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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

マノン・レスコー

2008年05月04日 | 千伝。
今日の福井地方・・30度を超えた真夏日でした。

午前中、肉体労働。
午後から、パソコンの前に座って、ずっと検索作業に没頭していました。

「されど われらが日々」(柴田翔 著)という青春小説が、60~70年代の大ベストセラーになりました。
多分、我々の世代が、最後の読者層だったのではないかと思います。

何故、そんなことを思い出したかというと、小説の登場人物である若い男女の恋愛の挫折が軸になっており、二人は、すでに老年期に達しているからです。
彼らが今の時代に再び出会うと・・どうなるのだろうという想像です。

あと5年ぐらい先から・・東京をはじめとする都会は、介護難民の扱いが深刻になるようです。
老年期の孤独死があふれて、もう新聞記事やニュースにならないぐらい日常茶飯事となる可能性が高いです。

今、ニュースで話題となる迷惑千万の硫化水素による自殺者の比ではありません。
(ところで、硫化水素の作り方は、中学校の理科の教科書に載っているようです。)

時代は移り変わり、老後の介護や医療制度も国家責任であるという社会意識が、日本国民に目覚めたような21世紀、平成の時代です。

一方で、老後の生活を有意義にするための第二、第三の人生のあり方も考えさせられます。

元気な男性老人のなかには、年金を貰う受給日に、そのままソープランドのような類の場所に足を運ぶ方も多くいらっしゃるようです。

生きるための最低限必要な力は、愛情という優しさです。
これが、不足して壊れかけているのが日本社会の現状かもしれません。

だから、恋がうつつに、触れあうものとして浮上します。

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恋は、富よりもはるかに強い。
恋は、財宝や富裕よりもはるかに強い。
されど 恋は「それらの力」を借りなければならないのだ。
<マノン・レスコー:より一部抜粋>

」」」」」」」」」」」」」」」」


ふと、思うこと・・。

恋は、「老い」よりもはるかに強いのだろうか?

「老い」は、恋よりもはるかに強いのだろうか?

現実的には、老いも、また「それらの力あるいは愛情」を借りなければならないのでしょう。

スラバヤ

2008年05月04日 | 千伝。
随分昔、シンガポールとマレーシアに行く機会があった時、父に「一緒に行くか?」と聞いたことがある。

「あのあたりは、生き地獄のような思い出ばかりで・・。スラバヤなら行きたいな」と漏らした記憶がある。

「スラバヤ? それ、どこ?」と訊いたまま、あの時、この旅行話は終わった。

因みに、スラバヤは、インドネシア第二の街(東ジャワ州州都)で、インドネシア最大の国際貿易港、軍港でもある。

今になって父の足跡を追って調べると、父は、18歳の頃、スラバヤ港にある中央埠頭の突端の信号所で勤務して手旗信号や港内の見廻り、船舶への伝達係をしたのち炊事班へ。

マレー語も中国語も喋れるということで現地での食料調達、献立作りをしていた。

ラバウルへ移動するまでの・・父の1年半ほどのスラバヤでの生活が、いちばん人生で充実していて人種を超えた人情や心の温かさや親切さを知った・・と記してある。

その後の人生の指針ともなった・・とも記している。

Quality of Life という言葉がある。

父には、子供の頃、よく叱られては殴られた。

だが「勉強しろ。いい学校へ進学しろ。いい会社へ就職しろ」とか一度も言われたことがない。

21歳の時、学生レポーターとして選抜されて、サイパン島へ取材に行ったことがある。

サイパンには、太平洋戦争末期、米軍が上陸して現地の日本人が逃げ惑い、多くの邦人が飛び降り自殺したバンザイクリフという悲しい呼び名の絶壁の崖がある。

その時に書いた紀行文を読んだ父が言った「おまえ、満更馬鹿じゃないのう」という言葉を思い出す。

あとは、ほとんど褒められたことがない。
「仕事? おまえを雇ってくれているだけでも会社に感謝しろ」
「海外? 行ってこい。人生勉強してこい」
「結婚? おまえには、もったいない女房じゃ」
「孫? 嫁さん似になればよい」

「おまえは馬鹿なんだから、身体を張って、丈夫に正直に働け」とよく言われ続けた。
最近、この意味が解る。

そう、「身を滅ぼすな」という父からのメッセージだったと確信している。

でも、もっと「褒めてくれたら・・」、もっと、ましな大人人間になっていたかもしれないと思うこともある。

さて、こんな人生の教訓があります。
魚を与えると、その人は、その都度、食事をすることができます。
魚の釣り方を教えれば、その人は、残りの生涯は、ずっと食べてゆけます。

父が愛した街・・スラバヤ。
スラバヤへ行ってみたいような感傷と・・行ってみたくないような暑い今日一日です。