うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

今の若い世代は、目の前のことが一番大事であるのか・・・

2011年03月09日 14時05分19秒 | わたしの日常です。

 先日の19歳の京都大学受験のカンニング事件のことについて、今回は書き込みたい。

 新聞等による報道によると、動機は母親に苦労をかけずに学費の安い国立大学になんとしても受かりたかったとのことである。これは歪んだ親孝行、家庭問題から派生して犯した事件だ。わたし自身は、40年前のあの時代の10代後半、自前で大学の授業料も、当然ながら生活費も稼いで生きてきた。大学紛争による封鎖と、学習意欲の減退で授業料を未納、途中に退学した。しかしわたしは、社会の背景もあるにせよ、これからの生き方を模索するには勉強も必要だ、という動機であった。

 その当時、決してこんな職業に就こうとか、どんな会社に入ろうとかは考えなかった。理想を言っていられる世情であった。現実的ではなかったのだ。今となってはそうとしかいえない。やがて、紆余曲折を経てやりたい仕事が見つかったのは結婚後の28歳のころである。その基準は自分自身が将来にわたって好きなことを続けられるもの、そしてそれによって収入の道があればいい、ということであった。そうすれば、わたし自身が家庭や身近な人々に自己責任を持っていられる。それが植物をあつかう造園ということになるのだが、それから、ある会社に入社してからは、その通勤途中の道端や近くの公園、山野を業務時間外に見て回った。そのつど、写真は撮る、スクラップブックをまとめ、植物の標本づくり、関連事項を大学ノートにつけはじめた。(蛇足だが、この習慣は今でもつづいている。)

 それから、かれこれこの造園の世界に30年ほどいるが、見まわすと知人とかの同世代で20代に決めた道を通してきているのは一人ぐらいか、勘違いしないでほしいのは所属する会社ではなく職種のことである。造園に関していうと教育機関、大学の造園を専攻をしたものほど転業、転職が多いという事実だ。特に大きな社会変動、10年近く前のバブルショック前後が著しい。若いときの夢を通して生きてきたなどはきわめて珍しいのだ。

 しかし今の若い世代、目の前のことが一番大事であるらしい。目的よりもそれをもとめる手段なりテクニックが重要であるらしい。そのための方策はいとも簡単に見つかる。WEBサイトしかり、図書館しかり、最新の電子情報機器を追いかけて、などなど、わたしに言わせればただただ粗雑に頭でっかちなだけだ。それが本当におのれ自身の一番いい探し方であろうか。それによって得られる、自分のみの自己肥大化をうながすことになる仮想空間と想念は妄想もおんなじだ、そこには他者への理解と共に自分の脳みそを使った思考という習慣が欠けているのだ。社会を都合よく頭脳的にひきつけておくことばかりしていて、その実、自分自身の考え方もよくわかっていない、単に安易に目の前の事柄を解釈しているだけではないだろうか。価値観の違いと強調してみたって、そんなことは数年で底が割れる。自分自身への向き合い方を抜きにして、そこにはむやみに貨幣価値に置き換えたり消費経済的な行動、商業主義的な価値観のみ、不当でいびつな考え方はないであろうか。単に合理主義的なだけで、この場合、それが本当に目的にあった探し方、もとめ方だろうか。

 この動機についてわたしの結論をいうと、母親の苦労は無関係だと思う。そんなことは本末転倒だし、親の尊厳を無視している。なんのことはない、当人はいつまでも子供でありさえいればいい、というさもしい根性だとさえ言える。親子間と社会は違う。親への説得の仕方と自分自身への納得の仕方を学べ。親の事情のこと、そんなことは思っても言うな。

                        

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