落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

誰も来ない

2009年01月05日 | diary
世の中のたいていの会社は今日が仕事始めだと思うんですが。
ぐりも今日から出社したんだけど、待てど暮らせど誰も来ない(爆)。いや正確にいえば他のフロアのスタッフは来てるんだけど、たまたま同じフロアのスタッフはみんなまだ正月休み中らしく(うちの仕事場には決まった休業日がない)。
誰も来ない、オフィスにひとりぼっちの仕事始めってしまりませんなー。しかも今朝はなにやらシステムトラブルで仕事も進まず。よくわからない年始。

誰も来ないといえば。
年末に浄瑠璃寺とゆーところに行ってまいりました。
ぐりの両親はもともとトレッキングが趣味だったんですが、去年母が腰を痛めてしまって無理がきかなくなって普段は平地を歩いてるらしく、ここも1年近く前に訪ねて「よかったよー」という評判を聞いてまして。と思ったら最近ちょっと人気なんですねー。ここ。
場所は京都府木津川市。JR奈良駅からバスで30分くらい。京都なのに奈良駅?しかもこのバスが一日3~4本しかない(寺から歩いて30~40分ほど離れた別のバス停は1時間に何本か来るけど、ここまで離れたらもはや‘最寄り’ではないし、このバス停からは寺は影も形も見えない)。後で両親に訊いたら「奈良より京都から行った方が近い」とゆーことでしたが、ネット上ではだいたい奈良からのアクセスばっかり紹介されてる。なにゆえ?

とにかく奈良駅からバス。
バスはあっちゅー間に市街を抜け、山を越え野を越え農村を越え、車窓の外はどんどん寂れていく。ちょっと不安。しかもバスにはぐりを入れても5人くらいしか乗ってない(全員観光客)。周りに山と田畑と農家しか見えなくなってかなりしばらく経ったころ、のぺっとした駐車場で下ろされる。寺、どこ?
と思ったら視界のすみっこにちまっと「浄瑠璃寺はこちら」という標識。細い参道を登ると小さな山門があり、傍に鐘楼、庭園の奥に阿弥陀堂、池を挟んで山の中に三重塔が建っている。以上、終了。ちっちゃい。
ただちっちゃいだけあって、九体の阿弥陀仏が拝める阿弥陀堂に入るともんのすごい間近に、それこそ手で触れそうなくらい目の前で仏様と向かい合うことができる。これは意外に感動します。だって900年前につくられた国宝がこんな近くでガン見できるってすごいよー。この阿弥陀堂では阿弥陀如来以外に子安地蔵菩薩・不動明王・四天王像も拝める。いずれも平安~鎌倉期のもので重文・国宝。
このお寺には他に薬師如来・吉祥天女・大日如来の3体の秘仏があるんだけど、決まった公開日に行かないとこちらは拝めません。

浄瑠璃寺は創建されて約1000年。
場所柄か観光客も少ないし周りには農家しかないしすごく静かでのんびりしていて、京都のお寺なんかとはずいぶん雰囲気が違う。ありていにいえば地味。清潔で手入れは行き届いてるけど、いまいちやる気なし。
なんかこのゆるーい感じが、「もしかして建てられたときもこんな感じだったんじゃないかなあ?」という、もっと観光地化されたお寺では味わえない非日常を味わわせてくれる。どーかするとほんとに時間止まってんじゃない?みたいな。そういうのがすごい新鮮でした。
でも庭をひとめぐりしたらもうやることはなくって、近所の石仏をほてほて観て歩く。といっても地理に不案内なうえ、バスに乗り遅れたら次は2時間以上何もない吹きっさらしで待たなくてはならないのでそう遠くへは行けない。結局いちばん近い首切り地蔵(なぜこういう名前なのかは不明)と藪の中三仏磨崖像しか観れなかった。

ちっちゃくて地味でなんにもない浄瑠璃寺だけど、帰るときにはもう「次はお花か紅葉の季節に秘仏を拝みに来たいなあ」と思っている自分がいて驚き。
世の中にはお寺といえばお友だちや家族とわいわいと参拝するのがいいという人もいるかもしれないしそういう人にはこのお寺は不向きかもしれないけど(小さすぎて間がもたない)、基本的に人ごみが苦手で常にぼへっとおひとりさま行動なぐり的には、バスもろくに来ないような静かな山の中にひっそり建ってるこのお寺、かなーり気に入りました。
寂しいやつといわれようと、それでいいのだ。
さて、いつ行こうかな?


浄瑠璃寺にて。