うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

井上陽水の作詞、人生が二度あれば

2012年03月11日 07時05分40秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 古ぼけたCDが見つかり、ある日、井上陽水の歌を聴く。“明星”、ポリドールレコードのアルバムだ。懐かしいもので、底のない暗闇の中からあの独特の高音が響いてくる。簡素な詞に明るいようで突き抜けた伸びのある旋律。わたしは昔からそういうイメージを持っている。聴く姿勢を言うと、このごろの心境ではスピーカーでなくてヘッドフォンでしか聴けない。外見をはばかり、聴けない。
 わたしにとって、この歌詞の内容も時宜を得たというと変な話だが、なんだか心がざわざわしてくる。親子間のこと、実際にこの年齢に近づいてくると、ものごとが二重写しに見えてくる。
 しかし、余計な御世話だ。

 人生は一度でいい。十分すぎる。

 わたしは井上陽水とは同世代だ。これを作ったのは陽水が二十代だろうか、多分これは、父母のことを、無責任にのほほんとこれからの人生への憧憬の視点でつくっている。今のわたしにとって面映ゆいのはそのせいだ。

  人生が二度あれば

   父は今年二月で六十五
   顔のシワはふえてゆくばかり
   仕事に追われ
   このごろやっと ゆとりが出来た

   父の湯飲み茶碗は欠けている
   それにお茶を入れて飲んでいる
   湯飲みに写る
   自分の顔をじっと見ている
   人生が二度あれば この人生が二度あれば

   母は今年九月で六十四
   子供だけの為に年とった
   母の細い手
   つけもの石を持ち上げている

   そんな母を見ていると人生が
   だれの為にあるのかわからない
   子供を育て
   家族の為に年老いた母
   人生が二度あれば この人生が二度あれば

   父と母がこたつでお茶を飲み
   若い頃の事を話し合う
   想い出してる
   夢見るように 夢見るように
   人生が二度あれば 

 どうやら、妙な歌の紹介になった。彼にはノスタルジック、ロマンチック、セレナーデ風な曲も多い。
 そのなかで、よく知られた 「心もよう」、「夢の中へ」 はわたしにとって、40代の過去に、仕事的にひとり新たな業務をするにあたり、新たな局面を開く際に社内的に廻りが頼りにならず自分を励ますたびになんども聴いて、お世話になったものだ。
           
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