その昔、鵠沼は北から流れる境川と引地川に挟まれた砂丘と湿地で南は相模湾でした。
江戸時代、大山詣の帰りに江ノ島へ立ち寄る人々も主に境川左岸の道を通り、
鵠沼は川向こうに眺めるだけでした。
鵠沼は現在住宅街になっていますが、産業にはあまり縁のない地域です。
例外として、東海道線の北側、皇大神宮の周辺に主要な製造業が5社あります。
ここを鵠沼神明工業地帯と個人的に命名し、現状を撮ってみました。
日本精工(株)藤沢工場です。
1914(大正3)年の創業ですが、藤沢工場は1937(昭和12)年開場です。
のどかに桃畑が広がる農地を取得し、ベアリングの鋼球工場からスタートしました。
現在は、工場内に藤沢技術部の建物も併設され、グローバルな技術センターになっています。
左手の工場建屋の向こうに藤沢技術部のビルが見えます。
順次拡大した工場の西側の景色です。
この通りの右側に皇大神宮や烏森公園があります。
社史の中にあった、藤沢工場建設時の写真です。
1937(昭和12)年11月に敷地を取得し、翌年5月に開場式を行ったようです。