落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

眠すぎて発狂しそう

2008年08月24日 | diary
アレルギーのクスリを再開したら、四六時中猛烈に眠くて眠くて仕方がない。
まるで頭の中がヨーグルトにでもなったよーな。
なので週末のレビューは明日以降にアップしまーす・・・。


『言えない秘密』で桂綸鎂(グイ ・ルンメイ)が着用した制服。
コレ、明らかにボディがデカすぎるんだと思う。ぱっつんぱっつんですがなー。

両国の雨

2008年08月22日 | diary
玉三郎も出演 下町の極小劇場、23年で幕

へヴィーなレビューばっかし続いたし今日は小休止ってことでちょっと前のニュース。
来年閉鎖になる小劇場ベニサンピットにはぐりも90年代によく通った。92年の『蜘蛛女のキス』に始まって『テレーズ・ラカン』『あわれ彼女は娼婦』『双頭の鷲』『ピアノ』など、豪華なキャストでかつ実験的な演出で上演される古典演劇を何本か観た。映画は好きだったがもともと演劇にはほとんど興味がなかったぐりに、シェイクスピア以外の古典のおもしろさを教えてくれた劇場だった。なくなってしまうのはとても淋しい。なくなる前に久しぶりにもう一度行ってみたいと思う。

今でも強烈に覚えているのは93年の『あわれ彼女は娼婦』。
客席の頭上のキャットウォークにパーカッションが設置され、ミュージシャンが生で現代音楽を演奏しながらの上演だった。狭い劇場なのでその震動が場内全体にびりびりと響いて、へヴィーかつハードな物語がいやが上にも緊迫した。
行ったことがある人はご存知かと思うが、当時ベニサンピットの壁は黒いペンキで塗られていた。物語の終盤、クライマックスの宴のシーンで煌煌と照明がつくと同時に、その真っ黒な壁一面に純白の幕が一斉に下ろされる。客席の後ろまで壁全部が瞬時に真っ白に“ホワイトアウト”する。そこであの凄まじい惨劇が始まるのだ。
終演後、外に出ると雨が降っていた。興奮のあまり電車に乗る気になれず、雨の中、まったく土地勘のない両国の街をふた駅ぶんほど走って帰った。

『蜘蛛女のキス』のときは一列前の席が木村拓哉氏だった。まだ10代で“キムタク”なんて呼び方もなくて、TVに出始めてやっと注目され出したころだった。ドラマ「あすなろ白書」でブレイクするのはもっと後のことだが、この日間近で見た彼には既にオーラのようなものがあった。この『蜘蛛女〜』は演劇関係者の間でも評判だったらしく、客席には他にも見覚えのある演出家や舞台俳優が何人も来ていた。
『テレーズ・ラカン』の壁も天井も大きく傾斜した不思議なデザインの舞台装置は無茶苦茶にオシャレで、空間も設備も限定された場所でこういうことができるデザイナーのセンスに心底感動した。ココほんっとに狭いから。毎回舞台の形を変えていて客席数も流動的だったけど、MAXでも100人程度しか入らなかったんじゃないかと思う。
他にもたくさん観たかったのに、小劇場で席数が限られていることもありチケットがなかなかとれず、日程の自由がきかなくなってだんだん足が遠のいて行った。悔しい。

来月も他の劇場での観劇の予定が入っているが、あのころこの劇場に行くことがなかったら、あるいはぐりには演劇を観る習慣はつかなかったかもしれない。
田舎から出て来てすべての情報が嵐のようにあふれた東京で、演劇の楽しさを教えてくれたベニサンピットには心から感謝している。
お疲れさま。ありがとうございました。


蜘蛛の抜け殻。

7館公開から一挙100館超え…映画「闇の子供たち」
観たいのに近くで上映してない、という声がほうぼうで聞かれてましたが、これで少しはカバーできるようになるのかな?
ブログ検索をかけるとけっこうな数の国会議員が一般上映で観ている(議員向けの試写もあったみたいだけど)。現在上映中の劇場は平日でもどこも大盛況らしいしもっと話題になっても良さそうなもんなのに、マスコミの反応はサビシーもんです。
タイ側でも公開のためにいろんな人が動いてて、映画祭でどうも上映できそうということになっているそーだ。

タガタメ

2008年08月21日 | book
『性犯罪被害にあうということ』 小林美佳著
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2000年8月に性犯罪事件に巻き込まれ、現在は当事者の立場から性犯罪被害者の支援活動(みかつきHP)をしている小林美佳氏の手記。
雑誌やTVなどでも取り上げられたので有名な方なのかもしれないが、ぐりはこの本が出て初めて知った。
表紙には著者本人の肖像写真。肖像写真で著名な斎門富士男氏の爽やかなポートレートに写った彼女は、色白で華奢で、可憐・清楚といった言葉がまさにぴたりと当てはまるような女性だが、これまでに誰も自ら語らなかったレイプの被害を一冊の本に書くという、「私は悪くない」「勝手に同情なんかされたくない」という毅然とした強い意志の表れをストレートに感じさせる。

レイプは魂の殺人だとよくいわれる。
未だにぐりにはうまく理解できないのだが、性犯罪はなぜか被害者にも落ち度があると思われる。これはどうも万国共通、程度の差こそあれいつでもどこでも似たような状況らしいが、被害者自身もそのことで自分を責めて、責めあぐねてついには自殺してしまうケースもしばしばある。事件後に精神的なバランスをたて直すことができず、対人関係から生活基盤までとことん破壊されてしまう被害者もいる。こうした二次被害はセカンドレイプとも呼ばれ、性犯罪独特の現象ともいわれる。
著者の場合この現象を最も如実に表しているのが、実母の「もう誰にも話さないでちょうだいね」というひとことだった。
第三者は被害の苦しみは忘れてなかったことにするのがいちばんだと安易に考える。本人は被害者のためを思ってそう考えるのかもしれない。だが無知の善意ほど恐ろしいものはない。自分が悪いことをしたわけでもないのに事件をなかったことにされるのは、被害者の苦しみを全否定することと同じだ。
それはすべての理解と解決への道すら閉ざしてしまうことになりかねない。一度起きてしまったことは、決してなかったことにもできないし忘れることもできないのだ。

この本には著者自身が事件とその後のできごとを通して感じたことが、ごくごく素直に淡々とつづられている。
警察の対応、終わることのないPTSDの苦しみ、家族との不和、恋愛やセックスに対する恐怖、さまざまな友情の形、行政への不信、カウンセリング、仕事、結婚など、実際に体験したことがなければ想像もつかない現状がひとつひとつ丁寧に、だが簡潔な言葉で語られている。
女性らしい感情豊かな表現が多いが、決して情緒的でもないし重さもない。弟が「姉は強い人」という通り、おそらく彼女はとても強い人なのだろうと思う。
だが、どんなに強い人でも、年がら年中常に強さを期待されるのは苦しいものだ。どんなに強い人でも、犯罪の被害に遭って苦しんでいるときにまで強さを求められるのは酷かろう。人間は本来、みんな弱くて寂しい生き物なのだから。
そのことを、彼女の両親がもっとわかってくれたらよかったのにと思う。

分量的にも軽めであっさりと読める本なので、それほど考え込まずに誰にでも読んでほしいと思う。
レイプに限らず、犯罪の被害に遭うということ、心に大きな傷を負うこと、強迫神経症やパニック障害などメンタル的な問題を抱える孤独がどういうことなのかが、誰にでもわかりやすく率直に表現されている、いい本です。
若い人にも、年配の人にも、男性にも女性にも、読んでほしいです。

暗黒革命

2008年08月20日 | book
『幼い娼婦だった私へ』 ソマリー・マム著 高梨ゆうり訳
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カンボジアで人身売買の被害に遭った女性と子どもの救済活動を展開しているNGOアフェシップの代表ソマリー・マム氏の自叙伝。
実の父も母も知らずに育った彼女は8歳である年配の男性に売られ、家事労働や下働きに酷使された挙げ句に、わずかな現金と引替えに15歳で兵士と結婚、夫が前線で行方不明になった後でプノンペンの売春宿に売られた。そこでの生活で自分よりも幼い少女たちが売られて来ては虐待されるのを目にした彼女は、自分たちと同じ目に遭っている被害者を助けたいと熱望するようになり、やがて知りあったフランス人男性と協力し1996年にアフェシップを立ち上げた。2年後にスペインのアストゥリアス皇太子賞を受賞したことから彼女たちの活動が国際的に広く知られるようになり今に至る。

長い間近隣諸国の干渉に翻弄され、19世紀末からはフランスに支配され、太平洋戦争下では日本の占領を受け、やっと独立したかと思えばベトナム戦争に巻きこまれ、カンボジアの歴史は常に暴力と混乱に曝され続けて来た。こういう社会の常として、犠牲を強いられるのはいつも女性や子どもなどいちばん弱い存在である。貧しさとは何もお金だけの問題ではない。社会そのものの荒廃が、人が生まれもっていたはずの心の自由さえも根こそぎ破壊し尽くす。
こんな風にまとめるとやけにあっさりした言葉になってしまうのが書いててイヤになるくらい、ソマリーの歩んで来た軌跡は悲惨そのものである。人間が人間に対してこんなにひどいことができるということが、どうしてもうまく信じられない。なぜ?どうして?という疑問が読んでも読んでも頭の中をぐるぐるまわる。誰か彼女の生涯を映画化するべきなんじゃないかと思う。マジで無茶苦茶ショッキングですから。どんだけショッキングかはぐりにはとても説明できない。ムリ。

だが本そのものの文体は非常に淡々としていて、素直な感情もそのまま描かれている割りに不思議なくらい重さがない。
彼女は何度か自殺未遂をしているのだが、そのときに自分の人生は終わってしまったと感じているらしい。だから読んでいても具体的にソマリーという女性のイメージは浮かんでこない。代りに、彼女の目に映る、彼女の背後の風景が実に生々しく見えてくる。
旧態然とした封建社会と男尊女卑思想、腐敗しきった官僚、まったく機能しない司法制度、ヤクザ同然の警察組織。虐げられ傷ついた女性や子どもの味方をしてくれる者など誰もいない。絶え間ない脅迫と暴力の中で彼女は孤軍奮闘している。頼りになるのは国際世論ぐらいなものである。
今も彼女は自分が穢れているというトラウマから逃れられないでいる。私たちは売春婦じゃない、買春被害者だと主張することは出来ても、心の中の傷は一生癒されない。物心つくころからひたすら罵られ、殴られ、蹴られ、脅され、強姦され続けた人の負った傷の大きさなど、第三者には到底想像もつかない。それでも彼女は、被害に遭った少女たちは話を聞いてくれる相手を求めているという。聞いてくれるだけでいいという。

売春は人類の歴史で最も古い職業であり、現代でも立派なサービス業だといってしまうのは簡単だ。
でも、彼女たちのように鎖で繋がれ、麻薬を打たれ、性感染症でボロボロになって死ぬまで酷使される奴隷のような生活など到底“職業”とは呼べない。たとえ貧しくても学がなくても、売春しかやることがないような人間はどう扱っても良いというものではない。
そんな当り前のことがカンボジアでは理解されていない。彼女の道は絶望的に遠い。遠すぎる。
カンボジアの貧しい少女は、5〜8歳で親兄弟に売られてセックスワーカーになる。12歳くらいまでは“処女”として客に提供される。強姦されて処女膜が破られるたびに麻酔もなしに縫合され、また強姦される。抵抗すれば暴行され、タバコの火を押しつけられたり熱湯を浴びせられたり、ヘビやサソリをけしかけて脅されたり、鎖で縛りつけられたりする。火災で焼け落ちた売春宿では数珠つなぎになった少女たちの遺体が発見されるが、刑事責任を問われる者は誰もいない。生きたまま火をつけられたり、客に殺される少女もいる。エイズを発症した少女は追い出されて捨てられる。コンドームを使う客もいるが使い廻しなのでまったく意味はない。
年を経て売春を辞めても彼女たちに将来はない。故郷に帰って結婚しても売春婦は魔女だと謗られ、リンチに遭って殺される女性もいる。それでもやはり誰も訴追されない。
この現実は売春などという言葉で表現することは出来ない。地獄そのものではないか。その地獄にセックスを買いに行く男という生き物がいる。女を買う、快楽を買うということの向こうにどれほどの暗黒が存在しているのか、すべての人間が知るべきだと思う。

国際子ども権利センター アフェシップ紹介

関連レビュー:
『闇の子供たち』1
『アジア「年金老人」買春ツアー 国境なき「性市場」』 羽田令子著
『子どものねだん―バンコク児童売春地獄の四年間』 マリー=フランス・ボッツ著
『アジアの子ども買春と日本』 アジアの児童買春阻止を訴える会(カスパル)編
『少女売買 インドに売られたネパールの少女たち』 長谷川まり子著

赤線ロシアンルーレット

2008年08月19日 | book
『アジア「年金老人」買春ツアー 国境なき「性市場」』 羽田令子著
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昨日に引き続きタイの売春ネタ。
『闇の子供たち』つながりでもあるんですが、ちょと事情があってこの方面の資料をまとめて大人借りしちゃいましたので、もうしばらくこのネタ続くと思いますです。ごめんなさいまし。

ぐりが子どものころはタイやフィリピンに女の子を買いに行くといえば農協とか社員旅行だったんだけど、最近は定年退職された年金生活者の方々がよくいらっしゃるそーですね。あとはお医者さんとかお役所関係とか企業の役員研修とか、とりあえず金持ち。お金あるんならコストパフォーマンスにこだわる必要はなかろーと思うのですがー。それ以上のなんかがあるんでしょーね。アジア人セックスワーカーには。なんなんだかは知りませんけども。
それにしてもスゴイですね。勇気あるね。信じらんないよ。
だってさあ、タイのセックスワーカーの70〜80%はHIV陽性者なんだぜ?それなのに日本人客はこぞって「ナチュラルセックス=ナマ」を所望されるそーですよ?ナチュラルて。
ちなみにタイのセックスワーカーは平均して1日20人の客を取る。コンドームなしでの性交渉における感染率から計算すれば、だいたい顧客1名/10営業日の割合で感染させてるってことになるわね。
日本人は何を根拠にしてんのかしらんけど「北タイはアブナイけど南はダイジョーブ」とかおっしゃってるそーですけども、あのー、タイのセックスワーカーは大半が北部山岳地帯かミャンマー、ラオス、カンボジアか中国出身なんです。どこで営業してよーがリスクはおんなじ。
それとタイ国内には推定数百万人のHIV陽性者がいます(非公式)。危険なのはセックスワーカーだけじゃありません。街でナンパできる素人ギャルだって陽性者かもしれませんってこと。都市部じゃ「まいんち葬式で喪服ばっか着ててつまらん」なんちゅー人もいるくらいで、タイ人の6人にひとりが親族や友人など近しい人をエイズで亡くしてるそーだ。
タイに再三再四通ってた老人会のメンバーがまとまって亡くなったなんて噂があったり、エイズを発症して初めて感染が発覚する異性愛者がやたら増えているという日本。お年を召した陽性者を受け入れる特別養護老人ホームや長期医療施設も極端に不足してます(医療介護CBニュース:HIV感染者高齢化、受け入れ先確保に課題)。政府が発表しているHIV調査のデータもどこまで信用していいものやら〜。

タイトルは“「年金老人」買春ツアー”を謳ってるけど、実際にツアーについて触れてるのはごく一部で、ほとんどがタイの売春マーケットの実態のレポート。具体的にいうと、タイの売春マーケットにおける女の子=商品の流れについて書いてある。
タイは基本的に母系社会で性に対する感覚が寛容なため、売春という職業にあまり抵抗感がないらしい。タイ北部国境地域周辺の子どもは小学校を卒業するころになると競りにかけられ、親元を離れて各地の売春宿で歌や踊りやオシャレや接客を教えこまれ、一人前になれば都会やリゾート地の売春宿へ稼ぎに行く。儲けたい子はマレーシアや香港や台湾や日本に渡る。その大部分が行方不明になったり病気になったり死んだりしていても、3年も仕送りすれば家が建つほどの収入が見込めるとなれば多少の危険は厭わない。
20歳くらいで退職した彼女たちはピンプと呼ばれるスカウトになったり、結婚してフリーランスのセックスワーカーになる。成功した場合は故郷の親に家を建てて地元のお寺に寄進をし、自分は都会で美容院やレストランなどの飲食店を経営して暮す。
コースができ上がっている。良いも悪いも何もない、タイと周辺諸国の女性の生き方のひとつとして、売春という選択肢がしっかりと確立されているのだ。

このマーケットは単なる地下産業ではない。少女をスカウトするのは学校の教師や村長だったりするし、国境の検問では兵士に賄賂がたっぷり支払われる。赤線地帯を担当する警官はみかじめ料をとるし、郵便局員は出稼ぎ先から郵送された為替小切手を失敬してクルマを買ったり家を改装したりする。お寺は彼女たちの寄進で派手な建て替えを競いあう。日本から無事に帰って来た女の子はラブホそっくりなケバケバしい外装の家を建てて悦に入っている。山深い農村地帯にそんな家がズラズラ立ち並ぶ通りがあったりするそうだ。村の通りには若い女の子の姿がまったくない。みんな都会で売春やってるから。
つまりよーするに国全体が売春ビジネスにどっぷりと首まで浸かってるってワケです。それこそ良いも悪いも何もない。
しかしそれでイケイケウハウハだった時代もそうそう続かない。HIVの驚異的な蔓延と売春といっしょに国を汚染している麻薬が、出生率をしのぐ高さの死亡率につながっている。このままいけばタイという国はどうなってしまうのか。

著者はバンコク在住でこの本の取材ではミャンマー、ラオス、中国雲南省、果てはフランスまで取材している。
全体に非常にドライで読みやすい本だが、それだけにここに描かれた独特のタイの民族文化が、読み手によってどう受け止められるのか気になるところもかなりあった。
売春はセックスというサービスを買うのであって、文化や人格を買う商売ではない。けどそこを激しく勘違いしてるのがオトコとゆー奇妙な生き物だからねえ・・・。

タイのHIV/AIDS問題に取り組むNPO GINAのレポート
アジアの難民・少数民族・売春と闘う人々を支援するSTAのレポート タイの少女売春

関連レビュー:
『闇の子供たち』1
『子どものねだん―バンコク児童売春地獄の四年間』 マリー=フランス・ボッツ著
『アジアの子ども買春と日本』 アジアの児童買春阻止を訴える会(カスパル)編
『少女売買 インドに売られたネパールの少女たち』 長谷川まり子著