地へ赴いたのかと思った人もいたでしょうってこと。

実際、織田裕二の映画では、フィリピンに到着するなり敵の攻撃を受けて、あとは逃げ回るだけの日々が始まるわけです。

みんな勉強が出来て本を読むのが好きで、芸術家肌の人もいたし、論文が上手な人もいた。そういう人達の個性を奪ったのが戦争だったという事。

 

ママがずっと資料を読んでいる間、姫ちゃんは寝てたらしい。

やっと「帰りましょう」と1階に降りたら、またおじさんと会話になって、姫ちゃんは鞄の中の僕をつつきながら眠いのを一生懸命我慢してたの。

ママの声は

こんなに貴重な資料がのこされているのですか」

「素晴らしいですね」

「今も人々の胸の中に生きているんですね

等々。めちゃ丁寧語で喋ってるから別人かと思った~~~

ママがね、ママのダディが陸軍に徴兵されて中国大陸へ渡った話をしたら、

今は厚生省が軍歴を教えてくれるんですよ」ってお手紙の書き方も教えてくれて。

それに、今も学徒の人の資料を集め続けている人がいて、来年は戦後80年だから、それに向けて頑張っているらしい。

 

そういえば、あの建物に入った瞬間、本当に静かな、物音一つ言聞こえなくなったなって僕は思ったの。

沢山の遺品の中に、静けさをもたらすものがあるんだね。

79年前の歴史はわかるけど、その恨みを募らせて捻じ曲げて新たに侵略の手にする中国ってどうなの?

 

帰りは疲れちゃってタクシーでGO!

そしたら東大の前に立て看板があったの。なんて書いてあったのかわからないけど学生運動復活?怖いよ~~~

といいつつ、

結局はこうなる。

エビスビールはおいしいねっ!

わあ、僕の好きなブロッコリーだ!

うんふ やっぱりついてきてよかった。

そういえば、悠仁親王殿下、絶対に東大なんかいかないでね。

殿下にはふさわしくないよ。あんな・・・外国人しかいない大学。

 

コメント (4)
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