ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

佳子様 伝統工芸展へ

2024-09-12 07:00:00 | 皇室報道

佳子様は11日、伝統工芸展におでましになりました。

ご自身が選ばれた作品をご覧になっています。渋いなあ・・・・

透明感が半端ない佳子様です。

佳子様本を見てて思いました。

オーストリア・ハンガリーを訪問された時は、かっちりとしたスーツ姿で真珠のネックレスとイヤリングをされていました。

でもペルーから佳子様のネックレスはこれに。これだけですよ・・・

筆頭宮家から皇嗣家になったら服がリーズナブルになるなんて。

どういう事なのよと思いながら。佳子様は美しいからノンアクセサリーでも十分によいです。

が、やっぱりしっかりしたものを身に着けて欲しい、真珠じゃなくて。

大体。何で天皇家はバカの一つ覚えみたいに白のスーツに真珠なのかしら。

皇嗣家がそれより派手に出来ない事、わかってて嫌がらせ?と思う程です。

 

11日は紀子妃殿下のお誕生日。さあ、今年もやってきました。愛子内親王。

またも昭和30年代の新婚旅行風思ったるい、暑いスーツで。

紀子様は1時間後には皇居に行かれるのに、何で来る?

どこに基準があるの?だったら悠仁親王の時も来るべきだったのでは?

佳子様のお召し物、「高すぎる」と言われるよりは「安物」と言われた方がよいと判断されているのだろうか。

高級でもそうでなくても文句を言われる。

 

紀子様が

心穏やかに過ごすことが難しく、思い悩むことがある

こんな事をおっしゃるのはよほどの状態であると宮内庁はわかっているんだろうか?

長官が「私も心を痛めている」と言ってもどうにもならない。

インスタに予算を増やすのではなく、情報開示にお金をかけるべできはないですか?

体調が悪くて公務を休み、出てくれば「体調悪かったんじゃないの?」と言って叩き、誰も言ってない「東大」進学により力を入れているとデマを流す。

もう背景に小和田外務省がいる事くらいわかるでしょう?

宮内庁は怖くてお仕事出来ないのよね。

 

日本人が中国で拘束されようと、ベラルーシで拘束されようとも「遺憾」「抗議」で、ブイを置かれても「抗議」NHKが中国人の尖閣発言を見逃しても、軽い罰のみ。

もっと言えば、サッカー選手がレーザーをあてられてもだんまり。

いつから日本人はこんな風に弱くなってしまったのか。

秋篠宮家は未来の天皇家になる家。

紀子様は国母になられる身。その方が体調を崩す程に思い悩まれているというのに何もしない宮内庁は解体してOK!

ぎゃあぎゃあうるさい天皇家の言う事に逆らえない宮内庁もなくていい!

紀子様の緊張した面持ち。恐らく天皇皇后に会うと怖いんだろうなと。

先日テレビでやってた三谷作品「死との約束」の松坂慶子みたいな感じで、さすがの紀子様も内心は嫌だろうなと思います。

 

どんなに愛子様が「悠仁殿下のせいで公務が出来ない」だの「日赤に毎日行ってる」だのと言っても、本当に単独は1度のみ。あとは親と一緒の鑑賞のみ。どうしてこれが「人気者の愛子様は悠仁殿下に遠慮している」になるのか。

一言で言えばみんな、どこの団体も「来てほしくない」のでは?

日赤に行ってる設定なのに月曜日から鑑賞公務ですが。

仕事してないって正直に言えばいいのに。

 

宮内庁長官。

早速「紀子様の文章には両陛下への言及がない」そうですけど、FLASHを何とかする気はおあり。あちらだって紀子様に言及しないでしょう。

こういうくだらないバッシングをやめさせてと言ってるんです。

悠仁殿下がどこの大学へ行こうと私達は気にしない。

でも、愛子内親王が仕事もしてないのに「毎日残業までしている」というのは聞き捨てならないというのは当然の事ではありませんか?

どんな人も、美智子さまみたいにタイミングよくぶっ倒れるなんて出来ないんですよ。

そこは宮内庁がフォローしなくては。

 バッシングや署名運動している人達の情報開示請求を出すこと

 女性週刊誌・文春・新潮その他、週刊誌に対して提訴すること

 秋篠宮家の警備を厚くすること

 秋篠宮家のインスタを開設すること

そして

天皇一家には蟄居して貰うこと」が宮内庁の最終目的にして下さい。

そうでないと、皇室の権威が失墜すれば役所の権威も消えます。

そうなったら宮内庁なんて「左遷されたの?」的な場所になる。

皇族の方々に尊崇が集まり、公務をどんどんして頂く事で宮内庁もそれなりに重要性があると思われるのですから。

今、皇室の伝統と祭祀をきちんと受け継いでいる秋篠宮家を救わないと、日本は必ず滅びます。

 

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紀子様 58歳に  2

2024-09-11 07:15:59 | 皇室報道

 体調やバッシングについて

いま、公的な仕事やさまざまな活動をしながら、日々の生活を送ることができる体調になりましたことを大変ありがたく思っております。

体調がすぐれなかった時期には、不安を抱いていましたが、家族のやさしさ、周囲のあたたかな言葉や気遣いが大きな支えになりました。

また、自分の食生活や睡眠、仕事のペースを見直しながら、ゆっくりと身体を休めるように心がけるようにしました。

このような中で、徐々に回復してまいりました。

紀子様も決して若いわけではなく、体調を崩す事もおありでしょう。でもご自分で食生活や睡眠などを見直していくという姿勢が素晴らしいんですね。

「体調の波」といって何もせず、やりたい放題をしていたのではいつまでも治るわけがないのですから。

今では、御用地内を夫婦で散策し、野山を歩くようになり、体力もついてきました。

足元に咲く小さな草花の姿や香りに惹かれ、訪花昆虫に見入り、樹々の幹や枝にふれながら、命の営みをより近くに感じています。

このようにして日々過ごせることに感謝しつつ、体調に気をつけながら今後の公的な務めを果たせるように努めてまいりたいと思っております。

いくつかの団体で総裁職を務め、さまざまな行事に出席することを通して、地域の人々の暮らしや社会がよりよくなるように活動する方々にお目にかかる機会があります。

その度に、真心をもって取り組む姿勢やあたたかな言葉が、人々の支えになり、力になっていることを感じました。

今年の4月に、能登半島地震後に地元を離れて金沢で出産した母親や出産直前の女性、出産を控えた母親といっしょに避難してきた子どもたち、そして出産を支える助産師の皆さまや、子どもたちと一緒に遊ぶボランティアと学生にお会いしました。

住み慣れた場所を離れたお母さま方や子どもたちは不安も抱えていらしたと思いますが、助産師と話すお母さま方の表情は穏やかで、子どもたちはボランティアと一緒に思い思いにおもちゃで楽しそうに遊んでいました。

不安定な天気が続き、まだ暑さが残る今の時期、母親も子どもたちも、どうか体調に気をつけて、お健やかにと願うとともに、能登半島に暮らす人々、能登半島を離れて暮らす人々の健康を願わずにはいられません

紀子様は様々な所で能登と関わっていらっしゃる。特に紀子様に関係する日赤の活動などの場で関りを持ち、このように思って下さるのはありがたいなと思います。

 

 活動の見直しについて

現在はさまざまな公的な仕事に携わっています。

同じ週に続けて幾つかの行事が入ることもあれば、時間的に余裕をもった週をすごすこともあります。

また、複数の行事が同じ日に重なることもありますので、早めに調整し、行事の準備をすることも大切だと感じています。

以前に宮様がお誕生日の記者会見で、「時代や社会の変化に応じて、現在の活動の進め方を工夫することは、必要になってくるのではないかと思います」とお話しになりました。

今後も、例えば行事の主催者と皇嗣職が相談しながら、よりよい活動のありかたを目指し模索していくことなどが求められるのではないかと考えております。

当たり前の事ですけど、早めに調整、準備。これが出来ないのが天皇一家であり、この文章読んで怒り狂ってる姿が思い浮かびます。

 

バッシングについて

ネット上でのバッシングによって、辛い思いをしている人が多くいるのではないかと案じています。私たち家族がこうした状況に直面したときには、心穏やかに過ごすことが難しく、思い悩むことがあります。その一方で、公的な仕事を通して、あるいは普段の生活でも、私たち家族のことを大切に思ってくださり、理解してくださる方々がいらっしゃることを誠にありがたく感じております

これからも、公的な仕事やさまざまな活動でお会いする方々の言葉や、自分の思いを伝えるときの言葉の一つひとつを大切にしながら、誠実に務めてまいりたいと思っております。

おいたわしい。本当に心がどうかなってしまいそうですよね。

事実でない事を散々言われて。紀子様の体調不良はそれが原因だろうと思います。でも私達がついてますから。紀子様。

<佳子の活動や様子について>

次女の佳子は、この一年も国内外でさまざまな公的な仕事をしてきました。

そのひとつひとつに心をこめて携わり、頑張っている姿を頼もしく思っております。

 

そして経験を重ねる中で、彼女らしいものの見方を育み、新たな視点を持ちながら自分の考えをしっかりと持って取り組んでいる様子、いろいろなことを考え、どのような仕事にも丁寧に臨んでいる姿を見て、刺激を受けたり学んだりしています。

女性皇族が結婚後も皇室に残る案については、以前に宮さまがお話をされていましたことと重なりますが、制度に関わることになりますので、お答えを控えさせていただきます。

今は成年皇族として、心を尽くして公的な仕事に携わりながら日々過ごしています。これからも健康に気をつけて、元気にすごしてほしいと思っております。そして彼女らしい生き方、幸せを心から願っています。


<海外で暮らす眞子について>

この暑い季節を、長女の眞子はどう過ごしているかしら、元気にしているかしらと思い、遠く離れた場所に暮らす娘のことが心のどこかに感じられます。

あるときは、娘が小さいときに一緒に読み親しんだ本を部屋の書棚で見つけてうれしくなってページをめくったり、またあるときは、子どもたちと読んでいた絵本の原画を展示している展覧会に出かけたりしました。

娘が好きな本や音楽の話に耳を傾けていたときのこと、芸術鑑賞、山歩きやスキーなどを一緒に楽しんだ思い出が、いまも色褪せずに心のアルバムにおさまっています。いつも彼女の幸せを願っています。

この紀子様の気持ちは痛い程によくわかります。思い出す度に涙が出て来るし、どうかお戻し下さいと祈らないではいられない心境でしょう。眞子様が早くご両親の愛に気づいて、帰国出来ますように私も祈っております。

 

今回の紀子様の文書は全体的にプライベートな事が多く、心情がわかるような痛々しいものだったと思います。

私達ですらうんざりし、悲しくなり、怒りで一杯になるのですから、当事者である秋篠宮家の方々、特に紀子様は傷ついておられる。このままでいくと、PTSDになってしまう。

そうならないように宮内庁は厳しい態度をとるべきであるし、ネットの誹謗中傷に対し、開示請求を行うべきだと思います。

例え、大元に小和田家がいたとしてもね。

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紀子様 58歳に  1

2024-09-11 07:00:00 | 皇室報道

 紀子妃殿下 お誕生日おめでとうございます

  ますます健やかにお過ごし下さいますようお祈り申し上げます 

 最近の様子

最近の様子ですが、この夏は家族3人で、岐阜県と京都府を訪問しました。

岐阜県では、「全国高等学校総合文化祭(総文)」に出席しました。

地元の高校生たちが中心となって時間をかけて作り上げた開会式の第三部、開催地発表は、「青春(アオハル)」がテーマでした。

各部門の紹介をつなぐ演劇「子ども卒業式・アオハルって?」では、舞台上の高校生が、自分たちは子どもなのか、それとも大人なのか、考え悩む自分たちの思いを率直に表現し、アオハルは十人十色で、それぞれの道を切り拓こうとしていると語っていました。

全国から参加している高校生たちは長男も含めて、そして私たち大人も一緒になって、青春(アオハル)の舞台にそれぞれが心動かされていたように思います。

長男が全国の高校生たちの作品や発表を見聞きし、岐阜県内各地の高校生が数年前から協力し準備して大きな祭典を作り上げてきた様子にふれる大事な機会になりました。

また岐阜では、長良川で鵜飼を代々受け継ぐ宮内庁式部職の鵜匠と会いました。

長男は、鵜匠から1300年前から続く伝統漁法の技に関する話を初めて聞き、「いつかぜひ見にきてください」と誘われ、うれしそうにしていました。

長良川沿いの宿泊先の部屋から、遠く鵜飼船のかがり火の風景を眺めることもできました。

京都では今年、「第27回国際昆虫学会議」が開催されました。

私たちはその開会式に出席するために訪れましたが、長男はこの会議の組織委員会からの招待で行きました

限られた時間ではありましたが、会議のテーマである“Consilience”(知の統合)にちなんで、複数の分野(保全学、進化形態学、民族昆虫学など)の人たちから昆虫食やトンボの研究などの話を聞く機会をもつことができました。

また、並行して開催されていた昆虫の絵画展や写真展も観賞しました。そこでの出会いや交流から、さらに視野を広げていくことを期待しております。

先週末には長男が通う高校の文化祭がありました。

長男はクラスの企画に参加し、友人たちと校内をまわって、残り少なくなってきた高校生活を楽しみ、大切にしているように感じました

 いつもですと、パリ五輪などに触れたり能登地震について話したりするところですけど、珍しく夏の公務に集中してお話に。そして悠仁殿下との関りを中心に書かれています。

 

<今後の進路をどう考え、サポートしたいか>

高校では、生徒たちが進路についての説明や、卒業生による進路・大学紹介を聞き、クラスで先生や友人と話す機会がありました。

学年が上がる中で、自らの将来について考えを巡らせてきたようです。

長男が好きなこと、学びたいことに取り組み、自分の興味を大事に持ち続けてほしいと願っています。

学ぶ場所は、長男自身がしっかり考え、決めたことを尊重したいと思っております。

進路を自ら決めていく過程で迷い、悩むこともあるかと思います。

必要なときに、これまで培ってきた力を発揮できるように、エールを送りたいと思います。

長男は9月6日に18歳の誕生日を迎え、法律の上で成人になりました。

しばらく先におこなわれる予定の成年式を終えてから、学業に支障がない範囲で、成年の皇族として宮中の行事や祭祀に参列するようになります。

家族と一緒に行事に出席することもあれば、一人で参加する機会も出てくることでしょう。公的な仕事においても、勉学に励む場や、それ以外の取り組みでも、それぞれに大切な学びがあり、役割があるように思います。

成年の皇族としての務めをひとつひとつ大事にして、経験を重ねてほしいと願っています。

はやり、18年前の事を思うと心が熱くなる私ですが、紀子様にとっても悠仁親王のご成長は感慨深いものがあるんですね。

そして東大云々の事も当然ご存知で、「長男がしっかり考え」とあらためて尊重されています。この所の署名運動などに本当に心を痛めていらっしゃる様子がうかがえます。

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進次郎君、夫婦別姓は女性差別だよ 知らないの?

2024-09-10 07:00:00 | 政治

高市さんの出馬表明、素晴らしかったそうですね。

これから見なきゃ。

夫婦別姓にしても小泉氏の「旧姓で不動産登記は出来ない」は出来るそうです。

「寅に翼」が夫婦別姓あたりからおかしくなってきましたよね。

そもそも寅子は猪爪→佐田になったのに、佐田→星になるのは嫌だから「夫婦のようなもの」にしようという。

でも更年期を迎えてもあだ「内縁の妻」でいいの?

国家公務員がこれはやっぱりおかしいでしょうと思います。

なぜ佐田姓になるのに抵抗がなかったのに、星さんには抵抗があるのか、色々理由つけてましたけど全然理解出来ません。

なんなら夫が戦死した時に猪爪姓に戻ればよかったんじゃないの?と思います。

 

 外国はみんな別姓だ・・・は間違い

「姓」というのは、国によって随分価値が違いますよ。

同じ名字ばかりのベトナムとか、名字がないミャンマーとか。

「家」に対する考え方が違っても別にいいんじゃないかと。

だけど。ローラ・インガルス・ワイルダーさんも、基本「ワイルダーさん」と呼ばれるし、スカーレット・オハラ・ハミルトンも「ハミルトンの奥様」と呼ばれるわけで、ローラはワイルダー家の、スカーレットはハミルトン家の一員に違いないんです。

メラニア夫人も「トランプ」でしょ。

 

フランスが夫婦別姓なのは男女平等意識じゃなくて「姓を変える」意識がないから。それでも子供は2002年までは父親の姓を名乗る決まりだったそう。

フランスに事実婚が多いのは、日本人にはわからない「名字なんてさ」っていう感覚があるからじゃないでしょうか。「フランスは婚外子が多いから日本も婚外子をどんどん産ませればいい」という考え方自体が日本には合わなかったですよね。

小泉氏他左翼さん達が目指しているのは、中国や韓国のいう「夫婦別姓」だと思います。

夫の名字を名乗るのが嫌だった」と涙を流す女性を出したりして。

けれど、日本という国は「同じ姓」を名乗る事で一つ屋根の下に暮らす家族を単位として考えて来たのです。

それは日本なりの考え方で間違っているのではない。正しいのです。

それでも泣くほど嫌なら「家族のようなもの」を実践してみたらいいのです。

 

 結婚する時、どちらかの姓を名乗る権利がある

私も、一度は別姓を考えた事があります。

あまりにアチラさんが反対するので面倒になっちゃって。

このまま事実婚でもいいかな~~って。

でも夫は「嫌だ、ふぶきの名字を名乗る」といい、変わったけど名字を変えた瞬間から10代前からふぶきの名字だったんじゃないの?って扱いを受けてました。今も。私の母が亡くなった時は夫の母が亡くなったと勘違いされたし。

戸籍上は私が筆頭者でも彼が世帯主ですから、何だか見事にあっさりと。

誰も「婿殿」とは言わなかったし、最初は「あれ?名字変わったの?」って言われたけど一か月後には違和感なくなってる。そういうものです。

日本の民法ではどちらの姓を名乗ってもいいのだから、最初から「夫の姓」と決めつけている人達がおかしいのです。

 

 旧姓を使える場が増えてきた

今の日本では、企業の中で「私、結婚しました。でも旧姓のままで」って言ってもあからさまにダメとは言われないでしょう。

公的な正式な書類だけ戸籍上の名前を使うけれど。

それに

 旧姓で不動産登記が出来る

 旧姓で印鑑登録出来る

 住民票に旧姓を入れる事が出来る。と言う事はそれを元にしている免許証やマイナンバーカードにも旧姓が入ります。しかし取り消す事は出来ません。

 

この住民票に旧姓を入れるという制度が出来た時、確かにわりと多くの女性がそれをしにきたけど、流行りはほんの一ヶ月程度で、全国的にみるとそれ程多くはないのでは?と思います。

 見届の妻

これは戸籍謄本で確認して手続きすれば、ほぼ別姓と同等かなと思います。

ここまでやっているのに、なぜこれ以上「別姓」に拘るのかわけがわかりません。

日本が同姓に拘って来たのは、いわゆる単一民族(渡来人も含めて)ゆえの家族構成だからですね。

決して家父長制ではないのです。

家父長制というのは、戸主がいて、その下に親・配偶者・子・孫・使用人・親戚まで含めて戸籍に入るので違うでしょう。今は戸主制度ないですから。

端的にいうと結婚した途端、新戸籍を作るので親子の関係が切れているような気さえします。名前の下に親の名前がなかったら関係性がわからないもの。

 

 夫婦別姓は女性差別

中韓において、なぜ夫婦別姓なのかと考えてみると、男子が必ず後を継ぐ為に配偶者の女性は子供を産む道具で、一族の外に置かれるからです。

「冬のソナタ」を思い出して下さい。

チュンサンは何度も母に「僕の父親は誰」と聞きますが、その理由は彼の名字である「カン」が母と同じだからです。

母と同じ苗字であれば母子家庭だとすぐにわかるので、世間体が悪いのです。

ゆえにチュンサンの母は結婚し、息子を「イ」に変えました。

 

夫婦別姓の場合は、子供はほとんど父の姓を名乗ります。

福原愛と江宏傑の場合も、別姓ですから生まれた子供は「江」姓です。

共同親権とかいっても、結局は完璧に男側が親権を取る。なぜなら名字が同じですから。

韓国でもなかなか母親の親権は認められません。子供は夫の家の子ですから。

中国では子供の数が少ないので、1人は夫、二人目は妻の姓を名乗らせることもあると聞きますが、そうなると家族で別姓みたいになってそれで「血縁」「家族」が保たれるんでしょうか。

 

それは王室、皇室でも同じです。

逆にいうと女は「父」の姓を受け継いでいるので、父「家」の為に権力欲求が強くなります。その為に朝鮮王室は身内で戦い続けやがて王室そのものが滅びるわけです。

嫌ですよね。夫も子供も同じ名字で自分だけ違う名字なんてね。

私は嫌だけど、泣くほど「夫の姓を名乗るのが嫌だ」という女性はそれでもいいのかな。

 

 離婚しても元夫の姓を名乗る人達

こういう方、結構多いです。日本だけかな。

理由は「子供が可哀想だから」確かに、今までずっと同じ姓で育って来たのに離婚したがゆえに姓が変わるのは可哀想。だから敢えて夫の姓を名乗り続ける。そのうち、歳をとって今更旧姓になっても面倒だなと思う。

そういう事も許されるのです。法的に。

離婚する時、「旧姓に戻る?それともこのままいく?」みたいにね。

随分日本は自由ではないですか。

 

日本には日本に根付いた家族観があり、一族意識もある。

けれど、「妻」「夫」を同姓にすることで誰かを排除したりしない心の広さがあるんじゃないかなと。

何でもかんでも外国と同じにしなければいけない理由なんかないんです。

 

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雪組 ベルサイユのばら

2024-09-09 07:00:00 | 宝塚コラム

運よく1度だけ見るチャンスを頂きました。

色々ベルばらを見て来ましたけど、今回の演出は斬新で尚且つ退屈しない。

彩風咲奈のさよなら公演としても最高の出来で、彼女はなんて幸せなトップスターだろうと思いました。

これから見る方もいるかと思うのですが、オールドファンも初心者もこれだけは心得て見て欲しいです。

 ベルばらは歌舞伎

一般的に植田歌舞伎と呼ばれる仕様で、再演を重ねる度に「これでいいのか?本当にこれでいいのか?」と考え続けてしまいました。時代はベルばらがヒットした時のような女性の権利を主張する時代ではないし、軍隊には女性が沢山います。その中で「男装の麗人オスカル」の需要があるのか?と私は思っていたのです。

そして「原作を読んでから見るべきか、見てから読むべきか」と悩む作品でもあります。

で、今回、結論に達したのは「歌舞伎の段だと思って見れば、整合性のとれない場面の羅列でも矛盾がない」という事です。

植田歌舞伎の特徴は、芝居の整合性よりスターの得意技と見せ場をふんだんにいれた「段」の連続で、だから植田作品に出演しているスターはすぐに認知されます。

柴田作品は徹底的にキャラのタイプはは常に同じ。悪い男と泣かされる女。時々のトップコンビに合わせてストーリーを変えていくという感じ。

植田歌舞伎はストーリー性より場を盛り上げるのが先。

だから「何でこんな所で〇〇なの?」「え?いきなりそれ?」と驚かずに、これは「段」だから、そのシーンに気持ちを埋没させればいいのです。

 

 一幕

今までと何が違うかというと、一言いうと「ストーリー展開の早さ」です。余計なシーンは全部省きました。見たいところ、見せるべきところだけ見せます。

そして、つなぎに薔薇の精達のダンスを入れましょうって感じ。

仮面舞踏会の後はいきなり何年後かな?

薔薇の精達の真ん中に大きなつぼみがあって、そこが開くとピンク尽くしのフェルゼンとアントワネット様が・・・そして愛を語るんです。

そうかと思えば宮廷の広間で、いつものモンゼット夫人とシッシーナ夫人のやりとり。今回はフェルゼン様派とオスカル派に分かれての舌戦。

そこにいきなりジャンヌが現れ(この人誰?って感じですね)偉そうに生意気にぎゃんぎゃん毒を吐きます。

オスカルはどこまでも生真面目な軍人でおばさま達にお付き合いはしません。そこらへんが、星組と違うんだなと思います。

フェルゼンに「本当に愛しているならお別れするべきではないか」と言われ、ショックを受けたフェルゼンは怒って去ってしまいます。

このままだとオスカルとアンドレは結ばれる事にならないんじゃとハラハラ。

アンドレはひたすら片思いを口にしますけど、全然オスカルには伝わってなさそう。

 

アントワネットは「今日からあなたは王太子妃になるのだからと言ってお人形を取り上げられた」話をしますが・・・なんとこのセリフはメルシー伯爵のも含めて3回以上出て来る。

わかった。それは分かったからお人形の名前は何ていうの?と延々と思い続け、最後にやっとステファンだったとわかるのです。

そして、フェルゼンの屋敷にはメルシー伯爵が訪れ「お別れするのが・・・」とオスカルとすっかり同じセリフ。

オスカルの時は怒ったのにメルシー伯爵に言われたら素直にスウェーデンに帰るフェルゼン。

国王の「知っていたよ」も2回程聞きます。

そうか・・・ご存知だったのですね。でもお許しになった心の広い、いい国王陛下だわと。

そして、唐突に「今宵一夜」です。

何と、フェルゼンから手紙が来て、「君を愛しているのはアンドレ」と読んで

え?アンドレが?

となり、アンドレを呼び、ここが本当に見事だと思ったんですけど、オスカルは何もかも初めてだったんですね。

私を抱け」とは言うものの、本当に抱かれたらびくびくしているオスカル。可愛い~~~そしてアンドレのいきなりな強引感がいい!

で、次の場面ではもう死んでいるんです。

観客はここで思うでしょう。

え~~バスティーユないの?でもまあ、フェルゼン編だから仕方ないか

で、フェルゼンがグスタフ3世に出向いて、去る処ですが、夏見ようのグスタフ国王が素晴らしくて、フェルゼンに同情して泣いてしまいました。

私はこのシーンは壮一帆の方がいいと思っているんですけど、でも、こっちもやっぱり感動のシーンだなと思いました。

 

幕が下がるとみんな、感動のあまり色々声を上げていました。

宝塚が初めての人もいたようだし、「ベルばら」が初めての人もいました。

セットのキラキラ感が半端ないし、貴族たちの衣装も綺麗だし、夢の世界とはよく言ったもの。これが「宝塚」ですと世界に向けて発信してもいいんじゃないかと1幕だけ見てここまで思いました。

 

 二幕

またも小公子達が歌って「フェルゼンとアントワネットはどうなるのでしょうか」とふり、ぱっと場面が変わったらいきなり「ロック・ラ・マルセイエーズ」が始まり、華世京率いる市民たちが「1789」ばりに踊ります。

尚先生頑張った!かっこいい事、びっくり。ここでこんな事しちゃって大丈夫?と思ったけど、次の場面でフェルゼンが「愛に帰れ」を歌うと、なぜか自然に繋がって、元の「ベルばら」に。

 

チュイルリー宮では王子と王女が「こまどりが泣いている」を歌います。この歌は鳳蘭のフェルゼン編に初お目見えだったと思うのですが、好きなんです。

途中で終わっちゃうのが悲しい。

ここでまたアントワネットが人形を取り上げられた話をし、そこに国王が入って来て、「知っているよ」が出てきます。

この場面ってアントワネットと国王が初めて夫婦らしい会話をするシーンですが、突如プロヴァンス伯爵が入って来て「呼び出し」があったと。

これで死刑なんですね。

で、何で弟君が?と思うと「お供致します」だったんですね。

アルトワ伯爵はさっさと逃げたけどプロヴァンス伯爵は兄に殉じるのかと感無量(史実は違うけどね)

あっと言う間に国王が死刑になって、フェルゼンは国境の町で国王が死んだ事を知り、馬車を走らせます。

ああ、懐かしい。ツレちゃんの声質に見事に合っていた「駆けろペガサスの如く」私にはいつまでもツレちゃんの声で残っています。あのベルサイユに咲く紅薔薇のように!じゃないよね。

 

でも、ジェローデルがここで時間を巻き戻してしまします。

なんと、ここでバスティーユですよ。諦めていたバスティーユが。

ここで思いました。

日本程、「ラ・マルセイエーズ」を美しくアレンジする国はないと。

パリ五輪の醜悪な開会式を思い出して下さい。

セリーヌ・ディオンが歌ったあれもよかったけど、やっぱりベルばらには叶いません。今でもこの曲を聞くと盛り上がりますから。

ここでのオスカルの「アンドレ、お前はもういないのか」に思わず泣いて。

今まで泣いた事ないのに。やっぱり歳のせいですかね。

小さい頃とまた違った感慨があるんです。

バスティーユに白旗が!」あ、今、ロナンが死んだ・・・・

いやいやいや。

でもね、オスカルのいう「自由・平等・友愛」の先にあったものは、LGBTQと移民ののさばりでした。報われないスローガン。これだから左翼はと思ってしまいました。

どんなに理想を掲げて戦って、勝ち取ったとしても理想は理想でしかすぎず、結果的にこれを悪用しようとする人達を止める力もない。

「自由」の名のもとに「平等」の名の元に多くの人が傷つき泣いている。

その多くの人々がオスカル、あなたと同じ女性であること、留めておきたいです。

さて、こんな所で話を聞いてる暇があるの?フェルゼンと言いたいけど、オスカルの死の真相を知った彼は白薔薇を持って「よくやったな」と笑うんです。

そこ、そんなに清々しく笑っていいの?

そして植田先生の「持論」をフェルゼンが語ります。

つまり、人は黙っていても死ぬのになぜわざわざ戦争をするのかというような。確かにそうだよね。と思っていたら「セラヴィ・アデュー」が。

ここは咲奈ファンが号泣する所。

散る白薔薇も悲しかった。

 

次はもういきなりコンシェルジュリなんですけど、コンシェルジュリと言えば、忘れもしないパリ五輪開会式の「アントワネットの首」があったあそこ。

日本ではこんなにも愛され、悲劇の主人公として生きているアントワネット様、フランスでは違うのかな。

ここでフェルゼンは「王妃様!」と叫んでセリ下がっていくのですが、あまりに早すぎて。

ちょっと・・・ちょっと・・・ここはさあ、主役がもう少しためないと。

夢白あやは初風諄様じゃないんですから~~~~~と思ったら大階段に真っ赤な薔薇が。おおっ!と驚いてまあいいっかの気分に。

 

 フィナーレ

赤い薔薇のロケットを経て、あとはほぼ彩風咲奈が出ずっぱり。特に群舞で縣千を中心に銀橋で踊る姿は生え抜きゆえの感慨がありました。

舞台上でジャケットを着たり脱いだり。

さぞや大変だろうなあと思いました。

特にラストは銀橋でのステップが秀逸で。

難しい振りはいらないの。男役がこういう風に立ったら、こういう風に振り返ったらかっこいい!ポーズの連続で堪能させて頂きました。

パレードは、アントワネット様の真っ赤な衣装で始まり。

そう言えば、初風諄様の時はせり上がってのパレードで、あれも斬新でしたね。

今回はその上でした。

なんせ、トップが降りてきた時、誰もいない。

こんな経験は星組、稔幸の「WEST SIDE STORY」のフィナーレ以来。

え?と思ったらなんと。客席から登場ですよ。

そこで歌って私達も拍手で応えてという、客席一体型のパレードでございました。

終了後は、どよめきが止まらず、私もめまいがしそうでした。

宝塚、やればできるじゃん。

宝塚は永遠ですというのを「ベルサイユのばら」で証明しましたね。

110周年にふさわしい演出でした。

 

 出演者について

彩風咲奈・・・さよなら公演で恵まれてよかったですね。パンフレットも分厚くて、衣装もとっかえひっかえ、これ以上ないです。優しいフェルゼンでした。

夢白あや・・・この世代で植田節を語るのは難しいと思います。時々「へ?」ってセリフ回しもあったけど、非常に歌舞伎的で威厳のあるアントワネット様でした。

朝美絢・・・オスカルとしての出番が少なくて。フィナーレも全然出てこないし。でも、朝海ひかる程ではないにしても、非常に素直で可愛いオスカルだったと思います。場面数のない中で個性を発揮するのは大変だったと思うのですが、よく頑張りました。

縣千・・・非常にかっこよく包容力のあるアンドレだったなと思います。貫禄がついたというか、上級生としてよい意味で成長したなと思います。

華世京・・・ベルナール。ベルナールのモデルはカミーユ・デムーランだと聞いた事があります。新聞記者でジャコバン派の中心になるけど、池田理代子さんの続編では殺されちゃう可哀想な役です。でもここのベルナールは非常によかったと。まあ、ベルナールの見せ場は本来、黒い騎士でそこが省略されているので見せ場はないけどね。

野々花ひまり・・・ロザリー。彼女の見せ場は撃たれたオスカルに駆けよるシーンくらいですね。それと王妃にスープを差し入れるところ。そしてフェルゼンと止めるところ。そつなかったなと思います。

音彩唯・・・大胆なジャンヌでした。見た目も印象的ですけど、セリフ回しの元気のよさが印象に残りました。

まあ原作を知らない人からすれば「誰?」って話ですけど、ジャンヌはロザリーのお姉さんなんだよ。

 

専科の方々も本当に素晴らしく盛り上げてくれてよかったです。

 

本当は、アントワネット様の名セリフ

例え太陽が西から登ったとしても」や

こまどりだって平和平和と鳴いているでしょう。マリーアントワンネットはフランスの女王なのですから」とか

ポリニャック夫人の「文句があるならベルサイユにいらっしゃい」も聞きたくなるわ~~~

 

 衣装について

今回の衣装担当は加藤真美氏です。

任田先生のように袖口のレースや、燕尾服の肩のラインが素晴らしいとか、有村先生のようなワンショルダーのドレスのインパクトや、群舞の衣装のかっこよさは過去のものになりつつあるんだなと。

次代の流れなんだからそれはしょうがないです。

加藤真美氏の衣装は個性的で、現代的で。ある意味好き嫌いがあるような気がするんですね。いい時はいい、でもダメだなと思った時はダメ。

今回、主役クラスの衣装はよいとして、問題は貴族の奥様達なんですね。

何となく「ちょっと違うかも」って感じが。

それは、万里柚美ら大貴族の衣装と、その間に挟まっている昔の貴族の衣装。これを比べると、昔の衣装の方が華やかで可愛いわけ。

で、加藤氏は、年齢に合った衣装を考えたのだと思います。

しかし、ベルばらというのは、全体的にパステルカラーで難しい色合いはあまり似合わないのです。

フィナーレの夢白あやの赤いドレスを見て「これが最強」だなあと思いました。

他の衣装は、ピンク、グリーン、ブルーと色の統率が取れていて好きです。

薔薇の精達の衣装も可愛いし。

だけど、加藤氏の現代性が、今後のコスチューム物の流れを変えてしまわないか、そこから宝塚的なものが消えてしまわないか、ちょっと心配なのです。

任田氏が陽なら有村氏は陰。そして加藤氏はどっちなのか。

ショー向きではあるけど、芝居の中で溶け込んでくれたらいいな。

そしてせめてもう一人、「陽」のデザイナーが欲しい。

「夜明けの光芒」の衣装を担当した植村麻衣子さんのコスチュームは中々よかったなと思います。

日比谷シャンテの衣装展もぜひ見た方がいいですね。

今までになくお金を使っております。

もうびっくり。

そして東宝のグッズ売り場にはキャトルに負けじと品揃えが豊富になりつつ。

特にモーツァルトのくまには着せ替えがあって女子が群がっておりました。

私、「ルパン」のDVDを買おうか迷っているんですけど、買う価値ありですか?

 

 

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皇室ウイークリー

2024-09-08 07:00:00 | 皇室報道

ご日程

両陛下

8月15日・・・両陛下 → 全国戦没者追悼式出席

      天皇陛下 → 通常業務

8月16日・・・天皇陛下 → 離任大使に会う

              最高裁判所長官親任式、認証官任命式

8月17日・・・天皇陛下 → オペラ「リナルド」鑑賞

8月21日~30日・・・両陛下 → 那須御用邸

8月30日・・・天皇陛下 → 通常業務

9月1日・・・天皇陛下 → 旬祭

9月3日・・・天皇陛下 → 通常業務

      一家 → 「ストラディヴァリウス・コンサート2024」)鑑賞

9月4日・・・天皇陛下 → 稲刈り

9月5日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式

             勤労奉仕団に会釈

 

皇嗣家

8月30日・・・両殿下 → 新旧検事総長、新東京高等検察庁検事長、新次長検事から挨拶を受ける

9月5日・・・両殿下 → 第47回技能五輪国際大会日本選手団に会う

 正直、天皇ご一家3週間以上でこれしか公務なしです。

 稲刈り、早すぎたんではないかと思うのですが。それともこれ以上になると稲が腐っちゃうの?今年も20株です。天皇はあまり、というか全然稲刈りには興味がない。っていうか、田植えも興味がないよね。

さっさと悠仁殿下にお譲りになれば。養蚕だって家族でやっちゃうんだから。もう無理してやらなくていいよ。

 一人の時はマスク無し。家族の時はマスクする。これが天皇家の常識。

 雅子皇后、随分と首筋が痩せた?年とった?ような気が。階段から落ちるんじゃないか?という足取り。

 

という事です。つまり聖教新聞に載っちゃったと言う事で。

確定なのかな。それなら小和田家との付き合いが長いのもよくわかります。

買いました!!

隣に「テムズと共に」があったので離してきました。

なんと麗しい写真の数々。眼福です。

 

 

 

 

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天皇ご一家にご忠告申し上げる

2024-09-07 07:00:00 | 皇室報道

39年ぶりの男性成年皇族で未来の天皇陛下のお誕生日だというのに、誹謗中傷の書き込みは余計にひどくなり、普通の人だったら死んでますよ。絶対。

そりゃ、この日本には日本国籍なのに日本が大嫌いという人達が多いし、ゆえに土地がどんどん侵略されても何も言わない。外国人がのさばっても応援してしまう。

そういう人達が正当なる未来の天皇に対し、お祝いどころか誹謗中傷をするのはなぜなのか。

お茶の水だけがまともにお祝いしてくれて本当に嬉しかったです。

悠仁殿下のコメントは

今年の9月6日に18歳の誕生日を迎え、成年になります。幼稚園や小学校、中学校に通っていた日々がついこの間のことのように感じていますが、もう成年なのかと思うと、時が経つのは早いと実感しています。

この18年の間、多くの方々が、その時々にさまざまな形で心を寄せてくださいました。深く感謝申し上げます。そして、今まで育ててくれた両親と姉たちにも感謝しています。

2022年4月から、民法の定める成年年齢が20歳から18歳になったことにより、私も成年になるのは高校在学中になります。今は最終の学年として、進路実現に向けて努めつつ、学校行事を含め、残り少ない高校生活を大切にしたいと思います。

今後も一つひとつ経験することを通して学びを深め、さまざまなことを吸収して、成長していきたいと思います」

大変シンプルですが、わかりやすくいかにも青年というようなコメントですがすがしい思いをいたします。

殿下の「姉たち」という言葉にうるっと来てしまって。眞子様がいたらどんあによかったかと。あの小さな子がもう眞子様の身長を遥に超えて大きくなられたのですよ。文体が少し秋篠宮殿下に似ておられます。

 

本当に高身長で足が長いっ!おまけにくせっ毛で・・「あさきゆめみし」の源氏の君のよう。

大学に入られたら突然「お姉さま、スキンケアはどうしたらいい?」とか「髪型どんな風にしたらいい?」などと佳子様に聞かれて、今時の大学生のように朝晩せっせと化粧水や乳液を使ったり、かみそり使ったり、髪にウェーブを入れ、服装もお姉さまの着せ替え人形になられるでしょう。

と、想像するだけでにやけてしまう。

宮内庁発表の文章の中でさすがと思ったのは、

悠仁親王殿下は、「令和6年能登半島地震」で被災された方々の暮らしをご案じになっています。

4月の春休み期間中、ご家族とともに、ボーイスカウト日本連盟に加盟するローバースカウト(18歳以上25歳以下の青年を対象)から、被災地で行った支援活動の状況についての説明をお聞きになりました。

ローバースカウトたちが、被災者に寄り添いながら様々な活動に携わったことや、どのような思いで被災地の支援に取り組んでいるのかなどについてお聞きになりました

殿下は有言実行するし、単に心を寄せるだけではない。

それに比べて天皇一家は、いきなり昨日「大雨の被害に心を痛めている」というコメントを出しました。

悠仁殿下に関する文章を読んだのか、「あっ」みたいなタイミングですよね。

そうはいっても、心を痛めても12日から那須へ行くんでしょ。

突如、心を痛めているとかいっても帰京したわけじゃないし。

那須も相当な大雨だった筈。「うちは関係ない」だったんだろうなと思います。

 

殿下は、午後5時すぎに御所に参内。

両陛下に誕生日のご挨拶をされたのですが、なんとその席に、帰宅したばかりの愛子内親王が同席したとのこと。

もう本当に腹が立つというか、この参内は儀式であってプライベートではないのです。何で仕事帰りの内親王がわざわざ両親と一緒にいるのか。

眞子内親王が正装してお別れに参内した時もいましたよね。

こういう公子混同の行動が、皇室の権威を貶め、軽く扱われる元になっているのです。

愛子内親王がいつから「常勤」設定になってるんだかわかりませんけど、さも毎日仕事に励んで9月にやっと休みがとれるから両親と那須へ行く・・・的な事を週刊誌は書いてます。

しかし、あくまで内親王は非常勤の筈。非正規で常勤で残業ありなんてダメでしょう。給料いくら貰ってるのかわかりませんが、内廷皇族がこのような働き方をしていいのか?

悠仁親王の皇族費がどうのとか言う前に、そっちを追求すべきです。

 

天皇陛下。こんな事をしていると、本当に真面目に罰があたりますよ。

自分達の不始末を全部引き受けてくれて、皇統を繋いでくれた秋篠宮両殿下に感謝する事もなく、たった一人の甥、そして皇位継承者を大事にする事もなく、マウントとってるのか?という感じに愛子内親王を同席させるなんて、失礼すぎる。

公務がないのは悠仁親王より目立たない為」という言い訳もしなくてよろしい。人のせいにしないで、今一度家族を外側から見てみるべきでは?

 

天皇陛下、皇后陛下、あなたたちは夢の中に生きている。

何でも要求が通って、好き放題休めて遊んで寝て食べて。

自分の娘が将来天皇になり、母は皇太后になる事を夢見ている。

そうすれば望まない結婚に対する積年の恨みを晴らせるとでも思っているのでしょうか?

現実を見てごらんなさい。

 

ほんの少しでいいから、第三者の立場で自分の家族を見てごらんなさい。

妻は恨み言しか言わない。たった一つの趣味、音楽鑑賞にまで娘つきでついてくる。

どこでも3人一緒。でも実は荷物席に座らされている。

海外へ行けば、一通りは遇して貰える。でも蔭では笑われている。

あんな奥さん、私なら絶対に嫌だね」と世界中の王族が言っている。

ちょっと頭のおかしなタイの国王ですら正妃も側室も美女で公務をしてくれるっていうのに、陛下は常に妻の機嫌に振り回され、娘のだらしなさと幼さに気づかず、自分は幸せなんだと思い込んでいる。

とんだ裸の王様なのですよ。

皇后は秋篠宮家が自分達にないものを沢山もっている事を知っている。

学も教養も家柄も血筋も美貌も。

得られなかったものは全て自己責任なのに、「秋篠宮のせい」と思い込む事で楽になっている・・・ふりです。

もはや昼夜逆転現象で、朝なのか夜なのかすらわかっていないのでは。

まだ61歳だというのに、ヒールで歩くだけでガタガタ、すぐに転びそうですよ。

二人とも親の縛りから抜け出る事が出来ない。

未だに甘え切った生活をしているお子様夫婦です。そこに生まれた内親王は永遠に大人にはなれません。

恐らく両親を失った時、互いに心の崩壊を起こすのではないかと私は思います。

そうなりたくなければ、きちんと秋篠宮家をたて、悠仁親王を「皇位継承者」として扱うべきです。

お題目を唱えても誰も何もしてくれません。

 

皇祖神に祝福された悠仁親王を貶める事は誰にも出来ません。

あなた方が台風を呼ぶなら秋篠宮家は青空を呼びます。

それくらい、今の天皇一家はおかしく見えるし、もうすでに天罰が下っているのだろうかとさえ思いますが。

マウント取るのはおやめなさい。

平穏な老後を過ごしたいならおかしな野心を抱かず、規則正しい生活をなさるのです。

娘の現実を受け入れ、無理な事はさせずに御所に置くのです。

妻の現実を受け入れ、せめて回りの世話をしてくれる人達のストレスを取り除くのです。

大好きなオペラにひたるくらいは許して貰えるでしょう。

御所をノイスバンシュタインにみたて、毎日「ローエングリン」や「ニーベルングの指環」の中に埋没したって誰も怒ったりしない。

現実を受け容れたらあとは一人になる事こそが陛下の救いです。

私達にとって今の天皇家より、未来の天皇家の方が大事。

国家の為に祈り、国家の精神的支柱になられるのは秋篠宮殿下であり、悠仁殿下なのですから。

 

 

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悠仁殿下 18歳に

2024-09-06 07:06:36 | 皇室報道

 悠仁殿下

お誕生日おめでとうございます 

そして祝ご成年 心からお祝い申し上げます

随分背が伸びました。

「幼稚園や小学校・中学校に通っていた日々がついこの間の事のように感じています。今まで育ててくれた両親と姉達にも感謝しています。進路実現に向けて努めつつ残り少ない高校生活を大切にしたい」

非常にシンプルです。それでいいのだと思います。

感慨深いものがあります。

成年皇族であるけれど、勉学に勤しむ。

だけど、かつて浩宮がそうしたようにイギリスを拠点として、あっちこっち旅行して歩いたり、遊びまわったりする事は恐らく出来ないものと思います。

世界情勢を見ても皇族が海外で自由を謳歌するような時代ではないので。

そうなると悠仁殿下の「海外」は皇室外交とか研究旅行に限られていますよね。

大学に入りましたー公務はしませんというわけにもいかないでしょう。

希少な男子皇族ですから、「加冠の儀」の後は、積極的に公務を行う。もしかすると総裁職も待っているかもしれません。

何と稀有な運命をお持ちの皇子だろうと。

悪口を言われながらも黙って明るくふるまうお姿に私は感動します。

 

宮内庁は例の署名運動に「不思議だ・心を痛めている」とか言ってるそうですが、もっと堂々と守りなさいよと言いたいです。

でも、とにかく殿下は今まで通り頑張って頂きたいです。

 

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悠仁親王誕生への道 最終回

2024-09-06 07:00:00 | 皇室報道

 2006年の歌会始めの儀

年末にあんなことが起こっていたとは露知らず、とはいえ、それでも何食わぬ顔でいる東宮家ってすごいなと思った。

けれど、確実に皇祖神は怒っていた筈で、それは天皇皇后、そして東宮家にも及んでいた筈だ。

その年の歌会始めの儀のお題は「笑み」

文仁親王

人々が笑みを湛へて見送りしこふのとり今空に羽ばたく

文仁親王妃紀子殿下

飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる

この歌は、前年の9月に放鳥したコウノトリを詠ったもので、コウノトリと言えば「赤ちゃんを運んでくる」象徴だ。

両殿下が仲良く同じような歌を詠まれた事に私は感動し、何かよい事が起こるのではないかと感じていた。

 そして電撃的な懐妊発表

2006年2月7日、突如発表された「紀子様ご懐妊」のニュースに日本中があっとなった。その日の公務先で、紀子様は若い女性達から「紀子様、おめでとうございます」と言われ、びっくりしたように手を振っていらした。

で、「長子継承」をもう少しで決めようとしていた国会で、総理の耳に入る。

え?紀子様?雅子様じゃなくて?」という小泉総理の言葉が耳に残っている。

実は、この発表は公式のものではない。

誰かがリークしたものだった。その「誰か」というのはわからないけれど、紀子様が「兆候」の段階で素早く官邸に報告し、足早に国会にメモを送ったおかげで「愛子女帝」問題は消えた。

小和田家や左翼は驚きと失望に歯噛みしたろうと思う。この時の福島瑞穂の

「妊娠はおめでたいが、それと皇室典範改正の問題は別」という言葉が物語っている。

お祝いしなかったのは、主に女性議員だった。(共産党系が多いので)

同じ女性なのに、高齢出産になる紀子様に対し、「目出度いとはいえない」と口にする議員がいた事に私は憤りを覚えた。

 

2月16日、皇太子夫妻は盆栽展を見に来る。公務を休んでいる中で久しぶりの外出だった。

 バッシングの始まり

ここから「雅子さまがお可哀想」「そんなにまでして男子が欲しいか」

「わざと妊娠した」「長男の嫁の嘆き」「女性は産む機械か」などと言われのないバッシングを受けるようになった秋篠宮家。

(特に長々と特集を組んだAERAは今も許していない。全国の高齢出産女性への侮辱だった)

両殿下は覚悟していたかもしれないが、眞子内親王は思春期であり、何ゆえに母がここまで言われるのかと怒ったり悲しんだり不安になったりしたのではないかと思う。

けれど、この当時の秋篠宮家は公務に忙しく、懐妊がわかっても紀子妃は公務を続けたし、前2回の懐妊と違って今回は体調が悪かった筈で、正直、事細かに娘たちの心情を慮る事が出来なかったのかもしれない。

とくにポーカーフェイスの眞子内親王は、すぐ顔に出る佳子内親王とは違って、一見何の打撃も受けていないように見える程完璧な内親王だった。

私ごとだけど、回りと話していて、初産が40代の場合、体調について「こんなものか」と思って気にしなかったと言われたけど、私は11年ぶりの妊娠に「こんなに体が重い感じがするのか」と驚いたし、中期を過ぎるとよりひどくなっていく過程を覚えている。

紀子妃は、顔には出さなかったけれど、内心は「前と違う」と激しく思っていた筈で、そんな妃に向かって週刊誌を始めとするマスコミがこぞって悪口を書き連ねるという環境は本当にひどいものだった。

東宮家は3月にディズニーランドに小和田家と一緒に豪遊し、夏にはオランダ静養が決まっていた。

 

 前置胎盤発表でなぜかネットが大喜び

夏。ちょうど紀子妃の弟の舟氏の結婚式に出席した直後だったと思う。

紀子妃が「前置胎盤」と診断された。

過去2回の懐妊ではなかった事で、大出血を起こしたら命に関わる事だった。

美智子皇后の歌によると、その報告を何事もないように妃は言ったという。

皇后はすぐに大量のトマトジュースを差し入れた。

そして、この発表がなぜか、大型掲示板では「慶事だ!」とされて大喜びだった事。

よくわからないけど、前置胎盤になると男子が授かる可能性が高いんだそうで、そこでは「私も同じでした。男の子を産みました」という意見であふれ、もし、この予想が事実だったらいいなと私は祈るようにコメントを読んでいた。

前置胎盤の場合、絶対安静が求められる。

2006年8月16日に紀子妃は「愛育病院」に入院。

実は8月17日から皇太子一家はオランダへ行くといので、その前日の入院に「雅子さまに迷惑」と書き立てた週刊誌があった。

万が一に備え、秋篠宮家では眞子内親王のオーストリアホームステイの前に家族写真を撮っていた。

後の報道によると、絶対安静の入院生活は紀子様には大変苦しく、涙をこぼされる時もあったという。

ベッドを一歩も離れられない。トイレは車椅子。24時間点滴。圧迫感もあったろうし、恐怖心もあったかもしれない。

 

 2006年9月6日 親王殿下ご誕生

その日の朝、ドキドキしながらテレビを見ていた。

秋篠宮「行ってらっしゃい」

紀子様「行ってきます」

と。拳銃を構える女性SPが立つ手術室のドアに消えた紀子妃。

親王ご誕生だった。

そのテロップを見た時、いきなり涙が出て止まらなくなった。

何という奇跡なのか。本当にこの世に神様がいると確信した日だった。

その日は台風が来る予定だったけど、夕方の小雨に変わった。

北海道の天皇はアドリブで喜びを伝え、国民は心からの祝福を送った。

東宮家では皇太子が声明を出したが、「ご出産おめでとうございます。手術の成功をお祈りします」というようなちんぷんかんぷんな内容だった。

テレビではテレ朝がやらかした。

親王誕生を祝うべき渡辺アナウンサーが喪服のような格好をしていた。

あげく「オメコメ祝いといけないんですよね」と言った時、私はぎょっとしてしまった。生テレビで顔を見る度怒りが湧き上がる。

 

帰京した両陛下はすぐに愛育病院に駆け付けた。

その後、東宮家から順に見舞いに行く筈が、東宮家は退院の直前になるまで行かなかった。しかも、愛子内親王を連れて絵画展を見たついでだった。

 しかも、この時、非常にむずかった内親王から出た言葉が「ヤメロヨー」だった。

川嶋家は控えめにしていたけれど、教授は

清流に臨みて詩を賦す・・心に重なる感慨を覚えます。お健やかなご成長を謹んでお祈り申し上げます」と祝福。

 

実に41年ぶり、秋篠宮殿下以来の皇位継承者を紀子妃は出産されたのだった。

退院の日、沿道には沢山の国民が駆け付けてパレードのようになった。

私は心から嬉しかった。

実はこんなにも望まれていたのだ。誰も口には出さなかったけれど皇統を守って欲しいと国民は思っていたのである。

そして秋篠宮家がその願いを叶えてくれた。

親王は、一連の儀式を経て名を「悠仁(ひさひと)」お印は高野槇に決まった。

「悠」の字は悠久とか、ゆったりとか、とにかく時間軸が長くてその御代が続くようにと願われている。高野槇は神木。

未来の陛下を思うゆえの結界のような名とお印だ。

賢所皇霊殿に謁するの儀。

 本当に笑顔が可愛らしい親王殿下

 1歳

 初節句に両陛下から贈られた兜

 天皇の漕ぐ和船に乗って「皇位継承者」として完全に認められ。

本当に細くて心配しちゃった入園式。

でも卒園する事にはしっかり。

着袴の儀。まるで源氏の君のような・・・・

皇祖神の祝福を受けている悠仁殿下。

 

いよいよご成年。

リアル光る君へ・・・・を見るのは卒業式の後だけど、でもやっとここまで・・お待ちしておりましたよ。若宮。一日千秋の思いで。

 

こうして振り返ってみると、殿下が生まれるまでの時間が確かに無駄ではなかった事がわかる。

そして運命に導かれて殿下は生まれた。

背負っている運命は、近代皇室の中で誰よりも重い。そしてその行く先はきっと厳しいものとなるだろう。

でも、殿下はきっと稀有な陛下におなり遊ばす。私はそう確信している。

ただ心残りは、なぜ眞子様が日本にいないのかという一点だ。

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悠仁親王誕生への道  12

2024-09-05 07:00:00 | 皇室報道

 宮内庁と美智子妃の考えの違い

2000年暮れ、側近に「秋篠宮家に男子を」と進言された皇后が

子ちゃんがどんなに苦しむか…
佳子ちゃん懐妊の時に遠慮もなく、と言われて、どんなに苦しんだか…

とため息をついた。

 佳子様ご懐妊の時に、「皇太子妃より先に懐妊とは」と言われた噂を裏付けるようなエピだが、そう言ったのは久子妃と言われている。

皇統を考えるならどの宮家にだって「子供を産んで欲しい」と願うのが筋なのに、美智子皇后はいわれなき中傷をされる方を嫌がった。

それを「私が守る」と言えなかったのは、何よりも「自分の体面が大事」な性格と「ジェンダー意識」のせいだったのかもしれない。

秋篠宮家に男子が生まれると、最も困るのは最愛の長男である事になる。この

時はまだ、雅子妃の懐妊に「男子」の希望があったから。

 

2001年、皇室の産婦人科を務めてきた坂本正一氏が退任。

その時、両陛下に「紀子様もそろそろ(限界)がきている。お考えになった方がいい」と発言。

その言葉に両陛下は深く頷かれたという。

どこまで皇后が本気だったかはわからない。

皇后としては何が何でも世継ぎは皇太子家からと思っていたろう。

でも、宮内庁は、特に東宮家をそばで見ていた人達からすれば、これはもう無理という思いがあったのではないだろうか。

そもそも、1999年にベルギーに妊娠を隠して行った、その結果、流産したという事で、皇太子夫妻の信用はゼロであるし、天皇皇后から厳しいお叱りを受けてもよかった筈。

それなのに、どこまでも甘くて、好き放題にさせていた。

湯浅宮内庁長官の言葉は、最後の「忠臣」としての言葉だったかもしれないが、両陛下にも東宮家にも真意は届かなかった。

 

 皇統の節目となった2005年ー秋篠宮夫妻は

東宮家が家族の問題で揺れていた頃、秋篠宮家は東宮家の代わりに公務に祭祀にと励んでいた。

雅子妃は「秋篠宮家に海外訪問を奪われた」と思っていたようだが、そもそも、中東で様々なやらかしをした東宮家に海外訪問はさせられなかったので、その尻拭い的な要素が強かった。

内廷ではない皇族は交通費などは実費になる為、秋篠宮家はよく九州日帰り、沖縄日帰りなどをされていた。

2004年の暮に、紀宮と黒田慶樹氏の婚約が発表された。

二人の仲を取り持ったのは秋篠宮で、35歳になる内親王はようやく降嫁する相手を見つけたのだ。

しかし、この事は東宮家には寝耳に水だったらしいし、地方公務員の立場である黒田氏に皇后はどのような印象を持ったろうか。

 

2005年1月、小泉政権は「愛子様が天皇でもいい」といい、有識者会議を作って、「長子継承」へと舵を切る。

 

2005年9月に、秋篠宮両殿下はコウノトリを放鳥。

2005年11月15日 紀宮は結婚し、黒田清子となった。

 そして小泉政権は正式に「長子優先」の報告書をまとめる。

何もかもこれで終わりかなと私は思っていた。

小泉首相は「女性天皇と女系天皇」の違いもわからず、男女平等の観点からのみ長子優先を決めてしまった。陰に小和田氏がいたのかもしれないと思う。

保守派は怒ったけれど、後の祭りだ。

何といっても皇室の長である天皇が何も言わないのだから。

 

2005年の秋篠宮誕生日会見では

子供たちが妹なり弟なりがいて,何かその世話をしてあげたいという気持ちがあるような印象があります」と答えている。

 どうやらこの頃はすでに産児制限が解かれていたようだけど、年齢的に懐妊するかどうかは神の手のみで、それに丸投げしている天皇皇后には今でも怒りを感じる。

 

 傍若無人な2時間45分事件

それは2005年12月23日、天皇誕生日の夜に起こった。

要約すると

 天皇誕生日の夕方、未成年皇族である眞子内親王・佳子内親王・愛子内親王が参内して天皇陛下に祝賀を申し上げる。

 秋篠宮家の内親王方は「御地赤」と呼ばれる内親王の礼服である着物を着ていた。(愛子内親王は作って貰ってない)

 それを見た愛子内親王は御地赤が気に入ってしまい、そこから動かなくなる。いわゆるおむずかりで騒いだ。

 雅子妃は「愛子をなだめる」と連れて東宮御所に帰った。

 残された両陛下・皇太子、秋篠宮夫妻、黒田夫妻は延々と皇太子妃を待ち続け、雅子妃が戻ったのは2時間45分後だった。

 雅子妃は東宮御所に帰ると愛子内親王と夕食を食べ、内親王をお風呂に入れていた。

 皇后が「一人で戻って来たらバツが悪いだろうから廊下で待つ」と言い出し、寒い廊下に出たので慌てて紀子妃と黒田清子も一緒に出た。

 やっと戻ってきた雅子妃は「どうも」と言っただけなので、紀子妃は思わず泣き出してしまった。

 この事に関して、東宮職は「不手際」といい、友納尚子は「赤坂御用地は携帯電波が通じにくい」と書いた。

しかし、本当の所、雅子妃は戻る気がなかったのだと思っている。

 じゃあ、皇太子は待っている間何をしていたのか。主賓を残してさっさと自分の家に帰った妻に対して何の感情もわかなかったのか。なぜ「先に始めましょう」と言わなかったのか。もしかしたら言ったのかもしれない。

 けれど、この日の夕食会は天皇誕生日のお祝御膳という公的な部分も含んでいる。さらに結婚した長女夫妻も戻ってきている目出度い日だ。

そこに長男の嫁が、子供のむずかりを理由に自宅に帰り、戻る気がなかったのだとしたら、これは大変な無礼であり不敬である。

 

この件に関しては様々な憶測がされている。

皇太子が全く意に介さず酒でも飲んでいたのではないかとか、美智子皇后が廊下に出る事で「申し訳ない」の気持ちを持ってくれるのではと期待したとか。

なぜに延々と2時間45分も黙って座っていられたのか。

私は天皇が怒ったのだと思う。もう意地になってしまったのではないかと。

今まで散々無礼な事をされて来たけど、今回ばかりはらに据えかねたのでは。

秋篠宮夫妻がとりなしても、清子夫人が言っても聞かなかったのかも。

ゆえに、東宮御所はてんやわんやで「妃殿下、早く御所に参内を」とせかしたけど、もとより戻るつもりのない妃は、のんびりグズグズとしていたのかもしれない。

もしかすると、この事が後の「人格否定発言」に至ったかもしれない。

 

どんなにキャリアや学歴があろうとも、態度が失礼では社会人失格である。

しかし、雅子妃から見れば「愛子は将来天皇になるかもしれない子」で優先順位は天皇より先だったのではないか。

 

御所にいる方々、及び大膳課や侍従職、女官達、全ての人に嫌な気持ちを起こさせ、謝りもしない非常識な皇太子妃。

思えば、これが悠仁親王誕生への布石になったと私は考えている。

長子相続にしようと動く政権。

そして天皇をないがしろにする態度の皇太子妃(小和田家)

男系男子相続の危機がそこに迫っていた。

そして神の手が動いたのだ。

 

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