Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン

2012-01-04 | 外国映画(あ行)
★★★ 2009年/フランス 監督/トラン・アン・ユン

「もっと破綻させりゃ良かったのに」

トラン・アン・ユン監督の作品を見たことがなかったので、
「ノルウェイの森」を映画館で見る前に借りてみたのがこれ。
木村拓哉が出演していることが話題であったために、
彼の存在がキリストの誕生を意味しているのだという
「そりゃ映画見る前に知りたくはなかったぞ」というネタバレ情報が耳に入ってしまい、
(彼のファンが鑑賞後なんのこっちゃになるのを防ぐためだったのか…)
ちょっと面白さ半減だった。
そのプロセスを作品の中で感じたかったのになあ。

「痛い」映画ではある。
「痛い」と言えば、韓国映画を思い出すんだけれども、韓国映画の「痛み」とは違う。
東南アジアの熱帯雨林のような湿った感触を伴うドロリとした「痛み」。
これはこれで、とても印象深い。
ジョシュ・ハーネットが対峙する殺人犯が作っている人体オブジェも禍々しくていい。

でね。
何だかよくわからない映画、と評されているのですが、
いや、むしろすごくわかりやいでしょう、と。
このわかりやすい構造が「わかりにくい映画」にしてしまっている。

悪を滅したいのにその悪の甘美さを享受しまう男(ジョシュ)、
悪を遂行していなければ生きていけない男(ビョンホン)
ふたりの苦悩(悪への欲望)を一身に引き受け神となる男(キムタク)。
この3人の関係性は明白で、だから、はい、その通りですが何か?という感想しか出てこない。

映画の語り口がこれは何かあるぞ、と観客が構えて見てしまうタイプのものの割に
(そういう作品が悪いと言っているわけではない)
そういう作品から醸し出される「曖昧さとか、引っかかりが逆にない」ということ。
もっと破綻していたり、もっと繋がっていない物語の方が人は様々な解釈を施すんじゃないだろうか。
中途半端にまとまっていて、見終わった後に誰もが
「で、結局キムタクはキリストなんだね」というところに落ち着くということ。
そこから翻って、じゃああのシークエンスは何を意味してたんだとか
見た後から、のどに刺さった小骨を取りにかかるという醍醐味を味わえないんだな。
物語そのものはよくわからなくてもこうした作業のできる映画は
「わかりにくい作品」とは評されない。

後で自分の中で埋めるという作業をすればするほど、
その作品をわかったような気になるんですよね、人間って。
その埋められたピースが適正がどうかはさておきさ。
人気俳優を3人も起用したもんで、観客層のことを考えて、
ある程度お話しをまとめちゃったのかも知れないなあ。
もっとワケわからん話にしてくれた方がワタシは楽しめたと思う。