鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

今田・日大実験圃場

2010-04-15 | 藤沢


境川遊水地公園近くの境川右岸の景色です。
藤沢大和自転車道から、のどかな農場のひろがりを楽しむことが出来ます。
ここだけに見られる景色なので、家に戻ってから地図を調べました。
地図に「日大実験圃場」と記されていました。
こうした風景は、大学の実験場でないと残せない時代なのかも知れません。

境川・鷺舞橋

2010-04-14 | 藤沢


境川の今飯橋の下流に県立境川遊水地公園があります。
そこに出来た人道橋「鷺舞橋」を見に行きました。
橋の左岸寄りから見ると、非常に不安定な構造なので、ちょっと変な感じでした。


橋を渡って右岸の道を少し進んでから振り返りました。
ここから見れば「鷺舞橋」の名前もなんとか理解できそうです。


この遊水地公園、一昨年に散歩で来ましたが、現在も工事中の場所が多く部分開放のままです。
遊水地の機能は出来上がっているので、公園部分はこれからゆっくりということでしょう。

今田・鯖神社

2010-04-13 | サバ神社

サバ神社探訪の第12号は今田の鯖神社です。
湘南台の図書館と中学校の間の道を境川に向って下り、畑地に出たところで左に行くと、
左側に鳥居がありました。
今回が最後のサバ神社ですが、全部廻って分かったことは、
正面に「鯖神社」の神社名があるのはここだけでした。


鳥居から境内に向う参道は、舗装された緩やかな道です。車止めがありました。


境内に入ると、社殿が一段高くなっています。裏山が明るくなっていますが、宅地化の影響でしょう。


社殿も周りの石垣も、まだ新しい感じがします。


社殿正面の「鯖神社」の額も輝いていました。その横には監視カメラがありました。


境内右手には、社務所、神楽殿、神輿倉がありました。


境内左手には、由来の掲示がありました。
祭神は源義朝、創建は元禄15年(1702)、
文政9年(1826)再建、昭和8年(1933)社殿等改築と記されていました。


社殿に上がる石段の左に、由来以降の再建の記念碑がありました。
鯖神社は、平成8年の放火で焼失、平成9年3月再建、
平成13年3月不審火で焼失、平成14年6月再建、と記されていました。
きびしい歴史のある神社です。


もうひとつ面白い掲示がありました。境内の地下に遊水地があるのです。
これは推論ですが、度重なる火災の結果、
監視カメラの設置され、消火用の貯水槽と車が入れる舗装された参道が作られたのでしょう。


下和田・左馬神社(元鯖大明神)

2010-04-12 | サバ神社

サバ神社探訪第11号は大和市・下和田の左馬神社です。
国道467号線と東海道新幹線が交差する地点から、東側に入った段丘の境目にありました。


道に迷って一度段丘を下り、坂道を上って木立の中の階段を見つけました。


参道の石段から境内を見たところです。


石段を上った左手の石灯籠です。「鯖大明神」の名前が刻んでありました。


右手には鐘楼がありました。宝暦4年(1754)に鯖宮山真福寺から寄進されたようですが、
真福寺は大正末期に廃寺となったので、詳細は不明のようです。


境内に入って、先ず驚くのは正面の建物が社殿でないことです。


近づいて見ると、がらんとした神楽殿のような造りで、
この日はゲートボールに興じる人達の荷物置き場になっていました。


社殿は、この建物の裏手にありました。
参詣する人は建物の右手を廻って、社殿の前に出るようになっていました。
新編相模風土記稿に、「寛文10年(1670)の棟札あり」と記されているようです。


これは社殿の正面から、建物越しに境内を眺めたところです。



下和田・大津家長屋門

2010-04-11 | あちらこちら


サバ神社探訪で古道を歩くのでよく道に迷いましたが、思わぬ収穫もありました。
これは下和田で見つけた大津家長屋門です。


大和市教育委員会の案内板がありました。
見学していると、長屋門を目指してやって来た人に出会いました。
最近は古道を歩く人も多いようです。

湘南台公園の桜

2010-04-10 | 藤沢


今田にあるサバ神社を訪ねる途中、湘南台公園を横切りました。
まだ桜が満開で、あちこちで新入生の記念写真を撮る父母に出会いました。
左手奥でのびのびと枝を伸ばした桜が素晴らしかったのでカメラを向けました。

上和田・左馬神社

2010-04-09 | サバ神社

サバ神社探訪第10号は大和市・上和田の左馬神社です。
中原街道を東から西に進んで、境川の新道大橋を渡りました。
右岸の段丘を上る坂道を少し進み、信号の一つ手前の道を左折しました。


すぐ左手に境内が見えるようになりましたが、入口がわかりません。
左に曲がる細い道の角に、庚申塔がありました。
「高座郡上和田村施主神谷平兵衛」と刻んでありました。


細道を進むと、左脇に石碑・石仏が並んでいました。


やっと鳥居の前に出ましたが、鳥居とその左にあるタブの大木が大きすぎました。
鳥居正面の道をかなり戻って、ようやく写真を撮ることができました。


めずらしく、ここには神社の由来を説明する案内板がありました。
祭神は左馬頭源義朝で、建立は宝暦14年(1764)とありました。


木立に囲まれた社殿です。


社殿の梁にある額には「左馬社」とありましたが、
ここでは案内板に敬意をはらい、「左馬神社」として扱うことにしました。


境内右手の神楽殿と神輿倉です。境内に大きな影を落としているのはタブの木です。


境内入口右手の鐘楼です。
案内板によれば、文化3年(1806)に上和田信法寺から寄進されたとあります。

ホルトノキの怪?

2010-04-08 | 藤沢


里山散歩道の途中で発見した、ホルトノキの怪しげな姿です。
最近名札が付いたので、感心して眺めていたのですが、
幹の横からピノキオの鼻のようものが出ていることに気がつきました。


ホルトノキが小さい時、支えに使った添え木がそのまま幹の中に取り込まれてしまったようです。


裏側を見ると、わずかに丸太の断面だけが顔をのぞかせていました。
もうしばらくすると、見えなくなりそうです。
これからここを通る時には、その後の変化に気をつけるようにします。

新林公園・桜は満開

2010-04-07 | 藤沢


新林公園の桜は満開でした。
保存家屋小池家の門の右手の斜面は、桜の滝のようでした。


梅林近くの芝生に横たわって、周りの桜を愛でる祖父と孫でしょうか、のどかな風景です。


普段は冒険広場ですが、今日はお花見会場です。まだまだこれから花見客は増えそうでした。


冒険広場の山手には、青空の下、新緑を裾に白い桜が輝いていました。

里山の花見

2010-04-06 | 藤沢


片瀬山から新林公園へ向う里山散歩道の桜見物に出掛けました。
いつものビューポイントから谷戸の桜と、はるか彼方の鎌倉山を眺めました。


山桜の枝にヒヨドリがとまっていました。
桜を見ているのかと思ったら、首を曲げて桜の花蜜を吸っていました。
「花より甘味」です。


すぐそばの木の枝には、カラスがとまって、憮然としてヒヨドリをみていました。
カラスに桜は関係ないようでした。

冨士に沈む夕日

2010-04-05 | 藤沢


突然ダイヤモンド冨士の日であることを思い出して、あわてて自転車で鵠沼海岸に出掛けました。
引地川河口の防波堤には、カメラを構えた先客が頑張っていました。
予定時刻の15分前でした。


冨士・箱根方面には、薄い雲がかかっていて、冨士のシルエットはよく見えませんでした。
あまり期待のできない空模様でしたが、とりあえず、カメラを構えてその瞬間を待ちました。
きれいな写真は撮れませんでしたが、なんとか山頂に太陽が沈む様子は撮れました。




瀬谷・宗川寺

2010-04-04 | 横浜


瀬谷から大和を目指して南に下り、中原街道に出たところに宗川寺がありました。
南向きの明るい境内に誘われて中にはいりました。


ここには大きな桜の木が数本あり、桜見物で賑わいそうな寺でした。
残念ながら境内中央のソメイヨシノはまだ蕾でした。本堂右手のしだれ桜は5分咲きで風にそよいでいました。


本堂左手にも大きなしだれ桜がありますが、これもまだ開花準備中でした。
注)多分今日あたりが一番の見ごろだと思われます。

瀬谷・左馬社

2010-04-03 | サバ神社

サバ神社探訪第9号は横浜・瀬谷の左馬社です。
厚木街道の南側、橋戸3丁目に、西福寺と並んで左馬社がありました。


西福寺の前を通り過ぎ、大きなケヤキに驚いていると、そこが左馬社でした。


鳥居をくぐって広い境内に入ると、左手に鉄筋コンクリート製の社殿がありました。


社殿に参拝し、内部を見ることが出来ました。内部はきちんと整備され、宮司によって守られている様子でした。


境内には、社殿、社務所、神楽殿、氏子集会所などの建物がならんでいました。


境内の真ん中に、大ケヤキがのびのびと枝を広げていました。


ここにも鐘楼がありました。


鐘楼のそばにあった掲示です。
「七サバ参り」の紹介、神社に鐘楼がある理由、戦時中の鐘の供出等が記されていました。

瀬谷・徳善寺

2010-04-02 | 横浜


瀬谷図書館の前を通って、南に向って進むと、大きな寺の前に出ました。
瀬谷山徳善禅寺でした。
山門が立派なので、敬意を表して境内に入りました。



徳善寺は弘治元年(1555)の創建で、開山は玄室泰存禅師、本尊は釈迦牟尼仏のようです。


参道の左手に茂っていた木です。何気なく通り過ぎました。


帰りがけ、木の下の掲示に「タラヨウ」とあるのに気がつきました。
この木の葉の裏に傷をつけると黒く変色するため、字が書けるのだそうです。
インドにも同じようなタラジュ(多羅樹)という木があり、
そのためタラヨウ(多羅葉)と呼ばれるようになったそうです。
「はがきの木」「郵便局の木」と呼ばれることもあるそうです。


境内側から見た山門です。表に「平成門」という額あったので、
平成に入ってから建立されたのでしょう。

瀬谷中央公園

2010-04-01 | 横浜


まだ咲いていない海軍道路の桜と別れて、瀬谷中央公園に足を運びました。
海軍道路の西側の木立の斜面を下って、大門川に沿った場所に、広い運動場がありました。
子ども達が元気よく遊んでいました。


ここには、子供のためのログハウス「まるたのしろ」があり、
寒い時や、雨天の時でも、室内でのびのび遊べる施設が整っていました。


入口を見ながら、「ちょっと変だな?」と思った掲示がありました。
かなり大きな「禁煙」の掲示です。
子ども達のための掲示とは思えません。掲示の対象は誰でしょうか?。