『レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで』
1950年代のコネチカット州。日々の単調な仕事に飽き飽きしていたOA機器メーカー勤務のフランク(レオナルド・ディカプリオ)は、妻エイプリル(ケイト・ウィンスレット)に「私が働くから、会社を辞めてパリで出直そう」と提案されて戸惑いつつも同意するのだが、その矢先に彼女の妊娠が発覚。堕胎してでもパリ行きにこだわる妻と、昇進のチャンスを前に仕事を手放すことに逡巡する夫との間には徐々に溝が広がり始め・・・。
アメリカでは有名な小説『家族の終わりに』の映画化作品。原作おもしろそうですね。是非とも読んでみたいです。
ケイト・ウィンスレット主演でサバービアものといえば『リトル・チルドレン』ですな。めちゃめちゃキャラかぶってます。ストーリーのトーンとしては『アイス・ストーム』(原作レビュー)の方が近いかな?『アイス〜』は夫婦ものというよりホームドラマだし時代背景がもっと後ですけど、舞台は同じコネチカット州だし。
んー。原作はおもしろいんだろーなーってさっきも書きましたが、ほんとそんな感じなんだよね。すごい頑張ってるとは思うんだけど・・・原作を消化するのに必死で全然余裕がないってゆーか。出演者の演技はどの人もすごくいいし、どこって問題とか欠点とかそーゆーものは見当たらないんですがー。けどなんだか、ストーリーのコアというかソウルというか、肝心なところが、映画として映像として再現しきれてないとゆーか。やることはちゃんとやってんだけどそれだけ、みたいな。うまくいえないんですが。
しかしこのレオっち演じるフランクはスゴイです。
何がスゴイって、夫たるものがやっちゃいけないことを全部ひととおりやっちゃうんだよね。それも完全に無自覚に。薄っぺらな俗物で優柔不断で無神経で自意識過剰。プライドだけは一丁前のくせに決断力はなくて、感情的になるときだけはやたらに威張ってる。世の男性はみなさま彼を見習うべきですね。反面教師として。彼がやってることはひとつ残らず夫としてやっちゃいけないことの見本でございます。ひとつひとつは大したことじゃないかもしれない。些細なことかもしれない。けどそれが全部、妻を傷つけ、ふたりの間の愛や信頼を確実に蝕み、破壊していく。自分を愛してくれた妻を自ら絶望させていることに、彼は最後の最後まで気がつかない。どこまでアホやねん。ブラボーなり。
エイプリルは確かに夢見がちで大人になりきれない厄介な女かもしれない。でもおそらく彼女のした過ちはたったひとつだ。夫を愛し、彼を特別な人だと思いこみ、本人のナルシシズムを助長してしまったこと。彼女は自分自身をも愛し過ぎたのかもしれない。自分に見合うだけの夫像をダメな男に求めて裏切られてしまった。かわいそうな女だ。
人は誰でもすべての可能性を秘めて生まれてくる。
すべての可能性はやがて環境や時間や自身の怠慢によってひとつ、またひとつとこぼれ落ちていき、知らず知らずのうちに手に残されたカードはほんのわずかという現実がめぐってくる。そういうときは誰でも落ちこむし、ブルーになる。
けどそれが大人になるってことだし、カードはそのうちまたまわってくることだってある。いちいち絶望するのは閑人のやることなんじゃないかねー?世の中にはそういうときのためにお酒ってものがあるし、だからお酒は大人の嗜みなんじゃないかなあ。
ところでこの映画、演出にところどころ意味不明な箇所があり。たとえばフランクが来客に飲み物をつくるシーンで、わざわざふたりぶんつくろうと台詞でいわせているのに結局つくった酒を自分で飲んで、誰もそれにツッコまない。なんでー?
あとラブシーンが2ヶ所あるんだけど、どちらも妙に短い。いやべつに短くてもいいんだけど不自然に短いんだよね。編集でカット尻を切るとかして自然な長さにみせかけるとかすればいーのに、あれじゃーセックスしてるよーには見えないなりよ。ダンナ(サム・メンデス監督)の前でラブシーンはやりづらかったとウィンスレットがいってたけど、演出する方もやりづらかったんでしょーがそこは仕事なんですからちゃんとやってねー?
ラストシーンでキャシー・ベイツ演じるギヴィングス夫人が夫(リチャード・イーストン)と会話してるシーンがめちゃブラックでおもろかったです。「結婚前は両目をよく開いて、結婚したら片目をつぶって」だっけ?でもホント、心に思ったことを何もかも正直に話しあってそれを全部お互いに背負いこみあってたら夫婦なんてやってられないものなのかもね。ぐりは経験ないからよくわかりませんがー。くわばら。
1950年代のコネチカット州。日々の単調な仕事に飽き飽きしていたOA機器メーカー勤務のフランク(レオナルド・ディカプリオ)は、妻エイプリル(ケイト・ウィンスレット)に「私が働くから、会社を辞めてパリで出直そう」と提案されて戸惑いつつも同意するのだが、その矢先に彼女の妊娠が発覚。堕胎してでもパリ行きにこだわる妻と、昇進のチャンスを前に仕事を手放すことに逡巡する夫との間には徐々に溝が広がり始め・・・。
アメリカでは有名な小説『家族の終わりに』の映画化作品。原作おもしろそうですね。是非とも読んでみたいです。
ケイト・ウィンスレット主演でサバービアものといえば『リトル・チルドレン』ですな。めちゃめちゃキャラかぶってます。ストーリーのトーンとしては『アイス・ストーム』(原作レビュー)の方が近いかな?『アイス〜』は夫婦ものというよりホームドラマだし時代背景がもっと後ですけど、舞台は同じコネチカット州だし。
んー。原作はおもしろいんだろーなーってさっきも書きましたが、ほんとそんな感じなんだよね。すごい頑張ってるとは思うんだけど・・・原作を消化するのに必死で全然余裕がないってゆーか。出演者の演技はどの人もすごくいいし、どこって問題とか欠点とかそーゆーものは見当たらないんですがー。けどなんだか、ストーリーのコアというかソウルというか、肝心なところが、映画として映像として再現しきれてないとゆーか。やることはちゃんとやってんだけどそれだけ、みたいな。うまくいえないんですが。
しかしこのレオっち演じるフランクはスゴイです。
何がスゴイって、夫たるものがやっちゃいけないことを全部ひととおりやっちゃうんだよね。それも完全に無自覚に。薄っぺらな俗物で優柔不断で無神経で自意識過剰。プライドだけは一丁前のくせに決断力はなくて、感情的になるときだけはやたらに威張ってる。世の男性はみなさま彼を見習うべきですね。反面教師として。彼がやってることはひとつ残らず夫としてやっちゃいけないことの見本でございます。ひとつひとつは大したことじゃないかもしれない。些細なことかもしれない。けどそれが全部、妻を傷つけ、ふたりの間の愛や信頼を確実に蝕み、破壊していく。自分を愛してくれた妻を自ら絶望させていることに、彼は最後の最後まで気がつかない。どこまでアホやねん。ブラボーなり。
エイプリルは確かに夢見がちで大人になりきれない厄介な女かもしれない。でもおそらく彼女のした過ちはたったひとつだ。夫を愛し、彼を特別な人だと思いこみ、本人のナルシシズムを助長してしまったこと。彼女は自分自身をも愛し過ぎたのかもしれない。自分に見合うだけの夫像をダメな男に求めて裏切られてしまった。かわいそうな女だ。
人は誰でもすべての可能性を秘めて生まれてくる。
すべての可能性はやがて環境や時間や自身の怠慢によってひとつ、またひとつとこぼれ落ちていき、知らず知らずのうちに手に残されたカードはほんのわずかという現実がめぐってくる。そういうときは誰でも落ちこむし、ブルーになる。
けどそれが大人になるってことだし、カードはそのうちまたまわってくることだってある。いちいち絶望するのは閑人のやることなんじゃないかねー?世の中にはそういうときのためにお酒ってものがあるし、だからお酒は大人の嗜みなんじゃないかなあ。
ところでこの映画、演出にところどころ意味不明な箇所があり。たとえばフランクが来客に飲み物をつくるシーンで、わざわざふたりぶんつくろうと台詞でいわせているのに結局つくった酒を自分で飲んで、誰もそれにツッコまない。なんでー?
あとラブシーンが2ヶ所あるんだけど、どちらも妙に短い。いやべつに短くてもいいんだけど不自然に短いんだよね。編集でカット尻を切るとかして自然な長さにみせかけるとかすればいーのに、あれじゃーセックスしてるよーには見えないなりよ。ダンナ(サム・メンデス監督)の前でラブシーンはやりづらかったとウィンスレットがいってたけど、演出する方もやりづらかったんでしょーがそこは仕事なんですからちゃんとやってねー?
ラストシーンでキャシー・ベイツ演じるギヴィングス夫人が夫(リチャード・イーストン)と会話してるシーンがめちゃブラックでおもろかったです。「結婚前は両目をよく開いて、結婚したら片目をつぶって」だっけ?でもホント、心に思ったことを何もかも正直に話しあってそれを全部お互いに背負いこみあってたら夫婦なんてやってられないものなのかもね。ぐりは経験ないからよくわかりませんがー。くわばら。