(如雨露に手を入れ水を飲むオジです)
色々なオジがいた(その2)
ちなみに、「オジ」の意は次男坊の事で、代々子供の数は多かった。しかし、一代に男子は一人の女系家族の我が家は、猫を飼うといえば雄猫。名前は「オジ」に決まっている。同じ猫の話だと思うのだが、父が夜遊びに行くと、必ず出迎えたと言う。
心配で待ち続ける猫は失礼ながら継母よりも父には愛情が深かったようだ。
この烈女の継母には私も、個性の強い祖母として、後年苦しめられる事になった。
色々な変遷を経て、私達が猫を飼う時代になった。記憶に有るだけでも数匹の猫を飼った。平均寿命は短かった。短いというよりは行方不明になった猫も多い。
雄猫を飼った方は分かると思うが、去勢しない雄は恋の季節に家を出て行方不明になる事が珍しくも無い。いくら愛情を注いでも恋の道には狂わされるもののようだ。
近くに捨てられた猫が、大人の飼っちゃいけない、と言う言葉を裏切り、一歩、又一歩と家に近付きとうとう家猫になった例もある。私が長姉の近所の乾物屋さんから二代続けて貰って来た「オジ」もいる。
捨て猫から我が家の「オジ」になった奴も可笑しな猫だった。私が魚釣りから帰り、獲物をすぐ食べさせたのが悪かった。私が釣り竿を持つと後追いをする。川まで付いてくるのだ。
釣り上げるのが待ち遠しくてたまらない。魚が釣れると、せがんで大騒ぎだ。「待て、猫を釣ったなんて話は聞いた事が無いぞ」と叱っても飛び付いてしまうのだった。
乾物屋さんから二代続けて貰った「オジ」は、私が当時バスと電車を乗り継いで連れて来た。同じ母猫だから同じでも不思議は無いのだが、絶対に川魚を食べない猫だった。鮎でさえ口を付けない。
笑わせたのは海の魚だったら安物の煮干でさえ喜んで食べる事だった。「ほら、今日もカツライスだぞ。」と、御飯に花鰹をかけた御飯を飽きもせず、黙々と食べるのだった。
(終わり)