我々はいつも、事件の真相を後から知る。そして、事件がテレビや紙面を踊ってる頃は全く浅い表面しか見れていない事に愕然とする。メディアも警察発表の資料を基に報道するだけだから、どのニュースを見ても新しい切り口とか角度からの報道は無い。
桶川ストーカー殺人事件というのがある。1999年の起きた事件で、この事件がストーカーを取り締まる法律成立の後押しをした、重要な事件である。もし、警察が本人の叫び(ストーカーされている訴え)をキチンと聞き、対処していたら、若い命はムザムザ失われずにすんだのだ。
この事件を解決に導いたのは、ひとりの週刊誌記者の執拗な追跡である。警察が犯人を特定したのではない。むしろ、警察は初動捜査の失敗と怠慢を棚に上げ、挙句の果てには、それらを隠蔽する始末で、決して警察が庶民の味方ではないことを暴露してしまった。清水潔氏の「桶川ストーカー殺人事件ー遺言」を読むと、彼の追跡の労力には頭が下がるし、よくぞ警察に代わって、いや警察を出し抜いて犯人を追い込んでくれたなと思う。
警察は決して正義の味方ではない。悪人として警察に関わるのは仕方の無い。しかし、善人として警察に関わる事だけは絶対避けて通らなければならない、そう思うのだ。
桶川ストーカー殺人事件というのがある。1999年の起きた事件で、この事件がストーカーを取り締まる法律成立の後押しをした、重要な事件である。もし、警察が本人の叫び(ストーカーされている訴え)をキチンと聞き、対処していたら、若い命はムザムザ失われずにすんだのだ。
この事件を解決に導いたのは、ひとりの週刊誌記者の執拗な追跡である。警察が犯人を特定したのではない。むしろ、警察は初動捜査の失敗と怠慢を棚に上げ、挙句の果てには、それらを隠蔽する始末で、決して警察が庶民の味方ではないことを暴露してしまった。清水潔氏の「桶川ストーカー殺人事件ー遺言」を読むと、彼の追跡の労力には頭が下がるし、よくぞ警察に代わって、いや警察を出し抜いて犯人を追い込んでくれたなと思う。
警察は決して正義の味方ではない。悪人として警察に関わるのは仕方の無い。しかし、善人として警察に関わる事だけは絶対避けて通らなければならない、そう思うのだ。