うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

作詞家の西條八十についてですが・・・

2022年02月23日 05時41分27秒 | 活字中毒の日々、そして読書三昧
 今年は春一番が吹くかどうか、間もなく 啓蟄 の三月だ。まだまだ寒いわたしの日々は、コロナ禍のせいにしているが2か月以上も家から外出せずにいて、先日来、amazonで発注した本を読み切れずこの頃は読書三昧が続いている。この中で今回は、かなり古い時代のことだが、 西條八十もの をとりあげる。西條八十は詩、童話、翻訳、それに歌詞を多彩に多面的に残しているが、内容は叙情主体、リリカル、センチメンタルなものが多くて、誤解を恐れずに言えばその本質は天性のロマンチストであろうか。

 西條八十:東京牛込払方町に明治25年1月15日(1892年)に生まれた。家業は石鹸製造業。
      昭和45年8月12日(1970年)急性心不全で死去。

・「流行歌のつくり方」西條八十 平凡出版 はこの程入手したのだが、紙魚(紙を喰う虫のことです)はいないが紙質は茶褐色になり千切れそうだ。相当古くて、なんと奥付きを見るとわたしが小学2年生の年に発行されたものである(昭和33年7月5日第一刷)。

・「流行歌 西條八十物語」吉川潮 ちくま文庫 は 芸能評論家がまとめた伝記もの。
・数々の賞を受けた「西條八十」筒井清忠 中央公論社 は大学の教授でありながらも、意を決して評伝を著したものらしい。
           

           
      「昭和の歌芸人 三波春夫・さくら舎刊」と「演歌巡礼 船村徹・講談社刊 」

 わたしは戦後生まれ、今はテレビ好きであるが、小さなころからラジオから流れてくる歌謡曲が好きだった。後年この方向は音痴にもかかわらずカラオケ好きに至る。当時は軍歌や民謡が耳に入り、どうも身についている如しのようだ。その後、好んで演歌だけということでもないのだが、いつだか、このブログでも取り上げた 船村徹 の楽曲にはノスタルジーを感じていて過去に日光市の記念館にも行った。また一年ほど前には山口県の周防大島の星野哲郎記念館にも立ち寄った。数年前にNHK朝のドラマで 古関裕而 を取り上げていたが、今でも現代の若い歌手の方の歌も聞く方であるが、昔の時代を思い出すと、後で気づいたらこの西條八十の歌であることが多い。彼は多作家で歌のジャンルや題材も広くておびただしい数の曲があるのだ。ご自身は早稲田大学文学部の教授でありながらもこんな活動で少なくない収入を得ており、温厚で都会的、ダンディな性格でありながら当時の知識人たちやインテリ層の一斉無視や嫉み嫉妬を買ったとされる。ちなみに大学ではフランス文学専攻で詩人アルチュール・ランボオ研究であった。
 戦争中の軍歌もさまざまでありここでは 古関裕而 の「露営の歌」などもあるが、わたしたちの学校の運動会の応援歌として「同期の桜」を何の気遣いもなく大声を張り上げて歌ったものである。
〈同期の桜〉
貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
みごと散ります 国のため

貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
血肉分けたる 仲ではないが
なぜか気が合うて 別れられぬ

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
仰いだ夕焼け 南の空に
未だ還らぬ 一番機

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
あれほど誓った その日も待たず
なぜに死んだか 散ったのか

貴様と俺とは 同期の桜
離れ離れに 散ろうとも
花の都の 靖国神社
春の梢に 咲いて会おう

その他に西條八十の作詞を以下にざっとあげると、こんな内容だ。まあ、出来るだけ時系列に沿っているつもりである。
〈銀座の柳〉〈東京行進曲〉〈東京ラプソディー〉 愛染かつらの〈旅の夜風〉、〈誰か故郷を想わざる〉〈支那の夜〉〈蘇州夜曲〉〈青い山脈〉 美空ひばりの歌の〈越後獅子の唄〉、島倉千代子の〈この世の花〉、舟木一夫の〈花咲く乙女たち〉、作曲家船村徹と村田英雄の〈王将〉などなど。


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