よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

映画三昧ーMorgan Freeman

2010年09月11日 | 映画
アメリカの役者の中では、モーガン・フリーマンは好きな役者のひとりだ。初めて注目したのが、細菌ウィルスを扱った「Outbreak」。主役はダスティン・ホフマンだったが、最後の方で場面を締める役の軍人を演じた。

イーストウッド映画のMillion Dollar Babyで念願のオスカーを獲った。これもいい作品だったと思うが、好きな作品と言えば、「Shawshank Redemption」と「Driving Miss Daisy」。

「ショーシャンクの空に」。邦題を上手につけたものだ。原題は日本人には、ちと難しい。宗教的な言葉redemptionをどう訳すか。「空に」とホンワカと逃げている。無実の罪の白人ティム・ロビンスと殺人犯のモーガン。信頼関係の確立した二人は、脱走と仮釈で別々に娑婆に出るが、最後は新天地メキシコの田舎で目出度くリユニオンとなる。
この映画を一言で言うと、やはり、「希望」と言う事になるのかもしれない。この映画に纏わるエピソードがある。ある人の知り合いの息子がどうしてもアメリカに行きたいとやって来たというが、その理由が、この映画を観てアメリカ行きを思い立ったと言う。それから暫くして、商売柄、アメリカに来て働いている日本人と話をした時、彼もアメリカに来た動機は、この映画を観たからだと言っていた。
舞台になる刑務所は、閉塞感の代表と見てよい。日本は、国全体が閉塞感の塊とも見える。日本では、なかなか、この閉塞感を突破して新天地を求めることは出来ないだろう、地理的にも精神的にも。そんな若者が、この映画に触発されたとすれば、この映画の影響力はかなり大きい。

「Driving Miss Daisy」は、人種差別の色濃い南部のアトランタとアラバマを舞台に、ジェシカ・タンディ演ずる白人のおばあちゃんと、モーガンの黒人お抱え運転手の心の交流を、人種問題を織り交ぜて、それを唐辛子のようにピリリと効かせている秀作だ。アメリカの人種問題は永遠に続く、限りなく深い問題で、それは又、毎日顔を出す日常的問題でもある。ほぼ単一民族だと思い込んでいる日本では、ピンと来ない問題であろう。

この二つの映画は何回観ても、その都度考えさせられる映画である。

たかが落花生、されどピーナッツ

2010年09月08日 | アメリカ通信
小さい頃、そう、昭和の27-29年頃だと思うが、おやつに落花生ばかり食べていた。そう言えば、戦後の闇市の名残というか、延長線上にあった、新宿西口の何でも市で、親父に連れられ、落花生を袋一杯買って帰った記憶がある。帰りは都電というやつで、阿佐ヶ谷で降り、そこからは歩きだ。当時は、トロリーバスなんかも走っており、今では想像できない風景だ。

因みに、よし坊的ピーナッツの定義は、落花生とは皮付きを指す。これに殻が付いたのが殻付き落花生と呼ぶ。ピーナッツとは、皮無しを指す。これがよし坊の定義である。

このピーナッツに最近嵌ってしまった。今まで何十年も見向きもしなかったピーナッツ。例えば、アメリカでは色々なナッツが安く買える。もっともバラエティに富んでいるのが、カシューナッツ、ブラジルナッツ、ウォールナッツ、ピカンナッツ、マカデミアナッツ、アーモンド等が入ったミックスナッツだ。その中でも安くて、最もありきたりのナッツがピーナッツ。これに嵌った。今、毎昼毎晩のデザートとして食べまくっている。自分でも呆れているのだが。住んでいるジョージアは別名Four Ps Stateとも言う。パイン(松)、ピーチ(桃)、ピカンナッツ、そしてピーナッツの産地で、頭のPが4つ付く。住んで15年、漸くジョージアの一員になれたのかも知れぬ。

写真のような容器のピーナッツ。スーパーに行くと、たまに(というか結構頻繁に)ボゴ(BOGO)をやっている。BOGOとはBuy One Get One Freeの略で、一個買えばもう一個がタダとなる。商品も塩付き(8%)から、塩控えめ(3%くらい)、塩無しと三種類ある。当然塩無しを買うのだが。

毎日、ピーナッツを食べながら、あの新宿の光景と都電、トロリーバスが頭を過ぎる。

Cubaあれこれ

2010年09月05日 | アメリカ通信
日本人には馴染みの少ないキューバ。しかし、日本人のおばちゃん族の変わらない海外旅行パワーを考えると、もし渡航が自由になれば、旅行会社が”美味しそうな”旅行メニューをきっと用意するはずだから、あっという間にハバナはおばちゃん族で一杯になるかも知れぬ。

今から約30年前の1981年、日本キューバ経済ミッションに潜り込み、初めて訪れたキューバは、外国人専用ホテルの偉容と貧しい街中のアンバランス、貧しいわりには、ラテンのリズムに合わせて踊り狂う若者達の熱気、街行く車は、今やビンテージ物とも言える1950年代のアメ車のオンパレード。このビンテージカーは、今でも立派にキューバ中を走っているというから、マニアには垂涎の的であろう。そして、外国人が必ず行く、トロピカーナ。ここで食事と酒を楽しみながら、キューバ随一のショーダンスに、かつての、革命前の自由キューバの退廃の跡を辿る。

さて、アフガン、イラク戦争に纏わる捕虜収容施設で、不当な拷問疑惑で世界の注目を浴びた米海軍のグランタナモ基地、これがキューバの中にあるから、面白い。革命前のキューバとアメリカの間で永久租借の締結がなされていたのだ。当然、革命後のカストロ政権は条約の無効を主張したが、無駄な抵抗に終わっている。外国同士の条約というのは、そういうもので、何処かの国の外交音痴の政治家に教えてあげたいものだ。

アメリカには、もう一つ切り札があるらしい。アメリカは基地の賃貸料を条約締結後から、キチンと支払っているが、革命政権が革命成就後の混乱期に、支払われた賃貸料の一部を何らかの経費に使ったことが明らかになっており、これをもって、革命政府も条約有効を認知したと解釈している。革命政府としては、思わぬ失敗である。

アメリカ最南端のキーウエストから90マイルの先にキューバがある。もう、ガチガチの共産主義でもあるまい。カストロが世を去れば、アメリカとキューバには、大胆な雪解けがあるかも知れない。

Missing, Human Trafficking そしてTenancingo

2010年09月01日 | アメリカ通信
アメリカは、実にMissing(行方不明)が多い。アメリカ中、どこかでテレビのチャンネルを回せばそのニュースをやっていると言っても過言ではあるまい。殆どが誘拐や拉致によるMissingで、その多くは子供や婦女子である。その結末の多くは悲惨だ。殺害されて、数年後に白骨死体で見つかったりする。見つかればいい方で、永久に見つからないケースもある。殺害されないまでも、以前書いた、ジェイシー・ドュガードさんのような、性的奴隷にされることもある。海外への人身売買もある。白人女性は高い値がつくと言う。

この、人身売買、Human Traffickingだが、とんでもない話がある。町を挙げてやっている所があるのだから、恐れ入る話だ。

メキシコシティの近く、人口3万人のテナンシンゴ(Tenancingo)という町がある。人口の約一割にあたる3000人が、家業として、この人身売買に関わっているという。この家業は、親から子、そしてその孫まで受け継がれるから、常に親子三代が人身売買をしているわけだ。こうして伝統が出来上がってしまった。

目をつけるのは、当然貧しい若い娘である。最初は言葉巧みに、いかにも結婚するかのように近付き、親にまで会いに行くらしい。安心して一緒に住んだころあいで、突然夜の商売に放り出される。逃げようもんなら、親兄弟に危害を与えるから、泣き寝入りするしかない。やがて「仕事」も慣れて来た頃、アメリカへと送り込まれる。最初に送り込まれるのが、アメリカと中南米の中継地、わがアトランタである。アパートの閉じ込められ、毎日毎晩身体で稼がなくてはならない。もちろん、アトランタから全米各地にも送り込まれている。

そういえば、アトランタ周辺での摘発が時々ニュースになっている。