鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

本格的な読書

2013-02-13 | 藤沢


この10年、読書といえばペーパーバックスの探偵小説かスリラーしか読みませんでした。
唯一の例外は、塩野七生の「ローマ人の物語」です。
そこに突然パートナーが水村美苗の「本格小説」を持ち込んできました。


絶対拒否の姿勢でいたのですが、すぐに同じ作者の横書きの「私小説}と「日本語が亡びるとき」が続きました。
最後の「日本語の亡びるとき」を少し読んでみて、姿勢を変えることにしました。
しばらく、本格的な読書に取り組みます。

満開のブーゲンビリア

2013-02-12 | 藤沢


毎日窓際で日光浴を続けたブーゲンビリアが満開になりました。
長い間鉢植えで育てていますが、これだけ花が咲いたのは初めてです。


よく見ると多少ピンク色になっていますが、この株は基本的には白い花のようです。
寒い冬にこれだけ楽しめれば大満足です。

高谷・石造物群

2013-02-11 | 藤沢


高谷小学校入口バス停の近くに沢山の庚申塔などの石造物が収められたコンクリートの祠があります。
由来等の説明は見当たりませんでした。


祠の上のよく日の当たる草地に、2基の道祖神が立っていました。


草地に上ろうと思って裏手の道を探すと、そこにも道祖神や庚申塔がありました、
住宅開発の結果、この場所に集合したのかも知れません。

高谷大神宮

2013-02-10 | 藤沢


村岡東3丁目の丘にある高谷大神宮です。
石段を一気に58段のぼりますが、手すりがないと危険なほど急です。


急な階段の上の狭い境内の社殿は階段の途中から撮らないと画面に入りません。
慶安3年(1650)の創立で、高谷地区の鎮守です。
以前は社殿の背後に木立がありましたが、すぐ側まで住宅が建ち、すっかり明るくなっていました。 


大黒天も民家に見守られながら踊っていました。
相州村岡七福神の5番目です。

小塚荒神社

2013-02-09 | 藤沢


弥勒寺から県道303号線の高架に沿って300mほど北に進むと小塚荒神社に着きました。
相州村岡七福神の4番目です。


建武2年(1335)に小塚五左衛門が一族の守護神を祀り、以来小塚地区の鎮守となったようです。


境内が狭いので、右隣の民家を背景にして布袋和尚が立っていました。

弥勒寺

2013-02-08 | 藤沢


相州村岡七福神の3番目に弥勒寺を訪ねました。
JR東海道線を県道302号線が越える地点の北東側にあります。


創立は嘉禄2年(1226)で、北条泰時が父義時の菩提を弔うために創建したと伝わっています。
明治6年頃にはここに村岡小学校の前身の学舎があったようです。


本堂の右脇を進み、裏山の石段を上ると弥勒堂が建っていました。
ここまで上がったのは初めてでした。


弥勒堂の前の広場に毘沙門天がありました。
小づくりで可愛らしい毘沙門天でした。

宮前御霊神社

2013-02-07 | 藤沢


先ず相州村岡七福神の2番目として、宮前御霊神社に出掛けました。
ここも鳥居から社殿まで長い54段の石段がありますが、右手に女坂もあります。


ここは往時の村岡五ヶ村(高谷・小塚・弥勒寺・宮前・渡内)の総鎮守です。
天慶3年(940)平良文が京都の御霊神社を勧進し、後に鎌倉権五郎景政等が祭神に加わっています。
川名御霊神社はここの分社でした。


境内左手に寿老人の石像が立っていました。

川名御霊神社

2013-02-06 | 藤沢


川名散歩でここを省略出来ないので、長い石段60段を上って御霊神社を参拝しました。
正月の諸行事が終わり、境内はきれいに手入れされていました。


社殿右手の小さな稲荷社です。
今年の初午は2月9日なので、もう間もなくです。


社殿左手に福禄寿の石像が立っていました。
比較的新しい石造りなので、家に戻ってから調べてみました。
どうやら村岡地区の人たちが、まちおこしのために始めた相州村岡七福神のようです。
残りの六福神の置かれた神社も良く知っているので、この機会に再訪しようと決めました。

神光寺と横穴墓群

2013-02-05 | 藤沢


川名の神光寺です。
創建は明応元年(1492)で、嘉永4年(1851)に近くの大勝寺と合併したと伝わっています。
M&Aはこの分野では歴史があるようです。


久し振りに境内に入り参詣しました。
本堂右手に相模国準四国八十八箇所の七十四番目の弘法大師像が立っています。


境内にあった亀のベンチです。
亀が重そうなので、憚りながら座らなければなりません。


神光寺左手の道沿いの崖に、藤沢市指定の横穴墓群があります。
以前は灌木などに覆われ見えにくかったのですが、駐車場が出来たのでよく見えるようになりました。
昭和40年の調査報告では、奈良時代のものとされています。
  

春浅い清水谷戸

2013-02-04 | 藤沢


春まだ浅い川名清水谷戸に入りました。
葦原とその向うの雑木の丘を眺めても、まだ春の息吹は感じられません。
それでも光は少しずつ輝きを増しています。


谷戸の右奥にある水田の様子です。
日陰には薄い氷が残っていました。


篠竹の中の細道を辿って奥の池を目指しました。


風もなく日が当たる水面は、穏やかでした。


それでも池の周りを進んで、日陰に近づくと、解けた氷が光っていました。



池のすぐ近くに無農薬の野菜を作る畑がありました。
手前の水田にはまだ雪が残っていました。


帰りに谷戸の入り口近くの畑で見かけた残りネギです。

岩谷不動尊参詣

2013-02-03 | 藤沢


片瀬山散歩の帰り、片瀬2丁目の谷戸にある岩谷不動尊を参詣しました。
この不動尊は、元禄8年(1695)快祐上人が小堂をおこし、不動像を安置したと伝わっています。
快祐上人は寛文3年(1663)に片瀬で生まれ、延享元年(1744)に82才で岩屋に入り、生きたまま成仏したようです。

片瀬山憩いの森②

2013-02-02 | 藤沢


遠望を楽しんだ後、憩いの森に入りました。
この森は、片瀬と片瀬山の境界に沿った斜面の緑地帯です。
傾斜がありますが、階段等が整備されているので、のんびりと歩くことが出来ます。


自然に生えた樹木はオブジェのようです。


冬は明るいのですが、夏は木陰を歩くことになりそうです。


片瀬山も緑地を大事にしなければ、と考えながら歩きました。


森を出て、峠のような道からもう一度富士の遠望を楽しみました。

片瀬山憩いの森①

2013-02-01 | 藤沢


片瀬山にも憩いの森があることを知ったので、早速散歩に出掛けました。
新屋敷橋から片瀬山の坂道を上り、途中を左折すると、突き当りが石段でした。


木立のトンネルの中の石段を上り、晴天で明るい住宅街を進みました。


憩いの森の入口を探していると、家並みの間に標識を発見しました。
ここから緑地に入るようです。


すぐに石段を下りるようになり、目の前に富士が見えました。


少し右手には、丹沢山塊が見えました。