元の道に戻って、少し歩くと、南葛野の三叉路でした。
その昔、この辺りは「塩井淵の辻」とよばれた場所のようです。
三叉路の中央に安政10年(1864)の「出羽三山供養塔」が建っていました。
供養塔の左側面です。
長盛寺の僧をリーダーにして、はるばる出羽三山参詣に出掛けたとあります。
安政元年(1854)は安政東海地震M8.4、安政南海地震M8.4が発生し、翌年には安政江戸地震M6.9が発生しています。
安政時代は地震、津波、黒船、打ち壊しなどがあり、未曾有の転換期だったと言われます。
出羽三山詣でも、気楽な物見遊山ではなく、平安を祈る気持ちが強かったと思われます。