落合宿は観光化はされていないものの、古い建物の保存とか整備には力を入れているようです。
この案内板にしても丁寧な作りで、金をかけている様が伺えます。
木曾街道の宿場を私は蜷川宿を起点に書きはじめましたが、江戸時代以前のことですから起点はこの落合宿にすべきでした。
今は鉄道でも道路でも東京が中心で東京へ向かう道や線路が全て上りとなっています。木曾街道が栄えた時代は京都が中心ですから、江戸へ下る、京へ上るという言い方が正しかったわけです。今でもその名残で東京から見て関西は上方という言い方が残っています。
落合宿の国道の歩道橋には「これより木曽路」という文字が誇らしげに掲げられていました。
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木曾街道シリーズはこれで打ち上げとします。長々と書き連ねましたが、多くの方がご覧下さり嬉しいです。有り難うございました。
次回からは2009年暮れに行ったフランスの旅日記をお届け致します。
変わらぬご愛顧のほど、お願い致します。