「玉川上水に親しむ会」第228回例会は、玉川上水探索の5回目
三鷹駅から浅間橋跡、さらに先の放流口までです。
昼食後、井の頭公園内を散策です。
井の頭恩賜公園は昔は幕府の御用林→ 明治22年、宮内省の御用林→ 大正2年、東京市に下賜→
大正6年、日本初の郊外公園『井の頭恩賜公園』として開園。
総面積 約43万㎡、池面積 4.2万㎡(神田川源流)
井の頭池 少し紅葉した木々が雨に濡れて風情があります。
井の頭弁財天がチラッと見えます。
井の頭池の源流。
湧水池で、「井」は泉の湧く所、谷頭を意味し、七箇所から湧いていたので「七井の池」「七井の湖」「親之井」と呼ばれていた。
現在、枯渇しており地下水をポンプUPしています。
徳川家康がこの湧水の良質を愛して良く茶をたてたことから、「お茶の水」と呼ばれています。
井の頭池は掃除の為、水を抜いています。
まだ水がある内に散策できてよかったです~
親之井稲荷神社跡
建立の時期は不詳だが、江戸時代の地誌や古地図に記載がある。
弁財天の鬼門に位置し、池を挟んで弁財天のほうを向いて水面近くに鳥居を構え祀られていたが、
平成25年5月1日、深夜の不審火で焼失・・・その場所は立て看板のみ。
狛犬「阿」
狛犬「吽」
どちらも愛嬌のあるお顔です。
井の頭弁財天は、天慶年間(938~946)、源経基がこの地に弁財天女像を安置したのが始まり。
その後、建久8年(1197)に源頼朝が戦勝を祈願、勝利のお礼に御堂を改築したと伝わる。
鎌倉時代末期の新田義貞と鎌倉北条氏との戦いで消失。
寛永13年(1636)、家光によって再建。
ご本尊は8本の手を持った八臂像で、頭上に宇賀神を載せ鳥居を冠している。(12年に一度、巳年にご開帳)
弁財天は水神で神田上水の守護神、
又音楽芸能の神として江戸町人にも信仰が厚く、灯篭などの寄進物も多く存在する。
宇賀神像
宇賀神は、農業の神・日本神道古来の水神でもある。
蛇がとぐろを巻いた上に老人の顔がある宇賀神像は、弁財天参道にあったものを、平成25年4月ご開帳時に弁天堂横に移設。
徳川三大将軍御切付旧蹟の碑(こむしの碑)
寛永6年(1629)、家光が鷹狩りにこの地を訪れた際、江戸の飲料水の源・神田上水の頭であることから、
『井の頭』と池の畔のこぶしの木に小刀で刻んだと伝えられている。
この原木は大盛寺に収蔵されていたが火災で焼失。
石碑は明治26年(1893)、深川水船組合の寄進によるもの。
紫灯籠
弁財天の石段上の1対の石灯籠は、「京染め」に対して「江戸紫」といわれた紫草の根を染料にした染物問屋と紫根問屋が、
慶応元年(1865)に寄進したもので、「紫灯籠」と呼ばれている。
石鳥居標石
昭和4年の建立、420名もの寄進者が記されている。
この上に宇賀神像があったが、2013年に移設された。
鳥居は明治初年の神仏分離により撤去、一部はひょうたん池の水門(神田川の取水口)として今も残っている。
この石には上部に鳥居の形が彫られている。
井の頭公園には史跡が沢山あり、見ごたえがありました。
担当のSさんが作られる貴重な資料は豊富な内容で、得た情報をご自分の言葉で分りやすく説明してくださいます。
毎回、頂いた資料を読むのも楽しみですし、歩くのも楽しいです。 一部抜粋して私のブログにも紹介しています。
例会は聞き逃すまいと傍で歩くようにしていますが、写真を撮っていると遅れるので、必死で追いかけます。
さらにつづく~
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