落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ぐりメモ

2009年01月28日 | diary
東京FILMeXでグランプリを穫ってアカデミー賞外国語映画部門にもノミネートされている『バシールとワルツを』は邦題『戦場でワルツを』で今年公開予定。

ポラリスプロジェクトのサイトで紹介されている人身売買・強制労働を題材にした映像作品のリスト。
全部観たい。


六本木ヒルズにて。

動物は好きですか

2009年01月27日 | diary
環境省、犬猫収容施設拡充へ 処分半減目指す

2006年度に日本の保健所・動物愛護センターで殺処分された犬・猫は35万頭以上(3分間ごとに2頭が殺されている計算になる)。
近年の動物愛護に対する関心と意識のたかまりもあって、処分される動物の数は少しずつ減少する傾向にはあるけど、依然として保護された動物のうち9割以上が飼い主や里親にめぐりあうことができずに殺処分されている。
この原因は日本のペット産業のあり方が半分以上だとぐりは思っている。犬や猫や小動物をまるでおもちゃかアクセサリーのように商品化する考え方が、気まぐれで飼っては気に入らないから捨てる、飽きたから捨てる、避妊もさせずに子どもを産んだから捨てる、という無責任な飼い主を生み出しているのではないだろうか。
ペット=モノというとらえ方はべつにペット産業が新しくつくりだしたものではない。むしろもともと人と家畜との間には持ち主と所有物というはっきりした上下関係があって、家畜=ペットにも尊重されるべき心や感情があって彼らも家族の一員であるという考え方はむしろ最近になって主流になったんだと思う。それでも誰もが貧しく何につけてもモノが足りなかった昔は、家畜という所有物も当り前に大切にされていた。持ち主には持ち主なりの責任意識も当然あった。どこでもかしこでもモノが溢れて余っている今ではそんな感覚自体が無価値になってしまったけれど。
けどもうそれも過去の話だ。今やペットはモノじゃない。生き物の心や感情を無下にする人の人格が疑われる時代になったのだ。

ぐりは去年まで小動物を飼っていたのだが、これが少々珍しい生き物で飼い方などの情報が少なくて、一時はインターネットでいろいろと調べてまわったこともあったのだがすぐにやめてしまった。
情報はヒットするのだがその半数は繁殖家で、効率よくたくさん子を産ませる繁殖方法や見た目の美しい子をつくる交配技術などといった情報ばかりが氾濫していて、肝心の食餌や健康管理などの情報には適当な俗説や完全な誤解などいい加減なものが多くて辟易してしまったから。ひどいサイトなどでは一度の繁殖期に10回以上も出産させるテクニックが自慢げに披露されいて、読むなり胸が悪くなった。
ぐりのうちにいた個体はもとから健康上に問題があって毎週のように専門医にかかっていたので、結局知りたいことは全部そこで聞くようになってインターネットには頼らなくてもよくなったけど、いずれにせよ、かわいい小動物がペットショップの店頭に並ぶ以前には大なり小なりああいう不快な背景があるはずだと思うと、未だに気分が暗くなる(ちなみにうちのは店で買ったわけではない)。

ぐりは個人的には店で動物を売るのはもうやめてほしいと思っている。
飼いたい人は飼ってる人のところへ行って子どもをわけてもらうか、飼えなくなって施設やボランティアに保護されている動物をひきとるかすればいい。業者は飼いたい希望者の注文に応じて動物を繁殖させ、顧客は希望の子どもが生まれるのを待てばよい。それでいいではないか。それで無理なら縁がなかったとお互い諦める。ペットがいなくたって人の生活は何も困らない。
住む家のあてもなく生み出され、店の狭いケージで買ってくれる客を待っている動物は憐れだ。その客を選ぶ自由は動物にはいっさいない。客が現れなければ、彼らは実験動物として払い下げになるか殺処分となる運命にある。
ぐりは前述の動物を飼ったのは自分の意志ではなかったけど、飼うからには出来る限りのことは全部しようと覚悟をして最期まで見届けることはできた。最終的にはしてやれるだけのことの99%まではしたと思う。残りの1%がかなわなかったのはひとえにぐりの人格の至らなさだが、その1%ができなかったことはあれから10ヶ月経った今も悔しいし、それだけに金輪際二度と生き物なんか飼うまいと心に決めている。おそらくその1%は一生悔やみ続けることになるだろうと思う。
こんな自分に生き物を飼う権利なんかあるわけがない。けどこんなぐりでも、生き物を飼おうとしている人全員に、これから家族になるその子にしてやれることを全部やりつくせる自信があるかどうかくらい、問いなおす制度もほしいと思う。


ぐりの仕事場の近所にはラブホ街があるんですがー。
中にはこーゆー、ラブホとゆーより連れ込み宿とでも呼ぶべき雰囲気の建物もあります。時間、止まってます。

なんかやれよ

2009年01月26日 | diary
江東女性殺害:星島被告に死刑求刑 東京地裁公判

この裁判どーなるんでしょーねー?
やったこと自体はひどいですけど、前例から判断すれば死刑判決はでるかなー?でないかなー?2004年の奈良小学生女児誘拐殺害事件の小林薫被告には本人の希望通り死刑判決が下りたけど、結局再審請求出てるみたいですね(ソース)?死刑になりたいとかなりたくないではなくて、誰もが納得いくまで裁判で真実を争うのは大事なことですけども。
だって真実なんてそう簡単にわかりっこないし、犯人を死刑にしたところで何もかもきれいさっぱり解決するわけじゃない。判決が出て裁判が終わっても、犯人が死のうと生きようと、被害者と遺族の一生は元には戻らない。
星島被告は「死んで償う」といってたらしーけど、じゃあ「償い」ってなんだよ?殺された彼女はなにをどうやったって二度と還って来ない。そればかりか遺族には遺体さえ残されなかった。彼は死ねばそれで気が済むかもしれないけど、遺族にはこの先何十年という苦しい生涯が続いていく。被告ひとりが死んだところでその苦悩が軽減されるとも思えない。
宮﨑勤や宅間守は死刑になったけど、それで遺族の苦しみが少しでも薄らいだかどうか、誰にもわからない。

けど彼のようなひどい犯罪を犯した人間に下される刑罰として、死刑以外に相応しい量刑が日本の刑法には設定されていないというのも事実だと思う。
それでも、死ぬ以外に彼にできることがほんとうに何ひとつ残っていないとも思われない。
それが何かはわからない。
でも何かあるはずじゃないかとも思う。
少なくとも、彼に死刑判決が下りて喜ぶような人間が遺族以外にいる現実を思えば、世間が怒り狂うくらいの判決の方がむしろ妥当な気もする。
ぐりは個人的には、彼には遺族と同じくらい長い一生を、「一面識もない隣人を殺して切り刻んでトイレに流した男」と後ろ指をさされて暮して欲しいと思う。
ぐりにとっては、それこそが彼の罪に見合う刑罰のような気がする。


インテリアショップの健康器具に夢中の子ども。
何でも遊びにできるのは子どもの才能だよね。

どこにも行けない

2009年01月25日 | movie
『誰も守ってくれない』

小学生の姉妹が刺殺された事件の容疑者として18歳の少年(飯嶋耕大)が逮捕され、マスコミから追い回されるその家族の護衛を命ぜられた勝浦刑事(佐藤浩市)。別居中の家族との関係を立て直そうと旅行を予定していたさ中に、上司(佐野史郎)の命令でいやいや容疑者の15歳の妹(志田未来)を連れて逃げ場を求めて点々と居場所を変えていくのだが、インターネット上では匿名で報道され保護されているはずの一家の情報がどこからともなく垂れ流されていた。

『踊る大捜査線』チームが再結集した社会派エンターテインメント映画。
なのでひじょーにTVくさいです。てか最近の邦画は大抵TVくさいんだけどね。しかしここまでガンガンにTVくさいといっそのこと潔いかもしれない。
だっていちばん報われない仕事じゃないですか。主人公の仕事がさ。容疑者の家族を公権力が国民の税金をつかって保護するなんてさ。誰にも評価されないし、人によっては理不尽さも感じるかもしれない。被害者は誰にも守ってもらえなかったのに、なんで容疑者の家族が守られるのか。
誰にも理解されない報われないドラマを訴えてくんだから、極力誰が観てもわかりやすく楽しめる大衆映画として表現するのは、とるべき手段として正解なんだろうと思う。それはわかる。

TVくささで成功してるなと思ったのは、主人公勝浦とコンビを組む三島刑事(松田龍平)とのかけあい。
ミュージシャンのようなキメキメファッションにニヒルなキャラクターの三島のウィットたっぷりな台詞廻しは、ついつい固く重くなりがちな画面をうまく軽くしてくれる。笑えないシーンの連続の途中に彼が登場するとほっとした。あとTV俳優ばっかりのTV的な芝居の中に映画俳優の彼が出てくるだけで気分的にも楽なんだよね。彼の演技はやっぱりちゃんと映画の芝居だからさ。
逆にイタかったのは西伊豆のペンションでのパート。イタいよー。すべてがイタい。ここは演技がどうこうという以前に、画面がペンションから出てかないのにそこでやってるドラマがペラペラに薄くて奥行きがなくて、観てる方も間がもたなくてツライ。これは構成そのものが間違ってたんだと思うですよ。最初は主人公たちの敵はマスコミだったのが、西伊豆に移ってからはインターネットにすり変わって、その三者がまったくクロスしない単純構造にしちゃったのは失敗だったんではないかなー?新聞記者役の佐々木蔵之介なんか登場しただけでほとんど何にもしなかった。あれはもったいなかったと思う。
大体が掲示板やブログで情報を垂れ流してる人間にはマスコミ関係者もいれば捜査関係者もいる。そこがきれいに三分割されて、あっちはよくてこっちはダメ、って状況になってること自体があまりにTV的過ぎる気がしてしょうがない。

ツッコミどころはいっぱいあるし、映画としての完璧さなんてものにはちょっと距離を感じる作品ではあるけど、TV局、それもフジテレビがこういう映画をつくったってところはすごいなとは思います。『踊る』をつくって大ヒットさせたその自信がこういう題材を映画化させたのだとしたら、TV局の映画もそう悪くない。
できればこれはシリーズ化してほしいですね。刑事ドラマになかなか登場しない、こういう非公式な仕事を題材にした映画。昨日放送されたドラマ『誰も守れない』もおもしろかったらしいですが、今後もっとリアルに完成度の高いシリーズにしていければ、無自覚に情報に踊らされることにまったくなんの罪悪感も感じないマスコミやネットユーザーの意識も変えられるかもしれない。なんてのは理想論的過ぎますかね。


関連レビュー:
『BOY A』
『少年A 矯正2500日全記録』 草薙厚子著
『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』 今枝仁著
『僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真相』 草薙厚子著

ちゃんとやれよ

2009年01月24日 | movie
『ポチの告白』

地域課の巡査から念願の刑事課に昇進した竹田(菅田俊)は結婚5年めにして子どもを授かり順風満帆の刑事生活を始めるのだが、ある人質事件で不正な捜査を指示された証拠を北村(井田國彦)という新聞記者と草間(川本淳市)というチンピラにちらつかされ・・・。

んー。
力作なんだよね。それは認めるよ。すごい頑張ったと思うよ。つくり手の熱意はわかるんだよね。いいたいこともやりたいこともまあわかるよ。よくここまでやったなって労ってあげたい気持ちに嘘はないです。
けどねー。ツッコミどころありすぎ。コッテコテに満載っす!バリバリっす!
まず長い。長過ぎます。これ195分もいらんやろ。せいぜい130分、長くて150分で充分です。全体にシナリオが無駄に冗長で緊張感が足りないんだけど、とくに後半、主人公が逮捕された後のあの長さはいったい何?意味がわからないあるよ。やりたいこと全部やって全部完パケにいれこむのはもうやめよーよー。
それから、どのパートも抽象的過ぎ。具体性がなさ過ぎ。それならそれでもっとさくっとぱりっとメリハリの効いた構成にすりゃあいいのに、こんなに無意味にダラダラ長くちゃあ誰でも観てて飽きますて。中盤以降で客席全体に「まだやんのかよ」的な空気が充満して来て、画面で熱演してる役者が可哀想になってしまったよ。どんだけ熱演してても具体性が薄いから説得力もないし、そもそも主役ひとりをいい人=被害者にしたてて観客の同情を買おうって手法が前近代的過ぎて無理。
映像的にもかなりイタい。デジタル撮影はいいんだけど画面が暗過ぎて観てて超目が疲れるし、音響設計がチープなのか録音状態がボロいのか、台詞が聞き取れない箇所も多過ぎる。

そしてトドメは竹田の後輩・山崎刑事(野村宏伸)の出自の設定。ネタバレになるので伏せますが、あの設定は完璧いらんやろ。ほぼ脈絡ないやんけ。しかも辻褄あってない。あの出自で前職が「銀行」はあり得ません(笑)。今はどーか知りませんが、少なくともあの世代ではないね(断言)。彼はその出自を上司(出光元)のコネで捨てたらしーけど、そこもべつに全然いらん設定ですよ。
ダメ押しは良心に負けたのかなんなのか主人公が勝手に自滅してくのに対して、彼が組織の腐敗に脳天までどっぷり浸かった邪の道をどんどん突き進んでいくという展開がその出自と結びついて、「結局こんなにまで悪くなれる人間は日本人じゃあり得ない」といっているみたいに見えてしまうこと。もしかしたら製作者は誰もそんなこと意図してないかもしれないけど、ぐりにはそう見えたし、他にもそう思う人はいっぱいいると思います。
ええの?それで?あの設定ひとつで、ここまで情熱かけて訴えようとしたメッセージが全部台無しになっちゃってるんですけど。

キャスティングはすごくよくて、とくに主役の菅田俊と後輩役の野村宏伸の対比が素晴らしい。デカくてコワモテの菅田が実直なおひとよしで、華奢で繊細そうな野村が官僚体質で冷酷なキャリア志向とゆー、見た目とのギャップがいい。
主人公の妻を演じた井上晴美がこんなにいい女優だとはしらなんだ。何が起きても泰然自若としたしたたかに強い女性役がすごくハマってました。
他の出演者はほとんどが無名の人ばっかりなんだけど、それがこの内容にあっててよかったです。リアルで。
初日とゆーことで初回に舞台挨拶があってロビーに関係者一同が集まってプチ同窓会状態になってて(完成から公開まで4年かかっている)、客席にも出演者がすっごいいっぱいいました。登場人物多いからね。つか客層が極端に男性寄り、それも中高年ばっかりで会場の空気が異様な感じ。場内に加齢臭ただよってた(爆)。ジャーナリストとか左翼活動家とか、そのスジ系の人もいっぱい来られてました。
ぐりは舞台挨拶の直後の回を観たんだけど、上映前にたまたますぐ傍で監督が囲み取材中だったのを一部盗み聞きしたのでメモっときます。
「海外での配給権は販売済みなので、日本での公開が始まって成績や評価が出れば各国でも公開されると思う」
「最初の一般上映はゆうばり国際ファンタスティック映画祭(2006年)で観客投票で2位を獲得した」
「公開が遅れたのは製作当初のプロダクション2社が相次いで倒産したから(ライブドアショックの煽りも受けたらしい)」
「噂になっている公権力の公開妨害などは残念ながらない。あればかっこよかったんだけど」
「ただ、名古屋の某映画館に所轄署から『おたくで例の映画、上映しないだろうね?』という電話はかかって来たらしい(『靖国』状態だね)」
「完成後に警察関係者から指摘のあった箇所は編集で修正してある。いちばん観てほしいのは警察関係者」などなど。

なんかいっぱい文句は書いたけど、今年しょっぱないちばんの問題作でもあるし、観といてソンはないと思います。ってか観るべき映画ではある。
けどそれだけに、もっとなんか、ちゃんとやってよ!とゆー悔しい思いも強く感じましたです。あーあ。


関連レビュー:『通訳捜査官―中国人犯罪者との闘い2920日』 坂東忠信著