Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ストロベリーショートケイクス

2008-07-25 | 日本映画(さ行)
★★★★☆ 2006年/日本 監督/矢崎仁司
「愛しい彼女たち」



4人の女優、全員すばらしい演技を見せてくれるが、特に中村優子と岩瀬塔子、この2人の存在感が秀逸。原作者である魚喃キリコ氏(岩瀬塔子)がこれほどまでに、良い女優だとは知らなかった。彼女の嘔吐シーンは、身を切られるほどつらかった。漫画は何作か読んでいるが、ぜひ女優業も続けて欲しいと思わせるほど、輝いていた。

あまりにも振り幅が狭い4人の女たち。これほど選択肢の広がった現代において、なぜそんな生き方しかできないのか、と見ていてつらくなる。男や神様(拾った石)が生きていく拠り所である、ということ。情けないし、ナンセンス。でも、そんな彼女たちを馬鹿にすることなど到底できない。もはや自分の足で立つ意思をもがれた女たちは、自分ではどうしようもないその孤独を「誰か」によって埋めてもらいたいと願い続けることしかできないからだ。その姿に、「いつかあの時の自分」を重ねられずにはいられない。

あの時の自分をとうに過ぎた今の私なら、黙って彼女たちを抱きしめてあげられる。だから、たどたどしい日本語で語られる「あなたのお母さんは元気ですか?」というひと言に、みるみるちひろの表情が変わりゆくシークエンスが切なくてたまらない。ここは、淡々と続く作品全体に明るい光が差してくるような、冷たい氷が溶け出すような、そんな心地よい変化の兆しを見せるすばらしいシーンだと思う。みんな、おっきくて、あったかいものに抱きしめてもらいたいんだよ。

この作品を「女性向け映画」とくくってしまうのは、とても惜しい。確かに20代の女性特有の頼りなさや切なさ満載で、同年代の女性なら響くものは大きいだろう。しかし、現代女性が抱える孤独は、決して彼女たちだけのものではない。彼女たちを受け止められない、持てあましている男性の存在も表裏の関係として(作中には描かれなくとも)厳然と存在しているのだから。トイレでパンティをおろしたまま拾った石に見入る、それはいらないシーンだろうか。誕生日にどうでもいい男と寝て顔に精液をぶちまけられる、それは話題作りのシーンだろうか。そんなはずはない。それらのリアルな描写の向こうに見える切なさやつらさがぐいぐいと私の中に流れ込んできて、彼女たちが愛しくてたまらなくなった。