うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

7月5日のこと、祭畤大橋の震災遺構

2015年07月11日 06時39分59秒 | わたしの日常です。
この時期はやはり曇天だが、わたしは思いたって、7月5日の日曜日、09:45頃アパートを出る。気仙沼からの道、徳仙丈山の峠の辺りは一部オフロードで対向車もなし、その直前はいずれの道も九十九折りだ。車にガソリンは十分に入っている(軽の650ccだが)。携帯は通じない。熊とは言わないが何か野生生物が出てきてほしい。わたしはひとり、何とか迷わず山越えして国道284号線で一関に向かう。(帰りは同じ道をたどれなかった。)

 国道を走り、道の駅で地元の郷土料理 「小豆ばっと」パック にひかれ購入する。それから国道4号線で、まず毛越寺へ、あやめの開花のピークを過ぎていたがごく普通であった。道順や池畔に宮城野萩がスタンダード仕上げで丁寧に保護されていたから秋には萩まつりでもするらしい。毛越寺は昨年の年末に近親者の葬儀の翌朝に雪の光景を見たくて寄ったもの。帰り際に、中尊寺の薪能開催の告知ポスターを見たが、入場料の高いのもあるが、しばらくぶりには・・・なかなか。

 それから、国道342号線を須川岳方面に走る。運転中、用意していたおにぎりとパンをかじる。一関市の税金をかけたであろう 骨寺村荘園 の豪奢な休憩所に寄り、いろいろなインフォメーションを得る。なんだか、由来はどうであるか知らないが村名がおどろおどろしい。平泉、藤原氏の荘園である。国内でも珍しくて古典的な農村景観を遺した地域であるが、どういう風に村内を動きまわるか思いつかない。
 ほっとはするが、都市育ちならいざ知らず農村出身のわが身であれば清潔志向の(!)平凡な風景でもある。ある意味で映画の時代劇とか農村を舞台にしたロケ地としては最適かもしれない。須川岳山麓の探勝のついでに、再度、折りを見てうかがうかもしれない。中尊寺とともに追加的に世界遺産を目指しているらしいが、およそ、一般受けはしないだろう。
 ここで、お腹は減っていないのだが、味噌味の 「はっと」 ¥550を食べるが、わたしの小さいころの味を再現させてくれたが、味はあまりにも素朴すぎて他人に薦められるものではない。

 もっと遠くへ、若い者の運転の後続車にあおられつつ、次に祭畤(マツルベ)大橋の鋼橋の落橋現場に行く。ここは東日本大震災の3年前に起きた地震の震災遺構である。
 岩手・宮城内陸地震:2008年6月14日(土)午前8時43分、震源地に最も近い岩手県一関市と宮城県栗原市は6弱~5強。直下型地震、距離的に震源地は近い。土木的にはミスがなかったと調査報告がされているが、現場で実際に見るといい知見を会得させてくれる。
 第三弾になるが、ここで説明版とともに画像の羅列をアップする。

 結局、この日は走破距離150km、18:00に帰宅した。わたしはなんだか、体以上に頭が疲れた気がした。晩酌のみで夕ご飯も食べず寝てしまった。

≪追記≫この春以来、田舎と言えば言えるだろうが、車中から見た里道沿いの山の樹木について記したい。ほぼこの時期は緑一色の背景ばかりである。その中で目立つ樹木がある。この日はミズキ(水木)の薄い黄緑色の花が咲いていたり、もたれかかり植物の蔓性のハンゲショウ(半夏生)の白い葉が目立つ。この植物はつくづくマント群落を構成するのだなと感じる。それに微風によるホオノキ(朴の木)の大きい葉の裏返りが白くて面白い。
 4月頃には、山桜がポツンポツンと咲く山中に、にぎにぎしく咲く黄花の山吹のソデ群落、ガマズミやカマツカ、エゴノキの白い花が目立ったもの。順を追って季節は変わり、レンゲツツジ、ヤマツツジもある。たまにタニウツギのピンク色の花もあった。そのあとにはマタタビ、コクワ、ツルアジサイと咲いていく。
 高校生活まで居たわたし個人にとっては、懐かしくも新鮮な心境になれるものであった。この後は秋の紅葉時期が楽しみである。

          

          

          

          

          

           
          

          
          
          

          

          

          

          

          

          

          
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