
切通しの出口にあった石造物です。
右側の石仏は見事に摩耗していました。

石造物は沢山並んでいましたが、詳細は不明です。

ここに国史跡の説明板がありました。
朝夷奈切通しは仁治元年(1240)六浦までの重要交通路として鎌倉幕府の執権北条泰時が自ら監督して改修したと記してあります。

金沢街道に沿って金沢八景方面に進み、大道中学校前に出ました。
道沿いにある高さ4mあまりの「鼻欠地蔵」に面会しました。

案内板によると、この地蔵は江戸時代から「界地蔵」と呼ばれ、武蔵と相模の境にあり、前の道は鎌倉と金沢を結ぶ重要路だったと記してあります。
ここを朝比奈切通し散歩の終点にしました。