貸切公演でもないのに終演後にトップスターさんの挨拶があるって。子供の日だから?
GWだから?気を遣ってるなーーという感じです。
バラの国の王子
これ・・・合計3回見る予定です
最初、「学芸会」が始まったのかと思いました。そしたら霧矢が出て来た瞬間
「劇団四季」のこどもミュージカル風になって・・・以後、最後まで四季風こどもミュージカル。
子供の日にはふさわしい演目?
だとは思いますがファンタジーにしてはかなり理屈っぽい イメージでした。
ディズニーの解釈が全うに見えるわけ
キムシンは原作に忠実に作ろうとしたんですよね。ゆえに野獣を「愛」、ベルを
「心」という風に解釈しました。
この「愛」と「心」という対極にならない解釈・・・私にはよくわかりませんでした。
例えば「愛」「死」とか「善」「悪」ならわかりやすいけど、「愛」「心」うーん・・・
理解できない私が馬鹿なんでしょう。きっと
ディズニー版で野獣は非常に未熟な男として描かれいます。それがベルによって
優しく愛情深い男に成長していく。その最たるシーンがベルを家に帰すシーンですね。
野獣は初めて「相手の心を思いやる」事を知った・・・それゆえベルもまた愛したと。
しかし、キムシン版では野獣は元々慈悲深く親切な男です
ベルの父親を助けて食事と寝床まで与えた・・・そんな男がバラを一本手折られた
だけで「命の大切さを無視した」と言って怒り狂う気持ちがわからない。
野獣にとってはバラも人間も同じ「命」なんでしょうけど、人間の命がバラよりも
劣るとか、バラ一本で「お前の娘を連れて来い」という事になる過程が変ですよね。
またベルはシンデレラのように二人の姉に苛められつつも親孝行な娘として
描かれますが、でも本当の自分はそうじゃない・・何一つ自分では決められないと
唄いますが、父の身代わりになると決めたのは自分じゃん みたいな?
ここは「私はなんて偽善者なのかしら」と歌うべきじゃないかと・・・・・・
野獣を「可哀相」と同情する心こそ偽善そのものなのですから。
という事で、野獣とベルの間はぎくしゃくしたままでお互いに影響を受け合うという
事はないまま一旦別れます。
その後、野獣が絶食っていうか、ハンストっていうか・・・それをしている事を知った
ベルが教えてくれた小鳥達に「馬鹿、何で私を信じてくれなかったの」って怒るシーンが
ありますが、だって1週間の約束を反故にしているのはベル自身じゃんみたいな?
ディズニー版ではガストンという屈強で強要のない男がベルに言い寄り、
父親をだまし、野獣を殺そうとします。それも村人達を扇動して。
それって「人間でないもの」「異端」であるものに対する偏見の象徴と言えますね
ベルも本ばかり読む「変わり者」でそんな変わり者を矯正するのは自分だと
ガストンは思っているわけですし、自分達に何の害を及ぼしているわけでもない
野獣を「殺しに行く」というのもそうですね。
ここに明確に「悪役」が存在する事でストーリーは引き締まり、わかりやすいのです。
今回、この悪役に相当するのは「王様」です。
しかし、この王様は「わがまま」だ「自分の欲求を我慢した事がない」などと
唄われてはいますが、とりたてて悪い人物ではないようです
ゆえにラスト、アンリが殺そうとする程憎まれているとは思えません。
本当の暴君ならベルを見た瞬間に拉致しているのでは
また、この王様は野獣にとっては半分血が繋がった弟であり、王様からすれば
「兄」です。その事実を両者が全く知らないというか、問題にしないって事が
話を浅薄にしました
自分を王にする為に兄は母によって野獣に変えられた・・・・
自分が正式な王位継承者であったのに腹違いの弟にその地位を奪われた。
ここに葛藤がないわけがなく、母親同士が戦えばすむという問題ではありません。
韓国ドラマじゃないけど、二人がベルを間に取り合う・・・というような話の方が
面白かったかも
とにかく理屈っぽいんです。
バラを愛でること → 命を大切にすること
親孝行な娘 → 内心は葛藤
「私はこの国の王子でありもうすぐ王になります。私を愛してくださいますか」
→ 元野獣は驕っている
単純に言えばいい台詞をわざと複雑に大仰に言うので、みているこっちはとても
ファンタジーに浸れないんですよねーー