環境省、犬猫収容施設拡充へ 処分半減目指す
2006年度に日本の保健所・動物愛護センターで殺処分された犬・猫は35万頭以上(3分間ごとに2頭が殺されている計算になる)。
近年の動物愛護に対する関心と意識のたかまりもあって、処分される動物の数は少しずつ減少する傾向にはあるけど、依然として保護された動物のうち9割以上が飼い主や里親にめぐりあうことができずに殺処分されている。
この原因は日本のペット産業のあり方が半分以上だとぐりは思っている。犬や猫や小動物をまるでおもちゃかアクセサリーのように商品化する考え方が、気まぐれで飼っては気に入らないから捨てる、飽きたから捨てる、避妊もさせずに子どもを産んだから捨てる、という無責任な飼い主を生み出しているのではないだろうか。
ペット=モノというとらえ方はべつにペット産業が新しくつくりだしたものではない。むしろもともと人と家畜との間には持ち主と所有物というはっきりした上下関係があって、家畜=ペットにも尊重されるべき心や感情があって彼らも家族の一員であるという考え方はむしろ最近になって主流になったんだと思う。それでも誰もが貧しく何につけてもモノが足りなかった昔は、家畜という所有物も当り前に大切にされていた。持ち主には持ち主なりの責任意識も当然あった。どこでもかしこでもモノが溢れて余っている今ではそんな感覚自体が無価値になってしまったけれど。
けどもうそれも過去の話だ。今やペットはモノじゃない。生き物の心や感情を無下にする人の人格が疑われる時代になったのだ。
ぐりは去年まで小動物を飼っていたのだが、これが少々珍しい生き物で飼い方などの情報が少なくて、一時はインターネットでいろいろと調べてまわったこともあったのだがすぐにやめてしまった。
情報はヒットするのだがその半数は繁殖家で、効率よくたくさん子を産ませる繁殖方法や見た目の美しい子をつくる交配技術などといった情報ばかりが氾濫していて、肝心の食餌や健康管理などの情報には適当な俗説や完全な誤解などいい加減なものが多くて辟易してしまったから。ひどいサイトなどでは一度の繁殖期に10回以上も出産させるテクニックが自慢げに披露されいて、読むなり胸が悪くなった。
ぐりのうちにいた個体はもとから健康上に問題があって毎週のように専門医にかかっていたので、結局知りたいことは全部そこで聞くようになってインターネットには頼らなくてもよくなったけど、いずれにせよ、かわいい小動物がペットショップの店頭に並ぶ以前には大なり小なりああいう不快な背景があるはずだと思うと、未だに気分が暗くなる(ちなみにうちのは店で買ったわけではない)。
ぐりは個人的には店で動物を売るのはもうやめてほしいと思っている。
飼いたい人は飼ってる人のところへ行って子どもをわけてもらうか、飼えなくなって施設やボランティアに保護されている動物をひきとるかすればいい。業者は飼いたい希望者の注文に応じて動物を繁殖させ、顧客は希望の子どもが生まれるのを待てばよい。それでいいではないか。それで無理なら縁がなかったとお互い諦める。ペットがいなくたって人の生活は何も困らない。
住む家のあてもなく生み出され、店の狭いケージで買ってくれる客を待っている動物は憐れだ。その客を選ぶ自由は動物にはいっさいない。客が現れなければ、彼らは実験動物として払い下げになるか殺処分となる運命にある。
ぐりは前述の動物を飼ったのは自分の意志ではなかったけど、飼うからには出来る限りのことは全部しようと覚悟をして最期まで見届けることはできた。最終的にはしてやれるだけのことの99%まではしたと思う。残りの1%がかなわなかったのはひとえにぐりの人格の至らなさだが、その1%ができなかったことはあれから10ヶ月経った今も悔しいし、それだけに金輪際二度と生き物なんか飼うまいと心に決めている。おそらくその1%は一生悔やみ続けることになるだろうと思う。
こんな自分に生き物を飼う権利なんかあるわけがない。けどこんなぐりでも、生き物を飼おうとしている人全員に、これから家族になるその子にしてやれることを全部やりつくせる自信があるかどうかくらい、問いなおす制度もほしいと思う。
ぐりの仕事場の近所にはラブホ街があるんですがー。
中にはこーゆー、ラブホとゆーより連れ込み宿とでも呼ぶべき雰囲気の建物もあります。時間、止まってます。
2006年度に日本の保健所・動物愛護センターで殺処分された犬・猫は35万頭以上(3分間ごとに2頭が殺されている計算になる)。
近年の動物愛護に対する関心と意識のたかまりもあって、処分される動物の数は少しずつ減少する傾向にはあるけど、依然として保護された動物のうち9割以上が飼い主や里親にめぐりあうことができずに殺処分されている。
この原因は日本のペット産業のあり方が半分以上だとぐりは思っている。犬や猫や小動物をまるでおもちゃかアクセサリーのように商品化する考え方が、気まぐれで飼っては気に入らないから捨てる、飽きたから捨てる、避妊もさせずに子どもを産んだから捨てる、という無責任な飼い主を生み出しているのではないだろうか。
ペット=モノというとらえ方はべつにペット産業が新しくつくりだしたものではない。むしろもともと人と家畜との間には持ち主と所有物というはっきりした上下関係があって、家畜=ペットにも尊重されるべき心や感情があって彼らも家族の一員であるという考え方はむしろ最近になって主流になったんだと思う。それでも誰もが貧しく何につけてもモノが足りなかった昔は、家畜という所有物も当り前に大切にされていた。持ち主には持ち主なりの責任意識も当然あった。どこでもかしこでもモノが溢れて余っている今ではそんな感覚自体が無価値になってしまったけれど。
けどもうそれも過去の話だ。今やペットはモノじゃない。生き物の心や感情を無下にする人の人格が疑われる時代になったのだ。
ぐりは去年まで小動物を飼っていたのだが、これが少々珍しい生き物で飼い方などの情報が少なくて、一時はインターネットでいろいろと調べてまわったこともあったのだがすぐにやめてしまった。
情報はヒットするのだがその半数は繁殖家で、効率よくたくさん子を産ませる繁殖方法や見た目の美しい子をつくる交配技術などといった情報ばかりが氾濫していて、肝心の食餌や健康管理などの情報には適当な俗説や完全な誤解などいい加減なものが多くて辟易してしまったから。ひどいサイトなどでは一度の繁殖期に10回以上も出産させるテクニックが自慢げに披露されいて、読むなり胸が悪くなった。
ぐりのうちにいた個体はもとから健康上に問題があって毎週のように専門医にかかっていたので、結局知りたいことは全部そこで聞くようになってインターネットには頼らなくてもよくなったけど、いずれにせよ、かわいい小動物がペットショップの店頭に並ぶ以前には大なり小なりああいう不快な背景があるはずだと思うと、未だに気分が暗くなる(ちなみにうちのは店で買ったわけではない)。
ぐりは個人的には店で動物を売るのはもうやめてほしいと思っている。
飼いたい人は飼ってる人のところへ行って子どもをわけてもらうか、飼えなくなって施設やボランティアに保護されている動物をひきとるかすればいい。業者は飼いたい希望者の注文に応じて動物を繁殖させ、顧客は希望の子どもが生まれるのを待てばよい。それでいいではないか。それで無理なら縁がなかったとお互い諦める。ペットがいなくたって人の生活は何も困らない。
住む家のあてもなく生み出され、店の狭いケージで買ってくれる客を待っている動物は憐れだ。その客を選ぶ自由は動物にはいっさいない。客が現れなければ、彼らは実験動物として払い下げになるか殺処分となる運命にある。
ぐりは前述の動物を飼ったのは自分の意志ではなかったけど、飼うからには出来る限りのことは全部しようと覚悟をして最期まで見届けることはできた。最終的にはしてやれるだけのことの99%まではしたと思う。残りの1%がかなわなかったのはひとえにぐりの人格の至らなさだが、その1%ができなかったことはあれから10ヶ月経った今も悔しいし、それだけに金輪際二度と生き物なんか飼うまいと心に決めている。おそらくその1%は一生悔やみ続けることになるだろうと思う。
こんな自分に生き物を飼う権利なんかあるわけがない。けどこんなぐりでも、生き物を飼おうとしている人全員に、これから家族になるその子にしてやれることを全部やりつくせる自信があるかどうかくらい、問いなおす制度もほしいと思う。
ぐりの仕事場の近所にはラブホ街があるんですがー。
中にはこーゆー、ラブホとゆーより連れ込み宿とでも呼ぶべき雰囲気の建物もあります。時間、止まってます。