よし坊のあっちこっち

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Cubaあれこれ

2010年09月05日 | アメリカ通信
日本人には馴染みの少ないキューバ。しかし、日本人のおばちゃん族の変わらない海外旅行パワーを考えると、もし渡航が自由になれば、旅行会社が”美味しそうな”旅行メニューをきっと用意するはずだから、あっという間にハバナはおばちゃん族で一杯になるかも知れぬ。

今から約30年前の1981年、日本キューバ経済ミッションに潜り込み、初めて訪れたキューバは、外国人専用ホテルの偉容と貧しい街中のアンバランス、貧しいわりには、ラテンのリズムに合わせて踊り狂う若者達の熱気、街行く車は、今やビンテージ物とも言える1950年代のアメ車のオンパレード。このビンテージカーは、今でも立派にキューバ中を走っているというから、マニアには垂涎の的であろう。そして、外国人が必ず行く、トロピカーナ。ここで食事と酒を楽しみながら、キューバ随一のショーダンスに、かつての、革命前の自由キューバの退廃の跡を辿る。

さて、アフガン、イラク戦争に纏わる捕虜収容施設で、不当な拷問疑惑で世界の注目を浴びた米海軍のグランタナモ基地、これがキューバの中にあるから、面白い。革命前のキューバとアメリカの間で永久租借の締結がなされていたのだ。当然、革命後のカストロ政権は条約の無効を主張したが、無駄な抵抗に終わっている。外国同士の条約というのは、そういうもので、何処かの国の外交音痴の政治家に教えてあげたいものだ。

アメリカには、もう一つ切り札があるらしい。アメリカは基地の賃貸料を条約締結後から、キチンと支払っているが、革命政権が革命成就後の混乱期に、支払われた賃貸料の一部を何らかの経費に使ったことが明らかになっており、これをもって、革命政府も条約有効を認知したと解釈している。革命政府としては、思わぬ失敗である。

アメリカ最南端のキーウエストから90マイルの先にキューバがある。もう、ガチガチの共産主義でもあるまい。カストロが世を去れば、アメリカとキューバには、大胆な雪解けがあるかも知れない。