ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

無知が栄えたためしがない

2020年05月12日 | 日記

カラタネオガタマの木 バナナのような香ばしい匂いがします。

 無知が栄えたためしがない、、、これはマルクスが言ったものだとして吉本隆明さんが語っていた。心に残る強い言い方で、いまでも頭の中に染み付いている。
 今、コロナ問題を抱えながら国会では検察庁の定年延長をめぐる改正法案が話題だ。ネット上では、#検察庁法改正案に抗議します、が400万とか500万件のツイートがあったと話題である。芸能人や著名人も加っており一大国民運動だなどと、野党は息巻いている。法案反対の理由は、司法権の独立をさまたげ、行政権の一方的な強化につながると言うものである。行政権=安倍政権を潰せと喚いているのだ。
 反対の根拠は三権分立、これが問題の核心である。
 私は中学か高校か定かではないが、日本国憲法は三権分立を保障している、と習った覚えがある。それが戦後民主主義の根幹だとも。でも、おかしいではないか、議院内閣制だから、行政権は議会に制約されている。それぞれが分立しているとは言えないのではないか、と微かに疑問をもっていた。でも、そのままにしてきた。 
 今回の法改正は、直接的には法務行政の一環であり、行政権内部の処理で何ら問題ではないのであるが、反対勢力が声を枯らしているからには丁度よい。この問題を考え直してみたいと私は思う。
 そうしたところ、東大教授の玉井克哉さん(知的財産法が専門)が、日本ではもともと三権分立は設定されていない、と次のように言っている。

 「三権分立」ってのは初等中等教育限りのもので、「3」というのに意味はないし、議会と執行部と裁判所が対等に「分立」しているわけでもない。この話、約40年前に樋口陽一先生の講義で聴いたのだが、法律家でもまだ「三権分立」とかいう呪文を唱えている人がいるのか。
 日本国憲法の理解としては、国民(選挙) →衆議院(指名) →内閣総理大臣(任免) →内閣 →(指揮監督)行政各部という一元的な流れとするのが正しく、米国の議会と大統領みたいな「抑制と均衡」型の分立ではないですね。(玉井克哉ツイッターより)
 
 なんということか。私たちはこうした無知と誤解の上に乗っかって生活してきたのか。
 そして冒頭に触れた、マルクス=吉本隆明の言葉にたどり着く。無知であったことを素直に認めよう。過ちては改むるに憚ること勿れ、過ちて改めざる是を過ちという=論語の言葉を想う次第である。【彬】

 

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