よし坊のあっちこっち

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警察権力とその闇 -冤罪

2010年09月22日 | いろいろ
日本にはあちらこちらに交番がある。小さい頃、道端で5円を拾って交番に届けたものである。嘘は泥棒の始まり、拾ったものは届ける。これが小さい頃教わった物事の基点のようなものだ。その向こうには交番があり、いつもそれに守られているような安心感が確実にあった。交番=警察。警察は正義の味方だと思っていた。警察の上に検察がある。元検事総長、伊藤栄樹の有名な言葉、「巨悪は眠らせない」。ロッキード事件とか官界が絡む大事件の摘発に喝采したものだ。しかし、近年の初動捜査のミス多発や冤罪事件を目の当たりにすると、この国の警察権力には、ある種の恐怖さえ覚えるのだが、一般庶民の我々に色々な事を教えてくれる。

その一。自白による冤罪が多い。無実なら何故自白するのか、という素人なりの疑問があったが、精神的に追い詰められると、そうも行かぬようだ。自白誘導にまんまと引っ掛かることが普通らしいと分かってくる。とすると、徹底黙秘しかあるまい。しかし、それが貫徹出来るかと問われたら、正直にところ自信は無い。

その二。極限状態になると、ここで自白しても裁判で無実を主張すれば何とかなる、と思うらしいし、そういう誘導もあるらしい。素人は裁判所及び裁判官を正義の味方だと思っているのだが、これも間違いのようだ。後で、決定的な証拠でも出てこない限り、覆す事は難しいと言う事を、過去の裁判は教えている。

その三。痴漢冤罪裁判も、我々に教訓を残してくれた。「それでも僕はやっていない」という映画でも分かるように、明らかにやって無くても、交番へ一旦入ったら、地獄が待っている事を教えてくれる。ある弁護士が、もし、本当に痴漢行為をやっていなかったら、現場かれ徹底的に逃げるのも一つの方法だ、と言っていたが、参考になる。

幸運にも、今までの所、警察にご厄介になった事が無いよし坊でも、これだけのことを思うのだから、実際に冤罪を体験された方の憤りは筆には尽くせまい。